第111話 特別架橋連隊と、標準軌の暴力
昭和52年(1977年)、冬。
深夜の京浜急行電鉄・金沢文庫の保線区。そして、相模鉄道・かしわ台の車両センター。
二つの鉄道会社の現場(最前線)に、五代と高見からの『極秘動員令』が下された。
「……いいか、野郎ども! 日々の本線メンテは絶対に手を抜くな! 安全を売って小田原を取るような真似は、インフラ屋の恥だ!」
保線区長の怒号が、冷え切った夜の車両基地に響き渡る。
「……だが、シフトの限界ギリギリまで腕利きの『鉄道技術者(土木屋)』を抽出する! これより我が相鉄・京急は、小田原の酒匂川に『特別架橋連隊』を編成し、24時間体制の昼夜突貫工事に突入する!!」
集められたのは、日々ツルハシを振るい、重機を操り、ミリ単位でレールの狂いを直してきた、泥と油にまみれた現場の精鋭たちだった。
彼らの目に、疲労の色はない。あるのは、自らのインフラ(線路)を封じようとした小田急の「権藤」という男への、技術者としての強烈な対抗心だけだった。
「……陸路で資材が運べねえなら、俺たちの庭(線路)で全部運んでやるよ!」
* * *
数日後。酒匂川の東岸。
小田急の防衛線(兵糧攻め)によって、完全に工事がストップし、静まり返っているはずの河川敷に……凄まじい重機の咆哮が轟いていた。
「……おいおい、ウソだろ……?」
様子を見に来た地元のゼネコン幹部が、土手の上からその光景を見下ろし、持っていたタバコをポロリと落とした。
そこには、プレハブの巨大な飯場(作業員宿舎)が建ち並び、数百人規模の作業員たちが、泥まみれになって巨大な橋脚の基礎工事に取り掛かっていたのだ。
ミキサー車がない代わりに、河川敷には大量の『乾燥セメント(粉体)』の袋が山のように積まれ、川の水を汲み上げて自前でコンクリートを練り上げるための即席のプラント設備が、黒煙を上げてフル稼働している。
「……あいつら、生コンが買えないからって、現場で一から練り出してやがるのか……!? だが、あの尋常じゃない量のセメントや重機、それにあの『巨大な鉄骨』は、一体どこから……!」
幹部の視線の先。
河川敷まで引き込まれた仮設のレールの上に、無骨な黄色い事業用貨車と、長物車が何両も連なっていた。
その荷台には、ダンプやトラックでは到底運べないような、規格外の超巨大な『鋼鉄の橋桁』が鎮座している。
「……標準軌(1435ミリ)の暴力だよ」
土手の上に立つ五代が、ステッキをつきながら冷たく笑った。
「……小田急や相鉄の狭軌(1067ミリ)ではバランスを崩すような超重量の鉄骨も、大量のセメントも。……京急の標準軌のレールと車体なら、川崎の工業地帯から、終電後の本線を極秘裏に爆走して、一気に前線へ運び込める」
五代は、河川敷で泥まみれになって指揮を執る高見の背中を見下ろした。
「……昼は河川敷でプラントを回し、橋脚を打つ。そして夜は、終電後の闇に紛れて標準軌の貨車で巨大な鋼桁を運び込み、ウインチとジャッキで対岸へ向かって架設していく。……地元の業者など、最初から一切必要なかったんだよ」
小田急の技術トップ・権藤が、長年の政治力と癒着を使って築き上げた「完璧な兵糧攻め」。
それは、京急の『標準軌という圧倒的なインフラポテンシャル』と、相鉄・京急の『狂気の昼夜24時間体制』の前に、完全に無力化されようとしていた。
酒匂川の鉄火場。
終わらない昼と夜の、泥まみれの架橋戦争が、今まさに最高潮を迎えようとしていた。




