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第11話 貧乏球団の買収と、三崎の白い巨塔

今日は更に10話投稿します。

 昭和39年の師走。

 世間は東京オリンピックの余韻と、高度経済成長の年末ムードに包まれていた。

 だが、京急本社・社長室だけは、シベリアのように寒かった。

「……五代。本当に大丈夫なんだろうな」

 大原社長が、出前の伸びた蕎麦をすすりながら言った。具なんて入っていない。ただのかけ蕎麦だ。

「三菱から土地は買った。500億の借金もした。だが、みなとみらいのビルが建つのは数年後だ。……それまでの金利だけで、うちは破産するぞ」

 社長が箸を止めた。

「このままじゃ、来年の年越しそばは食えん。……社員全員で、線路の砂利を舐めることになるぞ」

「ご心配なく、社長。砂利は舐めさせません」

 俺(五代)は、窓の外の寒空を見上げながら言った。

「だから、手っ取り早く『日銭ひぜに』を稼ぐ装置を作ります」

「日銭だと? バスでも増やすか?」

「いえ。……**『野球』**です」

 俺はスポーツ新聞を社長の前に置いた。

 一面には、万年Bクラスに沈む弱小球団、**大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)**の記事。

 親会社の大洋漁業が、球団経営の赤字に頭を抱えているという噂が載っている。

「これを買います」

「はあ!? お前、正気か! 500億の借金があるのに、さらに赤字球団を抱え込む気か! 自殺行為だ!」

 社長が蕎麦を吹き出しそうになった。

「赤字なのは、川崎球場に客が入らないからです。……客が入る『場所』、いや、**我々が一番儲かる『場所』**に球場を移せば、これは金のなる木に変わります」

        * * *

 数日後。大手町、大洋漁業本社。

 俺は、球団オーナーとの交渉の席にいた。

「……京急さんが、ホエールズを?」

 オーナーは怪訝な顔をした。

「ありがたい話だが、うちは看板(球団名)を売る気はないよ。あれは我々の誇りだ」

「名前は残しましょう」

 俺は即答した。

「『京急レッド・ホエールズ』。……その代わり、本拠地を移転させてもらいます」

「移転? 横浜公園にでも行くのかね?」

「いいえ。もっと南です」

 俺は地図を広げた。

 指差したのは、三浦半島の先端。油壺あぶらつぼ三崎みさきエリア。

 当時はまだ、畑と岩場しかない僻地へきちだ。

「ここに、日本初の**『全天候型ドーム球場』**を建設します」

「ド、ドーム!? 屋根付き球場か!?」

 オーナーが身を乗り出した。雨天中止の多いプロ野球界にとって、それは夢の施設だ。

「はい。雨でも雪でも試合ができる。……選手にとっても、観客にとっても天国です。どうです? 新生ホエールズの船出に相応しいでしょう」

 オーナーの目が潤んだ。

 お荷物扱いされていた球団が、最新鋭のドームを本拠地にする。これ以上の花道はない。

「……分かった。五代くん、娘(球団)を頼む。……京急の力で、あの子たちを輝かせてやってくれ」

        * * *

 買収成立。

 だが、本当の戦いはここからだ。

 三崎の建設現場。寒風吹きすさぶ台地に、俺と技術部長の加賀谷は立っていた。

「……専務。言っておきますけど、コンクリートでドームを作る金も時間もありませんよ」

 加賀谷が図面を見ながらボヤく。

「開幕まであと半年しかない。普通の工法じゃ絶対に間に合わない」

「だから、**『空気』**を使うんだ」

 俺は一枚の写真を見せた。

 1970年の大阪万博で公開される予定の「アメリカ館」。空気膜構造のパビリオンだ。

「エアドームだ。テフロン加工の膜を屋根にして、内部の気圧を少し高めて膨らませる。……これなら柱もはりもいらない。工期は3ヶ月、建設費はコンクリートの5分の1だ」

 同時に、俺はもう一つの指令を出していた。

「三浦海岸駅からドームまでの延伸工事を急げ。……それと、三浦海岸駅と、新設する三崎口駅、ドーム前駅だけは、ホームを12両対応にしておけ」

「は? 中間の横須賀とかは8両のままですよ?」

「構わん。……それが後で『武器』になる」

        * * *

 昭和40年、春。

 プロ野球開幕の日。

 三浦半島の先端に、白く輝く巨大なドームが出現していた。

 『京急油壺・マリン・ドーム』。

 その目の前には、真新しい巨大駅が開業している。

 夕方18時。品川駅。

 ここは地獄のような帰宅ラッシュの真っ只中だった。

 ホームは、疲れた顔のサラリーマンたちで溢れかえっている。

 だが、今夜は様子が違った。

 グレーの背広の海の中に、鮮やかな赤いユニフォームを着たファンたちが混じっているのだ。

「臨時特急『赤鯨レッド・ホエール号』、マリン・ドーム前行き! 発車しまーす!」

 滑り込んできたのは、2000形・バーミリオンレッド。

 ドレミファインバータの高らかな歌声と共に、満員の客を飲み込んでいく。

 車内。

 俺と社長は、すし詰めの乗客を見ていた。

「……おい五代、これじゃいつも通りの地獄絵図じゃないか」

 社長が苦しそうにネクタイを緩める。

「ラッシュに野球客を混ぜてどうする。パンクするぞ」

「社長、よく見てください」

 俺はニヤリと笑った。

「普通の夕方なら、横浜で3割、上大岡で2割、金沢文庫でさらに客が降りて……横須賀中央を過ぎる頃には、車内はガラガラになりますよね?」

「ああ。末端区間は空気を運んでいるようなもんだ」

「ですが、今夜は違います」

 電車は横浜駅に到着。サラリーマンが降りるが、その隙間にさらにファンが乗り込んでくる。

 上大岡駅。降りる客より、乗ってくる客の方が多い。

 金沢文庫駅。ここで普通なら空くはずだが、車内は依然として満員率200%をキープしている。

「……減らない」

 社長が目を見開いた。

「横須賀を過ぎても、まだ満員だぞ!?」

「ええ。サラリーマンが降りた席に、ファンが座る。……そして彼らは、終点のドームまで絶対に降りない」

 これぞ、俺が狙った**「高効率・長距離輸送」**だ。

 通常、ラッシュ時の電車は、終点に近づくほど客が減り、収益効率(乗車率)が下がる。

 だが、終点に「3万人を集める施設」を置けばどうなるか?

 電車は、始発から終点まで、常に満員の客を運び続けることになる。

「品川から三崎まで約70キロ。この区間を、空気ではなく、金を払う人間でギチギチに満たして走るんです」

 俺は電卓を叩いて見せた。

「往復2000円×3万人。……それに、途中駅で降りるサラリーマンの定期代も加わる。一回の運行で稼ぎ出す利益は、通常の倍以上です」

「……悪魔的だ」

 社長が震える手で窓の外を見た。

 三崎の台地。

 終点まで乗り通した数万人の群衆が、ドームへ向かって吐き出されていく。

「社長、これなら今年の年越しそばは、海老天が乗りますよ」

「海老天どころか、伊勢海老が食えるわ!」

 社長が高笑いした。

 三崎の海風に乗って、歓声が響く。

「行けーっ! 京急ホエールズ!」

「赤い悪魔を見せてやれ!」

 ドームの貴賓席で、俺はグラウンドを見下ろした。

 これで「日銭」は確保した。

 本来なら「空気を運ぶ」はずの末端区間が、日本で一番稼ぐ路線に変わったのだ。

 だが、本当の地獄はこれからだ。

 行きはよいよい、帰りは怖い。

 3万人の客が一度に帰る時、京急の貧弱な線路(8両ホームの制約)が牙を剥く。

「……大崎。準備はいいか?」

 俺はインカムで指令室に呼びかけた。

「ああ。いつでもいけるぞ、専務。……金沢文庫の連結部隊、待機完了だ」

 ここから先は、経営の話ではない。

 現場の意地と技術が試される、伝説の**「輸送戦争」**の幕開けだ。

( ᐛ )コメントとブックマークゼロだぁ

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