第101話【鎌倉編・後日談①】落日の特急 ~炎上するロマンスカーと、柴犬の遠吠え~
昭和52年(1977年)、冬。
相鉄と京急が、段ボールとガムテープの「ツギハギ電車」で数万人の暴徒を客へと戻し、奇跡の輸送作戦を完遂した翌日の朝。
日本列島は、前代未聞の特大スキャンダルに揺れていた。
『国鉄完全崩壊! 主要駅が暴徒により物理的破壊!!』
『運輸大臣、引責辞任へ! 霞が関は大パニック!!』
新聞の朝刊一面には、黒々と太い見出しが躍っていた。
親方日の丸にあぐらをかき、サービスを怠り、組合のストライキを放置し続けた国鉄という「巨大な帝国」の膿が、鎌倉事件という数万人の暴動によって一気に破裂したのだ。
監督官庁である運輸省は責任のなすりつけ合いで機能不全に陥り、事実上、国家の鉄道行政は一時的な「空白地帯(無政府状態)」となっていた。
* * *
【小田急電鉄本社・新宿】
「……野蛮な連中だ。国鉄も、そしてそれに乗る客たちも」
小田急の若き冷将・御子柴は、社長室のふかふかなソファに深く腰掛け、新聞を冷ややかに見下ろしていた。
整えられた前髪、仕立ての良い高級スーツ。その姿は、泥水にまみれてツルハシを振るう相鉄や京急の「現場主義(野良犬)」とは対極の、血統書付きのプライド高き「柴犬」そのものだった。
「……御子柴常務。相鉄と京急は、自社の窓ガラスを割られながらも、段ボールで穴を塞いで客を運んだそうです。……現在、鎌倉・湘南の住民からは『英雄』として扱われています」
秘書が忌々しそうに報告する。
「……愚かしい。インフラ企業の真髄は『ブランド』だ」
御子柴は、鼻で笑った。
「……窓を段ボールで塞ぐなど、美学の欠片もない。我が小田急は、どんな時でも気高く、美しくあらねばならない。……おい、我が社の誇る特急『ロマンスカー』は、予定通り江ノ島線へ向かわせたな?」
「……は、はい。暴動の余波が心配されましたが、常務の『ブランドを守れ』という至上命令により、定刻通りに新宿を発車させました。乗客は箱根や湘南へ向かう、富裕層の観光客が中心です」
「……それでいい。泥にまみれた暴徒どもに、小田急の美しい流線型を見せつけてやれ」
御子柴が、優雅にコーヒーカップを口に運ぼうとした、その時だった。
バンッ!!!
社長室のドアが乱暴に開き、運行指令のトップが血相を変えて飛び込んできた。
「……み、御子柴常務!! 大変です!! 江ノ島線に向かっていたロマンスカーが、暴徒の集団に襲撃されました!!」
「……は……?」
御子柴の手から、高級なティーカップが滑り落ち、絨毯にコーヒーの染みを作った。
* * *
【同時刻・神奈川県内】
そこは、地獄だった。
国鉄が止まり、通勤の足を奪われて殺気立っていた群衆たち。彼らは昨日、相鉄と京急がボロボロになりながらも自分たちを運んでくれたことで一度は怒りを鎮めていた。
だが、そこへ空気を読まずにやってきたのだ。
ピカピカに磨き上げられたオレンジ色の車体。大きなパノラマウィンドウ。そして、その窓の向こうで優雅に観光を楽しむ富裕層たちの姿が。
「……ふ、ふざけるな……!!」
群衆の憎悪が、一瞬で沸点に達した。
「……俺たちが会社に行けなくて地獄を見てる時に、金持ち乗せてヘラヘラ走ってんじゃねえぞ!! ぶっ壊せェェェッ!!」
それは、「資本主義の傲慢」に対する民衆の純粋な怒りだった。
無数の石が、小田急の誇るロマンスカーの美しい流線型に向かって、雨あられと降り注いだ。
ガシャァァァァンッ!! パリンッ!!
自慢の展望席の巨大なガラスが粉々に砕け散る。
車内からは観光客の悲鳴が上がり、オレンジ色の車体は投石によって無惨にボコボコに凹んでいく。
もはや運行どころではない。ロマンスカーは群衆のヘイトを一身に集める「最高の標的」として、線路上で完全にサンドバッグと化していた。
* * *
「……ば、馬鹿な……!! なぜだ!? 完璧な美しさを持つ我が社のロマンスカーが、なぜあんな泥まみれの連中に壊されなければならないんだ!!」
報告を受けた御子柴は、頭を抱え、獣のように低く唸った。
「……段ボールで客を運んだ相鉄たちは無事で……ブランドを守ろうとした我が社が、なぜ標的にされるんだァァァッ!!」
血統書付きの柴犬の、プライドが完全に粉砕された絶望の遠吠え。
彼は気づいていなかった。インフラとは「美しさ」ではない。血の通った「人間の生活(足)」を泥臭く支えることこそが、真のブランドを生むということに。
美学に固執した小田急は、鎌倉事件の余波の中で「群衆の敵」として最悪の形で炎上し、その権威を大きく失墜させることとなったのである。




