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作品群 空 「空を仰ぐ」

作者: 空 豆子
掲載日:2026/02/06


 一体何度書き直したのか。

 

 行く先を眺めても、星は落ちていなかった。東京の空は黒い。綻びを抱える繁華街の駅前では、電光掲示板があらゆる光源を担っている気がした。

 ふと、駆けるような足音が聞こえた。まだ私の背丈が私より小さい頃、地元の街がまだ大きかったその頃の、帰り道に響かせた音だった。翳るを知らない私は、春一番を背に受け、夕陽の空を目指していた。

 あれから、

 一体何度書き直したのか。

 

 膝の滲んだ赤はツバキに似ていた

 冬の真昼は春に似ていた

 人は空に似ていた

 

 似ていた。

 少年がその後どうなったのか、わからない。

 終電間際の電車には無数の人が乗っていた。携帯は明日の天気予報を映し出していた。私はベランダの物干し竿を強く思い出した。どこかに置き去りにした傘は、亡霊となり諦念が濡れないために空を仰いでいた。

 私は最寄り駅で下車した。六畳の部屋は手狭だった。地元の千平方メートルよりも狭かった。

 建て付けの悪い机にはノートが開いたままになっていた。夢や希望と呼ぶに相応しい極めて真っ直ぐな思いの丈が、連なっていた。私の物ではなかった。ただ、過去の私の物だった。

 

 一面の野原は青さを体現する

 空を仰いで、思い描いた

 飛行機は、太陽は、月は、そこにある

 近づけば掴めると、思い込んだ

 現実の肌触りは時を経て色濃くなる

 全ては空虚な、思い出だった

 

 時間の経過は致命的に小さな世界に影を差す。幼い頃の、世界へ触れる小さな手の感触を、私は失っていた。季節の足音に耳を澄ませ、花の咲く意味を理解できた。空は空虚ではなく、この手に掴む無限だった。私はもう着こなせなくなっていたのだ。

 ノートの中の、記憶の中の少年は、私の轍を歩む。地続きの一本道。彼の行き先に星を落とすはずだった。

 知らなかったこと、知りたくなかったことを何度も上書きした。汚れた傷が付いていく思い出に溜息をつく。色褪せていく。

 もしも、初めから存在しなかったなら。

 

 私はベランダへ出た。

 雨が降っていた。東京の空は黒い。建て付けが悪い世界には、穿った思いが連なっていた。紛れもない、私のものだった。

 私は空を見上げた。

 天地がひっくり返ったようだった。この手に落ちる星々は私を濡らした。

 もしも、そう思えたなら。

 

 空を仰いで

 眩しい光を拭えないのは

 癒えぬかさぶたが痛むから

 書き直せない空に

 引っ掻くように上書きをする

 思い出を傷つけて

 意地悪なため息を吐く

 

 空虚の萌芽に怯えるには

 世界は不確か

 空っぽを鳴らせ

 空に届くまで

 空を切る指で

 無くしたものを数えるには早い

 誠実さや信念は未だ青く

 私たちは同じ空を仰ぐ

 

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