作品群 空 「空を仰ぐ」
一体何度書き直したのか。
行く先を眺めても、星は落ちていなかった。東京の空は黒い。綻びを抱える繁華街の駅前では、電光掲示板があらゆる光源を担っている気がした。
ふと、駆けるような足音が聞こえた。まだ私の背丈が私より小さい頃、地元の街がまだ大きかったその頃の、帰り道に響かせた音だった。翳るを知らない私は、春一番を背に受け、夕陽の空を目指していた。
あれから、
一体何度書き直したのか。
膝の滲んだ赤はツバキに似ていた
冬の真昼は春に似ていた
人は空に似ていた
似ていた。
少年がその後どうなったのか、わからない。
終電間際の電車には無数の人が乗っていた。携帯は明日の天気予報を映し出していた。私はベランダの物干し竿を強く思い出した。どこかに置き去りにした傘は、亡霊となり諦念が濡れないために空を仰いでいた。
私は最寄り駅で下車した。六畳の部屋は手狭だった。地元の千平方メートルよりも狭かった。
建て付けの悪い机にはノートが開いたままになっていた。夢や希望と呼ぶに相応しい極めて真っ直ぐな思いの丈が、連なっていた。私の物ではなかった。ただ、過去の私の物だった。
一面の野原は青さを体現する
空を仰いで、思い描いた
飛行機は、太陽は、月は、そこにある
近づけば掴めると、思い込んだ
現実の肌触りは時を経て色濃くなる
全ては空虚な、思い出だった
時間の経過は致命的に小さな世界に影を差す。幼い頃の、世界へ触れる小さな手の感触を、私は失っていた。季節の足音に耳を澄ませ、花の咲く意味を理解できた。空は空虚ではなく、この手に掴む無限だった。私はもう着こなせなくなっていたのだ。
ノートの中の、記憶の中の少年は、私の轍を歩む。地続きの一本道。彼の行き先に星を落とすはずだった。
知らなかったこと、知りたくなかったことを何度も上書きした。汚れた傷が付いていく思い出に溜息をつく。色褪せていく。
もしも、初めから存在しなかったなら。
私はベランダへ出た。
雨が降っていた。東京の空は黒い。建て付けが悪い世界には、穿った思いが連なっていた。紛れもない、私のものだった。
私は空を見上げた。
天地がひっくり返ったようだった。この手に落ちる星々は私を濡らした。
もしも、そう思えたなら。
空を仰いで
眩しい光を拭えないのは
癒えぬかさぶたが痛むから
書き直せない空に
引っ掻くように上書きをする
思い出を傷つけて
意地悪なため息を吐く
空虚の萌芽に怯えるには
世界は不確か
空っぽを鳴らせ
空に届くまで
空を切る指で
無くしたものを数えるには早い
誠実さや信念は未だ青く
私たちは同じ空を仰ぐ




