試験勉強と昇級試験
「大学に入って一番驚いたことは、授業がつまらなかったことです」竹内くんが経済学の教科書を読みながら話しかけてきた。
「まあ分からなくもないけど、そんなに期待してたの?」僕はオンライン将棋をやりながら適当に答えた。この試合は昇級をかけた大事な対戦であるから、あまり話しかけないで欲しいと先ほど言ったのだが。
「けどよくよく考えれば日本教育の最終到着点なんですから、そんなに面白いわけもないですよね。いわばラスボスですよラスボス」
「授業にもよるんじゃないかな。竹内くんの学校にも何個かは面白い授業があるよ」
「そういう人気な授業に限って抽選とかいうクソシステムがあるんですよ。高い学費を払った上に抽選だなんて、大学側は学生を舐めてますよね。義務教育じゃないから、どちらかといったら俺らは客の立場ですからね。こんななめた商売ありませんよ」
「それは嫌だね」
「なんでそんな適当な返事するの!私の話ちゃんと聞いてよ!」竹内くんは机を軽く両手で叩く。
「なんで急にヒステリックな彼女になっちゃうのさ。彼女がヒステリックなことは、人生における悲劇のうちの1つだよ」
「ヒステリックな彼女でもいないよりはマシかもしれないですよ」
「それは僕に対するチクチク言葉なのかな?」僕は相手の桂馬の前に歩を置いた。
「考えすぎです」竹内くんは肩をすくめた。
「なら良いんだ」
「あと意外と単位取るのが難しいことです。人生の夏休みって嘘だったんですか。なんで俺は今こんなに苦しんでるんですか。こんなのは夏休みじゃない!」竹内くんは演説するように立ち上がった。相手は桂馬を捨てる選択をした。僕は桂馬を歩で取る。
「竹内くんが今苦しんでるのは、こまめに勉強をやってこなかったからだよ。文系の大学のテストなんてものは各授業ごとに復習しておけば難しいものじゃないよ」僕は自分がしたことのないことを偉そうに言ってみる。成績優秀で学費免除になった大学の友人が、涼しげに言ったセリフだ。彼の許せないところは、彼の成績がそんなに良かったことも、その手法のことも、卒業式で彼が表彰されるまで僕に教えてくれなかったことだ。
「そんなの夏休みじゃない!」
「夏休みだって宿題はたくさん出るじゃないか」
「ぐぬぬぬぬぬ」僕は現実で始めてこの音を聞いた。
「それに人生を楽しく歩くには、そこそこの達成感や苦労みたいなのが必要なんだと思うよ。楽と楽しいは違うからね」これはどこかの偉い感じの人が言っていた気がする言葉だ。
「達成感のない日々のなかで、鼻くそほじりながら昼寝してるような先生が何を言ってるんですか」
「いや、ぼくにだって苦労と達成感はあるよ。今だって一手一手に苦労を感じ、この先に予定されている昇級で達成感を得る予定さ」
「ずいぶんと低いハードルですね」
「僕はコスパが良いんだ。大概の人の不幸は自己の過大評価から生まれるからね」夢に向かって本当に真っ直ぐに生きれる人間と、本当に能力のある人間以外のほとんどの人間は、自分はこんなもんなんだといつかは折り合いをつけなければならず、それが全く悪いことではないということを知らなければならない。能力がなくても、何もなしえなかったとしても、この人生は悪いものではない。
「そんな冷めた思春期の高校生みたいなこと言って、お前の情熱はどこにあるんだよ」
「そんなフィクションの中の熱血教師みたいなセリフを吐いて、そのセリフを試験勉強する自分自身に聞かせてあげなよ」
「俺の高校にいましたよ。ヤンキーを更生しそうな熱血教師でした」
「すごいじゃないか。なんか他に良いセリフあった?」
竹内くんは少し考えてから答えた。
「腐ったミカンですね」
「それってどちらかというとヤンキーを切り捨てる側の発言に聞こえるけど」僕の金になった銀が相手に取られる。想定内だ。
「俺の学校そこそこに進学校だったんで、ヤンキーなんて全くいなかったですけどね」
「え、じゃあ先生は一体どこでその情熱を消費していたんだい?」
「数Bの授業です」
「熱いね〜」僕は、腐ったミカンが一体どのタイミングで発言された言葉なのかと気になった。
「あっ」竹内くんがスマホを見て短く声を発した。
「どうしたの?」
「なんか。経済学は試験じゃなくてレポートだったみたいです」
「それぐらい把握しておきなよ。けどよかったじゃない。レポートなら出せばなんとかなるでしょ」
「せっかくの試験勉強が無駄になっちゃいましたけどね」
「言うほど勉強してなかったじゃないか」彼は今日、家じゃ勉強できないからと昼過ぎに僕の家に来てから全くと言って良いほど勉強していない。彼が今開いている46ページを、少なくとも一時間以上前から僕は目にしている。
「俺はイチローと同じで、表では努力を見せないタイプなんです」
「そのタイプだとしてもイチローはスケールがデカすぎるよ」
「大は小を兼ねますからね」
「あっ」僕は思わず声を出した。
「どうしたんですか?」
「なんか相手の通信が切断されて勝っちゃった」僕は昇級画面を竹内くんの方に見せた。
「お、昇級おめでとうございます」
「なんか釈然としないなー。このままやってれば勝てそうだったんだよ」せっかくならスッキリと勝って終わりたかったものだ。
「まあまあ、勝てたらなら良いじゃないですか。お祝いに鍋でも食べましょう」
「お、いいね。じゃあちょっと買い物行こうか」
「僕実家から野菜もらったので、持ってきますよ」竹内くんはこたつから足を引き抜いた。
「それは助かる」僕は外に出るためのダウンを着ながら、ふと自分の達成感の少ない一日を振り返る。そしてこの一日を温かい鍋で終える。最高じゃないか。これより良い一日があるのなら提示して欲しいものだ。




