働きたくない男
働きたくないという欲望。これが爆発した、大学一年の夏。大学から始めたアルバイト生活も新鮮味を失い、週に三日、一日四時間も働くことが苦行と化したある日。僕はとんでもないことに気づいてしまった。
大学を卒業したら、週に五日、一日八時間が最低ラインだと。それがグローバルなスタンダードだと。そして、真っ黒にしか見えないその労働時間で済んでいれば、いやそれより三十時間ほど残業時間が上乗せされても、その企業は比較的楽な分類で、ホワイトの類だと言う事実。嘘だろ。どこがホワイトなのだ。真っ黒ではないか。臭くないうんこがあったとしてもそれはうんこなのだ。うんこである時点からおかしいのだ。そして、僕の青春をそこそこに捧げた勉強への努力は、全てこのうんこのためのものだったのだ。週に八時間以上の労働をする権利を得るために、僕は努力を続けてきたのだ。なんと言うことだ。僕の払った青春での犠牲は全てうんこのためだったのだ。
勉強に集中できなくなるからと、中学時代にスマートフォンを買い与えられなかった僕は、他の男たちが初恋のあの子と連絡先を交換しているのを、シャーペンを握りしめながら見ているしかなかった。スマートフォンさえ手にていれば、僕は彼女の心の琴線を揺さぶるメッセージを毎日送り、彼女の心を籠絡していたこと間違いなしだったのだ。しかし、そんな実らなかった初恋の痛みも、この努力の先に手に入れることができる栄冠に比べれば、大したものではないと自分に言い聞かせ、ここまでの受験戦争をそこそこに戦ってきたのだ。しかし、その戦争の勝利の報酬が、ただのうんこ、いやうんこの方がまだ可愛げがある、ただの労働者となる権利だと言うのは、なんとも唾棄すべき現実なのだろうか。
僕は絶望し、労働者から脱する術を探した。起業、投資、芸術家、世捨て人。起業をするほどの情熱も才能もないし、最初は少なくとも一般労働者よりも働く必要があるだろう。やっていられない。投資。全財産四千円の人間に買うことのできる株なんて大したものではない。十倍に膨れ上がっても人生は変わらない。それでは芸術家か。十八年生きてきて自分にそんな才能がないことは誰よりもよく知っている。世捨て人か。資本主義社会から目を逸らし、その片隅で粛々と生き続けるか。いいや。賢い僕は気づいた。伊達に桃色になるはずだった青春時代を赤本に捧げたわけでない。そういうわけで、僕は四千円で宝くじを購入し、その全てを紙屑に変換した。人生はそううまくはいかないと言う現実をはっきりと解らされた十八の夏。僕はその命を、資本主義の結晶とも言えるクレジットカードでなんとか長らえた。ビバ資本主義。サンキューアダムスミス。
そんなこんなで、その後の大学生活は怠惰を極めた。勉強にも就職活動にも身が入らず、運良く入った会社も二ヶ月で辞め、今はコンビニのアルバイトとして人生の歩みを進めている。いや、進んでねえだろと突っ込まれる可能性は大いにあるが、僕も進んでいるとは思わない。しかし、進める必要も特に感じない。
現在の生活は悪くない。最低限働き、図書館から借りてきた本を読み、それに飽きたらサブスクで映画を観る。金持ちになったらしたいと思っていた生活は、金持ちにならなくともできた。なんと言う皮肉。将来への金の不安もないことはないが、元来金を使わない人間であるので、今の生活レベルを続けていたら問題はない気がする。楽観的見積だ。けれど、悲観的に見積もろうと思えばいくらでも見積もれるのだから、心配したって仕方ない。将来起こりうる不安のタネなどいくらでも想像できてしまう。なので自分に言い聞かせる。我はきっと大丈夫であると。




