氷属性令嬢による涼しい夏の過ごし方のご提供
「私のアーレスを返して!」
王宮の廊下で、ウルウルお目々の女性に声を掛けられた。
「どなたのことでしょう?」
アーデルハイトは首を傾げた。
真夏の炎天下、しかも炎系の魔獣討伐。熱中症になった魔法騎士を治療し、体調の確認がてら騎士団の訓練場へ向かって一緒に歩いているところだった。今年の夏は異常に暑く、炎属性の魔法騎士と炎系の魔獣の相性は最悪だった。
道中、何者かが近くに転移した気配を感じ、魔法騎士の警戒が強くなった。アーデルハイトは有名人。
稀有な氷属性の魔法師な上に所有する魔道具の特許はかなりの数がある。襲撃だ、そう判断した。しかし、なかなか襲ってこない。対象外だったかと警戒を下げ、アーデルハイトを守る陣形も解いて移動を始めたところだった。
「私を知らないなんて失礼な人ね!」
「いえ、あなた様ではなく、『私のアーレス様』のことです。どなたのことでしょう?」
「え? 私のことは知っているの?」
「はい。第三王女のビアンカ殿下ですよね」
「そうよ。分かっているのなら話は早いわ。あなたの後ろにいる騎士の一人よ。そこにいるアーレスを返してほしい。ただそう言っているの」
アーデルハイトは背後を見た。五人の騎士は一瞬嫌そうな顔をした。
「ビアンカ様のアーレス様、いらっしゃいますか?挙手をしてください」
アーデルハイトがそう言うと、四人の視線が一人の男性に集まった。
「あなたがビアンカ様のアーレス様ですか? ちなみに契約の残りはどのくらいですか?」
「……アーレスは私です。後、六時間です」
「そうですか。ビアンカ様、契約がございますので今すぐお返しすることは叶いませんが、このままいけば明日にはお返しできるかと思います。とはいえ、ご本人がお望みになれば、ですが」
「えぇ〜。アーデルハイトの一存で解放できるんじゃないの? あなたが使っている固有魔法なんでしょ? なんでも涼しくできるんですって? 『快適部屋』だったかしら?」
「よくご存知で。確かに私が作り出した亜空間に作った部屋の貸出しも行っております。王族の方にお貸しする場合は安全保障の問題で特別料金になってしまいますが、ビアンカ様もご利用なさいますか?」
「そんなものいらないわ! 私は『水』ですもの。氷なんて寒過ぎるわ」
「そう仰られましても、炎属性のアーレス様をお望みなんですよね? アーレス様にとっては今年の夏は暑過ぎますでしょう? 寒さの方がなんとかできますから、ビアンカ様が防寒されて入室されるのが一番いいのではないかと。ただ、ご利用いただく前に国王陛下の許可を得て頂きたいのが正直なところですけれど」
「防寒具を着るのは嫌だわ。せっかくの夏なんですもの、サマードレスの方が絶対可愛いわ!」
「そうしますと、別料金にはなりますが、冷却魔法がよろしいかと」
「それは何なの?」
「ちょうど今、こちらにいらっしゃる皆様にかけています。見ただけでは分からないのですが、薄い結界のような膜で覆って内部を冷やすんです。部屋よりも魔法行使においてかなり精神的な負担があるものですから特別料金をいただいております」
「そうなの?」
「ええ。加減が難しいですし、お互いに危険を伴います」
「そう。まあ、何でもいいわ。アーレスにはかけられるということよね? それでお願いするわ」
「料金のお支払いはどちら様が」
「なによ! ケチくさいわね! 王族に支払いを要求するの? あなた、単なる伯爵家だったわよね?」
「私としましては、料金をお支払いいただいた方の意思を尊重させていただくのが道理かと思っております。何を基準に信頼するのか。そう、お金です。王族の皆様には近年冷蔵庫等ご愛顧いただいてはおりますけれど、信頼関係というのは双方に努力義務があるものでございますし」
「もう! めんどくさいわね! いいわ! 言い値で払うわ!」
「財源は個人資産からですよね? 個人的なご要望に国のお金を使う訳にはいきませんもの。それに直接財務部から振り込んでもらえば、お金のやり取りでお手を煩わせることもなく便利かと」
「それでいいわ。で? いつアーレスをもらえるの?」
「明日の昼以降ですね。料金は先払いですのでご了承ください。但し、今日中にお支払いいただけない場合は、キャンセルとさせていただきます。それ以降は二度とご利用いただけないことになっております。本能的な問題から安全にご利用いただけなくなってしまうもので、そこはご了承ください。亜空間に取り残されたり、体が凍ってしまったり、お嫌ですよね」
「……分かったわ」
チャリン
魔法契約が結ばれた音がした。
「ではお支払いを確認できましたら、明日の昼過ぎにビアンカ様の私室をお尋ねしますね」
「分かったわ。直接部屋に来てちょうだい」
「かしこまりました。ではこのまま財務部に参りますね。御前、失礼致します」
アーデルハイトは財務部の方向へ歩き出した。財務部の先に騎士団の詰め所もあるのでちょうどいい。財務部の前までは騎士と一緒に移動する。道中、新しい亜空間部屋の使用上の注意を伝えた。数名で利用でき、熱中症になる前に体を冷やしたり、例え戦場であっても逃げ込むことが可能な亜空間部屋。大変な儲けである。
彼女が作り出している快適環境の亜空間部屋へは契約時に渡される腕輪を使って出入りができる。いつでもどこでもではなく、登録された扉と内側から連絡を受けたアーデルハイトが用意する扉を利用する。利用者が部屋の中から外が見えるようにすることもできるため、各々お気に入りの景色を窓から見ているらしい。ちなみに窓の大きさに上限はあるがどこにでも繋げられる。勿論、倫理的な範囲で。
現在定期契約者は十五人。主に炎属性の魔法騎士だが、偶に仕事をサボりたい王宮職員が紛れている。その内の一人、財務部のケインズが外出許可を求めてきた。その辺に窓を繋いで話を聞いていたらしい。
「アーデルハイト嬢、本当に彼をあの金食い虫に渡すのですか? だって彼は……」
ケインズは周囲に聞かれないように囁いた。
「ふふ。ご心配ありがとうございます。私も快適な生活を捨てるつもりなどありませんわ」
「そうでしたか。差出口を申しました。この後は財務部へ?」
「ええ。財務部の方から愚痴をお聞きしていたので、ちょうどいいかと思いまして」
「もしよろしければ、僕にも協力させてください。あのお方には何度悩まされたことか」
「助かります。できればギリギリの金額を設定したいのですが」
「それでしたらこの辺の数字が現実的だと」
ケインズは手持ちの紙にサラサラと数字を書く。
「ああ、なるほど。ではその辺で」
「では財務部へご案内します」
「お礼がてら氷冷魔法でお包みしますね」
「助かります! 今年の夏はなぜこんなに暑いんでしょうねぇ。僕は火属性なんです。炎ではないのに辛くて……。炎属性の皆さんはどれ程お辛いか……」
ペラペラと話し続けるケインズにアーデルハイトは曖昧な微笑みを浮かべた。
騎士団の詰め所で魔法騎士たちを見送った二人は財務部の部屋に入った。手続きを始めようとすると、ケインズの上司が別室への移動を促した。三人でソファに座り、上司が話し始めるのを待つ。上司は重い口を開いた。
「実は、ビアンカ様のご資産はほとんど底をついているのです。かなり減額されたこともありまして、来年の予算を前借りしてもアーデルハイト様のご提示された金額をご用意することができません」
「あらまあ」
「一番良いのはビアンカ様の要求をお断りいただき、別案をご提示いただくことなのですが」
「いえ、大丈夫です。支払えなかった場合はキャンセルで、次はないと言う魔法契約を結んでいます」ケインズの上司は空中に映し出された契約書を確認してあからさまにホッとした顔をした。
「そうでしたか。では仕方ありませんね。支払いはなしということで」
「はい。こちらの支払い不可の書類にご署名いただけますか。はい。こちらはそちらで保管していただく分です。はい。お世話をおかけしました」
ケインズにも礼を言うと、彼は亜空間部屋に帰って行った。しっかりと延長手続きをして。借りた部屋の窓と自分の机を繋げて、便利にやり取りをしているらしい。窓から手が出てくるのが面白いのだと聞いた。
アーデルハイトが馬車で帰宅しようとすると、アーレスが馬車の扉と繋がった彼専用の部屋からひょっこりと顔を出した。
「アーデ、お疲れ様」
「あなたこそお仕事お疲れ様。ビアンカ様のことはどうするの? 私としてはあなたには私のそばにいてもらえたら嬉しいわ。冬は特に」
「あの王女、自分に都合のいい話しか聞かないし、なんなら捏造もする。ああいうのを頭の中がお花畑って言うんだろうな。何度断っても擦り寄ってくるし、自分が言えば何でも通ると思っていやがる。政治の駒にもなれないくせに」
「ご機嫌斜めね。本当に嫌なのね」
「だってアーデとの婚約の根回しが終わった途端に執着されて、婚約が先延ばしになったんだよ? 完全に疫病神だよ。はぁぁあ。もう王宮の騎士辞めよっかな。うん。それがいいや。辞めるわ。それでアーデに俺を拾ってほしい。ねぇアーデ、ダメ? アーデの家で雇ってくれない? もう王宮で働くのは嫌だよ。第二王子付きなのにあの狂った女に何度仕事を邪魔されたことか。あの王子は対応が後手後手で甘々なんだよ」
アーデルハイトは何も言わずにアーレスを膝枕して、ゆっくりと髪を撫でた。サラサラの金髪が指の間を滑る。アーレスは泣きそうな顔で言った。
「もう明日から行かない。今日は騎士団の寮になんか帰らない。アーデの亜空間部屋で寝る。あの女のせいでイライラしてて魔力制御が上手くいかない。あいつのことがなかったら倒れたりなんかしなかったのに! クソッ! 炎にはただでさえ辛い夏なのに……」
「そうね。実害が出たなら仕方ないわね。いいわ。そのようにしましょう。男手が増えるってお父様も喜ばれるわよ。アーレスなら即戦力だし。お父様の思い通りになるのはちょっと癪だけど」
「辺境伯には子供の頃から目をかけてもらって感謝しているよ。俺の力を利用しようとする高位貴族にも嫌なことは嫌って言える環境を作ってもらえた。俺の両親も感謝しているんだ。あぁ、早く家族になって遠慮なしの稽古をつけてもらいたいよ。それにあの女の相手をするより魔獣の方が全然マシだよ。それに、新しい武器が出来たんだって?」
「耳が早いわね。そうなの。魔力制御に課題があるから、ちょうどいい訓練にもなりそうよ」
「難しいのか?」
「ええ。細い魔力を真っ直ぐに」
「うわぁ。神経削れるやつ」
「良い訓練、でしょ?」
「俺が一番苦手なやつ」
「でも剣よ。しかも良い出来栄えだわ」
アーデルハイトは亜空間収納から剣を取り出した。
炎の紋様が入ったスラリとした美しい剣。
「うわぁ! すっごくかっこいい。ねえ、俺のために作ってくれたの?」
「さあ、どうかしらね?」
「俺が一番好きな武器は剣。俺が一番苦手なのは魔力制御。でしょ?」
「そうよ?」
「じゃあ、そうだよ。ねえ、言ってよ」
「ふふ。使いこなせるようになったら言葉で伝えるわ」
「っしゃ! 俺の集中力舐めんなよ。すぐに制御してみせる!」
「練習場所は亜空間で? でも魔獣がいないから実戦は流石に外ね」
「ああ、亜空間で前やった時、汚れが酷くて後始末が大変だったもんな」
「壁にも天井にも飛び散ってて、流石に懲りたわ」
「俺も。じゃあ、扉を繋いでクレモアの森でやってみるか」
「森は危険でしょ? 燃えるわよ。炎を纏うんだもの」
「そうだった。じゃあ、ケルンの湖か」
翌日、ケルンの湖の畔で魔剣の試し切りをしていると、昨日王宮で感じた魔力を感じた。魔獣がたくさんいる辺りに出現した様子。アーデルハイトはテーブルを木影に置いてお茶をしながら、アーレスの試し切りが終わるのを待っていた。魔剣でご機嫌なアーレスはノリノリで魔獣を屠っている。
「あーら、こんな所で一人きりでお茶? 優雅だこと」
アーデルハイトは表情を変えずにカーテシーでビアンカを迎えた。
「アーレスを外に出してくれたのね」
「本人の希望です」
暗にビアンカの為ではないと伝える。アーデルハイトは素早くビアンカに残る魔力残渣を探った。この世界では魔法を使ったら必ず痕跡が残る。全員に辿れる訳ではないから無防備な人は多い。
いつもいつもアーレスの居場所を特定するビアンカは何かの魔道具を使っているのではないかと考えられていた。伝え聞く彼女の技量にしては追跡の精度が高過ぎたからだ。魔力残渣の知識もあるからか、なかなか特定できずに困っていたのだ。
(あった)
アーデルハイトはビアンカの髪飾りをこっそりと作り変えた。今アーレスは魔獣と戯れている状態だから、彼の周囲には魔獣が集まっている。アーレスを追って転移してくる彼女の距離は大体分かっている。転移した時に周囲に魔獣がいて、アーデルハイトを見つけたら、ビアンカはアーデルハイトの近くに来るだろうと踏んだ。
アーデルハイトの側にいればビアンカは守られると考えるだろう。アーデルハイトは防御力も戦闘力も高いことが知られている。反面、アーレスと魔獣の間にうっかり入ってしまったら、そのまま斬り捨てられる危険性もあった。
いくら王女でも斬られる、その判断は正しい。見た目だけは芸術品と揶揄されるアーレスが脳筋だから、という訳ではなく、この王国の共通認識だ。魔獣を倒すのを躊躇ったら他に被害が及ぶかもしれず、間に入った者は運が悪かったと諦めるしかない。魔獣を倒そうと放った剣を止めることも難しく、もう一度機会が訪れるとも限らない。王宮の騎士であるアーレスがまさか魔獣に囲まれている場面に遭遇するとは思ってもいなかったのだろう。
転移してすぐに危険な状態だったら、魔力残渣が消えるのを待たずに魔獣を避けてこちらへ来る。アーデルハイトの読みは当たった。高精度の魔力を魔道具に送る。空間を繋げて、髪飾りを身に付けているビアンカには気付かれないように触れる。今後アーレスを追ってこようとしたら、ビアンカの兄、第一王子の近くに送られるように。ビアンカの言動には特に厳しいあのお方のそばに。
勿論、既に第一王子の許可は貰った。今後も迷惑を掛けるようなら遠慮なくやっていい、とのお言葉も一緒だ。まあ、過激に対抗すると損をするのはこちらだろうから、思い切り、というわけにはいかないけれど。ビアンカの捕獲ができたら、その合図に青い鳥を転送してくれることになっていた。
「ビアンカ様、お支払いいただけなくて残念です。このまま魔法契約の後処理に入ります」
「どういうことよ。まさかこの私にお金がないって言ってるの?」
「そうです。来年の予算を前借りしても足りないそうですよ?」
「あんのじじぃ! 上手くやれって言ったのに」
「今頃は陛下も正妃様もご存知かと」
「はぁ? あんたが知らせたの?」
「ええ。義務ですから。私の固有魔法を使用する魔法契約をした際は届出が必要なので。あ、これ書類です。あと、魔法契約順守、お願いしますね」
「え! 魔法契約って本気だったの? 王族相手に? バカなの?」
「他の王族の皆様とは良好な関係を築かせていただいております。皆様充分過ぎる資産をお持ちですし」
「そんなばかな! 私はカツカツなのよ?」
「去年一年間でご自身が使われた総額はご存知ですか? 来年度の予算減ってましたよ」
「ずるいわ!! 私に隠している財産があるに違いないわ!」
そう言うとビアンカは転移して消えた。
大きな声を聞きつけたアーレスが戻ってきた。
「大丈夫だった?」
心配そうなアーレスは眉間に皺が寄っている。
「ねえ、アーレス喜んで。遂にやったわ! 例の魔道具をやっと見つけたの。髪飾り。盲点だったわ……次にアーレスを追おうとしたら例の王子殿下の所に飛ぶように設定したから、あちらで捕まえてもらえるわ。彼も一撃で仕留めるって言っていたの。違う魔道具を使われたらまた最初からでウンザリだから今回で必ずって」
「よかったぁ。これで解放されるかな」
「捕縛用の魔道具を渡しておいたから確実だと思うわ」
アーレスはアーデルハイトを抱きしめた。
「やっと婚約できる!」
「彼女、しつこかったわね。私の立場で仕留めるわけにもいかないし、苦労したわ」
「ホントに誰だよ、あの魔道具を作ったヤツ。やば過ぎるだろ。転移魔法で付き纏ってくる奴なんて王女じゃなかったら殺されてるだろ」
「その対策にも繋がることだけど、先日王国の防御壁に魔道具を無効化する機能を付けたの。検問所を通れば無効化されないけど、そこでは違法な魔道具を無効化する機械も使って、王国内には簡単には持ち込めないようになったわ」
「確かに、悪意ある人に悪用されたらたまったもんじゃないな。王女に渡した奴がいるってことだよな。アーデと違って作れる訳ないし。俺に付き纏い始めて一週間か。特定に時間がかかっちゃったけど。対応としては早かった方かな。それにしても厄介な王女だったな。あんな物騒な魔道具を私利私欲の為に使いまくって」
「まあでも、アーレスを気に入ったって所は評価したいわ。人を見る目はあるってことよ」
「ねえ、そんなことよりさ、解決したら言ってくれるんだろ?」
「まだ解決してないんだけど」
「もう確定でしょ。ねえねえ、今なら二人きりだし、言ってよ」
「……この世の誰よりも大切な『私のアーレス』。あなたのためだけに作った魔剣よ。剣は鍛冶屋のカドック直々に鍛えてもらったの。あなたのために奮発したのよ? 世界にたった一振りのこの剣。大切にしてね。ついでに私のことも。大好きよ、アーレス」
「破壊力がやばい」
アーレスは真っ赤な顔で崩れ落ちた。額を左手で押さえている。
アーデルハイトは紅茶を淹れてアーレスに素知らぬ顔で勧めた。
「どうぞ」
「……ありがと」
顔を上げたアーレスは愛おしそうにアーデルハイトを見た。
彼の肩に青い鳥が舞い降りた。
完
二人の出会いは王宮。倒れていたアーレスを介抱したのが『最初』です。アーデルハイトは冬になるとアーレスと立場が逆転します。