第四話:直属斥候は、疑いの視線を受けられている
ある日の午後、物資整理の任務がひと段落し、リシャは裏通路の奥に腰を下ろしていた。
人気のない場所だった。
補給庫の裏手、通路と通路のあいだにある狭い踊り場。
光が届かず、誰も休憩場所には選ばない。
けれど、風が通るぶん、ここは悪くなかった。
制服の内ポケットから、携行食の栄養補給バーを取り出して封を切り、口に含む。
甘くも塩気もなく、香りもない。一日に必要な栄養が詰め込まれた塊。──でも、これで足りる。
それは、いつも通りのことだった。
「……それが、普段の食事か」
不意に声が落ちてきた。
顔を上げると、通路の入口。
ユージーンが、日差しを背に立っていた。
足音はなかった。気配もなかった。
ただ、視線がそこにあった。
「はい。これで、事足りています」
リシャは立ち上がらず、軽く姿勢を正して答える。
「一日に必要な栄養はこれで摂れますし、空腹も感じません。任務に支障はありません」
口調はいつも通り。
ユージーンは数秒の間、何も言わなかった。
そして、まっすぐにこう言った。
「……できれば、温かいものを口にしておけ」
その声は、怒気も呆れも含んでいなかった。
「この数日、書類の手戻りが多かったと聞いた。
きみの責任ではないが、そう見られる状況は続いている。
直属である以上、私の顔を背負って動くことになる。──身体を削っている余裕はない」
リシャはそれが気遣いだとすぐに理解できたけれど、胸の奥で何かが小さく動いた気がして、すぐには返事できなかった。
ユージーンが去った後、食べかけの携行食を無表情のまま、再びひとかじりする。
先ほどまで難なく飲み込めていたそれが、不思議と味気なく、物足りなく感じた。
(……食堂、まだスープくらいはあるだろうか)
意識したわけではない。ただ、これからの事を考えると、確かにそうだと感じただけ。
携行食を包装紙に戻し、リシャは食堂へと歩き出した。
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その日の午後、王都から派遣された視察官が前線に到着した。
名はクラウス・ヴァイン。王都・参謀監察課所属、階級は少佐。
冷たい印象の男だった。
無駄のない動作。無表情のまま、文書を捌く指先。
機械のように正確で、同時に、人の温度を一切含んでいない。
「団長直属の斥候に、不適格の可能性がある。ここ数日の報告書を再点検したい」
それが、彼の開口一番だった。
部隊の応接室に、静かな緊張が走る。
隊員の誰もが沈黙し、資料棚の並ぶ壁の前で、クラウスだけが悠然と立っていた。
「点検、という名目で疑義を含めるのはお控えください」
ユージーンが応じる。
声の調子はいつもと変わらない。
だが、その発音の一音一音が、明らかに研ぎ澄まされていた。
「明確な問題があれば、こちらから報告を上げます。現段階での不備や齟齬については、現場責任者である私が確認済みです」
「……その“確認”とやらが、果たして客観的と言えるのか。選出に関わった者が、その正当性を証明する立場にあるなど、本来ならばあり得ない話だ」
クラウスの目が、ユージーンを通過するようにリシャを見た。
「特例での配属、正式な育成課程を経ていない。戦闘能力に疑義はなくとも、報告と処理の手続きには“甘さ”が残る可能性がある」
部屋に冷気が流れたような空気。
しかし、ユージーンはわずかに顎を上げて言った。
「現場での判断に必要なのは、書式の美しさではない。情報の正確さと、動くべきタイミングを見極める力だ」
「それは、結果論です。過去が良かったからといって、未来も正しいとは限らない」
「現場に信を置かない者が、現場の正しさを測れるとは限らない。私はそう考えています」
ユージーンの声に、わずかに熱がこもる。
クラウスがわずかに口角を引き下げた。
「本件は、白紙とは言い難い。
記録と資料は引き続き提出を要請する。……上層にも伝えるべき内容があるのでね」
視察官たちの間に、これ以上の明確な言葉は交わされなかった。
クラウスが最後にもう一度だけ、リシャのほうを見た。
その目には「認めていない」という意志が、言葉以上に冷たく灯っていた。
──標的を定めた者の動きは、沈黙のなかでこそ鋭くなる。