第三話:新任斥候は、団長直属として任命される
リシャのもとに正式な通知が届いたのは、前回の任務から数日後だった。
内容は簡潔だった。
──「団長直属の斥候として、以後の任務に従事すること」
驚きは、あまりなかった。
東方境界での単独任務。それが“再評価”だったことは、最初から分かっていた。
(……なら、私はきちんと結果を見せられたってことか)
そう思うと、わずかに胸が静かに波打った。
誇りとは違う。安心とも違う。
ただ、「選ばれた理由がある」と、自分の手で証明できた気がした。
⸻
翌朝、通達が貼り出されたのは、前線指揮隊本部の掲示板だった。
朝礼が終わったばかりの隊員たちが、ざわざわと通路に集まり始める。
リシャは、少し離れた位置からそれを見ていた。
紙は一枚、掲示板の中央に貼られている。
新しい文書特有の張りたての角がまだ反っておらず、ひどく目立っていた。
《第七団・前線指揮隊に所属するリシャ・アイゼル斥候は、団長直属の任務において試験的運用を行う。》
《当該任務における指揮系統および行動方針は、団長の判断に一任されるものとする。》
自分の名前だった。
感情は、特に湧かなかった。ただの事実として受け止める。
「特例だってよ」「あの子だろ、前に魔獣を一撃で仕留めたってやつ」
「そもそも体が持たないだろ。あんな体格で──」
声が交錯する。
耳には入る。だが、もう慣れていた。
この出自と経歴だ。否定されたり、揺らされたりするのは初めてではない。
スラムにいた頃から、見られ方も、言われ方も、何一つ変わらなかった。
ふと、馴染みのある気配が背後にあることに気付いた。
「特例だからじゃないわ。──あの子が、現場で結果を示したからよ」
振り向くまでもなく、その声がマリナのものだとわかった。
彼女がリシャに気づいていたかはわからない。
けれど、そのまま掲示板に背を向け、静かに歩き去っていった。
リシャは、通達の文字をもう一度だけ目でなぞる。
団長直属。……団長の判断に一任。
それがどういう意味を持つかは、わかっている。
ユージーンが、書いたのだ。自分を、選んだのだ。
胸の奥に、少しだけ、言葉にならない重さがあった。
それが何なのかは、まだうまく掴めない。
けれど──
(あなたが、そう判断したのであれば、従うだけ)
心の中でひとつそう呟いてから、彼女はその場を離れた。
⸻
「……どう、だった?」
少し遅れて休憩所に顔を出したマリナが、湯飲みを差し出してくる。
「はい。確認しました」
「顔、変わってないね」
「変える理由も、あまり」
リシャは湯飲みに手を添えたまま、静かに答える。
団長の直属。
その意味を、リシャ自身がどれだけ理解しているのか──本人も定かではなかった。
ただ、誰かの下で命令を受けるのではなく、あの人の元で任務にあたる。
それが、「決まったこと」であるのなら。
「……評価されて当然、って思ってるわけじゃないのは分かってる。でも、正直に言えば──」
マリナはそこで言葉を切り、小さく息を吐いた。
「この先、いろいろ言われると思う。直属ってどうしても、特別に見えてしまうから」
「……はい」
リシャは、ただ頷いた。
分かっていた。最初から。
自分が「本来のルート」でここに来たわけではないことを。
⸻
直属任用の通知が出てから数日。
リシャは“団長直属斥候”としての日常を、淡々とこなしていた。
斥候という役職自体は珍しくない。
だが、団長直属となると話は別だった。
彼女の任務は、単なる情報収集や先行索敵ではない。
任務ごとに団長の指揮経路に沿って動き、状況によっては補佐官や連絡兵を通さず、直接ユージーンに現地判断を報告・共有する権限が与えられていた。
緊急時には現場から即時撤収を要請する裁量すら、限定的ながら任されている。
それは信頼と表裏一体の責任だった。
リシャが配属された第七団・前線指揮隊は、編成単位は小さいがそのぶん指揮系統の連携が重要視される部隊であり、彼女のように“斥候単体で前線に出る”例は少数精鋭に限られていた。
朝は地形図の確認から始まり、日中は地勢の再調査や簡易測量。
現地部隊への進行提案、痕跡報告、定時帰投──
無駄なく、だが抜けのない動きを求められる日々。
誰も明言はしなかったが、その視線には確かに、“疑念”が混じっていった。
──なぜ、あの子が団長直属に?
──特例採用だったんじゃないのか?
──ろくに訓練も受けてないって聞いたけど……
リシャ自身、気にしていないように見えた。
実際、内心でも「そう思われても当然だ」とどこかで冷静に受け止めていた。
だが、そうした眼差しが、少しずつ、現場での空気を変えていく。
資料提出の際、やけに細かい確認が入る。
簡易記録が「補足付きで再提出」扱いになる。
自分の記録だけ、妙に点検の回数が多い──
それに気づいたときも、彼女は無言で対応を続けた。
午前の業務整理がひと段落した頃、リシャは執務室の外れにある記録棚で、静かに分類作業をしていた。
団長直属という肩書きが公になってから、そのスペースの往来は妙に増えた。
資料を取るふりで近くを通る隊員。耳打ちするようにして通路を抜けていく影。
言葉そのものは聞こえないが、空気に滲んだ温度は否応なく伝わってくる。
「アイゼル斥候」
不意に呼ばれて振り返ると、ユージーンが少し離れた位置からこちらを見ていた。
「……私が、現場での働きを見て選んだ。
きみが後ろめたく思う必要は一切ない。胸を張っていい」
視線はまっすぐで、口調はいつもと変わらない。
だがその中に、ごくわずかな“気遣い”があった。
「理解しています」
リシャは応じ、姿勢を崩さずに再び棚に向き直った。
深呼吸をひとつ。
胸の内に確かな熱が灯った気がした。