第五話:直属斥候は、温かな台所に立ち会う
喫茶店を出ると、空はすっかり茜に染まりはじめていた。
濃い青が上から落ちてきて、その下に淡い橙や金が静かに広がっている。
王都の空は、こんなふうにゆっくり暮れていくのだと、今日一日を通して何度目かの驚きを胸に、リシャは見上げた。
足元の石畳は、まだ少し温もりを含んでいて、乾いた音を響かせながら、ふたりの足音を受けとめてくれる。
手は、つないだままだった。いつの間にか、その温度も、つなぎ方も、自然になっていた。もう、ぎこちなさもない。
ふと横を見ると、ユージーンが小さく息を吐いて、言った。
「……今日は、もう帰ろうか。足りないものがあれば、また来よう」
「はい」
素直に頷きながら、”帰る”という言葉が、自分のなかで別の響きを帯びているのを感じる。
それがどこなのかを、もうわかっているから。
少し歩いて、街路の人影がまばらになってきた頃、ユージーンがもう一度問いかけてきた。
「夜は家で食べようか。……何が食べたい?」
その言葉に、リシャは立ち止まりかけた。
“家で食べよう”──それが、何を指しているのか、最初は理解が追いつかなかった。
「……えっと、それって──」
戸惑っていると、ユージーンはふっと目を細めて、わずかに頬をかすめるような笑みを見せた。
「俺が作ろうかと思ってるんだが。希望はあるか?」
“俺”。
また──また言った。
あの夜、初めて泊まった日に、不意に耳にした呼び方。
あれは気のせいじゃなかったんだ。ちゃんと、彼の口から出たものだった。
心臓が不意に跳ねる。けれど、言葉を返さなきゃ。そう思って、焦って口を開いた。
「な、何が作れるんですか……? その、何を選んでいいかが、わからなくて……」
自分でも情けないくらいしどろもどろになって、視線を泳がせると、ユージーンは少しだけ困ったように笑ってから、頷いた。
「じゃあ、食材を見ながら考えよう。帰り道に一軒、寄っていこう」
そう言って、少しだけ歩幅を緩めて、リシャの手を引く。
買い物袋が揺れる音と、暮れなずむ空の色。
どこかで鐘の音が遠く響いていた。
──今日は、ただの“買い物”だったはずなのに。胸の奥にじんわりと広がっていくこの温度は、いったい、何なのだろう。
リシャは、そっと歩調を合わせた。
ふたりの生活が、ほんの少しずつ、形になっていく気がしていた。
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食材店は、通りの角を曲がった先にあった。
夕方の街灯に照らされたその店構えは、古びた木枠の看板と清潔に磨かれた硝子戸が目を引き、どこか落ち着いた品のある佇まいだった。
中へ入ると、手前には葉野菜や果実が並び、奥には香草の束や干した豆類、日持ちのする塩漬け肉や魚が並べられている。王都の中心地だけあり、並ぶ品の種類も幅広く、品質も高いようだった。
ユージーンは、足を止めながらひとこと言った。
「……あまり手の込んだものは作れないから、期待はしすぎないよう」
目元は少しだけ和らいでいる。
リシャは小さく首を振った。
「そんな……作っていただけるだけで、本当に嬉しいです」
それは本心だった。食卓に料理が並ぶ光景を“待つ”という感覚自体、まだ慣れていない。
店内の棚をゆっくりと巡りながら、ユージーンが尋ねた。
「肉か魚か、どっちが食べたい?」
「ええと……では、魚で」
「サラダはいるか?」
「はい。あると……嬉しいです」
勝手のわからないリシャに、選択肢を提示するかたちで一つずつ確認してくれるその姿勢が、妙に嬉しかった。
“こういうふうに聞けば、答えやすいだろう”と、彼なりに考えてくれているのだとわかるから。
「……明日の朝の分は、家にあるもので何とかなるか」
そんなふうにぽつりと独り言を漏らした彼の背を見て、リシャははっと息をのんだ。
(そうだ、泊まるんだった……!)
今さら思い出したように頬が熱くなる。夕暮れの空よりも、自分の耳のほうが赤くなっていないか心配になるくらいだ。
ユージーンはその変化に気づいたのか、気づかないふりをしたのか、小さく笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「明日、何か食べたいものはあるか? 今、あるものを使えば足りそうだが……何か加えておきたいものがあれば」
リシャは少しうろたえながら、首を振った。
「と、特にないです……はい」
言葉の選び方も、自分でも情けなくなるほどたどたどしかったが、それでもユージーンはどこか満足げな表情を見せた。
「わかった」
そう言って、かごを片手に会計の方へ向かっていく後ろ姿には、不思議な安心感があった。
この人がいてくれるなら、大丈夫だと、そう思わせる何かがあるのだ。
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家に着くころには、空はすっかり夜の帳に包まれていた。
静かな住宅街の一角、外灯が柔らかく灯るなかで、二人分の足音だけが小さく響く。
リシャは両腕に袋を抱えたまま、ユージーンの隣でゆっくりと歩を進めていた。
玄関の扉を開けると、ほのかに木の香りがする空気が迎えてくれる。
そこは、以前と変わらぬユージーンの家──けれど今日は、制服ではない。
自分で選んだ服を着て、この家に足を踏み入れるのは初めてのことだった。
靴を脱ぎながら、ふとリシャは自分の足元に視線を落とす。軍支給のショートブーツを脱ぎ、揃えて小さく置く。その動作ひとつにも、いつもより少し慎重になる自分がいた。
けれど、不思議と緊張はしていなかった。
まだ「居場所に帰ってきた」という実感まではないけれど──今この瞬間を、たしかに噛みしめていた。
「荷物、こっちだ」
ユージーンが静かに声をかける。
後をついて行くと、客間──今はリシャの部屋として用意されている──の扉が開かれる。
中は以前と変わらず整っていたが、ひとつ、新しい家具が加えられていた。
「衣類系は、ここに」
そう言ってユージーンが指し示したのは、扉付きの収納棚だった。
中にはハンガーのかかったポールと、畳んで仕舞える引き出しも用意されている。
リシャが今日買ったばかりの服も、きっとここに並んでいくのだと思うと、胸の奥がほんのりと温かくなった。
途中で着替えた制服や肌着、寝間着が入った紙袋を収納棚の近くに置いて、部屋を出る。
続けて、洗面所と風呂場の方へと案内される。
「石鹸やタオル、くしなど──きみが今日買ったものは、この棚に置いてくれて構わない。使いやすいように整えてくれ」
そう言って、ユージーンは洗面台の脇に据え付けられた、扉付きの木製棚を示した。棚板にはまだ何も置かれておらず、白く清潔なその空間が、まるでリシャのために用意されたように感じられた。
小さく返事をしながら、リシャは紙袋の中から、自分で選んだ石鹸やタオルをそっと取り出す。手に触れたその感触が、さっきまでの街の喧騒よりも、ずっと現実味を持って伝わってきた。
(ここに置いていいんだ。自分で選んだものを、ここに──)
その事実が、じんわりと胸に広がる。買った時には実感しきれていなかった“生活のはじまり”が、ようやく少しずつ形になっていくのを感じていた。
手を動かしながらも、どこか不思議な気持ちだった。軍の支給品とは違う、色も手触りも、自分が選んだものたち。それらを、自分のために並べていくことが、こんなにも静かで、あたたかなことだとは知らなかった。
ユージーンは隣で無言のまま、どこか安心したような目で彼女を見守っていた。
そして、ユージーンがふと口をつぐんだあと、少しだけ照れくさそうに口を開いた。
「……そういえば、洗濯物は……別で洗う方が、いい……よな」
思いがけない言葉に、リシャの頬が一気に赤くなる。
「……っ、そうですね……あの……使い方、あとで教えてもらえますか……?」
「……ああ。わかった」
互いに顔を合わせられないままのそのやりとりが、どうしようもなく気恥ずかしく、でも──ほんの少し、くすぐったい幸福でもあった。
「干す場所も……きみの部屋に設けようか。専用の台を買っておけば、すぐにでも」
「……はい」
リシャは短く答えながら、思う。
自分が使う道具や空間が、この家の中に少しずつ増えていく。
それが、ひとつひとつ、自分の“居場所”になっていくのだと──ようやく、そう思えてきた。
荷解きが終わるころには、空気がゆるやかに落ち着いていた。
二人はそれぞれの荷を片付け、居間へと足を運ぶ。
灯りの下で、まだ少し不慣れな静けさのなか、ささやかな夜がゆっくりと始まろうとしていた。
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買ってきた食材を袋から取り出し、台所の作業台に並べると、ユージーンはゆっくりと腕まくりを始めた。淡い灰茶のシャツの袖が肘の上まで整えられ、その手がエプロンの腰紐を結び始める。
(……この光景)
リシャの胸がふいに高鳴った。あの朝──初めて彼の家で目覚めた日の、夢のような記憶と同じ姿だった。けれど今、これはもう「偶然の一度きり」ではない。これからは、何度もこの風景を目にするのかもしれない。そう思うと、胸の奥にじんとあたたかいものが灯った。
「……その、あまり見られると……困るんだが」
はっとして顔を上げると、ユージーンがほんのり赤面して視線を逸らしていた。どうやら、じっと見つめすぎていたらしい。
「ごっ、ごめんなさい! すごく新鮮で……つい」
「……そのうち見慣れるさ」
ぶっきらぼうに見えて、照れ隠しの声だった。リシャは思わず口元を緩めた。
ユージーンは手を動かして魚の下処理に取り掛かる。白身魚の切り身を丁寧に確認し、骨を抜き、香草を刻んで香りをつけ始める。その一つひとつの動きに、リシャの目は引き込まれていた。
「……あの、邪魔をしないので……見ていてもいいですか?」
リシャは、おずおずと尋ねる。料理というものが、どうやって出来上がるのか、じつはほとんど知らなかった。いつもは支給食か、お店や食堂で提供された食事だったから。
「どうぞ」
意外なほど嬉しそうな声で、ユージーンは頷いた。
その横顔を見ながら、リシャは胸の内にまたひとつ小さな感情の灯りを覚えた。手際よく調理が進み、魚の加熱工程に入ると、ユージーンはふと顔を上げて言った。
「サラダに添える野菜を、洗ってくる」
それに気づいたリシャは、横目で様子を見ているうちに(もしかしたら、手伝えるかも)と感じ始めていた。そんな心の動きを見透かしたように、ユージーンが言った。
「やってみるか?」
その問いかけに、リシャは反射的に頷いた。
水洗いされた野菜がボウルに入り、ユージーンがそれをちぎっていく。その様子を真似して、リシャも見様見真似で手を動かし始める。ぎこちないながらも、ちぎる感触や瑞々しい香りが新鮮だった。
──と、次の瞬間、切ったばかりの葉から跳ねた水が、リシャのシャツワンピースの袖を濡らした。
反射的に小さな声を漏らしたリシャに、ユージーンが気づく。手を拭いたタオルを置き、近づいてきたかと思うと、背後からそっとリシャの腕を取り、その濡れた袖をまくり始めた。
その手つきは穏やかで、ただただ実用的な動作だった。けれどリシャは、一瞬で硬直した。
(ち、近い……!)
肩越しに息がかかりそうな距離。手のぬくもりが、布ごしにすぐそこにある。
「……あ。また、許可を取らず……申し訳ない」
ユージーンの声も、どこか困ったように低くなっていた。
「いっ、いえっ、ありがとうございます……すみません……!」
リシャもあたふたと答え、互いにぎこちない沈黙が流れる。
──それでも、時間はふたたび流れだす。
サラダはあっという間に仕上がり、魚料理も香ばしい香りを漂わせながら完成を迎える。パンも添えられて、二人は食卓へと皿を運んだ。
テーブルに並んだ料理を見て、リシャは思わず目を見開いた。色彩も美しく、食欲をそそる一皿になっていた。
「……すごいです、こんなふうに料理ってできるんですね」
「簡単なものばかりだけどな」
ユージーンが少しだけ照れたように答える。
食卓に向き合い、ふたりで手を揃える。
「いただきます」
声が重なったとき、リシャの胸にぽつりとあたたかな想いが落ちてきた。今、彼と過ごすこの夜のひとときが、どれだけ特別なものか、静かに沁み込んでいくようだった。
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食事を終え、ふたりで片付けを済ませたあと。
食器を洗い、濡れた手をタオルで拭ってから台所を出ると、ユージーンが淹れてくれたお茶の香りがふわりと鼻をくすぐった。
リシャとユージーンは並んで、居間のソファに腰を下ろす。
落ち着いた色合いのクッションと、ほのかにあたたかい照明。目の前の湯気立つカップからは、ハーブが優しく香っていた。
(今まで……ご飯を食べたあとは、いつもお別れだった。でも今日は、まだここにいられる)
胸の奥で、言葉にならないほどの喜びがじんわりと膨らんだ。
思わず、カップを両手で包んだまま、隣に座るユージーンをそっと見上げる。
(……少しだけ、甘えたい)
「ユージーンさん……」
声をかけると、彼はゆっくりとこちらを見た。
いつも通りの静かなまなざしだったけれど、どこか、受け止めようとするような余白があった。
「少しだけ、くっついてもいいですか」
その問いに、短く、けれど確かな返事が返ってくる。
「……ああ」
そっと身を傾け、肩に頭を預ける。
シャツの生地ごしに感じる体温は、想像していたよりもずっと落ち着くぬくもりだった。
ユージーンはしばらく黙っていたが、やがて、その肩から回された腕がリシャを包んだ。
(……あったかい)
自然とまぶたが落ちてくる。
寄り添う密着感が、心の奥にまで染み込んでいくようだった。
すると、不意に──
リシャの少し伸びた襟足の髪に、指が触れた。
ユージーンが、あくまで優しく、ひと束をそっと梳くように撫でてくれる。くすぐったさよりも、もっと心地よくて、身体の力が抜けていく。
「リシャ……」
名を呼ばれて顔を向けると、彼の顔が、すぐそこにあった。
息が触れそうな距離で、いつもよりほんの少し、熱を帯びたまなざしがこちらを見つめている。
(……?)
リシャはただ、瞬きを返すしかできなかった。
けれど、ユージーンの瞳は何かを迷っていた。まるで、この距離の先に何かを望んでいるようで——
だが、それ以上は来なかった。
ユージーンが、わずかに眉を寄せたあと、息をひとつ吐いてそっと距離を取った。
空気が静かに戻る。
「……すまない。気持ちが先走ってしまった」
照れと自省のにじんだ声だった。
リシャは、言葉の意味をすぐには理解できなかった。
けれどそのあと、ユージーンは何も責めることなく、ただリシャの頭を撫でてくれた。優しく、褒めてくれるように。
──ユージーンは、ちゃんと考えてくれている。自分の気持ちも、歩幅も。
それが伝わってきたから、リシャは胸の奥がきゅうっとなって、それからほんの少しだけ微笑んだ。
彼の肩のぬくもりに、もう一度そっと頭を預ける。
今夜は、静かに流れるこの時間を、大切に抱きしめていたかった。
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夕食後、湯沸かしの音が落ち着いた頃合いを見て、今夜もふたりは順番に風呂に入ることになった。
前回と同じように、どちらかが浴室に入っている間は、もう一方が自室の鍵をかけて待機するという暗黙の了解がそのまま引き継がれている。お互いの安心と距離感を大切にしてきたからこそ、自然にそういう配慮が保たれていた。
リシャはタオルや石鹸をまとめながら、ふと思い出したようにユージーンに声をかけた。
「……あの、寝間着なんですけど。今日、自分のを買ったんですが……この服って、客間にいる時だけにした方がいいですか?」
その言葉に、ユージーンはわずかに目を瞬かせたあと、少し困ったように目を逸らす。
(……あの時は、確かにシャツ一枚だった)
前回、ユージーンのシャツを借りて過ごしたとき、ユージーンは「他の部屋に出るのは控えるように」と言っていた。
その言葉を思い出すたび、リシャは内心でじんわりと恥ずかしさがこみ上げてくる。
だから、今日選んだ寝間着も、着る場所を気にするべきかと思ってしまったのだ。
けれど、ユージーンは少し考えるような間を置いたあと、静かに首を横に振った。
「いや。あれは、服のサイズが合っていなかったから言っただけだ。リシャが自分で選んだ服なら、問題ないよ」
その声には、余計な迷いも、拒むような響きもなかった。
その言葉に、リシャはそっと胸を撫で下ろした。
「……よかった。ありがとうございます」
胸の奥が、ふわりと温かくなる。
自分で選んだ服を、ちゃんと「自分のもの」として受け入れてもらえたことが、何より嬉しかった。
そうして、先に浴室へと向かった。
今日は、自分で選び、揃えたものがたくさんある。
ふかふかのタオルに、ほのかに香る石鹸。細かな歯のくしは、軍支給のものよりも髪通りが良く、湯上がりの髪を何度も撫でたくなるほどだった。
(……こんなに違うんだ)
湯気の余韻が残るまま、着替えたのは淡い色合いの新しい寝間着。
着心地が良くて、包まれているだけで安心する。
鏡の前に立ち、自分の姿をそっと見つめた。
シルエットも落ち着いていて、気張りすぎず、けれどどこか可愛らしさもある。
それを自分で選んだ、ということが、何より誇らしかった。
(……ユージーンさんにも、見てもらいたい)
恥ずかしさよりも、少しだけ誇らしい気持ちが勝っていた。
「お風呂終わりました」と告げに行く理由も兼ねて、リシャはそっと書斎の扉をノックした。
開かれた扉の向こうにいたユージーンは、まだ私服のままだった。
けれど、出てきた瞬間、そのまなざしがリシャの姿に触れ、何かが揺れるのがわかった。
彼は一歩視線を逸らし、口元に手のひらをそっとあてる。
「…………わかった」
どうにかそれだけ絞り出したような声に、リシャは思わず首をかしげそうになる。
けれどそのあとは、いつも通りの静かな声音で、ユージーンが言葉を紡いだ。
「……こちらも風呂を終えたら、寝る前の挨拶をしたい。きみの部屋で、待っていてくれるか?」
その響きが、胸の奥にそっと降りてくる。リシャは、短く頷いた。
それを確認すると、ユージーンは余計な言葉を挟まず、静かにその場を後にする。
背中がゆっくりと遠ざかっていくのを、リシャは目で追いかけながら、そっと息をついた。
その足音が聞こえなくなる頃、リシャもまた、自分の部屋へと歩き出した。
──そして、しばらくして。
扉の外から、控えめなノックの音が響いた。
返事をする前に、一度姿勢を軽く正した。
扉を開くと、寝間着姿のユージーンが、柔らかな灯りに照らされて立っていた。
(……あの服、前に私が借りた……)
思い出した瞬間、胸の奥がきゅっと熱くなる。シンプルな形の寝間着なのに、ユージーンが着るとしっかりと逞しい身体にフィットしている。まるで別のもののように見えて、視線がどうしても離せなかった。
「今日は、ありがとう。楽しく過ごせた」
いつも通りの声が、やけに近く感じる。
「……おやすみ、リシャ」
その言葉に、名残惜しさが滲んでいたのは、気のせいではない。
そして、ユージーンがほんの少しだけ迷うような間を置いたあと、問う。
「……抱きしめてもいいか?」
呼吸が、ふと止まる。
けれど、それは怖さではなく、どこかあたたかくてくすぐったい予感。
「……はい」
リシャがそう答えると、ユージーンは腕を伸ばし、ゆっくりと包み込むように彼女を抱きしめた。
優しく、けれどしっかりと。
胸の内側まであたたかくなるような、静かな抱擁だった。
肩にそっと添えられた手、落ち着いた体温、静かな呼吸。
(このまま、もう少しだけ……)
そんな願いを飲み込むようにして、ユージーンは名残惜しそうに距離をほどく。
「おやすみ。 ……よい夢を」
その声に見送られながら、扉の向こうへと姿を消す彼の背を、リシャはしばらく見つめていた。
胸の奥がじんわりとあたたかいまま、そっとベッドへ身を沈めた。




