【8】転んで泣く子、踊って笑う子
美丈夫の大公と可愛らしい王子が踊る姿を、人々は微笑ましく見た。さらには、大公が踊りながらすれ違う人々に「おひさしぶりですな、男爵どの」や「久々だな、卿」と声をかけ、それにアルトルトも「はじめまして」と挨拶する。
曲は三曲目となっており、子爵や男爵、騎士達が踊ってよいことになっていた。彼らは先代勇者たる大公と、今の勇者王子に声をかけられる光栄に、頬を高揚させて笑顔で応じた。
王妃ザビアはそんな明るい広間中央の様子は当然面白くない。自分が彼ら子爵や男爵、騎士達の挨拶の列を無視した無礼など、当然頭にはない。
「カイラル、この母と踊りましょう」
「あ、ははうえ……」
息子の手を取って、広間中央へと出ようとした。しかし、カイラルはマントに埋もれた姿だ。
そのうえにいつもは子供の手などとったこともない、侍女任せの母親だ。気遣いなどまったくなく、自分の歩みでずんずんと前へと出た。
カイラルは引きずられるように二、三歩、よたよたと進み、マントの裾を踏んでぴたんと床に転んでしまった。
うわあああああああああ~ん! と盛大に泣き出すカイラルに、ザビアは狼狽え、彼付きの侍女の伯爵夫人の名を呼んで「なんとかしなさい」と声をあげた。
それは我が子を気遣う気持ちなんてカケラもない、自分の思い通りにならないことにただ苛立っているのが、丸分かりの態度だ。
伯爵夫人がなだめても、カイラルは泣き止まず。「かえりたい」とくり返すばかりだ。重いマントに重い宝石、アルトルトに遅れてこのあいだ三つの誕生日を迎えたばかりの幼児だ。よく耐えたほうだろう。
しかし、王妃ザビアのほうは、これでは自分が恥をかくとばかり「カイラル、ご機嫌を直して、この母と踊れば楽しくなりますよ」と猫なで声をだすが、それにカイラルは「やだ!」と泣くばかり。
誰もがこの事態に顔を見合わせるなか、そこにとことこと床にうずくまり泣きじゃくるカイラルに歩み寄るものがいた。
アルトルトだ。誰にうながされのではなく、自分からカイラルのところに行った。デュロワもこのアルトルトの行動に軽く目を見開いて、後へとついていく。
ゼバスティアもアルトルトがどうするつもりなのか。広間の隅でその動きをじっと見守った。
「カイラル、僕と踊ろう」
アルトルトは片膝をつくと、泣きべそをかく弟と、視線をあわせて、彼に笑いかけた。弟はきょとんと兄の顔を見る。
「アルトルトにいさま……」
おずおずとその名を口にする。昼間の式典にはアルトルトも出席していたようだから、その顔は知っているのだろう。
「痛いところはないか?」
「はい」
アルトルトはカイラルの両手をとって、立ち上がらせる。それから後ろに立つ、デュロワを振り返る。
「大叔父上、僕とカイラルのマントを預かってください」
「おお、わかった」
デュロワはまず、カイラルの重いマントをとり、次にアルトルトの軽いマントをとって、両方腕にかけた。
ふう……とカイラルが息をつく。その頬は真っ赤だ。たしかに、この人いきれで重い毛皮のマントにつつまれては、暑くもなろう。
「さあ、この二人の紳士に相応しい、可愛らしい音楽をかけておくれ」
デュロワが指示すれば、楽団員達は笑顔でうなずき目配せしあって、軽やかな楽の音を響かせる。それは仔犬がくるくると遊び戯れる様を、音楽とした名曲のワルツ。
アルトルトはカイラルの手を取り、くるくるとゆっくり回り始める。それはステップもない、ただ手を取り合って回るだけのものだ。
だけど、頬を高揚させた、幼い兄弟が笑顔で踊る様は人々の口許に微笑みを浮かべさせた。
回るのが楽しくなったのか、カイラルはケラケラと声をあげて笑い声をあげて、はじめはゆっくりだった回転を自ら早くする。それにアルトルトも「たのしいね」と笑顔で合わせて。
最後はあまりにも早く回りすぎて、勢いで二人とも尻餅をついてしまった。人々は「あ!」という顔となる。
ゼバスティアと、マントを持っていたデュロワも思わず一歩前へと踏み出したが。
子供達は一瞬きょとりとし、次に顔を見合わせて笑いだした。そして、お互いに手を取り合って立ち上がって、またくるくると。
それに大人達も顔を見合わせて、微笑みあい、今度は彼らを囲むようにして踊り始めた。
こうして王宮舞踏会は大団円を迎えたが。
一人、面白くない顔の王妃ザビアだけが残されたのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「やあやあ、我こそは、グリファニア王国王子、勇者アルトルトなり! 極悪非道の大魔王! いざ尋常に勝負しろ!」
魔王城の玉座。【お迎え】の魔法陣から現れた四歳の勇者は、昨年より凜々しくなっていた。
去年は噛んだ口上も最後まではっきりと述べられるようになった。
ぷっくり丸い頬はそのまま、その線が少しすっきりとして、将来は姫君達の頬を赤らめさせる美男になるだろう兆しが早くも現れ始めている。背もぐんぐんと伸びて、同じ年頃の男子よりはすらりと伸びた均整のとれた姿も、成長した姿が楽しみだと思わせる。
なによりも、光そのもののような金色のふわふわの巻き毛に青空の瞳。
いやいや、光そのもので当然だと、魔王城の玉座に長い足を組んで余裕で腰掛けている風を装っているゼバスティアだ。
今朝も変わらず、執事のゼバスとして起床のアルトルトのお世話をした。
ミルクティを捧げ、今日の朝食のリクエストのブリオッシュ生地のフレンチトーストに、カリカリベーコンの目玉焼き、それにトマトとクレソンのサラダ、デザートにはオレンジのキラキラ輝くゼリー。
それから、その金色の髪に丁寧にブラシをいれた。魔王自らの完璧なブラッシングだ。その輝く髪が、さらに光そのものになって当然であろう。そういえば、三歳に会ったときはその輝きが少しくすんでいたものだ。おのれ、愛らしいアルトルトの髪をおろそかにするなど、今までの使用人どもはなにをしていた? と思ったものだ。
本日の勇者の装いも当然、ゼバスティアが用意したものだ。空色の瞳に良く似合うチュニックに、それにあわせた蒼のマント。四歳の身体の負担にならぬよう、魔界の妖蜘蛛たちに織らせた羽毛より軽い布だ。
マントの背にはゼバスティア自ら、守りの魔法をかけて金糸でアルトルトの王子としての紋章を縫い取りした。魔王様が夜なべでチクチクしたそれは、翼ある一角獣とグリフォンが双方から勇者の印の盾を支える。勇ましくも華麗なものだ。
なんて凜々しく愛らしい勇者の衣装。すべて用意した我天才! と自分を内心で褒め、さらには玉座で身もだえしたい気持ちを必死に抑えるという器用なことをしているゼバスティアだ。
そうそう、本日の魔王の装束も【勇者のお誕生日会】のために新調したものだ。ゆうちゃさんちゃい……じゃない、勇者三歳のときには普段着だったことをひどく後悔したのだ。初めての出会いだったというのに、黒の普段着だったなんて。
え? 今までの歴代の勇者? そんな烏合の衆と会うときは全部普段着どころか、寝間着のガウン一枚の姿で寝台から起きて、寝起きの不機嫌のまま、世界の終わる海の果てに放り投げてやったことがあったけど、なにか?
ともかく、本日は黒のレースのクラバットに、胸元を飾る黒ダイヤ。黒く輝く光沢の糸で縫い取りした長衣に、黒鳥の羽の縁取りに黒真珠をちりばめたマントとすべて新調した。結局普段着と変わらず黒じゃないか? うるさい! 魔王の装束は黒と決まっているのだ。それが魔界の美学だ!
「よくぞ、そなたのお誕生日会……ではない!」
いかんいかん、目の前のこの一年手塩にかけた最高傑作の凜々しくも愛らしい姿に、つい本音が出かけた。
それからゼバスティアはいかにも余裕があるとばかりに格好をつけて、長い足を組み直した。それも玉座の前に立つ小さな勇者からは、絶妙な角度で美しくかつ威厳のあるようにだ。
「ごほん! ごほん! 今年もよくぞこの魔王城の玉座まで来れたものだ」
それにしても、足を少し開いて「ふんす!」とばかり、勇ましく立つアルトルトのなんとも可愛らしいことよ。いずれはでっかくなるだろうが、今はコロコロと愛らしい仔犬が太い四つ足で踏ん張っている姿にそっくりだ。
もう、頭からバリバリ食べちゃいたいと、無表情ながらその内は万華鏡のようにくるくる変わる心情にうつつを抜かしていたせいであろうか。
「さあ、お誕生日の贈り物……ではない! たった一人でここまできた褒美をだな……」
「問答は無用! 大魔王よ! 成敗してくれる!」
「ぐはっ! 不意打ちとは卑怯な……」
突撃した小さな身体がぶつかってきて、ゼバスティアはそれを受けとめながら、なおかつ自分は床に倒れると同時に、魔法でふわりと小さな身体をそのそばに着地させるという器用なことをした。魔王だからこれぐらい出来て当たり前だが。
出来て当たり前はともかく。その棒読みのセリフも額を押さえてぱったり倒れる姿も、大げさ過ぎて、昨年と同じく物陰から見ていた配下達には「魔王様、ヘタクソ過ぎて演技なのがバレバレです」とツッコミを入れられていたが。
倒れた魔王の姿に「どうだ!」とばかり胸を張る小さな勇者に「ふはははははは!」と笑い声も高らかに魔王は起き上がる。
それも普通に起き上がるのではなく、ふわりと黒のマントをなびかせ浮かびあがり、玉座の前へと着地する。
「我は不滅! これぐらいのことで滅びると思ったか? 甘いぞ勇者!」
「むうっ! しつこい奴め!」
玉座に立つゼバスティアであったが、二本に揃えた指で眉間を押さえる少々不自然な姿であった。
そう勇者がその小鞠のようにバネある小さな身体でぶつかってきたときに、ぷすっとそこに刺さったのだ。さすがオルハリコンの剣というべきか。
この魔王の肌に傷をつけるとはさすが勇者である。日々「てえぃ!」「やあっ!」と素振りをする姿を見守ってきたが、なかなか腰もはいった姿であった。というか、普通の人間なら眉間にプスリで十分に昇天してしまうぞ。我、魔王でよかった。
そんなわけで、眉間をその白く長い指でもみもみして、ゼバスティアは一瞬にしてその傷を消した。眉間に穴が空いたかっこ悪い姿など、この愛らしき勇者に見せるわけにはいかない。
そして、そんな魔王にまた一撃を食らわせようと剣を両手で構える勇者に「ちょっと待ったぁあああ!」と片手を突き出した。
「我はまだ復活したばかり、そのような弱ったものに刃を向けるなど勇者として、卑怯ではないか?」
「たしかに勇者は卑怯なことはできないな」
昨年と同じく素直な良い子の勇者はその言い訳にひっかかってくれた。困ったと腕を組む姿も愛らしくて、内心悶えるゼバスティア。いや、頭の中は『尊い!』とジタバタ手足をばたつかせながら。この一年執事ゼバスとしてアルトルトの世話をする中で、涼しい顔で、その妄想を隠すことはうまくなった。
これも修行か。そもそも魔王として、この姿で“出現”してから完璧なゼバスティアは努力などしたことなかった。修行なんて当然カケラもする必要がなかったので、それに気付いたときは無駄に感動していた。勇者のために修行する我、なんて崇高な精神! と。
「ならば、また一年後に勝負としよう。今年と同じようにお迎え……ではない。そなたの前に、この恐怖の大魔王の玉座へと続く、転送門が開くであろう」
「わかった、では、また来年の僕の誕生日だな」
こくりとうなずいてすたんすたんと……去年のとてとてより進化した。歩き去ろうとする勇者に、魔王は玉座からほんの短い距離を慌てて転移した。小さな勇者の前に立ち「ちょっと待ったぁあああ!!」と再び叫ぶ。
「せっかく用意した、お誕生日ケーキにたくさんの贈り物も受け取らずに帰る気かぁああ! そなたの為にこの我が全力で用意したお誕生日会を!」
しまった! また本音が出てしまった。