【5】勇者王子の一日、お風呂とおねんね
さて、食事のあとは。
「トルト様、お風呂の用意が出来ました」
「わかった」
アルトルトの寝室についている、浴室の扉の前。大きな衝立がある場所まで、ゼバスティアはついていく。
そこから先は。
衝立の横に立つ“浴室係”のメイドに、アルトルトを渡す。
「今日も世話になる、コレット」
「もったいないお言葉にございます、殿下」
“コレット”はにっこりと微笑む。「この者の名前は?」とアルトルトに訊ねられて、「コレットにございます」とゼバスティアがとっさに考えた名だ。
本来、この離宮の使用人はゼバスティア一人しかいない。コレットという風呂係のメイドは存在しないはずだった。
衝立の向こうに消えた二人を見届けて、ゼバスティアは防音の魔法を周囲にかけた。
自分の為にだ。
衝立の向こう。姿は見えなくとも、アルトルトがコレットに話しかける声に混じっての、衣擦れの音。
あのまだ幼児体型のぷにぷにの身体から布を落として、ぜ、全裸に……その妄想だけで、初日、ゼバスティアは昇天しかけた。いや、鼻を押さえてなんとか踏みとどまったが。
大魔王と呼ばれた歴代最強の魔王の死因が、勇者の裸を妄想しての昇天など、魔界末代までの恥だ。そもそも、勇者に倒されずして死ぬなど。
いや、アルトルトのまばゆき裸体を想像して、ぽっくりなのだから、これも勇者に殺されたことになるのか? その愛らしさだけで、魔王にトドメをさしかけるなど、勇者おそるべき!
いやいやいや、自分はアルトルトに倒されたりしない! 彼が成長し、成人したおりには、ただいま建設中のまっ白な聖堂にて、リンゴーンするのだから。絶対するのだから。
それまでは死ねない! いや、そのあとも絶対、共に幸せになる!
ともかく、執事となって、良い子の一日を思い浮かべたときに、この“お風呂問題”にぶち当たった。
自分がアルトルトの服を脱がせて、アワアワで全身をくまなく洗うなんて……なんて、まともに見られるわけなどない。いや、それを考えるだけで、危うくもう一度昇天……(以下略)。
では、魔界の下僕の誰かに任せるか? それも即座に却下した。自分以外が、アルトルトの裸を見るなんて! 嫉妬のあまり、役目を終えたその者の首を“褒美”として撥ね飛ばしそうだ。
かくて魔界には浴室係達の首が並び……などという暴君では自分はない。人材の浪費だ。
そこでゼバスティアがちょちょいと創り上げたのが“良い子のお風呂のお世話係、魔法人形”だった。見た目は人間のメイドにしか見えない。受け答えに表情もばっちり。魔王の我が創ったのだから完璧で当然と、ゼバスティアは心の中で胸を張る。
「ゼバス」
「はい、トルト様」
遮音の魔法をかけているが、アルトルトが自分を呼ぶ声には、即座に反応する。衝立越し、胸に片手をあてて一礼する。
たとえお互いの姿が見えなくとも……だ。それが完璧な執事というものだ。
「今日のお湯もいい香りだ」
「ありがとうございます」
浴槽には毎日お肌にいい香草の袋を入れている。魔王たるゼバスティアも使っている。魔界特製品だ。もちろん、アルトルトのやわやわなお肌に有害な成分など、ひとしずくもはいっていない。
そういえば、最近幼児の世話に忙しく、ゆっくり風呂に入っていないな。今夜、アルトルトが良い子にすやすや眠ったあとで、魔王城の広い浴槽にゆったり浸かるか……と思ったところで。
「とってもいい香りだから、ゼバスもいっちょにおふろにはいらないか?」
「ぐっ!」
ゼバスティアは思わずその鼻を押さえた。この頃は滑舌もよくなってきたというのに、ここで“いっちょ”攻撃とは流石勇者!
「ゼバス?」
「た、大変光栄なお誘いですが、し、執事たる、わたくしめが、トルト様と御一緒する訳にはまいりませぬ」
「……そうか残念だ」
本当に残念そうなアルトルトの声に、ゼバスティアは震える声をおさえて、心の声で応じる。
残念だ。我もとっても残念だ。しかし“いっちょにおふろ”などしたら、本当にこのまま三度目の昇天……いや、していないが……してしまう!
大魔王ゼバスティア、お風呂で昇天! なんて、魔界新聞の大見出しに書かれることがあってはならない。いや、鼻からの大量出血死か? これはもっとはじゅかちぃ。
そもそも、なんでお風呂が良い匂いだから、執事と一緒にお風呂に入ろうと思ったのか? そこらへん、ちょっと考えたりもした。しかし、ともかく鼻の粘膜に治癒呪文を唱えるのに必死でころりと忘れた。
そして、風呂からあがったアルトルトがベッドにはいって、すやすや眠ったのを確認。かたわらで読み聞かせていた物語をバタンと閉じた、ゼバスティアは。
その姿は一瞬にして魔王城に。
「お帰りなさいませ、魔王様。お風呂になさいますか? それとも、お食事……わわっ! なぜ、熱々のお風呂を凍らせるなど! 服のままお入りに!!」
その氷付けの風呂を足でかち割り、執事服のままドボンとはいり、百数えたゼバスティアはたまっていた執務を、夜明けまで片付けたのだった。
今日もゆっくり風呂などに入っていられなかった。
邪念で。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
ゼバスティアがアルトルトの執事として王宮に潜り込んで、毎日楽しくお世話したり、お世話したり、その足下に跪いて絹の靴下をはかせて、靴も履かせるのに幸福を感じたり。
い、いや! 我は勇者を監視してるのだ!
とにかく半年ほど。
離宮に珍しくも使者がやってきた。
それは三日後の舞踏会に出るようにという“命令”だった。王の使いなのだ。王太子といえど、拒否権などない。
祖母である王太后が生きていた時代ならば、三歳の子供を夜会に出すなど、まだ早いと断固拒否しただろうが。
「アルトルト様、夜会に出られたことは?」
「ない。昼間の式典ならばお婆様と一緒に出たことがある」
アルトルトははっきりと答えた。お婆様と一緒に……つまりは王太后が常に、彼の横にいたのだろう。
あの継母王妃のザビアや、その取り巻きの悪意からアルトルトを守るためにだ。実の父のパレンスが頼りにならないのは、この王宮に半年もいればわかる。
なにしろ、彼は王妃ザビアの言いなり。妻が不機嫌にぱちりとその手に持った扇を鳴らすだけで、びくびくと彼女の顔色をうかがうというのだから。王妃の影の侍従長なんて、不名誉なあだ名が王宮内どころか、世間でもささやかれているとか。
ともかく王のとあれば、舞踏会の準備をしなければならない。
衣装部屋に行き、ゼバスティアは「ふむ」とあごに手をあてた。その白い手袋で、くいと片眼鏡の位置を直して見渡す。
部屋にはゼバスティアがあつらえた、アルトルトの衣装がずらりと並んでいる。シャツにジレにズボン、胸元を飾るリボンにブローチ、毎日その足下にひざまずいて、履かせる絹の靴下に、靴。
いずれも魔界の職人に作らせた逸品ばかりだが、しかし、こんな“普段着”をそのままという訳にはいかない。
夜会となれば盛装でなければ。
一応“おうかがい”をたててみることにする。
「コレット、あとは任せます」
「はい」
魔法人形のメイド、コレットにアルトルトの世話と警護をまかせて、ゼバスティアは、その足で離宮から王妃のいる本宮殿へと向かった。
「夜会とはいえ“身内だけの気楽”なもの。王太子殿下におかれては“そのまま”おこしくださいとのことです」
王妃付きの従僕が偉そうな態度でそう告げる。ただ夜会の服装を訊くのに散々待たせた末に、この回答だ。
ゼバスティアは「わかりました」と返事をし、王宮の使用人用の通路から裏庭へと出る。離宮へと裏道を歩きながら、胸元から懐中時計を取り出す。
ぱちりと銀の蓋をあければ、魔鏡となっているその内側には、ゴテゴテと飾りたてられた金ぴかの閨房にて。「おほほほほ!」と高笑いする女の姿があった。
その姿は“普段着”だというのに、肘が置けるほどパニエでふくらんだドレスに、ゴテゴテと飾り付けられたレースに宝石にリボン。高々と結い上げた髪にも縁取るように大粒の真珠。
そして、オペラ座の舞台女優もかくやという、真っ赤な頬紅におしろいの厚化粧。
これがこの王国の王妃とは情けないと、ゼバスティアはいつも見る度に思う。
意地悪な継母王妃ザビアだ。
「“普段着”でいいと伝えたのね? この国の王太子で勇者が、大勢の臣下達がそろう夜会に、着たきりの姿で出てくるなんて」
楽しみとばかり、香木の扇で口許をわざとらしくかくして、彼女はいかにも意地が悪そうに真っ赤な紅の唇をゆがめる。
「そんなみすぼらしい姿の長兄がいたならば、我がカイラルの愛らしくも聡明な姿が、余計に引き立つことでしょう」
ぱちりと扇を閉じて、彼女がそれで指したのは、椅子に座り足をぶらぶらとさせる子供。父であるパレンスにそっくりの、茶色の髪に茶色の瞳。
アルトルトの金髪に青空の瞳は聖女と讃えられた、先の王妃にして母ヴェリデ譲りのものだ。
自分に似ている第二王子のほうを、父王であるパレンスはより気に入っている。……というのは、宮中の噂であるが、気に入るもなにも、ザビアの顔色をつねにうかがっている、あの侍従王にそんな意思などあるものか。
さらなる宮中の噂では、王は自分に似ていない兄よりも、弟のほうを王位につかせたいと思っている……なんて話もある。そんな噂話を誰が流したやら、まるわかりだ。と、鼻先で笑うお粗末さだ。
“聖女”と呼ばれ民に愛された王妃を母に持ち、さらには神々に選ばれた勇者たる、“王太子”であるアルトルトを退けるなど。弟王子を王位になんて望むのは、その母王妃ザビアとその取り巻きしかいないだろう。
「さあ、三日後の夜会に向けて、このわたくしの身を飾るドレスに宝石にリボンに、それにカイラルだって、立派に飾らないといけないわ。なにしろ、みすぼらしい兄に対して、輝かしい弟ですもの」
やれやれ、計画した夜会の主役は、その“輝かしい弟”だというのに、自分のドレスに宝石選びのほうが先か。懐中時計の蓋をパチリと閉じながら、ゼバスティアは口の片端をつり上げた。
そちらがそういうお考えならば、十分な“返礼”をしてさしあげなければならない。