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【3】勇者王子の一日 朝のお仕度

   


 おりしも、朝食である冷めたオートミールが、いまだ眠っているアルトルトの元に、運ばれるところだった。ゼバスティアは王妃の差し向けた無表情のメイドから、有無を言わさずそのワゴンを受け取った。

 そして、指パッチン一つでその食事を、その日の王妃の朝食と入れ替えてやった。冷めたオートミール粥のボール一つを見た王妃がとたん癇癪を起こしたらしいが、そんなの知らん。


「おはようございます、殿下」


 天蓋のカーテンを開けて、ベッドで眠る可愛い妖精、もとい勇者の姿を見る。初めてみるその寝顔に、思わず胸にはない心臓を黒のお仕着せの上から押さえそうになったが、我慢、我慢。


「ん? お前は誰だ?」


 眠たい目をこすり、そう訊ねたアルトルトにゼバスティアは表情に出すことなく、驚いた。

 毒入り朝食を届けたあのメイドは、ゼバスティアを完全にこの王宮に元からいる使用人と認識していた。その暗示は絶対だ。

 継母王妃とその周囲を魔王の力でどうにかするのは、北の魔女に禁じられているが、その他のことに関しては禁じられていない。だから毒入り朝食も魔法で入れ替えたし、王宮の者達にも暗示をかけた。

 しかし、アルトルトにはそれが効かなかった。さすが幼くても勇者と言うべきだろう。その黄金の魂には幻惑など通用しないか。

 しかし、ゼバスティアは慌てず、胸の前に片手をあてて一礼した。


「初めまして、殿下。本日より、殿下付きとなりました、執事のゼバス……」


 思わず魔王としての“本名”を名乗りそうになって、ゼバスティアはしまった! と思った。首を傾げるアルトルトに慌てて言い直す。


「ゼバス、執事のゼバスにございます」

「そうか」


 アルトルトはこっくりとうなずいた。幻惑は効かぬ勇者といえど彼は三歳。さらには本宮殿から遠く離れた離宮にうち捨てられるように、隔離された身だ。新しい使用人だと名乗れば、すんなり信用してくれた。


「殿下」

「トルトだ」

「はい?」

「殿下でなくていい、僕のことはトルトと呼べ」

「はい、トルト様、かしこまりました」


 トルト、トルト、愛称呼びが出来るとは、なんと素晴らしい! その場でぴょんぴょんしたい気持ちを、ゼバスティアは必死におさえ、胸に片手を当て一礼したのだった。

 実際に飛び上がったならば、古い離宮の天井をぶち抜いて、神や女神の住まう天界まで突き抜けたかもしれない。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 アルトルトの一日は規則正しい。

 朝、同じ時刻にきっちりと起きて、ゼバスティアの用意した朝食をしっかり噛んで食べる。よく噛み、よく味わうことは良いことだと、そばに控えたゼバスティアは目を細める。

 咀嚼するたびに動くぷくぷくのほっぺが可愛くて身もだえしたくなるとか。ああ、自分の用意したとろとろオムレツが、くるくるとてづから巻いた、焼き立ての外はさくさく中はふわふわのクロワッサンがアルトルトの血肉になるなんて。

 ……と空想の机をダンダンと叩いているなんて、ヘンタイなこと考えて……いる! 

 食後のお茶をアルトルトに差し出して、ゼバスティアは休むことなく、寝室へと向かう。部屋の清掃とベッドメイクのためだ。

 この離宮の使用人は現在、執事ゼバスしかいない。王太子が住まう離宮にもかかわらずだ。

 いや、そもそもこの離宮には、先の王妃。つまり現王の母にして、アルトルトの祖母にあたる王太后が共に暮らしていた。そして、王宮のおけるアルトルトの最大の庇護者でもあった。

 その王太后だが、アルトルトが三歳の誕生日を迎える、一月前に亡くなっている。そこからアルトルトが魔王討伐に行くことが、現王妃ザビアの主導で瞬く間に、決まったという。

 さらにいうならば王太后付きの使用人達は、アルトルトが魔王討伐に行った、その当日にクビを言い渡されて、王妃の差し向けた王宮騎士達に追い立てられるように、王宮を追い出されたという。

 もうアルトルトの世話係など不必要とばかりに。

 実際、あの王妃は小さなアルトルトが魔王にパクッと食われておしまいとでも思っていたのだろう。あんな愛らしい生き物を食べるなんてとんでもない! とゼバスティアは憤慨する。いや、実際、あの丸いほっぺは食べちゃいたいけど。寝てるあいだにちょっと吸い付くぐらいなら、いやいや、それではヘンタイだ。そこは人としてやってはならん。……魔王だけど。

 しかし、使用人の露骨な解雇はともかく、王太后の“唐突な死”というの気になる。表向きは心臓の病とされているが、どうにも不審だ。

 なにしろ、アルトルトには毎日毒入りの食事が届けられているのだから。

 さて、ゼバスティア以外使用人のいない離宮だが、とはいえほこりの被っているところなどどこにもない。指パッチンの一つですべて終わりなのだから。

 当然ベッドメイクも……と言いたいところだが、ゼバスティアはなぜか、これだけはてづからやることにしている。いや、初日はこれも指パッチンで一瞬ですませていたのだが……。


「ゼバス……」


 食後のお茶を飲み終えたアルトルトが、ひょこりと扉から顔を覗かせる。それにベッドをわざとゆっくり整えていた手を止めたゼバスティアは、振り返る。


「お手伝いする」




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇

   



「ありがとうございます」


 初日は指パッチンですべて整えたところ、「もう終わったのか、ゼバスはすごいな」とアルトルトにしょんぼりした顔をされたのだ。『失敗した』と思ったゼバスティアは、それ以来、寝室の清掃はともかく、ベッドメイクだけは、わざとゆっくりすることにしている。

 もちろん、かわいいお手伝いさんの到着を待つためにだ。ゼバスティアの持ったシーツの反対側を「んしょ、んしょ」と持つ姿は、なんて可愛らしい。シーツの長さにまだまだ足りない、両手を一生懸命広げる様も。


「トルト様に助けて戴いて、このゼバス、大変助かっております」

「どういたしまして」


 えっへんとちょっと生意気に得意げな顔もまた、頭からバリバリと食べたくなるぐらい可愛らしい。その尊さは、空は抜けるように青く、小鳥が歌い、緑はキラキラと輝き(以下略)。


「さあ、出来ました」

「うん、できた」


 ゼバスティア側のシーツはぴしりと皺一つないが、腕の長さが足りないトルト側はその端がくしゃくしゃだが、それがどうしたというのだ。一仕事終えたと満足げなアルトルトの背に、白手袋の手をあてて退出をうながす。

 そして、振り向きもせずにゼバスティアはもう片方の手で指をぱちりと音無く鳴らす。

 そのとたん、乱れていたシーツの端はぴしりと皺一つなく整えられた。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 朝食を食べて“お手伝い”をしたあとは、アルトルトは文字を手習いし、本を読む。

 三歳なのだからまだまだ遊んでいればよいと、ゼバスティアなどは思うが、これはアルトルトが決めたことだ。


「ぼくはゆうちゃなのだから、武芸だけでなく勉学もできねば、立派な大人になれない!」


 なんと尊い! と、それを聞いたときゼバスティアは、悶え床をダンダンと踏み鳴らしそうに……もとい。


「ご立派にございます、トルト様」


 と胸に手をあてて一礼をした。

 そして、今日もアルトルトは羽ペンを手に、一文字一文字丁寧に書き写す。それをゼバスティアは横に立って見守る。

 教師など当然いない。要求したところで、あの継母王妃のザビアが寄こすわけなどないのだ。そんなわけで、ゼバスティアがすべて教えている。


「しまった。字をまちがえた」

「大丈夫にございます。一文字程度、意味はわかります」


 そう三歳の手習いなのだ。今はそんな些細なことにこだわらずのびのびと……と、ゼバスティアは微笑む。


「でも、間違いは間違いだ。もう一度書く」

「ご立派にございます、トルト様」


 アルトルトはふたたび、丁寧にゆっくりと書き直す。三歳なのだからもちろんつたないが、大きくてしっかりした文字だ。大地に両足をふんばるような、その文字だけでいいと、ゼバスティアは微笑む。

 手習いをしたあとは本を読む。声をあげて、ゆっくりとだ。その声も大きくはっきりしていて、大変よい発声だと思う。よく舌が回らないところは、ちゅるとか怪しい発音になるけれど。ちゅるちゅるちゅる、ああ、その可愛らしい声もイイッ!! と、心の中で床をごろんごろんし(以下略)。

 しかし、その声が止まり、アルトルトは口に手を当てて考えこんでしまった。


「どうかいたしましたか? トルト様」


 まさか、自分が編集した、ちゃんさいじ……ではない、三歳児でもわかる良い子の歴史書に、不備でもあったのか? と不安に思いつつ、ゼバスティアは涼しい顔で訊ねる。

 そう、アルトルトが読んでいる、歴史書はゼバスティアがてづから執筆したものだ。三歳児のための歴史書がないのは、人間界とはなんと劣っているところだろう! とぶつくさいいつつ、魔界の学者共を指揮してだ。

 魔梟の学者長は『魔王様、魔界にも幼子のための歴史書などありませぬ』と内心思ったが、口にしなかった。

 かくして幼児が持っても重くない、幻想獣の革の装丁に、軽く薄い天草紙の世界で一つの特製、歴史絵本が出来たのだった。


「大王ロロが、偉大な王なのはわかった。でも、作物の不作で困った民を、道を作るのにかりだすのは、おかしいと思う」

「彼らには十分な食べ物も日給も住居も与えられたと書かれているでしょう」

「たしかにそうだ。でも困っているのだ。仕事などさせず、すぐに必要なものを与えるべきではないのか?」

「それは、いつまでにございますか? 困窮した者達を働かせずに、一生すべてお国が面倒を見ると?」

「それは出来ない。国は民が働き納めた税で成り立っている。王や貴族が勝手に使ってよいものではない。国を守り、人々の暮らしをよくするために使うものだと、本で読んだ」


 うーんうーんとうなるアルトルトにゼバスティアは目を細める。本とは、当然ゼバスティアが監修した、良い子のための国と税の成り立ちだ。

「そうか! だから、大王ロロは民に仕事を与えたのだな。働けば食べ物や住むところが用意され、必要な物も買える金も与えられると」

 ひらめいたとばかり大きな目を見開いた、アルトルトに、ゼバスティアは静かにうなずく。


「すばらしいお答えにございます、トルト様。すべての人はトルト様のように、良い子ばかりではありません。働かずに欲しいものが与えられれば、それが当たり前となり、ナマケモノばかりとなるでしょう」

「ナマケモノばかり……では困るな。民が働き王や貴族は、民と国のために奉仕するべきものだ」


 これも、良い子のための帝王学の文句だ。もちろんゼバスティア監修の本である。書きながら、さて、そんな崇高な精神の王や貴族どもなど、皆無ではないか? とは思ったが。

 しかし、これも清く正しく勇者を導くためだ。勇者とは常に理想高くあらねばならない。

 そして、綺麗な心と身のまま、将来は魔界の聖堂で、自分とリンゴーンするのだ! 

 梟の学長が魔王ゼバスティアの決意を知ったなら、内心でつぶやいただろう。

 魔王様が育てているのは良き花嫁ではなく、勇者なのですが……と。





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