【2】魔王様の美貌
昔々あるところに美しく心優しい王妃様がいました。その美しさと心根に民は心から彼女をしたっていました。
しかしなんということでしょう。王妃様は魔王を倒す希望たる勇者の王子を産んですぐに、儚く亡くなってしまわれたのです。
民は深い悲しみに包まれましたが、三月もたたないうちに王様は次の王妃をお迎えになりました。さらにはひと月もたたないうちに、第二王子を産み落としたのでした。
おや計算があいませんね? なんて、誰も言えませんでした。
王妃様が恐ろしくて。
そして、恐ろしい王妃様は前の王妃様が産んだ可愛らしい姫君、もとい勇者王子が目障りとばかり、あれやこれやの手段で命を狙うようになったのでした。
とまあ、おとぎ話風に語るならばこんな風な経緯だ。
ちなみにアルトルトの生母である前王妃の名はヴェリデという。前王妃様の頃はよかった……と語られるように心優しく、慈善事業にも熱心であった。
対して現王妃の名はザビア。彼女が王宮にやってきて真っ先にやったことは、すべての慈善活動の停止。浮いた金を、自分の身を孔雀のように着飾ることに回している。
そして、アルトルトを殺したいほど疎んでいる。
ゼバスティアは懐から銀の懐中時計を取り出した。魔王である彼は時刻など確認する必要もない。それは毎日アルトルトを一分一秒違うことなく朝七時きっかりに起こすことでも明らかだ。
パチンと蓋をあければ、鏡となっている蓋の内側の鏡に、ザビアの姿が映し出された。ゴテゴテとした黄金の装飾も趣味が悪い鏡台を背景に、彼女は寝椅子にだらしなく横たわり足を投げ出して、メイドに爪の手入れをさせていた。
「なに? まだあの子供死なないの? 遅効性とはいえ、毎日毎日、毒を盛っているっていうのに、しぶといわね」
まったく自分の子ではないとはいえ、三歳の愛らしい幼児の死を望むとは、この女の性根は心から腐っているな……と時計の蓋をパチンと閉じる。
残念ながら彼女が毎日毎日毒を盛っている食事は、ゼバスティアの魔法によって消し炭となって消滅しているのだが。そもそも、毒を盛るならばもっと美味そうな料理にしろ。
冷めたオートミールに固いパンにスープに毒を入れるなど、お前の白粉を塗りたくったそのゆがんだ顔の性格がそのまま現れているぞ。
あのような女など、毒入り料理と同じく、指パッチン一つで消し炭にして始末してよいのだが、ゼバスティアにはそうは出来ない理由がある。
それはとある魔女との契約だ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
当初、王妃ザビアはもっと直接的な方法で、アルトルトを殺そうとしていた。
すなわち魔王であるゼバスティアに始末させようとしたのだ。勇者が魔王に倒されれば世界の終わりだぞ! なに考えているんだ? あの女? 自分のことしか考えていないな。まったく魔王のような奴だ。いや、魔王はゼバスティアだけど。
さらに言うならゼバスティアは、もう何度も勇者の挑戦を受けてこれを退けている。かれこれ千年近くだろうか? たしかアルトルトが一〇八番目か? キリがいい。
……なに? ちっともキリがよくない数字だと!? この大魔王ゼバスティアが決めたから、キリがいいのだ。
おそらく一〇八番目から勇者は増えることはないだろう。なに? 勇者が増えないのなら、大魔王であるお前が倒されるのか? ってバカモン! 我は最強にして最凶の大魔王ぞ! 倒されん!
我とアルトルトは永遠に魔王城で幸せに暮らすのだ。そうだ、あれが二十歳になったお誕生日会……じゃない、自分との対決のときに跪いて求婚しよう。そうしよう。
そのためにも今から、二人の結婚式をあげる聖堂を用意しなければ。
……今は──ん十年後のゼバスティアとアルトルトのリンゴーンの夢想をしている場合ではない!
ともかく悪い王妃ザビアは、毒殺なんてまどろっこしい手を使わずにアルトルトを殺そうとした。さんちゃいじゃない三歳の勇者に向かい、すでに魔王討伐の時は満ちたと無茶苦茶をいい、あれにオモチャの剣を持たせたうえに、魔王城の前に放り出したのだ。
金で雇った闇の魔術師の操る飛竜にアルトルトの首根っこをくわえさせてポイッと。
ところが、そのアルトルトが王宮の自分のお部屋に直接戻ってきてしまった。
「魔王とはまた来年、対決すると約束した」
と言って。
ザビアは「あの目障りな王子が一年も生きているなんて!」と癇癪を起こし、そして命じたのだ。
ならば食事に毒を混ぜろ……と。
可愛いアルトルトがどうなったか心配……もとい宿命の相手たる勇者の様子を探るため水鏡で、見ていたゼバスティアはこうしていられないと、立ち上がった。
すぐさま魔王城から王宮へと転移しようとして気がつく。頭に銀の角を生やしたいかにも魔王が、乗り込んだら不味いんじゃないか? いや、絶対にマズイ。
なによりアルトルトが。
「魔王め! 一年後の約束を破るとわ! ちぇいばいしてくれる!」
なんて、爪楊枝……じゃない、あの刃を潰したレイピアでつんつんされたら、また。
「ぐはっ! やられた!」
とわざとらしく、いや、迫真の演技で魔王は倒れねばならぬではないか! さらにあの可愛らしい勇者がふんす! と鼻を鳴らして、背を向けたところで「ふはは!」と高笑いをしながら、死んだふりから復活する。
そこでゆうちゃが「しちゅこい、やつめ!」と爪楊枝、もといレイピアを構え……。
永遠に終わらない。
ならば魔王ではなく、人間を装っていくしかない。しかし、問題が一つあった。
この美貌だ。
そう魔王ゼバスティアはなにに化けても、美形になってしまう。たとえ、婆さんだろうが爺さんだろうが、鴉だろうが犬だろうがネコだろうが輝かしい芸術品のような姿になってしまうのだ。
これはマズイ。悪目立ちすることこの上ない。
それでもなんとかならないか? と姿見の前で、瞬時に百回ほど、普通の村人、子供、老人、犬、ネコ、馬、はては子供が大好きカブトムシまでなってみたが、ダメだった。カブトムシでもそのツノの形といい、黒光りする艶といい、完璧に美しかった。これではカブトムシになった自分に恋する者も出てきてしまうだろう。
カブトムシを永遠の恋人と頬ずりをするヘンタイさんには出会いたくない。アルトルトなら許すし、ありだし、一生彼の飼育カゴの中にいるけど。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
百回の変身を終えたあとゼバスティアは転移して、北の魔女の元へと向かった。今日は長い東方のキセルを片手に煙をくゆらせる、赤と黒のドレスの美女だった。さて、百年前に会ったときはしわしわの老婆の姿だったような……。まあ、いい。この魔女はコロコロと姿を変える。
だからこそ、ゼバスティアは彼女に用があったのだが。
「頼みがある」
「魔王のあんたからそんな言葉を聞くなんてねぇ。千年ぶりかね」
さて千年前にもそんなことがあったか? とゼバスティアは覚えていなかった。まあ千年だ。そういえばこの魔女は、ゼバスティアが駆け出しの魔王だった頃から、すでに北の大魔女だった。
千歳の魔王よりも上なんて一体幾つなのか? まあ女性に歳を聞くのは禁句だし、この魔女の場合は、生死にもつながる。たとえ彼女が老婆の姿をしていようとも『お姉さん』と呼びかけねばならない。『このクソ婆!』と言った者の末路など、魔王でも知らない。
ゼバスティアの話を聞いて、魔女は煙草をくゆらしていた寝椅子の上で笑い転げた。人が真剣に悩みの相談をしているのに失礼なと、ゼバスティアは顔をしかめたが、魔女はばっちり涙と汗対応の黒のマスカラとライナーで縁取られた目元を、その赤いマニキュアで彩られた尖った爪でふきふき。
「いや~こんなに楽しい話は久々だ。魔王様の“初恋”話なんてね」
“初恋”? はつこい? とゼバスティアは首をかしげた。しかし、その言葉を聞いたとたん、トゥンクとゼバスティアの胸はアルトルトの丸いほっぺのお顔を見たときのように、高鳴った。
嗚呼、これが恋というものなのかしら?
すっかり乙女となって、普段は蒼白いほどに白い頬をほんのり薔薇色に染めたゼバスティアの顔を面白そうに魔女は見て、彼になにか放り投げた。
不意打ちだが、すんなりと受け取った。それは銀の片眼鏡だった。
「そいつを付ければ、あんたの姿は平々凡々な執事に見えるはずさ」
「執事か……」
なるほどとゼバスティアは思う。執事ならば王子のそばにいても、なにもおかしくはあるまい。しかも、おはようからおやすみまでアルトルトのお世話が出来るなんて、なんて至福。
もう絶対あれの世話は誰にもさせない。朝から顔を温かなタオルでふきふきしながら丸いほっぺの感触を楽しむ。それからお着替えを手伝いして、足下に跪いて靴を履かせる。
この魔王の自分が勇者に跪いちゃうなんて、なんたる至福……いや、く、屈辱だ! 考えるだけで背筋がゾクゾクするぞ! なんて、頬を薔薇色に染めたまま妄想の世界へと突入したゼバスティアの顔を、魔女はいささか呆れたように見て。
「ただし『対価』はもらうよ」
「──なにがいい? この世で一番大きな金剛石か、人魚の虹の涙。古竜の体内から取り出された深紅の魔石か」
「そんなありきたりなものいらないわ」
いずれも魔王城の宝物庫にある至宝であるが、魔女はそれを一蹴し、ゼバスティアも「そうか」と当たり前のように受けとめる。
魔女は取引に『対価』を求める。千年生きたゼバスティアよりさらに生きた年増……もとい、お姉さん魔女ならば、それぐらいは持っていて当たり前だろう。
ならばとゼバスティアは考える。神界に乗り込んだときにかっぱらってきた、美の女神の美容クリームなんてあったな。一塗りでお肌つやつや、百年若返るとかいう……そこまで考えたところで。
「対価は物じゃないわ。人の世に降りたならば、あなたは人が作った決まりに従わなければならない。いいわね」
「人の作った決まり?」
ゼバスティアが顔をしかめると、魔女は続けていう。
「あなた、地上に降りたとたんに、その可愛い勇者様の命を付け狙う継母とその一派を燃やして片付けて、終わりにするつもりでしょ?」
「…………」
目の前の邪魔者は片付ける。力こそすべて、それが魔界だ。だが魔女は「それじゃ面白くないじゃない」とニイッと赤い唇をつり上げる。
「だから、その継母王妃が勇者王子を謀殺しようとしている。その証拠をしっかり集めて、人の法によって裁かれるようにすること」
「あ、もちろん証拠を集めるのに魔法を使ってちゃっちゃっと人を白状させたり、証拠を取り寄せるのもダメよ」と続ける。
「そんな面倒な……」
「あら、それならこのモノクルは貸さないし、それに勇者ちゃんの周りの悪い人を、あなたが瞬時に燃やすなら、そもそも執事になってその王子様を『お世話』する必要もないものね」
「お世話……」
それはなんて素敵な言葉だろうとゼバスティアは思った。そうだ、瞬時にあのクソ王妃を片付けては、アルトルトのそばにはいられない。
ならば、全力で朝から晩までアルトルトの生活を見守りながら、その『片手間』にあの王妃をじりじりと追い詰めていくのも、また一興。
「わかった。その『対価』を承知しよう」
「ええ、せいぜいがんばってね。魔王にして勇者の執事さん」
勇者の執事とはなんて素敵な響きと、うっとりしながらモノクルを付けたゼバスティアは、魔王の紫の長い衣から、瞬時に黒のぴったりした執事服、子羊の革の白手袋へと姿を変えて、王宮へと降り立とうとしたが。
「ああ、もう一つ」
「なんだ?」
執事の姿で不機嫌にくるりと振り返る。その姿はどこからどう見ても痩せぎすの平凡な黒髪の男だった。「完璧」とぷっと吹き出す魔女に顔をしかめる。
「早く言え、我は忙しい」
「もし、あなたが“条件”を破ったときの罰よ」
「罰? 我がそんなヘマなどするか!」
「もし、あなたが王妃を“うっかり”その力で排除するなんて“ヘマ”をしたときよ」
うっかり、たしかに我の唯一の欠点はうっかりだと、黒梟の宰相に言われたな。ゼバスティアは北の魔女のニヤニヤ笑っている顔を改めてじっと見る。
「その場合は、そのモノクルにつけた呪いが発動して、あなたはただのカエルになるわ」
「元に戻る方法は、あなたの一番愛する者から口づけ」と、きゃはは! なんて笑い声をあげる北の魔女の声を背に、ゼバスティアは今度こそ王宮へと転移した。