夢のラビリンス
その頃の私は、夢と現実の間には、すごく薄い壁があるだけだと思っていました。その壁をちょっと破れば、夢は現実になるんだって。
幼い頃、私は夜がきらいでした。お母さんもお父さんも「早く寝なさい」と言うけど、「いやだ!」って言って、いつまでも絵を描いていました。とうとうお母さんたちがあきれて先に寝ちゃうくらいでした。
夜がきらいな理由は、怖い夢を見るからです。正体のわからない怖いものに追いかけられたり、高いところから落ちたりする夢ばかり。目が覚めるとドキドキして、いつも泣きそうになっていました。
でも、何度もそんな夢を見ているうちに、私はすごいことに気がつきました。それは、「これは夢だ」って気づくことです。夢だとわかったら、もう怖くありません! 私はそっと両手を広げてみました。すると、大きな鳥みたいに羽ばたけるようになったんです。体がふわっと浮いて、どんどん空の上に飛んでいきました。
「やった! これならどこへでも行ける!」
それからは、怖い夢がやってくるたびに、私は腕を広げて空を飛びました。飛んでいれば、怖い夢は追いかけて来られないし、空も風もぜんぶ私のものになる気がします。
夢の中の空はとても広くて気持ちがよくて、つまらない毎日のこともぜんぶ忘れられます。ちょっぴり寒いけど、それでも私はどんどん高く飛んでいきました。家も道路も木も、ぜんぶ小さくなっていきます。小さくなった町を見下ろすのはとっても楽しいです。さらに飛んでいくと、やがて町は見えなくなり、まわりは青く、さらに青が集まって、最後には群青色に包まれます。
でも、そこまで来ると、いつも大きな壁にぶつかるんです。空の果てまで広がる、どこまでも続く煉瓦の天井。これ以上は進めないよ、って言われているみたいでした。おそらくそこが、私の知識の限界なのです。
それでも私はあきらめません。壁のどこかに、小さな穴を見つけます。その穴はすごく狭いけど、私はそこに体をすべりこませます。穴を通り抜けた先は、不思議な迷路――夢のラビリンス。
このラビリンスはとても手ごわいんです。長い回廊や急な階段、どこまでも続く分かれ道。そして、行き止まりばかり。変なモンスターまで出てきます。私は魔法を使って、モンスターをやっつけながら進みます。でも、ゴールにはなかなかたどり着けません。いつも途中で目が覚めてしまうんです。次の日はまた最初からやり直し。どれだけ進んでも、また振り出しに戻ってしまいます。
「今日こそ、ラビリンスを突破するんだ!」
そう決めて、何度も挑戦しました。でも、迷路はいつも同じように私を困らせます。どれくらい歩いただろう? まわりは単調な景色ばかり。ゴールに近いのか遠いのかも分からないまま、今日の冒険も終わりです。
それでも私はあきらめません。何度でも挑戦します。だって、この迷路の先にきっと「この世界の秘密」があるんですから。絶対に見つけるんだ、そう心に決めていました。
やがて私は、成長して、少しずつ色々な知恵を身につけていきました。でも、知恵が増えてくると、夢の内容がどんどん現実に似てきて、「これは夢だ」と気づけなくなることが増えました。夢だと気づけなければ、空を飛ぶことも、ラビリンスに挑戦することもできません。
それでも、私は今日も挑戦しました。空の果てにあるラビリンスを抜けるために。
知恵を使いながら、私は迷路を進み続けました。ただひたすら、上へ、もっと上へ――階段をのぼり、壁をのりこえ、出口を探して進みました。
そして、その日、何度挑戦しても越えられなかったラビリンスを、私はついに突破したのです。
煉瓦の壁がガラガラと崩れ落ち、目の前には広い広い空間が広がりました。ついにやった――そう思った瞬間、私は息をのみました。そこにあったのは、宇宙でした。私の下には、ただ一つ、青く輝く大きな球体が見えました。
「よくここまで来ましたね」
そのとき、優しい声が聞こえました。
光の中に、美しくてまぶしい誰かが立っていました。
「あなたは初めてここに来ましたね。がんばったごほうびに、あなたの願いを一つだけ叶えてあげましょう」
「どんな願いでも?」
「はい、どんな願いでも」
その誰かは、優しく笑いました。
私は迷うことなく答えました。
「夢から覚めても、夢の力を使えるようにしてください!」
でも、その言葉を聞いた誰かは、ふっと悲しそうな顔になりました。
「ごめんなさい。それだけはできません。この世界では私は何でもできますが、別の世界に対しては、何もできないのです。けれど、あなたがそう望めば、この世界で万能になり、どんなことでもできる力を持てます。それでは満足できませんか?」
その時の私は、もうそれだけでは満足できなくなっていました。
「そんな! どんな願いでも叶えてくれるって言ったじゃないですか! 夢の中だけで万能になって、それが何の役に立つんですか? 意味なんてないでしょう!」
「本当に……ごめんなさい……」
「嘘つき! あなたは嘘つきだ!」
私は力いっぱい叫びました。そのとき、私の体から力が抜け落ち、まわりの光はすべて消えてしまいました。私はただ青い球体に向かって、落ちていくばかり――。
「嘘つき! 嘘つき!」
私は何度も何度も叫び続けました。
それ以来、私はあの自由な夢を見ることができなくなりました。夢の内容が現実と同じようなものになり、それが夢だと気づけなくなったのです。
知恵を手に入れた私は、その代わりに大切な何かを失ったのかもしれません。
幼い頃によく見た夢の記憶から……
連載している小説もありますので、よろしければ読んでみてください。