きっと世界は救われるはずだが俺は死ぬ
初投稿です!
拙作ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
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砦が落ちるまであと三刻
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『超大規模儀式神秘法術を用いた超強化による超長距離進攻』___略して『大進攻』は十年前から魔王率いる魔族によって行われている『大侵攻』に対して、追い詰められている人類による背水の陣の一手である。
(ま、このまま最後まで成功すれば起死回生の一手なんだが)
ここは魔族領と人類領を隔てていた山脈の切れ目に位置する砦。
そこはをかつて人類が魔族の襲撃を幾度となく防ぎ、『人類の盾』と呼ばれていた。かの『大侵攻』によりまず最初に魔族に占拠され人類に攻め込む起点となったことで、数多くの惨劇を生み出しそして長い戦争の幕開けを象徴するとして『地獄の門』と無辜の民に恐れられている。そして、『大進攻』を成立させるための時間を作るために必要不可欠な場所である。
(まさか俺達が本当にここまで来れるとはな…)
そう感慨に浸りながらこれまでの行軍について振り返ると、三日三晩続いたあまりに地獄じみた行軍を思い出し思わず嘆息を漏らした。吐く息はまだ白い。季節はもう春だが夜明け前となると少し肌寒いからだろう。慎重に息を吐けばギリギリ息が白くなる。次第に息を白くすることが楽しくなってきて、いかに多く白い息を出せるか試行錯誤していると、脇腹に肘を入れられる。
「グッ…なにすんだよ。軍曹」
「オメーこそなにやってんだよ。勇者様の出立式だぞ、最後ぐらい真面目に突っ立てろや」
「チッ…」
不満を漏らしながら前を見ると、遠くから見てもはっきりと映えるだろう金髪がその端正な顔立ちにゆるく掛かっており、長年の行軍により鍛えられた筋肉質な胴体からすらっと長い足が伸びている。そんな彼が微笑むと婦女子方から黄色い悲鳴が聞こえ、なんなら気絶する生娘もいた。
(これでいて戦うとなるとえげつないからな……剣の一振りで魔族諸共、前にあるもの全部更地にできるのはどうなってんだ?)
『大進攻』は勇者の一撃による戦線の突破という力技から開始される。その後、多少の休憩はあるが神秘法術によって強化された体を、ほぼ三日三晩動かしこの砦に到着し一瞬で占拠する。のだが…
(三日三晩走った割には爽やか優男すぎないか?)
こんな砦に無駄にしていい水などないので風呂などもってのほかで、精々体を水で濡らした手拭いで拭くぐらいしか使えない。それなのに、風に靡いている髪や肌を見ても油ぎってなんてないし、むしろ清涼な雰囲気を漂わせてくる。たとえ今から貴族の舞踏会に行ってくると言われても納得できる完成度である。
勇者は本当に人間なんだろうか。実は勇者は人間を超越した超人間じゃないかのか。そんな下らないことに思考を飛ばしていると突然。
「一同敬礼ッッ!!」
その号令に見事に反応し遅れた俺は、後で腹か頭かどちらに拳をもらうのか隣の軍曹の怒気から逃避するように他人事のように考えた。
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砦が落ちるまであと二刻
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「……クッ…?…グボぇ!!!」
予想していた通りに腹に鉄拳が勢いよく迫り…覚悟した痛みが来ないことを不審に思い下を覗くと瞬間顎に痛みが走り視界が朝焼けの空を映す。咄嗟に後転して衝撃を散らし異常がないかを確認した。俺が恨めしげに視線を向けると…なぜか筋肉が蹲りながら震えていた。
「おい殴られたの俺だぞ、なにしてんだ?軍曹」
「…クッ…いや……ぐぼぇって…クハッハッハッハ!!」
「軍曹がフェイント仕掛けるからだろうがッ!」
「うおッ!」
そう言いながら恥ずかしさを誤魔化すように、思い切り頭に蹴りを入れると、慌てたように横に転がって避ける。膝をついた状態で俺より頭が下なのにも関わらず、筋肉の圧で全然有利になった気がしない。少し縮れた焦茶色の髪を豪快にかき上げられ、その野生味溢れる口髭のせいで獣のような男__軍曹が俺をその強面で睨みつける。
「おい!お前今の本気だったろ!もうちょいで戦うってのに怪我させる気かよ」
「チッ...」
「…まあいい、そこに座れ。これがお前と話す最後の機会だからな」
「……」
俺はなんとなく命令通りに従うのは気に食わなかったが言っていることも確かにと思ったので、勢いよくなんかの資材の上に座り腕を組む。軍曹は鞄の中から金属製の平べったい水筒を取り出し、上の蓋を器代わりに注いでいる。この匂いは…
「軍曹、あんた酒なんか持ってきたのか?」
「まあな、普段は持ってこないがこれから死ぬって言うのに酒の一滴も飲めねえのはごめんだ」
「軍曹、あんた一応ここの最高責任者だろうに…いいのか?」
「最高責任者の俺が許可するぜ」
そう言って軍曹は蓋に注がれた琥珀色に照り返る液体を呷る。
「...ッかァーうめえ、それにしても正直お前は勇者様の方に着いていくと思ったぜ」
『大進攻』に参加する者は大きく分けて二つの役割に振られている。一つは勇者と一緒に魔族領に入り魔王がいる魔都に強襲し勇者を魔王の元まで守り届ける者。そしてもう一つは砦に残り後ろから迫り来る魔族達を迎え撃ち少しでも勇者が魔王を討ち取れる時間を作る者。確かに前者の方が花はあるが…
「俺に人守るなんて出来るわけないだろ」
「事実だとしてもそんな堂々と言うなよ…」
軍曹は俺の返答に呆れて肩をがっくしと落とした。声色も何となく力が抜けてしまったように聞こえた。
そんな事言われても俺には魔族を斬るぐらいしか出来ない。そう思いながらふと疑問が湧いた。
「ちなみになんでそう思ったんだ?」
「あーもしかしたらお前の村を襲った魔族の親玉の面見れるかもしれないんだぜ?」
そう言われて俺は自分が住んでいた村のことを思い出す。今考えるとドがつくほどの田舎でドがつくほどの貧乏だった。村には二月に一度ぐらいにしか行商人が来ないし、飯はめちゃくちゃ薄い雑穀の粥がもっぱらでたまの贅沢はいつもの粥に干し肉を入れただけのものだったし、家も隙間風吹きまくっていっつも隙間に藁を突っ込んで寒さを凌いでたし、農用具もたまに振ると先端が飛んでいくほどボロかった。…でも確かに…確かに幸せな日々だった。貧乏で辛いことも多かったが家族と一緒に笑っていらればそれで満足だった。その日々をあいつらは…
「……い…おい!」
「うお!?」
ふと気づくと軍曹が少し焦り気味にそばに寄っていた。そして肩をがしりと掴んで大きく揺さぶろうとその子供の胴ほどの太さにまで鍛え上げられた腕に力を込める。
「ちょやめぇぇぇぇぇぇぇぇぅぅぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
凄まじい勢いで視界が移り変わる。そして体の動きに着いていけてない頭が縦横無尽に動こうとする。堪らず軍曹の腕を掴んでやめさせる。
「ぉぉおお!!うぉぇ…」
「あ…すまん…」
「ぉぇ…こんっの馬鹿力がッッ……」
揺するのをやめさせた後、世界がゆらゆらと揺れて大地が信用できなくなる感覚と胃をキューッと絞られるような吐き気に耐えきれずに、思わず膝と手をつき四つん這いの状態になる。すると、ぎこちなくそして慎重に背中に手を当てがわれさすられているのを感じる。
そうしている内に、少し吐き気が治まり軍曹の方を見る。
軍曹はひどく申し訳なさそうに
「…すまんかったな」
珍しく素直に謝罪を口にするのを聞いた。普段は恨み口を吐いても、気にするな!と笑い飛ばすような野郎なのにこんなに反省してる姿は見たことない。そんな姿も相まって頭を振り回された怒りは小さくなった。
「チッ…次また同じことしたらただじゃおかねえからな」
「違う、そのことじゃない」
「あ?」
「お前の古傷に不用意に触れちまったことだよ。チッ...俺も最期を前に緊張してんのかよ。クソだせえ」
軍曹は忌々しいものを見たかのように、眉間に皺を寄せ顔を顰めていた。いつもは大きく見えた軍曹の姿はやけに小さく、そして瞬きをすればふっと消えてしまいそうなほど存在感が薄れてしまっている。ふと背中に意識を向けると背中に当てがわれた手は微かに震えている。
「ハッ!軍曹でもビビることもあるのな。いいもん見れたぜ」
ひどく明るくそして茶化すように言い、十分に回復した頭を振りながら立ち上がり、地面に転がっている鈍く光る水筒を手に取る。
「ほらよ、酌してやるよ」
呆気に取られた軍曹の顔に水筒の蓋を飛ばしてやる。慌てて蓋が落ちないように受け取る。気を使われたことに気がついたのかわからないが、「美人なねえちゃんの方がよかったな」と茶化して返してくる。
「軍曹はなんで『大進攻』に参加したんだ?」
軍曹に酌をしながらそう聞く
「どうした藪から棒に?」
「いいじゃねえか、今度は俺の番だ」
軍曹は蓋に注がれた琥珀色に照る液体を今度は深く味わうように口に含む。
「…ああそうだな...俺が『大進攻』に参加したのは人間が好きだからだ」
「は?何言ってんだ?」
「まあ聞けや…知ってるか?昔はいろんな街を旅しながら護衛や採集、討伐なんかをして日銭を稼ぐ冒険者なんて職業があったんだ」
そう言いながら軍曹は俯き、懐かしむように蓋に浮かぶ琥珀色の空を眺めていた。
「お…おう、ガキの頃に俺の村にも偶に来て魔獣とか狩ってたぜ」
「実は若い頃、俺もその冒険者だったんだ。いろんな街を巡ったよ。そしていろんな人がいた。小せえ弟のために朝早くから眠い目擦って働いてる宿屋の小せえ姉ちゃん、将来大商人になる夢を叶えるために懸命に働く抜け目ねえ小僧、古臭え慣習が蔓延ってる地元から抜け出して新しい世界に胸が弾ませる樹人族、魔金剛の剣を作るために生涯を捧げる地人族、剣の美しさに魅入られて自分でも剣の頂に立てること証明しようとした剣女、自分を生んだ国への復讐をするために何が何でも成り上がろうとしていたスラムの王」
軍曹が自身の過去を追憶していく毎に存在感が増すような感覚に襲われる。
「ああ、そうだ。俺は人間っていうやつが大好きなんだ。魔族に押し込まれて縮こまってビクビクしてる人間なんかもう見たくねえ。だからそんなのはぶっ壊してやるんだ」
軍曹はふと顔をあげ思わずこぼれてしまったかのような凶悪な笑みを浮かべながらそう言う。
思わず少し仰け反ってしまった。その笑みではなく軍曹から感じる尋常じゃない熱に。目には爛々と炎が宿っている。その炎は死をもうすぐ迎えるという絶望が降り注いでも尚、いや更に一層と燃え上がり消える素振りさえも見せない。そんな軍曹の姿はいつも以上に大きく見えた。
「…っとまあこんな感じだな。熱くなりすぎたな、酒入れてくれや」
「お…おう」
そう言い、蓋に残った酒を飲み干し俺に酌をされるのを待つ。
「ところで、お前はどうなんだ?」
「俺?」
「お前、魔族が大の嫌いだろう?俺はどっちも魔族ぶっ殺すなら別に『大進攻』に参加しないであっちに残って防衛するもんだと思ってたぜ」
蓋に酒を注がれている短い沈黙を埋めるための単純に軽い気持ちで聞いたのだろう。
だが、俺はその質問に雷に打たれたような衝撃を受けた。俺は『大進攻』の話を聞いた瞬間に衝動的に上官へ参加の希望を出していた。軍曹が言う通り、俺は魔族を殺すなら残って防衛した方がまだ死ぬ可能性は低い。そう思考を巡らせば巡らすほど、自分がなぜ『大進攻』の話を受けたのかわからなくなってくる。
不自然に続いた沈黙に疑問を抱いたのか、それとも呆然とした様子を心配したのか、はたまたその両方かわからないが軍曹が声をかける。
「……?…おい、大丈
『カンカンカンカンカンカン!!!!!!!!!!!!!!!』
なッ!? 早すぎんだろ!?チッ、作戦通り頼むぞ!!!」
「!?お…おう!」
敵襲を知らせる鐘の音が必死に鳴り響きながら、軍曹は配置につくために走り出し、一瞬遅れて俺も走り出した。
疑念を抱くのがあと少し早かったら、魔族があと少し自分達を追いかけるのが遅かったら、軍曹と出会うのがあと少し早かったら、そんな『もしも』を走りながら考えていた。でも、その『あと少し』はもう存在しないし、そんなことに気づく時間も心の余裕もない。ただただ、疑念が確かに心の奥底で生まれたことから、現実逃避するようにそんな『もしも』を考えていた。
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砦が落ちるまであと一刻
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「ハァ…ハァ……くそがッ……!」
そこは地獄の惨状だった。
至る所から頭を殴るような爆発音と腹の底を揺らすような衝撃音が鳴り響き、魔法の残穢なのか、肌が焼けるような熱波と肌を刺すかのような冷気が入り混じり、顔を撫でる風は気持ち悪くなるほど常に変化し続けている。
何よりも酷いのは目の前に広がる光景だ。魔族共が凶悪な形相で凄まじい速度で迫ってくる。砦の頑丈な門を魔力に物を言わせて拳や魔法で破壊しようとし、門に気を取られるとその隙を突き魔法を用いて直接飛んで乗り込もうとしてくる。
そんな無茶苦茶な攻勢を仕掛けてくるのでこちらの被害も大きいが、魔族の被害も無視できない程大きくなってきている。塁壁の前には大量の魔族の死体が転がっている。それなのに魔族はそんなことお構い無しに攻勢を弱めずに進んでくる。
(吟遊詩人で詠われていた『腐人』よりもタチが悪いぜ)
そんなことを考えていると、小休止を入れる間も無く壁を乗り越えようと、魔族が文字通り飛びかかってくる。
「『硬土弾』ッ!!」
「チィッ!!!」
牽制がわりの土塊を形成し飛ばしてくる。土塊を避けて体勢が崩れてもよし、土塊に対処して一手潰して先手をとるもよし、とか考えてんだろうが...
「甘えよッッ!!!」
俺は刀身を寝かせて土塊に向かって、思い切り逆袈裟気味に振る。
そして、一番速度が乗った先端部分に的中し粉々になる。
「なッ!グッ…!!」
粉々になった土塊は丁度顔面に勢いよく振り掛かる。堪らず目を閉じてしまった魔族の隙を逃すはずもなく、袈裟斬りで一刀両断する。
魔族の体の上半分は飛んできた勢いそのまま後方へすっ飛ぶ。そして残った下半分を片手でガシリと掴み、砦の壁を登って上がってこようとしている別の兵士へぶん投げる。
「うおッ!!」
そうして生まれた値千金の僅かな時間を稼ぎ、肺に溜まった熱の篭った空気を吐き出す。
「フゥゥゥ……!」
(くそ、ばかばか突っ込んできやがって…消耗がはええ…)
呼吸を整えている間、ちらっと自陣の方を確認する。
先ほど確認したよりも明らかに怪我人の量が増えている。救護班は忙しなく動き回り、中には顔色が土気色になるほど法術を使い治療している者もいる。明らかに救護班が治療できる許容量を超えて怪我人が増えているのにも関わらず、皆法術の使用限界も近いだろう。
破綻は確実に近づいていた。終わりのない襲撃、怪我人の増加、法術の使用限界、どれをとっても致命的。
そんな絶望に少し眩暈がして、ほんの一瞬だけ警戒が解けてしまった。別に数瞬もすればまたすぐに魔族を斬りにいけた、それほどの僅かな間。
それは単に、魔族の並々ならぬ執念によって肉体の限界をほんの少しだけ超えただけの攻撃だった。いつもなら変わらずに袈裟斬りで仕留めることが出来た唯の力押し。
なみなみと水が入ったグラスに水滴を落とし続けるが如く。それはただの偶然、だがいずれくる必然であった。
「しまッッ!!!」
俺は近くにいた魔族の斬撃への反応が遅れて、咄嗟に剣を間に挟み鍔迫り合いになる。やはり魔族と言ったところか、俺とは膂力と魔力の量が段違いだ。鍔迫り合いにながらどんどんと仰け反らされていく。だが…
「オラァァ!!!!」
一瞬だけ腕に全力以上の力を込めると同時に一歩後足を下がることで、魔族と自分と僅かな空間を空ける。魔族は間髪入れずにそのまま突っ込んでくる。
(そりゃそうだ、敵自らさらに体勢を崩しているとなれば、利己心出まくりのお前らなら功を焦って突っ込んでくるよな?)
衝突の瞬間、刀身を傾けることで相手の斬撃を受け流す。甲高い金属同士の擦れあう音が耳元で聴こえながら、そのまま手の内を返して、斬撃をかわされたことで体勢を崩した魔族を袈裟斬りをする。
俺は魔族を袈裟斬りしながら、内心冷や汗をかきまくっていた。ほんの一瞬集中を切らしただけで、この有り様。もう不覚を取られないよう、今一度、戦いに意識を没頭させていく。
そして、魔族を袈裟斬りして、体の上半分がずり落ちる。その先には、いくつもの特大の火球が迫っていた。
「は?」
そう、なみなみと水が入ったグラスに水滴を落とし続けるが如く、一度溢れたのならば、もうその流れは止めることはできない。一度の窮地を乗り越えても、次の窮地がすぐにやってくる。俺が勇者ならなんとか出来たのかも知れねえな、そう思いながら俺は爆炎に呑み込まれ、意識を失った。
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そして、砦は堕ちた。
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意識が昏い闇の底から這い出てくる。寝ちゃいけねえ、寝てたらダメなんだ。その思いが強引に意識を覚醒へと導く。
「…ぅ…うぐッ…!!」
目覚めると、まず肌を刺すような熱さに似た痛みが全身を襲う。特に左腕は熱したナイフで抉られているじゃないかと思うほどだ。だが手の先の方になるにつれ感覚が鈍い。それに、体中から活力を出ていったかのように酷いだるさが蔓延っている。
俺は自身の状況を確認するために、体中を支配する痛みとだるさを我慢しながら起き上がる。
まず目に付くのは、左腕の酷い有り様である。爆発を食らう際、咄嗟に近くの死体で身を守ったせいで、二の腕の部分が折れている。そして、左腕は全体的に酷いやけどで、所々焼け残った軍服が癒着している。軍服には多少の耐火性はあるだろうが、あの爆撃を受けて無事でいられた訳じゃないようだ。それに加えて、左手部分は全体的に黒々と炭化している。手を握ろうと力を込めると物凄い激痛が走り、思わず脂汗をかく。
(両手で剣を握るなんて到底無理だな………!?…剣は!?)
慌てて右手を見ると、白くなるまで力が込められている手の先に剣があった。どうやら爆発を食らった時、無意識に剣を強く握っていたようだ。不幸中の幸いと言ったところか、右腕のやけどは比較的酷くなく多少痛みはあるが十分に動かせる。
手持ちに残っているものは、若干の防具兼緊急時のために腹に巻いていた縄、魔獣の油を紙に塗った防水性と若干の耐火性を持つ油紙、後は支給されている痛み止めか
(包帯代わりの布が残ってりゃまだ怪我の処置のしようがあったんだが…まあ、燃えちまったもんは仕方ない)
そこまで思考が巡って、頭も本格的に覚醒し出したのか、漸く自分以外のことにも意識が回せるようになった。
周りを見渡すと斜面に生えた木々に囲まれていて、上を見ると木の枝が不自然に折れている。
(ということは、爆発で吹っ飛んでここまで来たってことか…となると、ここは砦の側の山林か?)
魔族が砦の防衛のために木を刈り倒していたら終わっていたが…まあ戦線からここまで離れているのにそんなことはしないか。そう思いながら、ゆっくりと立ち上がり斜面を降っていく。
(治療してもらえばまだ戦える。早くみんなのところへ…)
山林の終わりが見えてきた。今日は鳥のさえずりも聴こえてくるかのような陽気な天気のようだ。木々の隙間からも透き通った青空が見てとれる。木々の向こう側には砦が見える。本当によく見えるよ、磔にされている軍曹の姿が。
砦は既に魔族の手に堕ちていた。見張り台の壁に磔にされている軍曹の姿からも明らかだった。
体には幾つもの大穴が空いていて、その大きな穴から内臓が飛び出そうとしているが、それを身体中に刺さった様々な武器が食い止めている。死んで尚、固く握り締められている左腕は根本から断ち切られていて、戦果を誇るかのように死体の横に剣で磔にされている。そして、軍曹の顔は東洋の般若のような形相であった。尋常じゃない苦しみ、尋常じゃない悔しさ、尋常じゃない怒り、それらが死んでしまった今でも伝わってくる。
俺は怒りで頭が真っ白になる。体中の痛みも気づいたらどっか行って、体の芯を巣食ってただるさも溢れ出る激情に押し流された。咄嗟に砦に突貫しようと足に力が入る。だが、ある事に気づき急停止する。
手がかりはずっとあったのだ。爆発で吹き飛んだぐらいの距離じゃ戦闘の音は消えたりなんかしないし、追い詰められていたとは言えまだ俺たちは半刻弱は持つように思えた。傷の状態から吹き飛んでからそこまで時間は経ってないのに。
一度湧いた疑念は消える事なく頭の中をぐるぐる回る。疑念は成長し疑問に、そして疑問は答えへと昇華する。
(俺のせいなのか…?)
憤怒がもたらした恩恵など既に無くなっていた。身体中から自分を責め立てるように刺す痛みがやけに癇に障る。だが、全身を誰かに掴まれているような重さに似ただるさが苛立ちを消化させない。そして事実を突き立てる。
(俺が最初に落ちた所為でそこから無理が生じて崩れた…?俺が集中を切らさなければ大丈夫だったのか…?俺があんな疑問を思い浮かべなかったら大丈夫だったのか…?)
(俺が…) (俺が…) (俺が…) (俺が…) (俺が…)
終わることのない事実の列挙が何度も俺を襲う。何度も。何度も。
俺は気づくと、痛みとだるさに足を取られながら無様に走り出していた。砦と反対___元来た道へと、何度も何度も転びそうになりながらも決して止まることなく、俺は砦が見えなくなるまで逃走した。
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だるさと痛みがある体で走っていると、すぐに疲れてきて足を止め、木陰に体を預ける。走っている内に少し気が晴れて、これからのことについて考えていた。
(これからどうするか…)
俺は途方に暮れて思わず天を仰いだ。
青々とした葉が視界に広がり、澄んだ空の先から優しい木漏れ日が降り注いでくる。
「クソがッ!!!」
もはや目に付くもの全てが苛立たしい。衝動に任せ右拳を地面に叩きつけた。
(はぁ…何やってんだか…)
苛立ちは少し収まったがその代わりに虚しさが心を支配する。そんな虚無感を誤魔化すために自分の思考をこれからの事を思考する事に修正する。
(どうするか…アイツら出来る限りぶっ殺すか。夜襲とかすりゃあ十数人は持ってける)
魔族の事を思い出して怒りが込み上がってくる。村をめちゃくちゃにしやがった事に加えて、死んだ軍曹への仕打ち、到底許せるわけがない。いつ自分が死ぬか分からない恐怖に怯えやがれ、そんな激流のような熱く昏い感情が溢れ出してくる。
(だが、俺がしくったからみんな死んだんだ…なら俺が責任を取るべきなんじゃないか?)
俺の隣に愛剣が置かれている。これで喉を掻っ切ったらすぐに死ねるだろう。俺が最初にしくったなら、俺が一番最初に死ぬべきだったよな、さっきとは違う、粘っこく冷えて昏い感情が心にへばりついてくる。
二つの昏い感情が何度も何度も去来する。いつしか心の中はその二つの感情でいっぱいになっていた。でも、何度混ざっても決して溶け合うことはなく確かに主張し続けている。
終わりのない繰り返しに心は疲弊しきっていた。そして、心にある問いが回帰する。
(俺は何で剣を取ってしまったんだ)
二つの感情が暴れまわりボロボロになった心が出した半ば八つ当たりのような問い。逃避するように、自問自答する。
(俺が魔族を嫌いだから…?復讐するためなのか…?)
ボロボロになった心は傷だらけの現実から逃れるため、自分の中に意識を集中させる。もっと中へ、自分の内部へ。
(それもある。だがそれが本質じゃなかったはずだ)
意識を更に自分の中へ集中させて、そして己の本質にたどり着いた。
そこは、相も変わらずボロボロの家。壁なんか今の俺なら手でバラバラに出来るほどうっすくて、隙間を埋めるための藁が至る所から生えている。慎重にやらないとすぐに外れる扉をゆっくりと開ける。
母さんがいつものクソ薄い粥を作っているのか、台所で作業をしている。父さんはまた先が取れたのか居間で藁紐を使って農用具の補強をしている。弟はその小さい手で藁を何とか捩って藁紐を作っている。
自分が扉を開けた事に気づいて、家族はこちらに視線を向け、笑顔で言う。
「「「おかえりなさい」」」
ああ、そうだった。俺は、俺は、
「ただいま」
この景色を失いたくなかった。それだけだったのだ。
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俺は再び砦の側の山林の終わりに身を潜めていた。
(俺が今やれること、それは『大進攻』を成功させること。俺はあの景色を奪われた、だがこれ以上奪わせない、奪わせてやるものか)
俺は自分の足に視線をやり靴を脱ぐ。中敷と本体の間に挟んである紙を取り出す。
掌大より少し小さい正方形の紙には、赤い染料で丸や直線を用いた複雑な図形が所狭しと敷き詰められている。この紙は見た目以上に頑丈で多少濡れたって問題なく使用できる。
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「なんたってこれは『魔符』だからな」
軍曹が指に『魔符』を挟み、俺の眼前に突き出してくる。
俺は鬱陶しいので早々に『魔符』を受け取り、会話を続ける。おっさんがピラピラさせんな。
「『魔符』って…確か高えやつだよな」
「いやまあそうだけどよ…重要なこと言ってねえだろ」
麦酒を豪快に飲み干し、口髭についた白い泡を腕で擦り取りながら言う。
「手に持って魔力を込めるだけで、術式が発動するお手軽な俺たち戦士の味方だろ」
「いや値段がお手軽じゃねえんだって」
軍曹が店員に麦酒のおかわりと適当なツマミを頼む
「ったく…で?こいつがどうしたんだ?」
俺は麦酒を傾けながら、軍曹に問う。
「んー…まあ、一種の保険だな」
「保険?」
「ああ、そうだ」
そう言って、軍曹は両肘を卓の上に乗せて口元で手を組み、さっきと一転した真剣な表情で語り出す。
「俺が死んだ時ある事が起こってなかったら、これを発動しろ」
「ある事?なんだそりゃ?」
「見たら分かる。逆に見ても分からないんだったら起こってねえ」
『魔符』に視線を向ける。複雑すぎて見ると頭が痛くなってくる。軍曹に視線を戻して確認する。
「んで?こいつの効果は?」
「言わん」
「はぁ?」
思ってもみなかった所で会話の梯子を外され、理解に苦しむ。
「いや、何でだよ。俺が使うんだぜ?俺が効果がわかってないと、どういう場面で発動すりゃいいかわかんねえだろ」
「できる限り砦の中央でただ発動しさえすればいい。だが、効果は言わん」
「いや怖えよ…なんでそんな頑ななんだよ…」
すると、軍曹は組んだ手を解き、両手を卓につけ頭を下げる。
「『大進攻』を成功させるためなんだ、頼む」
「おい、ほんとに何なんだよ!わかった!やるから頭あげろや!」
「恩に切るぜ」
そう言うと、軍曹はいつもの調子に戻り、届いた麦酒を勢いよく傾けながら、夜は明けていった。
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(信じるぜ、軍曹)
俺は持っていた痛み止めを噛み砕き、用意した紙は左手に仕込んだ。じきに体を刺すような火傷の痛みが引いていった。
全ての準備を終えて、突入に備えて腰を上げるが、膝の震えが止まらない。右腕で震えを抑えようとしても、震えが右腕に移り、そして体全体が震える。突入したら最後、一分も持たずに殺される。兵士になって死の覚悟はしていたが、確実な死を自分自身の意思で選ばなければいけない恐怖はその覚悟を容易に破壊する。恐怖が俺を襲い意志を挫こうと牙を向いた時、心に浮かぶ。
(もう、奪わせない)
震えは止まっていた。死の恐怖は確かにある。だが、心に灯った小さな、でも体の芯から力が出てくる熱を持った炎が俺の意志を挫かせない。
(…行こうか)
俺はそうして弾き出されたかのように砦へ走り出す。
目の前にある高い高い壁、普通に登ろうとするとなかなかに手こずるが…
「『突風』」
構築するには、人族で魔術師でもない俺は最低級の魔法でも十秒は有する。
(逆に十秒ありゃ打てんだよ!)
自身の少ない魔力の半分以上と、そして走り出す前から構築していた十秒を使用して、跳躍と共に魔法を発動する。すると、俺の体はひとっ飛びで壁の上に運ばれる。
砦を攻め落とし、気が抜けていたのだろう。見張り役の魔族は呆然と空を翔ぶ俺の姿を眺めていた。俺は翔んできた勢いそのままに魔族を一刀両断する。
(もう魔法は使えないが…俺にはこれがある。)
幾たびもの死線を文字通り斬り抜けてきた愛剣を強く握りしめる。
(さあ、やろうか)
そして、一分にも満たない戦いの火蓋は静かに切って落とされた。
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「そうだ、忘れてたぜ。そいつはちょいと特殊でな、起動させるのに必要な時間があるんだ」
軍曹は舌を麦酒で濡らしてから話す
「三十秒だ。死ぬ気で稼げよ」
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(『魔符』が発動するまであと三十秒)
出来るだけ魔法を撃たれないように、兵士が散在している広場へ突っ込む
「何だと!」「何ぃ!」「なぜ生き残りがいるのだ!?」
完全に油断していたのか、俺に気づいた後もノロノロと臨戦態勢に入ろうとしている。
(遅えよ)
瞬間、銀閃がまともに準備できてない魔族二人の足と剣を抜こうとしている魔族の腕を撫でる。
(『魔符』が発動するまであと二十五秒)
俺は魔族の手足が切り断たれるのを横目に、一番孤立しているやつを瞬時に把握して突っ込む。
「来やがれッ!!」
目の前の魔族は槍を構えて臨戦態勢に入っている。
(中々に混乱からの回復が早いな)
内心舌打ちを打ちながら、速度を上げながらそのまま突っ込む。すると、魔族の顔が緊張によって強張る。そして、槍の長い間合いのギリギリ外で左に行くと見せかけながら、足捌きで右へ切り返す。それによって、魔族の槍の突き出しが少し左へブレる。
(とはいえ、このままだと突き刺さるな)
そう判断した俺は用意した手札を切る。俺は左腕で槍の横っ面を叩いて軌道を反らせる。そうして、接近して魔族を逆袈裟気味に両断する。
左手を確認する。腕の根本から丈夫な縄が木の枝と共に固定具がわりに巻かれていて、先の方になるほどより太く巻かれている。実は縄の下には油紙も巻かれていて、多少の炎なら縄も相まって腕を振るうだけで何とかなるはずである。先ほどの打撃で多少縄が切れているが問題はない。
(『魔符』が発動するまであと二十秒)
次に近い標的を探すため周囲を確認すると、ベテランなのか既に四人で固まって俺に備えてた。もう奇襲の勢いに任せた攻撃は通らないだろう。そう考えていると、三人が手を突き出し球状の色とりどりの魔法を形成し始める。
「ぶちかませッ!!」
「「「おうッ!!!」」」
(クソが…一番やって欲しくないことやられたぜ)
あと二十秒間魔族共の魔法を集中砲火されながら避け続けるのは不可能だ。出来るだけ魔法を使わせないように近距離で立ち回ろうとしてたが、流石にそうは問屋が卸さないらしい。なら…
俺は近くの木の桶を四人に向かって思い切り蹴飛ばす。木の桶は粉砕されながら目潰しの如く飛んでいく。四人の魔族は目をつぶったり、腕で盾にすることで目潰しを防ぐ。
その一瞬の隙を突いて、俺はその四人の魔族に突っ込む…ことはなく、別の魔族が射線に入るように走り出す。
「チッ!」「クソがッ!!」「おい、そっち行くぞ!!」
俺は走りながら目についた魔族に斬りかかる。だが、それで斬られてくれるほど魔族も甘くない。魔族は剣で防いで反撃しようとしてくる。
「ハッ!!もらった!!」
俺は斬撃を放った後で追撃ができない。だがそれでいい。
俺は斬撃を防がれた反動を用いながら、次の魔族に向かって走り出す。反撃しようとしていた魔族は一瞬呆気に取られながら、次の瞬間には怒りの形相で追いかけてくる。だが、いくら身体能力が人間より優れているとはいえ、走り出しと速度が乗った俺とじゃ比較にもならずに千切れていく。
(『魔符』が発動するまであと十五秒ッ!)
次々と攻撃を与えてはすぐに離脱して、魔族の間を縫うように走り抜けていく。それを繰り返して行くうちに、俺は自然と口角が上がるのを感じる。
(これなら十五秒行けるッ!)
そして、再び次の魔族に向かって斬撃を放とうとする俺の耳に呟くように放った言葉が確かに聞こえた。
「『炎帝』」
俺は本能的に斬りかかるのを強引にやめて、掴みかかりながら魔族を上にして倒れ込む。もちろん相手は武器を持っているので、掴みかかった際に、脇腹を熱が掠めたがそんなことはどうでもいい。なぜなら…
次の瞬間、体が沸騰したかのような熱に襲われる。脇腹を掠めた熱とは比べ物にならない本物の熱。体中の神経が常に全力で悲鳴を上げていて、それによって時間の概念が消失する。
どれほど時間が経っただろうか。一分かそれとも一刻か数秒にも満たなかったと言われても納得できる。俺は俺の上に乗った焼死体を退けて立ち上がる。未だに体は沸騰するほど熱く、全身の感覚が麻痺しているが立ち上がらねば殺される。
「ほう、生きてたか」
熱で歪んだ目に、壁の上に立つ魔族が映る。その魔族はまだ熱によって所々溶解している広場へと平然と降り立った。
「咄嗟に肉盾を使って防いだか。いや…それもあるが、貴様事前に自身の体を水で濡らしていたか」
俺が仕掛けた小細工が看破されているようだ。
俺は突撃する前に、水の最下級魔法の『放水』を使って体を濡らしていた。まあそんな小細工と肉盾を使って、何とか九死に一生を得るほどの魔法だったのだが…
もう一度あの魔術、いやあれ以下の魔術を使われても詰みだ。そう判断した俺は熱で自由が効かなくなってきている体を強引に動かし、突撃する。
肩に剣を担ぎ、ぎこちないが全力で足を回して、今自分ができる最高の一撃を用意する。そして、俺の攻撃が当たる間合いの一歩手前で魔族が消えた。
「は?」
思わず、言葉が口から漏れてしまった。すると、突然体の制御が難しくなり堪らず地面を転がる。
(一体何が起きた?)
咄嗟に後方を確認すると、魔族の姿が見えた。その右手には上品な装飾がなされた銀色の剣が握られていて、納刀をしている最中である。そして、左手には焦げた縄でぐるぐる巻きの黒々とした俺の腕があった。
(俺の…腕…?)
瞬間、俺の左腕に尋常じゃない激痛が走る。痛み止めが効いてないんじゃないか、そう思うくらい左腕が熱くて熱くて堪らないので、反射的に剣を放し右手ではたこうするが、何度はたいても空ぶる。右手に温かい液体がかかるのを感じて漸く、自身が目にも止まらない速さで左腕を掻っ切られた事実を受け入れられる。
魔族から視線を外さないように、唇を思い切り噛んで何とか蹲らないようにする。だが、当の魔族は悠々と俺の左手を調べている。
ある筈のものがなく、ない筈のものがそこにある事実に気がおかしくなりそうだ。
「ふむ、こちらは偽装か」
魔族は俺の黒焦げた手に隠された紙を取り出し、油紙で作られた偽物であると看破して放る。
「貴様もさっきの人族の上官も何かを狙っていたからな。さっきはこれで上手く行ったが、貴様は人族の割には少しは頭が回るようだな」
魔族は尊大にそう告げると、左手に持った俺の腕を地面に放って足で踏み潰す。
「だが、我は見逃さなかったぞ。貴様の右手に張り付いていた紙片を」
そう戦果を取ったことを誇るように嬉しそうに話す。
(まだ取られてねえのにいい気になりやがって)
先ほど反射的に剣を手からこぼしてしまった時に見られたのだろうか。
(だがもうやるしかねえ)
俺は痛みを堪えながら剣を握り直す。顔上げて魔族の面を歪んだ目で睨みつけて、構えをとる。左足の爪先を相手に向けて、右足は少し開く。腰は少し落として、左腕は…ないか。剣身を肩に乗せて魔族が来るのを待つ。
火事場の馬鹿力というものなのだろうか、俺は時間が引き伸ばされて感じるほど集中できていた。必要なのは俺と奴だけ、段々と俺と奴以外のものが視界から消えていく、そして、あんなに痛かった傷も痛みを感じない。
魔族が目の前から消えた瞬間、俺は本能に任せて背後へと反応する。背後という想定外にも関わらず、俺の体は、足から腰、腰から胸、胸から腕へと捻りを伝え、万全の状態でも放てないと思うほどの斬撃を放っていた。
そして、魔族の左手によって、その斬撃は阻まれていた。
魔族の剣が、渾身の一発を放った後の無防備な右腕を断ち切った。
「中々の斬撃だったが、我を傷つけるには少し足りんわ」
俺の右腕が断ち切られたことによって、元々酷かった出血が加速する。体の芯は冷え切っており、既に痛みは感じない。そして、徐々に五感が薄れていくのを感じる。
「『魔符』を発動させるには、魔力を込めなければいかんが、魔法職でもない貴様には素肌以外からの魔力供給は無理だろう?」
魔族は愉悦に満ちた笑みを浮かべる。こちらの無能を心底嘲笑うのが声色からも伝わってくる。
「命を賭してボロボロになりながらも単身でよくここまで頑張ってきたのう。だが…貴様の頑張りは無駄だ」
魔族は近付いてきて、今にも倒れそうな俺の喉を掴み、目を覗き込みながら呟く。
「精々貴様の無力を恨みながら死ぬのだな」
ああ、本当に__
「バカだなぁ」
予想しなかった言葉が出て魔族は呆気に取られる。
「お前らのその抑えられない嗜虐心のお陰だよ、本当に」
俺は炎熱で掠れた声が思わず喜色に溢れる。
「俺の…勝ちだ」
俺は口角を上げながら、嘲るように舌を突き出す。
舌の上には口の中に隠されてふやけた『魔符』が発動していた。
「き、貴様ァ!!!」
魔族は慌てて喉から手を放し、腕で顔を守る。
(へっ、ざまあねえや)
いよいよ体が限界なのか、瞼が重たくなって、水の中に入ったかのように音が遠くなる。
(軍曹、俺やれたよ)
その確かな達成感を胸に、俺の意識は浮遊感を感じ暗闇の中に落ちていった。
***********************
「下等な人族がッ!脅かしよって」
魔族は『魔符』が発動したのにも関わらず、怪我の一つも負っていなかった。それどころか、周囲には何の変化も起こっていなかった。
(この我を揶揄いよって…)
魔族は怒りの衝動に任せて、殺した人族の兵士の頭を果物のように踏み砕き、虫のように入念に磨り潰す。
少し気が晴れて、周りを見る。周りは『炎帝』によって多くの兵士が焼死体となっている。巻き込まれて生きている者は、咄嗟に防御魔法を使ったごく少数である。
(ふん、雑魚が)
そう内心嘲りながら、少し空が暗くなり始めているのがわかった。そろそろ陽が沈むかと思い、多くの死体が散らばっている広場を早々に片付けるために近くの部下を探す。
「おい!誰かここの片付けをしておけ、いいな!」
近くの部下に近づきながらそう命令すると、突然
「ひいぃ!!!」
その部下は腰を抜かして見上げてくる。その過剰な怯え方に苛ついたため、胸ぐらを掴み持ち上げながら、再度命令する。
「やれと言ったらやれ!!」
だが、部下は上を見上げたまま、心ここに在らずだ。
すると、ふと疑問が湧く。
(陽が沈むにしては早すぎないか?まだ一刻は猶予があるはずだ)
魔族は部下のように上を見上げた。
巨大な歪な岩石が空から落ちてきていた。この砦の大きさをゆうに超えるだろうか。そんな物体が上空から落ちてきている。
「なっ、何だと!!!」
思わず手が緩み、部下が崩れ落ちる。
「いや、まだだ!我はこんな場所で死ぬ男じゃない!」
魔族は目を血走らせながら、咄嗟に自身が持つ最強に縋る。
「『炎帝』ッ!!『炎帝』ァァァ!!!!」
『炎帝』__個人が扱える最大の魔法である戦術級魔術の一つである。過去、賢者が放ったその業火はあらゆるモノを容易く燃やし尽くすと残されている。そして、その戦術級魔術を連続で二発も放つ離業を急速な魔力欠乏によって顔色を青白くさせながらも魔族は実行した。
そして、二つの『炎帝』は見事に中心に命中して轟音と共に黒煙を上げる。思わず、勝利を確信して笑みが溢れる。
次の瞬間、その黒煙を巨岩が突き破り落ちてくる。
巨岩は『炎帝』によって、表面は赤く煮えたぎっていて、中心は確かに抉れているのが見て取れる。だが、それだけである。巨岩を溶かし切る熱はなく、吹き飛ばす爆発力もない。
魔族は膝から崩れ落ちた。憔悴しきった顔で、ボソボソと「嘘だ、そんなはずは」と呟き、目の前に広がる残酷な現実から逃避する。
「僕のせいじゃない」
何度も何度もいない誰かに、はたまた自分に言い聞かせるように言葉が溢れていく。
「僕のせいじゃ__」
そうして、巨岩が落ちる轟音によって、その後の言葉はかき消された。
***********************
「そうか、魔族の追撃隊は『天地創造』の『魔符』によって足止めを余儀なくされたか。向こうはよくやってくれたようだ」
偵察の報告書を馬上で読み終えた勇者は報告書を部下に手渡す。腰に携えた聖剣を手に握り、微かに震えた体を落ち着かせる。ほんの少しの恐怖と期待が入り混じった、勇者にとって初めての不思議な感覚。
顔を上げると魔王がいる魔都が遠くに見えてきた。この『大進攻』の最終地点で、そこでの戦いによって人間の存亡が決まる。
勇者は部下の方へと振り返り、優男の風貌の彼には珍しく、目尻をキリッと上げて闘気溢れた顔つきで、呟くようにでも確かに皆の耳に届いた。
「みんな、行こうか」
そして、強襲隊は魔都へと馬を走らせた。
ある魔術書の記述
『天地創造』
この魔法は『大進攻』に際して、人族の魔法院所属の者が偶然発見した過去の文献から、参照して作られた魔法である。
その術式は非常に単純で、発動すると発動した者の上空に土の塊を形成するだけである。だが、この魔法に使われている独自の魔術理論の特異な点は非常に大規模な効果を生むことである。従来の魔法とは必要な魔力の割に、数倍から十数倍の威力を持つため、発見した当初、今までの魔術理論の革新的な発展が見込まれると思われたが、後述する欠点により白紙となった。この魔法の具体的な効果としては計算上、人間が発動すると上空数キロの高さに直径十数から数十メートルの巨岩を形成すると思われる。
この魔法の欠点は発動した者の命を代償にすることである。意図的に『魔符』の一部を欠損させることで発動はするが、効果を発現させないように調整したものを、使役獣に発動させた所、低位、高位の使役獣いずれにしても死に至っている。過去の文献から発見された魔術理論を組み込んで製作された魔法のどれもが、使用すると死に至ることも確認されている。
この魔法の目的としては、かつて人間領と魔族領を隔てていた砦を封鎖するためである。国の学者の計算によると、どの経路で『大進攻』を行っても、強襲隊が魔都を攻撃する前に、魔族の追撃隊に追いつかれる結論に至ったため、確実に魔族が通るであろう砦で時間稼ぎすることが必至となった。
そこで『大進攻』に参加する兵士は作戦内容からほぼ確実に死亡するため、今回この魔術理論が用いられた魔法を使用しても問題がないと判断された。また、超高高度からの大質量物質の投下を防ぐまたは逸らす魔法は個人規模では存在しないため、基本的にこの魔術が使用された場合、ほぼ確実に砦の封鎖が可能となる計算に至った。