婚約式
ラッツェン国は女神の娘たちの願いから、子孫を王族に嫁がせる風習が残っていました。
わたくしは王妃として、三人の王子を誕生させました。三人の王子を誕生させるまでに、王女も二人と、なかなかの苦行を強いられました。
それに対して、財貨の加護持ちの公爵、戦の加護持ちの侯爵、豊かさの加護持ちの男爵は、それぞれ、娘を一人ずつです。とても簡単そうに思われましたが、豊かさの加護持ちの男爵家では、ここ数百年、娘が生まれなかったといいます。
それも、とうとう、豊かさの加護持ちの男爵家で、娘が一人、誕生しました。このことで、国中が賑わいました。
「とうとう、女神の娘たちの子孫が、王族と結婚だよ」
「男爵家が、男腹の嫁ばかり貰うから、こんなに間が空いたよ」
「公爵、侯爵のように、女腹の嫁をとればいいのにな」
「しかも、平民の嫁だって」
「女神の怒りを買って滅んだマサラ国の子孫だと聞いたぞ」
「………ちょっと、不吉だな」
「そうだな」
ですが、男爵家のこととなると、どうしても、扱いが悪くなります。
最初に生まれたのは戦の加護持ちの侯爵の娘アスラです。生まれた順で決まるので、王太子アーサーと婚約することとなりました。アーサーは勉強嫌いのやんちゃな男の子です。出来れば、頭のアスラは賢い子であればいいのですが、戦の加護持ちの侯爵は、お世辞にも、賢くありません。期待してはいけません。
次に生まれたのは、財貨の加護持ちの公爵の娘サイファです。二番目ですので、第二王子アイゼンと婚約することとなりました。アイゼンは、中途半端な子です。何をやるにしても、中途半端です。物凄く出来るわけでも、出来ないわけでもありません。サイファは財貨の加護持ちの公爵の娘なので、きっと、物凄く賢くなるでしょう。将来は、夫婦で国王となったアーサーの補助をしてもらいたいですが、公爵はそれを許さないでしょうね。財貨の加護持ちの公爵の跡継ぎは、娘が優先される伝統ですから。
そして、最後に生まれたのは、豊かさの加護持ちの男爵の娘ユメールです。最後ですから、第三王子アレンと婚約することとなりました。アレンは、侯爵の娘アスラ、公爵の娘サイファ、そして男爵の娘ユメールと同い年です。アレンはまだまだ赤ん坊ですので、何が出来るかわかりません。ただ、とても綺麗な子です。将来は、その美貌で、女の子に騒がれるかもしれませんね。
侯爵の娘アスラ、公爵の娘サイファはわざわざ城まで連れて来てくれるので、成長を見ることは出来ましたが、男爵の娘ユメールは、婚約式まで、男爵領から一歩も外に出ませんでした。
「まだ、男爵から花の贈り物は続いていますか?」
財貨の加護持ちの公爵が、世間話で話しかけてきました。男爵から花の贈り物が続いている事を知っているのは、国王と、わたくし、公爵だけです。
「一日も欠かさず、続いています。無理して続けなくていいですのに」
「だったら、手紙でも書いてやるなり、使者を出すなりしなさい」
「何故、わたくしからしなければならないのですか。わたくしは王妃ですよ。男爵が来た時に言ってやります」
「そうですね。今日こそは来るでしょうね。大事な娘の婚約式だ」
「どんな娘ですか?」
「………」
笑顔で無言になる。これはまた、大変な娘が第三王子アレンの婚約者となったというわけですね。
アレンはというと、 侯爵の娘アスラ、公爵の娘サイファ、あとはアレンに近い年齢の子どもたちと仲良く談笑していました。だけど、少し、不安そうです。豊かさの加護持ちの男爵は、あまりいい噂がありませんから。
「どうして、豊かさの加護持ちの男爵は、悪く言われるのかしら」
悪評を囁かれるほど、社交をしているわけではありません。なのに、悪評だけ一人歩きしています。
「昔の悪い風習が、そのまま、悪く続いているだけだ」
「風習?」
「昔は、ともかく男爵家が他国に狙われていた。誘拐もされたし、売り払われたことだってあった。それを防ぐために、男爵家を貶める噂を国内で流したんだ。悪い噂がある男爵家は、誘拐しても負債になる、と他国に思わせるためだ。だが、国内でそれをやり過ぎた。男爵家への妬みもあるんだろう。爵位が低いのに、よくわからない豊かさなんて加護のお陰で特別に扱われている、と。だから、爵位をせめて伯爵まで上げろと言ったんだ。なのに、真面目だから、伯爵になったら、社交をしなければならない、なんて言って。社交なんて、やらなければいいんだ」
「相変わらず、仲良しなのですね」
「………」
そう言われるのが恥ずかしいのでしょう。財貨の加護持ちの公爵は怖い顔をして黙り込みました。
こうして、だいたいの主役は揃ったというのに、肝心の豊かさの加護持ちの男爵の娘ユメールがまだ来ていません。
いつまで経っても婚約式が始められないというのに、外の庭園が騒がしくなってきました。危険でもあるのか、騎士たちがわたくしや子どもたちの周囲を囲みます。
馬が走る音がどんどんと近づいて、そのまま、会場に入ってきました。
「間に合った!!」
とんでもない大きな馬に乗った子どもが、会場に乗り込んできました。
「ユメール!!」
会場にいる客人が叫びました。
「え、あれが、僕の、こ、こ、こん、やく、しゃ?」
第三王子アレンは真っ青になって、今にも倒れそうです。わたくしも倒れたい。だけど、今、倒れたら、色々と負けます。
男爵の娘ユメールのことを知る客人は、慌てて駆け寄った。
「何故、馬で来たんだ!! 馬車はどうした!?」
「三日もかかるというから、断りました。わたくしの馬ならば、一日で到着します」
「危ないじゃないか!?」
「心配いりません。これでも、領地の端から端まで走っていますから。あ、触らないで。代々、豊かさの加護持ちでないと触ることすら出来ない馬です」
しかし、騎士たちはユメールから馬の手綱を奪いました。途端、馬は騎士たちを蹴とばしてしまいました。
「だから言ったのに」
「ほら、庭に繋いでおきなさい。それより、その恰好はなんだ!?」
「祖母のお古です。まだ着れます」
これを聞いて、確信しました。間違いなく、ユメールはあの男爵の娘です。笑顔で悪びれることなく、次代遅れな上、長旅ですっかり薄汚れた服で平然としている姿は、男爵と重なります。いえ、男爵はまだ、小奇麗にしていましたね。
「娘のお古はどうした!?」
「アイナが返して、というので、返しました」
それを聞いた客人は、近くにいる娘に掴みかかった。
「もう着れない服を返せだと!? なんて恥知らずが」
「あの服は気に入っているのです!! だいたい、ユメールには似合いません」
娘はむしろ、反抗しています。それを聞いて、客人は諦めたように溜息をついた。
客人は仕方なく、馬をどこかに繋いで戻ってきたユメールの手を握って、わたくしたちの元にやってきました。
「私が兄である男爵の代理として、婚約式の立ち合いに参上いたしました」
「あいつ、大事な娘の婚約式に来ないのか!?」
「兄はそういう人なんです!!」
公爵は頭を抱え、男爵の弟はやけくそになって叫んだ。
とんでもない事となりました。第三王子アレンは、ユメールの姿に、すっかり怯えています。登場からして、すでに、子どもではありません。わたくしから離れないのですよ。
だけど、 侯爵の娘アスラ、公爵の娘サイファはユメールに普通に接しています。
「いいな、汚れても叱られないって。アタシもそうしたい」
「汚れたくて汚れたわけではありません。途中、砂埃がすごかったのですよ。大変でした」
アスラは戦の加護だからでしょう、ユメールのことを羨ましがった。
「もっと身だしなみにお金をかけなさい!! 女神の娘の子孫が悪く見られるでしょう!!!」
「今年は、ちょっと不作だから仕方ない」
「そう言って、ただ単に、綺麗な服を着たくないだけでしょう!!」
「えへへへへ」
もっともらしいことを言って、実は、堅苦しい服を着たくないだけのユメールの本心をサイファはしっかり読み取っていました。
「呆れた、あれで、女神の娘の子孫だなんて」
「アレン様、可哀想」
「俺でも、あれは無理だ」
子どもたちまで、ユメールのことを悪く言います。それを聞いて、さらにアレンはわたくしと国王を縋るように見上げてきました。どうにか、この婚約をなくしてほしいのでしょう。
わたくしはアレンを王太子に押し付け、ユメールの元に行きました。
わたくしが行くと、サイファが真っ先にお辞儀をします。それを見て、ユメールは綺麗なお辞儀をしました。そして、かなり遅れてアスラがお辞儀します。
それだけでわかります。ユメールはかなり優秀です。周囲を見て、わたくしがそれなりに地位のある者だと気づきました。
「初めましてユメール。わたくしは、王妃です」
「初めまして、ユメールと申します、王妃様」
しっかりとしています。見た目だけが残念です。
わたくしは使用人たちを呼び寄せます。
「この子を洗ってちょうだい。既製品でいいから、服を持ってきてもらって。すぐよ」
わたくしが命じれば、ユメールは真っ青になります。
「い、いえ、そんなこと」
「あなた、臭うわ」
「っ!?」
「わたくしの息子と婚約するのです。これでは困ります。行きますよ」
問答無用で、騎士まで使って、ユメールを連れて行きます。
ユメールは諦めも良い子でした。抵抗もせず、服を着たまま湯舟に放り込まれても、大人しくしています。
「王妃様、お湯が真っ黒に!!」
「念入りに洗いなさい。香油も使って」
肌の色は日焼けではなく、汚れでした。とんでもなく真っ黒になるお湯に、わたくしも背筋に寒気を感じました。
もう、祖母のお古だという服は端切れですよ。ですが、ユメールには大事なのでしょう。脱がされる時、抵抗せず、だけど、破れないように、体を動かしていました。
「その服は、こちらで洗って返しますから、安心してください」
「ありがとうございます、王妃様」
丁寧に頭を下げるユメール。素っ裸ですけどね。さらに、容赦なくお湯を頭からかけられて、大変でしょうに、ユメールは大人しく従っています。
そうして、全身を綺麗にして、髪を整えている間に、ユメールの体にあう既製品のドレスが持ち込まれました。
「ありがとうございます、公爵」
「サイファのお古だ。どれかは着れるだろう」
わざわざ、屋敷から公爵が持ってきてくれました。さすが、公爵の持ち物です。どれも素晴らしいドレスです。
「これが、一番、よく似ていますね」
ユメールが着てきた祖母のお古のドレスに色合いが似ているものを着させました。
「これはまた、別人ですね」
「母親似かしら」
「父親似だ」
「っ!?」
公爵の発言に、その場にいる全員が驚きました。
「あの、もっさりした男に、似てる?」
「男爵は、髭をそって、髪も整え、しっかりとすれば、かなりの美形だぞ。よく、見知らぬ女に一目惚れされ、迫られていたな」
「そうなの!?」
信じられない。だけど、公爵がいうのだから、そうなのでしょう。
ユメールは、すっかり綺麗な令嬢になりました。化けたなんてものではありません。もう、別人です。
ユメールは身のこなしはしっかりと躾られています。だから、黙って歩いていれば、どこに出しても恥ずかしくない令嬢です。
実際、会場に戻れば、見違えたユメールに、言葉を失う子どもも大人もたくさんです。先ほどまで、アレンが可哀想、と言っていた子どもたちは、恥ずかしそうに俯いています。
当のユメールはというと、綺麗な動作で、 侯爵の娘アスラ、公爵の娘サイファの元に行きます。
「よし、仲間になった」
「サイファ、ごめんね。破ったら、弁償、出来ない」
「そんなケチ臭いこと言わないわよ、どこかの子爵じゃないのだから」
アスラとサイファは、ユメールから服を取り戻してしまった女の子アイナを見た。アイナはいつの間にか、第三王子アレンと親しくなったようです。アイナはアレンと手を繋いでいました。
アレンは、慌ててアイナから手を離しますが、もう遅いです。わたくしは王太子アーサーを睨みます。アーサーは、アレンを放り出して、同い年の貴族の子息と話し込んでいました。わたくしに睨まれ、慌てて戻ってきて、アレンを引っ張ってきました。
「ちょ、ちょっと、知り合いに会って、つい」
「お前も婚約式を迎える主役ですよ」
「………はい」
しかし、幸先が悪すぎます。アレンはユメールの第一印象を引きずってしまっています。だから、アイナのほうを見てばかりです。アイナも、ユメールを睨んでいます。
「あの娘は、一体、何者ですか?」
男爵の立会人として来た男に聞きます。
「私の娘です。ユメールの従姉妹になります。一応、女神の娘の子孫といえば、子孫です」
「なるほど」
アイナは、自らも王族の婚約者になる資格があるものと思っているのでしょう。しかも、爵位が上の子爵です。日頃から、アイナはユメールのことを下と見ているのでしょうね。
アイナの父親は申し訳ない、と頭を下げる。
「子爵家であるために、気位だけ高くなってしまって」
「たかが子爵家のくせに、何を生意気なことを。上を見れば、伯爵、侯爵、公爵といるというのに。アレンの婚約者はユメールですから」
「かしこまりました」
子爵はわかっています。だけど、子爵の娘アイナはこれっぽっちもわかっていません。アレンと笑顔で見つめあっています。だから、アレンの耳を引っ張ってやります。
「お前の婚約者はユメールです。浮気なんて、恥ずかしいことをしないように」
「けど、アイナだって」
「もっと厳しい教師をつけましょう」
「っ!?」
アイナは、早速、アレンに女神の娘の子孫であることを告げたのですね。その事実に気づいて、子爵は項垂れます。子爵家では、この男は、立場が低いのでしょうね。男爵からの入り婿なのですから。
アレンはこれ以上、口答えもしませんでした。対するユメールは、登場はとんでもなかったのですが、きちんと身なりを整えれば、どこに出しても恥ずかしくない令嬢でした。
こうして、どうにか婚約式を終えました。
婚約式が終わると、ユメールは汚れても良い服に着替えてしまいました。そういう服を馬に乗せていたのです。
「サイファ、ありがとう!!」
服は変わっても、整えた髪と、綺麗になった肌は、綺麗さを残しています。
「もう、いいのに。どっかの子爵の娘とは違うんだから!!」
大声でサイファは叫んで言います。
会場には、多くの子どもたちがいます。ユメールと子爵、子爵の娘アイナのやり取りは見られていました。だから、アイナに皆、冷たい視線を向けます。父親である子爵は、娘を守りません。明らかに、自業自得だからです。
「な、な、何よ!! わたくしだって、女神の娘の子孫なのよ!?」
とうとう、大声で言ってしまいました。子爵が口を塞ごうとしましたが、遅かったです。
アイナはユメールの元に来ると、ユメールを押しました。
「男爵のあなたが王子様と結婚なんて、王子様が可哀想よ!!」
「アイナは、男爵を継ぎたいの?」
「誰も男爵なんていらないわよ!! いつまでも、加護が男爵にいるなんて思わないでよ。わたくしに加護が移ったかもしれないんだから」
「………」
ユメールは無言でアイナを見ています。反論も何もしません。ただ、じっと見ているだけです。
対するアイナは自信満々に胸を張っています。アイナを支持したいアレンは笑顔になります。
「誰だ、私が決めた事に口答えする者は」
とうとう、国王が出てきました。皆、慌てて膝をついて深く頭を下げます。
ユメールは本当に出来た娘です。周囲を見て、すぐに膝をつきました。それを見て、国王は笑顔です。
ですが、アイナはふんぞり返っています。女神の娘の子孫ということで、立っていることが許されると思っているのです。
侯爵の娘アスラ、公爵の娘サイファも膝をついて頭を下げているというのに。
そして、子爵は何を思ったのか、娘を見捨てました。アイナを注意もせず、子爵だけ、礼儀を守ります。
そして、アイナはまるで気づかず、一人の愚者として立っています。そこに、国王は容赦なく平手を食らわしました。倒れるアイナの元に駆け寄ろうとする第三王子アレンを兄二人が止めました。
「ち、父上、何を!?」
「女神の娘の子孫だからといって、私よりも上だと思っているのか?」
アイナは、慌ててひれ伏しました。間違っていたことに、痛い目にあって、やっと気づいたのです。
国王は容赦なく、アレンの首根っこをつかみ、ユメールの隣りに連れて行きます。
「数百年ぶりに、女神の三姉妹の子孫が揃ったというのに、台無しにしてくれたな」
「申し訳ございません」
ところが、悪くもないユメールが謝罪しました。
「家畜の出産が重なってしまい、人手が足りませんでした。そのため、わたくしも手伝うこととなりました。馬車での移動では間に合わないため、馬で会場に来てしまう無礼をいたしました。申し訳ございませんでした」
「………よく似た親子だ。許そう」
国王は穏やかに笑って、ユメールの謝罪で、全て許した。