女神の末娘の子孫
この国に来たのは、人質になるためだった。どうせ、いらない王族だ。国にいたって、王位継承で命の取りあいに巻き込まれるだけだ。そう、納得して、ツェッペリン国に留学したのだ。
ちょうどいい頃合いだった。なんと、女神の娘たちの子孫が貴族の学校に集結するという。皆、運命の巡り合わせのように同じ学年だ。俺も同じだから、楽しみにしていた。
一応、試験も受けたのだが、首席はとれなかった。自信があったんだがな。
首席をとったのは、豊かさに加護を持つ男爵令嬢ユメールだった。ぱっと見、平凡な感じがする。
「あれは、磨けば光るな」
「女神の娘の子孫には、手を出さないでくださいよ」
ただ一人の側近カササギに注意された。
「だけど、女神の末娘の子孫だぞ。お近づきになりたいじゃないか」
「そうだけど、政治の上で、問題になりますから」
「せっかく、女神の三姉妹の子孫がいる国に来たってのに、詰まらん」
「好きですね、本当に」
「俺の命を救ってくれたからな」
そこら辺の信心とは違う。俺は、幼い頃、女神の末娘の子孫に救われたのだ。それから、俺は女神の娘たちの信仰を心に刻んだ。
やっと見ることが出来た女神の末娘の子孫ユメールは、とても憂鬱な顔をしていた。何か、辛いことでもあるのだろうか? ユメールの視線の先には、第三王子アレンがいた。女神の末娘の子孫であるユメールは、通例通り、第三王子アレンと婚約関係にあった。噂では、ユメールはアレンに夢中だという。
しかし、ユメールは何か心配事でもあるようだった。
「女神の末娘の子孫の憂いを取り除いてやりたいな」
それは、信仰から、そうしてやりたかった。
女神の娘たちの子孫には、すぐ、お近づきとなれた。俺は人質といえども、王族だ。そのため、生徒会の役員となったのだ。よくある話だ。
そして、この役員、ツェッペリン国の王族も入った。さらに、女神の娘たちの子孫である、戦の加護持ちの侯爵令嬢アスラ、財貨の加護持ちの公爵令嬢サイファ、そして、豊かさの加護持ちの男爵令嬢ユメールも役員となった。
「初めまして、第三王子アレンです」
「サイザン国の王族セザンだ。王族だが、大した権力がない。人質だから、殺されないように、ここで大人しくさせてもらう」
そう自己紹介をすれば、だいたいの人柄はわかる。
戦の加護持ちの侯爵令嬢アスラは、婚約者が王太子アーサーであるため、次の王妃だ。俺の自己紹介を聞いても、何も感じていなかった。ただ、普通に、友好的に頭を下げた。
財貨の加護持ちの公爵令嬢サイファは、使えない男判断したようだ。蔑むように俺を見て、軽く頭を下げる程度である。
そして豊かさの加護持ちの男爵令嬢ユメールは、少し疲れた顔をしていた。だけど、俺に対して、きちんと頭を下げ、友好的な態度だった。
だが、女神の娘たちの子孫とお近づきにはなれたが、俺は用なしとばかりに、生徒会の仕事は割り振られなかった。
最初は、俺が人質だから、と思われたのだ。
本当にたまたま、生徒会の部屋に行っただけだ。いつも疲れた顔をしていた男爵令嬢ユメールが、生徒会の面倒臭そうな書類仕事をしていた。
適当に話していて、気づいた。生徒会の面倒な仕事を皆、ユメールに押し付けていたのだ。当のユメールは全く、気づいていなかった。ただ、俺の仕事まで押し付けられているという事実を知らされ、俺は恥ずかしくなった。知らなかったとはいえ、俺も同罪だな。
そして、ちょっと心が弱っているユメールに、俺はついつい、ちょっかいを出して、ユメールの立場を悪くしてしまった。
その事に反省し、ユメールに謝罪したのだが、当のユメールは清々しいとばかりに笑っていた。
疲れた顔を毎日していたのに、第三王子の婚約者から外れ、生徒会役員からも外れ、さらには、王妃教育からも外れたお陰で、ユメールはすっかり元気になった。
「確かに、磨けば光る令嬢ですね」
俺の側近カササギが認めるほど、ユメールの顔色はよくなり、やせ細っていた感じなくなった。髪艶も、肌色も良くなったのだ。
だが、立場は悪くなった。ユメールがやったという侍女頭への暴力の賠償は、男爵家が持つこととなったのだ。その額の多さに、俺は訝しんだ。
そして、調べてみれば、怪我をしたという侍女頭、元気だった。泣いて、もう仕事も出来ない、と訴えておいて、元気に、ユメールの生家が借金までして支払った賠償金で楽しく生きていた。
「よりによって、女神の末娘の子孫に、なんてことを!?」
俺に付き合って、信心深くなった側近カササギまで怒るほどであった。
「確かに、嘘はよくないな」
「かしこまりました」
カササギはよくわかっている。
その後、ユメールに傷つけられた、という侍女頭は、半身不随となり、家族からは大した面倒も見てもらえず、毎月支払われる賠償金を取られ、放置された。
婚約者交代となり、子爵令嬢アイナが、男爵令嬢ユメールの代わりに、生徒会の面倒な仕事を押し付けられることとなった。
「これくらい、出来て当然ですよね」
「そ、そんな、こんなこと、出来ません!! だいたい、わたくし、王妃教育を始めたばかりですよ!!!」
「この程度も出来ないなんて、使えない人ね。ユメールのほうが、まだまだ使えましたわ」
財貨の加護持ちの公爵令嬢サイファが上から言い放った。
爵位的にはサイファが最上である。アイナはつい最近まで、ただの子爵令嬢だ。口答えなんて出来ないはずだった。
しかし、アイナは晴れて婚約者となった第三王子アレンに泣きついた。
「サイファ様ったら、酷いわ!! アレン様からも言ってやってください!!!」
立場的には、第三王子アレンが最上位である。アレンを味方につけたアイナは勝利を確信した。
「い、いや、こういうことは、これまで、ユメールがやっていたことだから」
しかし、第三王子アレンは、とんでもないポンコツなんだ。血筋だけの、本当に役立たずな王族であった。
まさか、ユメールから奪った第三王子アレンに裏切られるなんて、アイナも思ってもいなかっただろう。
「アレン様、こんな難しいこと、出来ません!!」
「サイファ、アイナはこんな難しいことをしたことがないんだ。我々で分担しよう」
「お金にもならないことをどうしてわたくしが」
サイファはアイナとアレンを蔑むように見て、仕事の分担を始めた。サイファ、出来ないわけではないのだ。ただ、金にならない事なので、やりたくないのだ。
「う、これをアタシが」
そして、出来ない侯爵令嬢アスラは、半泣きである。皆、平等に振られているというのに。
「な、なあ、ユメールに手伝ってもらおうぜ」
アスラは、ユメールに反意があるわけではない。この結果に、最後まで納得いかなかったのだ。アスラとしては、ユメールが第三王子の婚約者であってほしい、と最後まで訴えていた。
「ひ、酷い!! ユメールに手伝わせたら、わたくしとアレン様の婚約が、白紙にされてしまいます。せっかく、アレン様と堂々と愛を語り合えるというのに」
アイナが涙を零して、アスラを責めた。
だけど、アスラは容赦ない。
「お前さ、ユメールの従姉妹だってのに、従姉妹の婚約者に手を出したってこと、わかってるのか? ユメールの浮気は不確かだが、第三王子の浮気は確定なんだぞ。綺麗に片付いたように見えるが、実際、浮気をしていたのは、アレンとアイナだ」
アスラは、ユメールに対して好意的だから、アイナのことは、どうしても悪く見てしまう。実際、浮気をしてたんだけどな。俺は知っていた。
「結婚前だからいいではないですか」
サイファが面倒臭い話だから、それとも、金にもならない事だからか、さっさとアイナの悪行を無視した。
「まさか、ここまで使えないとは、思ってもいなかったけど。ユメールって、本当に便利だったわ。そうだ、いい事を思いついたわ」
ニヤリと笑う公爵令嬢サイファ。見た目は綺麗だが、性格が物凄く悪いから、歪んで見えるんだよな。
一体、どんなことを企んでいるのか、なんとなく想像がついた。これで、女神の娘の子孫だというのだから、信仰心も揺らぐというものだ。
実際、そうなのだろう。ツェッペリン国に来て、まず、驚いたのは、女神の娘たちの信仰の薄さだ。俺が生まれ育ったサイザン国でさえ、女神の娘たちの信仰は篤い。サイザンは分をわきまえている。女神の娘の加護を受けているツェッペリン国に戦争を吹っ掛けるような真似はしなかった。
さらに、大国全土で飢饉が起こった時、豊かさの加護持ちである男爵は、無償で食料を配給したのだ。お陰で、女神の末娘への信仰はツェッペリン国以外では篤くなった。
そして、財貨の加護持ちである公爵は蔑まされた。飢饉時に、食料の値段を釣り上げたのだ。この事に、女神の次女はすっかり、人気をなくした。
俺も、サイファを見て、一気に女神の次女にまで、蔑むこととなった。
とりあえず、目の前の問題解決である。俺に割り振られた生徒会の仕事を見た。さすがに、人質の俺には、仕事は回せないとサイファも判断したのだ。
それに対して、一番爵位の低いアイナは、とんでもない量である。
「こ、こんなに、こんなに出来ません!!」
「知っていますか? あなたの愛する第三王子、婿養子に出すことが決定していたから、教育なんて、これっぽっちもさていないのよ。だから、役立たずなの」
「そ、そんなっ」
アイナは縋るようにアレンを見る。しかし、アレンは目を反らすだけだ。そんなアレンが持つ仕事は、俺よりも少ない。
呆れた。アレンは、こんなちょっとした生徒会の仕事でも、真っ青になって、震えている。
「ちょ、ちょっと、出て、くる」
「アレン、待ってください!!」
出ていくアレンを追いかけるアイナ。それを呆れて見送るアスラとサイファ。
「だから、反対したってのにな」
「もっと使えると思っていたのですが、損をしましたよ。せっかく、これまでの王族の仕事、ユメールに押し付けてきたってのに」
「え? サイファがやってたんじゃないのか? だって、そう聞いて」
「誰が、あんなお金にならない仕事。あの程度のこと、ユメールにやらせておけばいいのよ」
「そう言って、手柄はサイファが奪っていたわけか」
「わたくしがやっても同じものになったのよ。同じよ」
俺が目の前にいるというのに、サイファは平然と言い放つ。アスラが責めていても、気にしない。
「そういうアスラだって、ユメールに手伝ってもらっていたでしょ。それを自分でやったみたいな顔をして」
「っ!?」
「同じよ、同じ」
アスラも使えないのか。
そして、何も出来ないと言われたアスラは真っ青になる。たかが生徒会の仕事、アスラも出来ないようだ。
俺はというと、そこまで大変とは思えない仕事である。これまで、こんなのをユメール一人でやっていたから、大変なのだ。手分けすれば、大した仕事ではないのだ。
俺は醜い言い争いなんて放置して、さっさと部屋を出ていく。それよりも、ユメールが心配だ。
「ユメール様は、外に出ていますよ」
「そこまで気になっているのか、お前」
とうとう、側近カササギが勝手に動き出した。ほら、俺の側近となって、信仰が篤くなっちゃったから。
「この国は、少々、抜けていますね。影が簡単に動いていますよ」
「元は貧乏な国だからな。加護に頼り過ぎて、そういう物が発展しなかったんだよ」
大国サイザンは、長い歴史の間、王位争いが普通だった。他国からの侵略だって普通にあったのだ。そのため、暗部にも力を入れていた。
しかし、女神の娘たちの加護によって発展したツェッペリン国は、そんなものが発達する必要はないのだ。平和に発展し、加護によって戦争に勝ち、飢饉もはるか昔の出来事で、むしろ分け与えるのが普通なのだ。
カササギが動かした暗部の案内で行ってみれば、ユメールはいた。
「少し、わからないから、教えてほしいんだ」
「わたくし、首席なんか狙っていなかったから、そこまで勉強していないのよ。それに、王妃教育も始まったばかりで、忙しくて」
暇で散歩していたユメールを捕まえた第三王子アレンと、新しく婚約者となった子爵令嬢アイナは、持っていた生徒会の仕事を押し付けようとしていた。
ユメールは、押し付けられた王族の仕事からも、王妃教育からも、生徒会の仕事からも解き放たれて、すっかり顔色もよくなっていた。冴えない、と周囲は言っていたが、俺はそう見えなかった。髪艶もよくなり、顔色もよくなり、穏やかに笑っていれば、可愛らしい。
ただ、笑顔を浮かべているだけのユメールだ。それを見てアイナは手をあげた。
「わたくしが出来ないからって、バカにしてるの!?」
「それが、人に物を頼む態度ですか。頼み方もなっていないです。だいたい、もう、わたくしはただの男爵令嬢です。こういうものは、部外者にやらせてはいけないのですよ」
押し付けられた書類をユメールは笑顔で押し返した。
「だいたい、この程度、サイファであれば簡単でしょ。アスラには少し、難しいですけど、あの子は、一度教えてやれば、二度と同じ間違いをしませんからね。教えてもらってください。そうだ、王妃教育の教師に聞いてもいいですよ。よく、わたくしには、この程度当然、と言い放っていましたから。出来るでしょう」
「待ちなさい!!」
アイナはそれでもユメールの腕を掴んで止めた。
「借金まみれて大変なんでしょ。どうにかしてあげるわ。あの侍女頭、嘘ついてるでしょ」
アイナは、あの侍女頭が嘘をついていることを知っていた。新しい第三王子の婚約者となって、色々と聞いたのだろう。
「知らないのですか? 侍女頭、半身不随で、人の世話がないと何も出来ないんですって。お見舞いに行ったら、そんな姿を見せられて、侍女頭の家族がわたくしを責めてきました。もっと賠償金が必要だ、と訴えてきましたよ」
「う、嘘、よ。だって」
「こうして、時間もあいたので、お詫びに行ったから、確かですよ。もう、すっかり弱って、何も言えない状態でしたから。腰を痛めたことが原因だと言われれば、仕方がありませんね」
「………」
侍女頭の現状を聞いて、アイナは真っ青になった。もう、ユメールから力を借りる手段をなくしたのだ。
「ユメール、僕が悪かった!! 魔が刺したんだ」
最後の手段とばかりに、第三王子アレンは土下座したのだ。
ユメールは驚いたようにアレンを見下ろした。アレンは顔立ちは綺麗なのだ。あの顔で見つめられて、ユメールは恋に落ちたのだろう。
「残念ながら、この決定は、王妃様ですよ。王妃様は、最後まで、わたくしとあなたの婚約を反対していました。だから、元に戻ることなどありえません」
「母上は僕が説得する!! 母上は、僕には甘いんだ。だから」
「そう、甘いから、わたくしのような女が許せないんです。わたくしの、城での扱いはどうなっていたかご存知ですか? 王妃教育、わたくしには必要ないというのに、受けさせられたのは、王妃様の嫌がらせですよ」
「そうなの!?」
アイナも知らない事実だ。
「アイナも、嫌がらせを受けているのですよ。ですが、王妃教育は、将来、とても役に立ちます。だから、心を入れ替えて受けるべきです。アレン様も、もう、わたくしに頼るのはお止めください。もう、あなたとわたくしは、王族と一貴族です。アレン様と力を合わせるのは、わたくしの従姉妹アイナですよ。二人で力をあわせて努力すれば、越えられない事などありませんよ」
呆然となるアイナとアレン。相思相愛の先には、幸福があると思っていた。
しかし、王族と子爵令嬢には、そんな夢みたいなことは許されないのだ。その事を男爵令嬢ユメールは身を持って知っていた。
ユメールは最初こそ、第三王子アレンのために努力したのだ。だが、それもアレンとアイナの絆が深まることで、すっかり冷めたのだろう。
現実を見れば、アイナはアレンの分の生徒会の仕事まで押し付けられていた。
「アレン様、そんな!?」
「元々、君から言い寄ってきたんだ。その前までは、僕とユメールはうまくいってたんだ。僕は、君に誑かされたようなものなんだ」
「っ!?」
事実なんだろう。アイナは否定出来ない。
「浮気なんて、一方だけでは出来ない事だってのに」
「本当だな」
吐き捨てる側近カササギに俺は深く同意した。誘惑に負けたアレンだって同罪だろう。
ユメールはというと、アレンとアイナを切り捨てたことで、歩く姿が軽やかである。
このまま見守っていたいのだが、縁を深めたいので、俺はユメールに話しかけた。
「すっかり吹っ切れたな、ユメール」
「きゃっ!!」
急に話しかけられたから、ユメールは可愛い悲鳴をあげた。
俺だとわかって、柔らかく笑った。
「大変、失礼しました、セザン様」
「呼び捨てでいい。敬称をつけられると、背中がぞわぞわするんだ。国でも、そんなふうに呼ばれることはないからな」
「出来ないふりは良くないですよ」
「ツェッペリンではいいが、サイザンでは、命が危ないからな。それも、女神の娘の子孫にとっては、身分なんて意味がなかったがな」
「そうなのですか?」
「ツェッペリン国以外の大飢饉では、心底、思い知らされた」
首を傾げるユメール。覚えていないんだろうな。ユメールは多くの人々に情けを分け与えたにすぎない。
だけど、分け与えられた側である俺には、ユメールは特別なのだ。