第32話 偉大な巫女と生贄の娘
だが、しかし。そんな状況に満足する苧環家ではない。
苧環家の最大の目標は、神々も春宮も跪かせる偉大な巫女を作出すること。
その方針は数百年間変わらず、そのために一族の当主や神司は寿命を投げ打った。
最後に命を賭したのは、当時苧環家の当主を務めていた昭正の祖父。
そうして四百年の時を経てようやく完成したのが、苧環家の血筋の者が呪術を行使する場合や、怪異を生み出す場合に必要となる代価の影響を一切受けなくなる術式――授受反転の秘術であった。
授受反転の秘術の完成を喜んだ一族は、最大の目標に向けて動き始める。
その標的とされたのが、春宮家の清らかな霊力を受け継ぐ直系長子のひとり娘、当時十六歳という若さの八重子だった。
学年主席で将来を有望視されていた八重子に、突然『異形の病』が発病したのは『巫女選定の儀』が行われる数日前。
突如として皮膚を白蛇の鱗が覆う奇病は、神々の遣いである白蛇を貶めたせいで生まれる怪異と言われている。
八重子にとっては、まったく身に覚えのない原因だった。
だが、八重子はその姿と怪異のせいで神世にある神霊経絡科に入院することに。
長い入院生活の末、怪異の侵蝕は食い止められたものの、八重子の皮膚の一部には白蛇の鱗が、そして両足には麻痺が残ってしまう。
結局、彼女は『巫女選定の儀』には参加できず、百花女学院も辞めざるをえなかった。
卒業も叶わず、巫女としての仕事にも就けず、以前はひっきりなしにきていた縁談もすべて破談にされる中、影では誰かが『春宮家には異形がいる』『白蛇に呪われた春宮家』などと噂し始める。
神々を支え、その穢れを癒すための霊力は潤沢だろうとも、怪異や呪術に対抗するための呪力が弱かった春宮家は、神霊経絡科が治療を終了した怪異に対し改善策を見出せずにいた。
そんな中、異形の姿をした八重子を妻にと望む者が現れる。――苧環家当主の長男、昭正だ。
彼は『春宮家は呪われてなどいない』と自信たっぷりに豪語し、呪術に秀でた苧環家の力を使って八重子を守ると誓う。
異形と呼ばれようとも十六歳の少女でしかない八重子が、昭正に淡い恋心を抱くのは自然な流れだったかもしれない。
それは春宮の一族もまた、同じだった。
異形の姿をしている娘を慈しみ、仲睦まじい様子を見せる男がどれほど貴重なことか。
八重子とは十五歳も年齢差がある男だったが、呪術師としてたいそう仕事熱心だったため縁談も断り続けていたのだと聞く。
過去の追放の件を水に流すことはできなかったが、春宮家存続のためには致し方ない。
昭正は八重子を娶るにあたっていくつかの条件を提示してきたが、八重子の父である春宮家の当主はそれを呑むほかなかった。
――ひとつ、昭正を婿養子として迎えること。
――ひとつ、昭正を次期当主として扱うこと。
――ひとつ、昭正を必ず当主とすること。
こうして苧環家は、春宮家を屈服させるという野望を見事叶えたのだ。
その後。すぐに昭正と八重子はひとりの子を授かる。
将来、日菜子の父となる男児、成正である。
呪力の優れた成正は見事に苧環家の思想に傾倒し、一族や父と同じく神々を跪かせるような偉大な巫女の作出を夢に見た。
けれども苧環家分家の娘である成正の恋人、華菜子は、神司が通う学院でもその名を知られるほどの華やかな美人だが霊力が少なく、神々を跪かせるような偉大な巫女を産める器ではない。
……それでも、成正は華菜子との結婚を諦められなかった。
昭正は成正に言う。
『一度、お前の恋人よりも霊力が強い女を春宮家の籍に入れ、子をもうければよい』
霊力が少ない華菜子と最初から籍を入れるメリットはない上に、もしも霊力が強い良家の令嬢とのあいだに婚外子をもうけても、親権は母親に取られてしまう可能性が高い。
それならば最初に、霊力が強い良家の令嬢と籍を入れる方がいい。
あらかじめ生まれた子供は春宮家の者として育てると相手方を納得させておけば、なにかが起きて離縁したあとも文句は言えないだろう。
『今や我らには授受反転の秘術がある。これと真名剥奪の術、霊力搾取の術を掛け合わせよ』
『そうなると、どうなるのですか』
『我らには術式の代価が発生することなく、子の存在を神々に知られぬよう隠し続けながら霊力を奪い取ることができる。それも一生だ。一生、我らの生贄となる』
真名剥奪も霊力搾取も術者には大きな代価が発生する。
特に霊力搾取となると、術を使い続ける期間中もずっと代価を払い続ける必要性がある。その負荷は想像を遙かに超えるものだ。
だが授受反転の秘術を行使すれば、術をかける者ではなく術をかけられる者に代価を肩代わりさせられる。
一生代価が発生しないのだから、昭正、成正、そして華菜子とその子供は栄華の中を暮らせるというわけだ。
『同じ歳の娘を授かればなおよかろう。生贄の娘をお前の娘の使用人にし片時も離れないようにすることで、霊力搾取の術式で生まれる負荷を最小限に抑えられる。さすれば安定した霊力を最大限に引き出すことができよう』
『お父様、それではよほどの生贄を用意しなければ……』
『当然だ。強く清らかな枯渇せぬほどの霊力を持ち、春宮家の霊力もしっかりと継いだ生贄が必要となる』
昭正はにやりと嫌な笑みを浮かべ、結界を解くと、襖の外に控える使用人の男を呼びつける。




