第19話 孤高の異才
その後、幼い竜胆は昼夜を問わず狭霧家の蔵書を読み漁った。
本邸の書庫にある文献や史料、論文を読み終える頃には、閲覧厳禁とされる禁書が納められている蔵に幾重にも張り巡らされた強固な霊符の封を解くまでに成長していた。
竜胆は出生時より常日頃、社交の場や神城学園の幼稚舎において『孤高の異才』と評されている。
それは現存する十二の神々の中で最高峰の神気と強力な異能を持つこと、そしてその神格の高さや年齢に反する頭脳明晰さが理由だろう。
だが、それにしても。その成長速度には目を見張るものがある。
十二天将宮にも祀られている歴々の神々が過去に施した霊符を、たったの四歳で解いてしまった事実に、狭霧家の者たちの中には恐れをなす者も出始めたくらいだ。
けれども竜胆はそれを意に介すこともなく、眷属の者たちの入室が不可能な禁書蔵に足を運ぶ。
禁書に記された日付からの推測によると、蔵の封咒が解かれたのはどうやら江戸末期以来らしい。
しかし書物が煤けた様子もなく、埃が積もっていたり蜘蛛の巣が掛かっていないのは、それだけの術がかけられているからなのだろう。
禁書には強固な神域の創造法や〝神隠し〟に関する書物が多くあった。
「……自身の神域を持つ神々はそれなりに存在するが、神格によっては小さく狭いものになる」
また神気の量の関係から維持できる時間が限られている者も多いらしい。
「広大で緻密な世界観を持たせた神域を、数年間単位で維持できる者は稀である。その神域に人の子を招き〝神隠し〟を行える者も同じく稀な存在となる……か。まずは神域の拡大から始めるべきだな」
神域ならすでに物心ついた頃から持っている。
けれども、その強度と領域の広さに関しては今まで無頓着だった。
(彼女が春宮家の娘だとしたら、神世へ来るのは次の七五三詣での時か)
狭霧家の当主である父に尋ねたところ、四季姓を持つ家系でも十二天将宮への参拝が可能なのは本家の血筋に生まれた者だけだそうだ。
境内までは使用人の同行が許されているものの、その使用人たちも分家筋の者と決まりがある。
昔から本家に子供が生まれた時には、生後一ヶ月の『お宮参り』で歴々の神々へ子宝を授かった感謝を述べ、その子供が巫女候補、あるいは神司候補であると報告を行い、心身の健やかな成長を祈るらしい。
そして七五三詣ででは、巫女候補や神司候補の霊力のさらなる目覚めを願うのだとか。
人の子にとって普段は足を踏み入れられない神世、それも霊験灼かな十二天将宮で歴々の神々に参拝できる機会はとても貴重で、七つまでに歴々の神々に御目通りを済ませてその加護を得られた者は、特別な霊力を授かると言い伝えられているそうだ。
(春宮家の当主も、孫娘ふたりに特別な霊力を授けたかったのかもしれない。わざわざ彼女に強力な呪具を持たせて、僕たちの目には映らないようにした理由は謎だが――)
単にもうひとりの孫娘を神々へ売り込むために、目立たせたかったのならばまだいい。
彼女があの場で目立っていなくとも、番である竜胆には運命を感じさせるだけの時間があった。他の神々に見せるまでもなかっただろう。
(そうであってほしい)
いや、そうでなくては困る。
他の理由では、現世に手出しできない竜胆の手には負えない。
あの時の怒りを鎮めるには、そう思い込むしかなかった。
そんな懸念をよそに、あの日は完全に消えてしまっていた彼女の存在や芽吹き始めていた霊力の片鱗は、翌日にはふと感じられるようになっていた。
今も、目を瞑れば彼女の魂の気配や霊力の片鱗を感じることができる。
神世ではないものの、現世のどこかに確かに生きている彼女の存在に、竜胆の口角は小さく上がる。
真名を知れさえすればもっと明確に彼女の居場所や状況を把握でき、〈青龍〉としての加護も与えることができるだろうが、神世の図書館にある資料室で閲覧できた春宮家の家系図の直系長子の欄には、鬼籍に入っている壱ノ妻とのあいだの娘として〝壱ノ姫〟、現在婚姻関係にある弐ノ妻とのあいだの娘として〝弐ノ姫〟としか名前が記されていなかった。
どうやら一般的に公にされている家系図では、役職を持つ者や功労者、罪人の真名だけを開示し、それ以外の者の真名は意図的に伏せるのが習わしらしい。
(三年後には、逢えるだろうか。その時に真名を尋ねられたらいいが)
真名を知った上で神域に連れ帰れば、あとはどうとでもなる。
彼女こそが〈青龍の番様〉だと両親が知れば、狭霧家の将来の花嫁として、神世での生活も安泰になるだろう。
神が宣誓しさえすれば、春宮家側も番様を引き渡さないなんてことはできまい。
(それまでになんとしてでも、理想とする神域を完成させないとな)
本人に拒否されるなんて未来は万が一にも考えていない竜胆は、手のひら上で異能を操りながら、小さな氷の彫像を作り上げる。
精密な異能操作によって出来上がったあの日の彼女の彫像は、まだ竜胆が目にしたことのない微笑みを浮かべていた。
(……僕が話しかけたら、微笑んで、くれるだろうか)
こんな風に、穏やかな微笑みを浮かべてくれたらとても嬉しい。
この世のどんな幸福にも代えがたい瞬間だろう。
今だってどうしようもなく番様である彼女に会いたくて心が落ち着かないのだが、残念なことに、政府に定められた法律が邪魔をする。
過去、初めて降り立った現世で穢れに当てられてしまい、命を落とした未成年の神々が多かったこと、それから霊力のない人の子が幼い神々を連れ去る悲惨な誘拐事件などが起きたことから、巫女を持たない十六歳未満の神々が現世へ降り立つことは法律で禁じられているのだ。
 




