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第1話 無能な名無し


 八百万の神々に守護されし四季の美しい国、日本。

 しかし四季の美しい風景は、干ばつ、水害、飢饉、大地震、津波、そして絶え間なく続く戦によって、幾度となく危機に晒されていた。

 人心の移ろいとともに広がる穢れが国に病を呼び、少しずつ、少しずつ腐敗が広がっていく。

 そんな中、腐敗は異形と呼ばれるおぞましいものを産み、人の子を喰らう怪異を育て、そして世に混乱をもたらした。


 愛おしい国を憂いた八百万の神々は、地上に〝生き神〟を降ろすことに決める。

 選ばれたのは十二柱の神、『十二神将』。

 騰蛇、朱雀、六合、匂陳、青龍、貴人、天后、太陰、玄武、太裳、白虎、天空――。

 平安の世を陰陽師である安倍晴明とともに生きた彼らは、人の子の営みをよく知っていた。


 人の子と同じ肉体を持ち〝生き神〟となった彼らは、国を守護し繁栄へと導く。

 それはすなわち、美しい四季の巡りが国を彩るその裏で、彼らが命と引き換えにおぞましい穢れと戦った証でもあった。



 時は流れて、現代――。

 腐敗より産まれし異形を今もなお神々の力でもってして常世に封じ続ける中、強固な結界が張り巡らされた『神世』と呼ばれる特区に、十二の神々とその末裔は暮らしていた。


 神世は神域であり、禁足地である。

 しかし神々や末裔である眷属でなくとも 、一部の許された人の子たちだけが足を踏み入れることができるという。

 その代表となる人の子は、神々を支えることを唯一許された存在――〝巫女〟であろうか。


 特別な異能と美貌を持ち崇められる神々は、穢れの多い現世で堕ち神とならぬよう、ひとりの巫女を選ぶ。

 日本の総人口、一億二千四百万人の中で、霊力が目覚める人の子は一握り。

 その中で〝巫女見習い〟となって神の目に留まり、神の巫女として選ばれる者はさらに少数となる。

 人の子が神の巫女に選ばれることは、とても名誉なことだった。


 ――そうして、今。

 数十年ぶりに『巫女選定の儀』を迎えた講堂で、軍服のような詰襟の制服を着た青年の革靴の音だけが響いている。

 暗闇のような漆黒の髪に、凍てつく氷のごとく冴え冴えと輝く青い瞳。

 誰よりも神々しく、けれど冷酷な印象を感じざるをえない恐ろしいほどの美貌の青年――十二神将は吉将が木神〈青龍〉である狭霧(さぎり)竜胆(りんどう)は、うつむくひとりの少女を目にした途端に、ふっと甘い微笑みを浮かべた。


 彼は少女の手を優しく取ると強引に引き寄せて、その勢いのままに胸元で抱きとめる。


「ああ、やっと見つけた。〈青龍の巫女〉……いや、俺の唯一の〝(つがい)〟」

「…………っ」

「今日から君は俺のものだ。これから先、俺から片時も離れることは許さない。いいな?」

「そ、その……、なにかの間違い、です。私は、巫女見習いでは……っ」

「俺にとって、君が君でありさえすればいい」


 竜胆は少女の意識を絡め取るように、美しい双眸で見つめる。

 そして、そうするのが当然のように唇を奪った。


「嫌だと言うのなら、今すぐ君を攫って閉じ込める。――神の独占欲を甘くみないことだ」


 美しい龍神は青い氷の世界でうっとりと笑う。

 彼が甘美な毒を忍ばせた言葉に、少女は静かに息を呑んだ。


 神のものとして選ばれし巫女は、末永く神に仕え、神の絶大なる庇護のもとで過ごすことになる。

 もしも神の巫女に選ばれた人の子が、神のたったひとりの絶対的な愛しい存在と呼ばれる〝番様(つがいさま)〟として娶られたならば、深く深く底なしに甘やかされ、そして。

 極上の溺愛に包まれる、誰よりも幸福な未来が待っているだろう――。




  ◇◇◇



 百花女学院高等学校のカフェテリアには、朝から優雅な雅楽の音色が響き渡り、寮生活を送っている生徒たちを出迎えている。

 古風な刺繍が施されたアイボリーのセーラー服を身にまとった少女たちは思い思いに席に着いて、カフェテリアで提供されている美味しい朝食を楽しみながら、「今日の『巫女選定の儀』で神様に選ばれたらどうしよう!」と頬を染めつつ、興奮気味にお喋りに花を咲かせていた。


 そんな中。日当たりの良い窓際の特別席から、賑わいに水を差すバチンッと頬を叩くような音が響いたかと思うと、少女の甲高い金切り声がヒステリックに叫び出す。


「無能な名無しのくせに、神々に仕える私の命が脅かされたっていいっていうの!?」


 頬を力の限り()たれた(すず)は、痛みに震える身体を叱咤しながら、急いで冷たいリノリウムの床に跪いて頭を下げた。


「……申し訳ありません、日菜子(ひなこ)様。すぐに口を付けますので、お待ちください」


 ここ、百花女学院には霊力が発現した〝巫女〟の適正を持つ六歳から十八歳の少女たちが日本各地から集められ、扱い方や伸ばし方、神々への仕え方や礼儀作法までを学んでいる。

 その百花女学院高等部内で『現在最も将来有望な生徒』ともてはやされているのが、鈴の異母妹の日菜子だ。


 日菜子はたいそう機嫌を損ねた様子で、椅子の肘掛けに頬杖をつく。

 もしふたりが一般的な女子高校生であったならば、日菜子は鈴にとって同じ十六歳の姉妹でしかないかもしれないが、ここでは〝巫女見習い〟と〝使用人〟。

 鈴は巫女見習いでもなく、()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、日本屈指の百花女学院に入学が許可された生徒である。


 明治時代に開校され創立百五十年を超える巫女養成機関では、創立以来、同年代の使用人が巫女見習いに付き添い学院に通うのは当然で、巫女見習いである主人の着付けや授業の準備、衣服の洗濯、寮や教室の掃除などを日々担う。

 巫女見習いが研鑽に励めるよう、側仕えとして全力で陰ながらサポートするのが務めだ。

 いくら同じ春宮(はるのみや)家という、神々から四季姓を頂戴した名家に生まれた姉妹であろうと、主人である日菜子の命令に使用人の鈴は逆らえない。


 その上、日菜子は艶めく栗色の巻き髪が自慢の、豊満な肉体を持つ華やかな美人。

 対して鈴はといえば、パサついた艶のない灰色の髪に、青白い肌、触れたらぽきりと折れそうな儚い身体しか持ち合わせていない。


 姉妹の格差は、誰から見ても歴然としていた。


 しかも鈴は、幼い頃から春宮家当主によって真名を剥奪されて育った〝名無し〟である。

 真名を剥奪されるなど、あり得ないことだ。

 明治時代から百五十年以上変わらず閉鎖的な女学院内で、『相当な大罪を犯したに違いない』と人々に揶揄される鈴の存在価値は、ただの使用人よりももっと低い。


「見て。またあの名無しの使用人が、日菜子様のご機嫌をそこねてるわ」

「過去におぞましい罪を犯した罰が日菜子様の使用人になることなら、逆に天国よね」

「本当よ。あの美しくて気高い日菜子様のお側にいられるんだから」

「もしもわたくしが使用人でしたら、あんなヘマはしませんのに。日菜子様がかわいそうですわ」

「ええ、まったく。名無しを使用人に迎えた日菜子様は、本当に懐が深くていらっしゃいます」


 今この時も、カフェテリアにいる巫女見習いたちだけでなく他家の使用人たちでさえもが、鈴の行動をクスクスとあざ笑っている。

 この業界で強い権力を誇る春宮家の優秀な令嬢と、衣食住を約束され学校にも通わせてもらえている幸運な使用人のやりとりに、口を挟むような教師はいない。

 名家ともなれば女学院への寄付金額も莫大なものになる。

 時代錯誤な校風や使用人の存在に対して疑念を感じる心のある教師たちがいたとしても、平穏に人生を終えるために、そして自分自身の家族を守るために、誰もが見て見ぬ振りをするしかなかった。


「毒味はあなたに任された大役なの。さあ、名無し。特別な食事なのだから、味わって食べるのよ?」


 好奇の目に晒され、クスクスと嫌な笑い声が聞こえる中――表情を無くした鈴はうつむいたまま、まるで家畜に与える餌のように床に放置された木製の粗末なお皿にそっと視線を向ける。

 日菜子のテーブルに配置された銀のトレーに載せられているのは、さながら高級料理店の食事だ。

 前菜は、色鮮やかなエディブルフラワーと季節の葉野菜で彩られた、サーモンとホタテのマリネ。ドレッシングとしてジュレとバジルソースが絵画のように添えられている。

 オマール海老を贅沢に使った濃厚なビスクには湯気が立ちのぼり、黄金に輝くとろとろのオムレツからはトリュフの芳醇な香りが漂う。

 メインは、宝石のように輝く真っ赤な苺とブルーベリーが上品に飾られたふわふわなパンケーキだ。


 これは各学年の主席の生徒にカフェテリアが提供しているもので、他の巫女見習いよりも何十倍も豪華な朝食である。

 キラキラとした食事は他の生徒たちから羨望の的で、それだけで日菜子が特別視される存在だとわかる。


 しかし、鈴の朝食はといえば。

 毒味という名目で、すべてのメニューからひと口ずつを、日菜子の手によってごちゃごちゃにかき混ぜて盛られたものだけ。


 どんなに努力して命令を誠心誠意こなしていても、わがままでヒステリックな日菜子の命令が尽きることはない。それをすべてこなしていたら、いざ使用人用の食堂へ赴いた時には、全員に等しく提供されているはずのサンドイッチやお弁当にはまずありつけないからだ。



ここまでお読みいただきありがとうございました。

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