悪魔の履行
悪魔の証明、最終話です。
「私は悪魔ですよ?契約の完遂のためならばいかなる悪もこなしてみせるというものです。これにて犯人は逮捕され、この家の財産は国に取られることを免れたわけですが、さて、捕まったあの犯人は本当に娘さんを殺した犯人なのでしょうかね?」
翌日の夕刻。
悪魔は再びガイの前に現れて契約の終了を告げた。悪魔が求められていたのは、ヒガーシャがヒギーシャを殺していないことを証明することであった。
事件当日のアリバイがないどころか、事件現場となった家に居合わせていたヒガーシャなど最重要容疑者であり、彼女が捕まるのも目前のことであった――はずだった。
この悪魔ノーマンが行動しなければ。
洗脳によってヒギーシャの殺害を別の殺人犯に擦り付け、あまつさえ出頭させて見せるあたり、さすがは人心の掌握に長けた悪魔というべきだろう。
出頭した犯人はヒギーシャの殺害も可能であり、偶然目についた家に侵入し、入った窓の先にあった部屋をあさり、そこから次の部屋へと向かった先で偶然遭遇したヒギーシャを殺害し、逃亡したと供述した。
男の犯行は通行人をすれ違い様にナイフで襲うというものであり、ヒギーシャの一件のみ浮いて見えるが、悪魔が男に刻み付けた記憶はその違和感を暴かせない。
こうしてヒガーシャの無実は悪魔によって証明された。
「それでは、またの召喚をお待ちしておりますよ」
安堵に腰を抜かしたガイの感情を味わいつつ、悪魔ノーマンはあっさりと地上から姿を消した。
無い、無い、無い!
タンスをあさり、机の引き出しをひっかきまわし、少女は捜索を続ける。
だが、見つからない。探しているネックレスは、母の形見のそれは、どこを探しても現れない。
絶望が襲う。自分の心のよりどころである形見は一体どこへ消えたのか――
錯乱したように頭を震わせる少女は、この部屋に求めるものが存在しないと判断した。
「あの子だわ……きっとそうよ。だって私のほうを見ながら、羨ましがっていたもの……」
母が死んだのはもう三年も前のこと。
彼女が残した物は少なく、そのうちのネックレスとイヤリングを、双子は形見として受け取ることとなった。
そんな大切な真珠のネックレスを、彼女は狙っていた。
犯人は彼女だと、彼女が判断するまで時間はかからなかった。
怒りが彼女の心を縛る。
にくい、許せない――許さない。
勇み足で部屋を飛び出した彼女は、台所へ行ってナイフを一つつかむ。彼女はきっとしらばっくれて真実を言わない。このままでは泣き寝入りになってしまう。
それは、だめだと、彼女は決意をにじませてナイフの柄をぎゅっと握りしめる。
出てきたそれの隣にある扉のノブをつかみ、勢いよく開け放つ。
カギはかかっていなかった。
扉を開くとともに、部屋の中から音楽が鳴り響く。
ベッドに寝ころんでいた彼女が、顔を上げる。
驚いたように目を見開いた彼女は、勝手に入ってくるなと言いたげに怒りの表情を浮かべ、けれどすぐに顔を恐怖に染めた。
彼女の眼には、侵入者が握るナイフが映ったのだろう。
「お母様のネックレスを返して」
「……何のことよ」
彼女はこういう人だ。活発で表裏がないように見えるのは外面。その内側は様々な悪感情にあふれていた。
双子の私を彼女が嫌うようになったのはいつからだろうか――そんな益体もないことを考えながら、ナイフを握った彼女はさらに部屋の奥へと進む。
「返して、私の、形見を返してッ」
彼女の顔が憤怒に染まる。お前ごときが私に命令するなと、そう言いたげで。
彼女が跳ね起きるようにベッドから降り、つかみかかる。
二人は押し合い、ぶつかり合い、気が付けばリビングへと移動していた。
「私の、私の大事なものなの!知っているでしょ!なのにどうして奪うの⁉」
「あれは私がもらうはずだったからよ!」
ついに彼女は盗みを告白した。
証言は取れた。あとは彼女の部屋からネックレスを奪い返せばいい。
だが、それだけで十分だろうか?
このまま、ネックレスを返してもらってそれで終わりでいいのだろうか?
手癖の悪い彼女は、間違いなくまた私から物を奪うだろう。その時、彼女は誰にも見つからない場所へとそれを隠してしまうかもしれない。奪うと同時に姿を消してしまうかもしれない。
そんなの、許せない。
ここで、彼女は痛い目を見ておかないといけない。
私から物を奪おうと二度と思えないように、痛めつけないといけない――
もう、止まらなかった。止まれなかった。
ナイフを握るその手に力がこもる。顔が狂気に染まる。そこには、愛すべきほんわかとした春の花のような可憐な少女はいなかった。
それに気づいた彼女も全力で抵抗して、そして――
ゆっくりと広がっていく血だまりを前に、一人の少女は茫然と床にしりもちをついていた。
視線の先には、胸にナイフが刺さり、こちらを憤怒の形相でにらむ、こと切れた少女の遺体。
両手を見下ろすその手はわずかに血でぬれていた。
光を失い、動くことをやめ、それでもこちらをにらむ少女の怒りのまなざしが突き刺さる。
彼女が悪いのだ。
私は悪くない。
私は悪くなどないはずだ――
終わりを告げる鎮魂歌が、静まり返った部屋にむなしく鳴り響いた。
部屋で暴れ続けたせいか、不協和音を響かせながら、レコードプレーヤーは機能を停止した。
いびつな最後の一音が消えていった。
夢遊病のように、彼女は半ば思考を放棄しながら活動を再会した。手を洗い、部屋の一つを片付け、そして、ベッドへとその身を投げて――そこで、父が帰還した。
彼女の遺体を見て小さく悲鳴を上げた父は、ベッドで眠る私の顔を見て、そして、こう口にする。
「いいか、俺に任せておけ。大丈夫、必ず何とかして見せるから」
ああ、父は私が犯人だと、そう断定するのか。
わかっている。彼女を刺したのは自分だ。私が犯人だ。
だが、少しだけ、ほんの少しだけでも、“私”を信用してくれてもよかったのではないか――
私は、わずかに彼女の香りのするベッドで眠りについた。
探し物は、見つからなかった。
そのありかを知っている彼女は、もういない。
私たちを何も見ていない父ガイ・ブラインドが何かしたのか、気が付けば私の罪を別の男が背負っていた。
こうして、私は、ヒギーシャ・ブラインドは大切なものを一つ失って、今日も日々を生き続ける。
目が曇った父のもとで、ヒガーシャ・ブラインドとして生き続ける。
あの日、彼女の部屋で見つからないイヤリングを捜索し疲れて眠っていなければ、その後父に否定の言葉を告げていれば、私はヒギーシャのまま生きて行けただろう。
だが、これは私の罪の贖罪であり復讐なのだ。
彼女の命を奪った代わりに、「ヒガーシャ」という存在として生きることで彼女がなすはずだった未来を築くという贖罪。
皆に愛された彼女の地位を私が奪うことによる復讐。
私は今日も、ヒガーシャ・ブラインドとして生を歩む。
ああ、彼女の皮をかぶって生活をしている私のほうが、ヒガーシャより悪魔のようではないか。
ああ、神様。私はどこかおかしいのでしょうか?
私は、何かを間違えたのでしょうか?
「さて、どうでしょうね?あなたは何かを間違えたのかもしれませんし、何も間違っていないかもしれません。少なくとも、私たち悪魔からすれば、感情に揺さぶられて悩み苦しむあなたは、一人の立派な、素晴らしい人間ですとも。愛すべき存在ですよ」
闇の底で、悪魔ノーマンはそうささやく。
悪魔は、彼女のすべてを理解していた。
地獄から呼び出した魂、その者が呼びかけに何も答えなかったあたりで、すでに予測はできていた。
いくら悪魔が鬼と違って魂の管理権限を持たないとは言え、たかが一人間と悪魔とでは、その位階が異なる。
悪魔の質問に、本来であれば彼女は答えるはずだった。
その質問に――ヒギーシャへの質問に答えなかった時点で、彼女がヒガーシャである可能性が浮上していた。
「とはいえ私の契約の完遂に、彼女の思惑は関係ありませんでしたからね。自由に生きればいいのですよ。享楽のままに生きるもよし、十字架を背負い続けるのもよし、すべて生者の気の向くままに」
自分のことをヒギーシャだと誤解している上に犯人を守ろうとする父に怒っていた彼女はもういない。
自分の皮をかぶって生き続けている犯人に対する怒りにとらわれていた彼女の魂はすでに完全に浄化され、天に昇ってしまっている。
「ああ、これだから人間は面白い」
今日も悪魔は、自分の趣向にあった人間を探して、悪魔召喚を試みる存在を感知する。
悪魔ノーマンが再び現世に降り立つのも、きっとそう遠くないことだろう。
『悪魔の証明』はこれにて完結となります。
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ここまで拙作をお読みくださり、大変ありがとうございました。