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悪魔の証明  作者: 雨足怜
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悪魔の契約

「さて、ヒギーシャ嬢はガイ殿に悪感情を抱いていたわけですが、心当たりはございますか」


 地獄という深淵をのぞき込んでしまって精神的に疲弊したガイに、悪魔は悪魔らしくその事実を突きつける。

 召喚されたヒギーシャが父親のガイを見る目には、嫌悪感があった。まるで、ガイこそが自分を殺した犯人だとでもいうような、強い悪感情だった。


「……俺は、ヒギーシャを殺してなどいない」


「それは承知していますよ。殺害以外に、何か彼女に恨まれるような覚えはないかをお聞きしたいのです」


「それは、契約の完遂に必要なことなのか?」


「ええ、悪魔としての私の直感がそうささやいておりますので」


「…………生前、ヒギーシャに恨まれるようなことをした覚えはない」


「生前、と限定したということは死後に何かあったということですか。一体何があったのでしょう?」


 苦虫を嚙み潰したような顔をしたガイは、一瞬話すのをためらい、けれどゆっくりと、まるで悪魔にそそのかされるようにその秘密を口にした。


「ヒギーシャが死んでいると……そうヒガーシャから連絡があった際、俺はその事実を隠蔽しようとしたんだ」


「なるほど?ヒギーシャ嬢が事故などで死んだと偽装しようとしたと、そういうわけですか?」


「ああ、事故でも、病死でもよかった。ただ、ヒギーシャの死が殺人によるものではなく、そしてその犯人がヒガーシャであると疑われなければそれでよかった」


「ふむ。……それで?そこまでして殺人を忌避するということは、何かがあるのですよね」


「……なぁ、あんたはどうして俺に召喚されたんだ?」


 突然話を変えたガイに、けれど悪魔はためらうことなく答えを告げる。


「ふむ、私の趣味に合致する匂いがしたので訪れたのですがね?」


「……そうか。悪感情?だったかを食らうあんたにとって、俺はさぞ美食に見えたんだろうな。つまり、最初から何かを隠しているのはお見通しだったわけだ」


「ええ、とはいえ別に悪感情を食らうために召喚されたわけではありませんよ。確かに悪魔は悪感情を好みますが、悪感情だけを食らう悪魔などほとんどいません。というより、そういった偏食個体の大部分は狂って同胞にかられるか、エクソシストなどの人間によって滅ぼされてしまいますから」


「……悪魔は悪感情だけを食らわない?」


「ええ。長い年月を生きる精神体である悪魔にとって、最も重要なのは己の命そのものである精神の摩耗を防ぐことです。精神とはすなわち感情の起伏。感情を失った悪魔は生きる理由を失い、そのまま自然消滅していってしまいます。それを防ぐために悪魔は生物……とりわけ人間の感情を食らい、その味によって感情を体験することで己の精神の摩耗を防いで生きていきます。そんな食事である感情を偏って食べ続ければ、当然精神のバランスが崩壊し、狂気に走ります。その手の悪魔がやらした情報ばかりが人間界に広まることによって、悪魔イコール悪だという図式が成立してしまったのは甚だ不本意ですね」


「……つまり、なんだ?」


「つまり、悪魔にとっては正も負も関係なく、あらゆる感情を食らう必要があり、私はあなたが感情の起伏が激しく、そして正負のバランスの取れた精神をしているために召喚されたのです。あなたは負い目でもあるその大きな負の感情にばかり目を向けているようですが、それを打ち消すほどの良い感情を持っているということをお忘れなく。……最も、話を聞いたうえで契約破棄となる可能性もありますが。何しろ契約の前提条件が違う可能性がありますからね。まあこのまま話をしないのでしたら契約は不履行となりますよ。何せ、情報を出し渋るという不誠実な行為に及んでいるわけですからね」


 いろいろと言いたいことはあったが、悪魔とは何かという話を聞いているうちに自然と心の整理ができたガイは、目の前の人外の存在に、自分の過去の行動をつまびらかに話すことにした。

 一度口に出せば、言葉はするりと最後まで形になった。


「なるほど、この国には血族乱悪害法という物があり、それによると血のつながった者同士で殺害事件に発展した際、その家の財産は全て国が差し押さえると」


「ああ。それをされたら俺はともかくヒガーシャが大変な生活を送ることになってしまう。それを防ぐためにも、ヒギーシャがヒガーシャに殺されたと国に判断されるのだけはだめなんだよ」


「ふむ。つまり、家財の差し押さえまでにヒギーシャ嬢が自殺であると、あるいはヒガーシャ嬢の無実を証明する必要があるわけですか。……それゆえの『ヒガーシャ嬢の無実の証明』の契約……なるほど、なるほど。いいでしょう。私の手にかかれば一刻もしないうちに契約を完遂して見せましょう」


 父として、ヒガーシャ嬢を思うあなたの感情は美味でしたからね――


 そう笑う悪魔は、一瞬にしてガイの前から姿を消し、夕闇に染まりつつある世界へと飛び立った。





「ふむ、あなたがここ最近世間をにぎわせている連続殺傷犯ですか」


 世闇の中、黒い燕尾服のテールを翻す悪魔は、月明かりの逆光で影の落ちた顔に凶悪な笑みを浮かべていた。

 その視線の先には、狭い路地に身をひそめる一人の男。


 灰色の埃っぽい髪に、同色の瞳。目の奥にはギラギラと輝く狂気の光があり、顔は酒気を帯びたように赤らんでいた。


「あんだぁ、オメェはよぉ?」


「ふむ、自己紹介は不要でしょう。あなたはただ、私の要求通りに働けばいいだけですから」


 飛び降りた悪魔は、黒い革靴でカツカツと地面を踏み鳴らしながら男へと近づいていく。

 連続殺人犯である男は、素早く懐からナイフを取り出す。


 狭い路地に、銀の刃が月の光を帯びてきらめく。


「死ねやぁッ」


 悪魔のことを追ってか何かだと判断した男は、両手でナイフを握り、勢いよく悪魔目がけて走り出した。

 体当たりと同時に胸部にナイフを一突き。


 心臓に突き刺さるナイフを見て、美しい青年の顔が絶望に染まる光景を幻視して、男は笑った。

 悪魔も、笑った。


 その口を大きく弧の形に歪める。

 真っ赤な三日月を張り付けた悪魔が、一歩男のほうへと足を踏み出し――


 男の体が、回転する。


 したたかに背中を地面に打ち付けた男の腕から、ナイフが蹴り飛ばされる。

 そのまま膝で胸を打たれた男は肺から空気が抜け、大きくせき込む。


 男はそこで始めて、相手の顔をつぶさに観察した。

 そこには、まるで人外のような美しさを宿した年若き青年の顔があった。


 だが、男には決して彼が美人だとは思えなかった。

 吊り上がった唇、鋭く細められた感情の見えない目、美しすぎるがゆえに恐怖すら覚えるその顔は、自分を殺しに来た化け物のようで――


「あ、悪魔め!」


 男の口は、どんな偶然か真実を引き当てた。

 青年が――悪魔ノーマンが、笑う。


 影にあってその赤い目を怪しく光らせる悪魔の姿に、寒気がするほどの美しさに男の意識は飲みこまれた。


「悪魔との契約など、曲解されるのがオチなのですよね。それをいまだに理解できないからこそ、人間は愛すべき存在なのですが」


 風に吹かれた悪魔の声は、夜の闇の中へと、誰にも聞こえることなく消えていった。





 翌日、一人の男が罪の告発を行った。

 曰く、自分は最近巷をにぎわせている連続殺人犯である、と。


 そして、男が殺害を供述する事件の中には、ヒギーシャの件も存在した。

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