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悪魔の証明  作者: 雨足怜
3/5

悪魔の仕事

「さて、いろいろと聞いてはまいりましたが、大事なことを聞き忘れておりました」


「なんだ?怨恨の可能性か?」


「ええ、これが殺人事件だとするならば物取りに偽装されている線も考えるべきでしょうが、ひとまずそのあたりはおいておきましょう。私は悪魔であり、人間ではありません。足を使った情報集めなどというものは人間の専売特許。悪魔は悪魔らしく真実の糸口をつかもうではありませんか」


「で?何を聞きたいって?」


「被害者ヒギーシャ嬢についてです。彼女の髪色、瞳の色、背丈、容姿、肉つき、性格、そのあたりのことをもれなく教えていただけますか?」


「……そんなことを聞いてどうするつもりだ」


「もちろん事件の究明に役立てるのですよ」


「本当だな?」


「私は悪魔ですよ?契約者であるガイ殿に嘘などつきませんとも」


「……ヒギーシャは、長い銀髪に、淡い緑の瞳で身長は165センチほど、容姿は父親の俺のひいき目でも美人だな。ホンワカしてるっていえばいいのか?少し浮世離れした箱入りお嬢様って感じの見た目だ。目鼻立ちははっきりしてるし、目元なんかは俺とそっくりだといわれるな」


「おや、ガイ殿と目元がそっくりとは……さぞ吊り上がっているのでしょうね?」


「いや、あくまで雰囲気であって、それほど俺とは似ていない……な。で、肉つきっつう表現は生々しいが、体の起伏ははっきりしてるな。あとは、性格か。そうだな、これは見た目通りの少々抜けたところのあるお嬢様って感じで、流されながらひょうひょうとしている感じだ。あんまり前に出て何かをするようなタイプじゃないな。かわいい物好きで、部屋には人形なんかを置いていたな」


「ふむ、銀髪に緑の眼……彼女、ですかね」


「おい、何してやがる……ッ、おい!」


 突如悪魔が腕を突き出したかと思えばその先の地面が光り出し、ガイはそこを見てぎょっと目を見開いた。

 赤黒い血のように脈動する光が長方形の陣を描き、その中央に亀裂が走る。


 縦に裂けた陣の向こうには、漆黒の闇が広がっていた。


「何、心配はありません。別に彼女を取って食おうというわけではありませんよ」


 そう告げる悪魔の視線の先には、まるで押し出されるようにこの世界に現れた――戻ってきた一人の少女の魂があった。


「何が起こってやがる。あれはなんだ?」


「ああ、あなたには見えないのでしたね」


 パチン、と悪魔が指を鳴らすとともに、一瞬だけガイの視界が白昼夢のごとく白に染まり――次の瞬間、おぞましい闇の出口に一人の少女の姿が現れた。

 腰まであるぼさぼさの銀の髪が揺れ、顔を隠す髪の奥から緑の澄んだ瞳がこちらを見ていた。あちこち擦り切れて穴が開いている灰色のワンピースは、彼女の輪郭を隠していた。


「……ヒギーシャ、なのか?」


「ええ、そのヒギーシャ嬢ですとも。少々地獄から召喚させていただきました」


 そんな悪魔の声などそっちのけで、ガイは全力で走り出すとともにヒギーシャをだきしめようとして――


「ッ⁉」


 ガイの体は、ヒギーシャをすり抜けた。

 そのままもんどりうって闇の先へと入ってしまいそうなガイの首根っこをひっつかみ、悪魔はやれやれと首を振る。


「おっと、危ないですねぇ。ただの人間がその先に入れば死にますよ?」


「……どういうことだ。あいつは、本当にヒギーシャなのか?」


「ヒギーシャ嬢の魂ですよ。事件解決には本人の話を聞くのが一番ですから」


 魂がすり減っていなければいいのですがね――とそう小さくぼやいた悪魔の言葉は、幸か不幸かガイの耳に届いてしまった。


「どういうことだ。魂がすり減る?それはヒギーシャにとって良くないんだよな?」


「ふむ、前提となる知識が足りませんか。……あらゆる者は死後、一度地獄にて魂にこびりついたよどみを浄化することになります。要は生前に積んだ悪徳を払い、清らかな魂に生まれ変わる作業です」


「……ヒギーシャが地獄に送られるような何かをしたって言いたいのか?」


「あらゆる者が地獄に送られるといったでしょう?どんな聖人君子も、一度は地獄に送られます。浄化なしに魂が天界へと振り分けられることなどありません。この世のあらゆる存在は、命を食らうことで生きているのです。動物も、植物も……人間も。菜食主義の流行など、悪魔である我々から見れば笑い話ですよ。彼らは動物と植物という命の間に優劣をつけているわけですからね。肉を食らうことが不浄?違いますよ。命を食らうことが不浄なのです。彼らの行為は命に優劣をつける不徳であり、悪徳ですよ。そういった者は偏見を払うためにより長く強く浄化の儀を受けることとなります」


「ずいぶんしゃべるな?ベジタリアンにだって、ただ肉を食らうのが苦手だとか、教義に従っているだけだとか、家畜の飼育状況に思うところがあるからとか、いろいろあると思うが?」


「ええ、確かにそうですとも。先ほどの言葉は、以前私を召喚した男に対する恨みですよ。あの男の不味いこと不味いこと。独りよがりな自己満足の理論を並べ立てるあの男の感情は、腐った魚肉のごとき腐臭と歯ごたえを感じましたよ。菜食主義者の感情が腐敗した魚の味……皮肉がきいていると思いませんか?」


「さぁ、な。……で、ヒギーシャもまた、例にもれず浄化の最中だったってわけか」


「……その話でしたね。ええ、彼女は浄化の最中にあり、そして地獄の管理人である鬼たちの目を盗んで召喚してみました」


「鬼の目を盗んで……大丈夫なのか、それ?」


「問題ありませんよ。ただ、彼らが職務に忠実すぎるのです。悪魔ほど快楽に一直線にならなくても構いませんが、もう少し肩肘の力を抜いてほしいものですよ」


「ふぅん、で、ヒギーシャの魂を召喚して、どうするつもりだ?」


「穢れを落とす際に魂に激痛が走って記憶が抜け落ちていくのですが、幸いヒギーシャ嬢はまだそれほど浄化が進んでいなかったようで記憶が残っていそうですね。ですから彼女に事件のことを直接聞くことで、何があったかを把握してしまおうというわけです」


 悪魔とガイが話をしている間も直立不動で立っていたヒギーシャを、ガイはちらりと見る。その表情は無であり、ホンワカとした心を浄化するような笑みを浮かべる彼女はもういないのだと、そう現実を突きつけられたガイは胸を押さえて暴れようとする感情をこらえる。

 そんな感情も次の瞬間にはすぅっと体の中から消え去った。


「……ごちそうさまです」


 自分の感情を食らったらしい悪魔の顔を見て、ガイは何かを言おうとしてやめた。今重要なのは、ヒギーシャに話を聞くことだったから。


「そうですね、あまり長い間召喚していると鬼たちに気づかれる可能性が高くなりますし、そろそろ始めましょうか。……ヒギーシャ殿、あなたは殺されたのですか、それとも、自殺をしたのですか?」


 その質問に対して、ヒギーシャは悪魔のほうへと小さく首をめぐらし、その赤い瞳をじっと見つめ――


「……………何か言ってるのか?」


「いえ、残念ながら一言も話してくれていません。というか、魂とかかわる能力を一時的に付与しているので、あなたにもヒギーシャ嬢の声を聴くことができますし、話せますよ」


「……ヒギーシャ。お前はどうして死んでしまったんだ。なぁ、どうして、お前は死ななくちゃいけなかったんだ?」


 誰かに殺されたのならその犯人の名前を言ってほしい。

 何かがあって自死を選んだのならその理由を話してほしい。

 魂からのガイの言葉に、けれどやはりヒギーシャは何も言わない。ただ虚無をたたえた光のない瞳が、じっとガイの目をのぞき込んでいた。


 深淵が、こちらを覗いていた。

 目の前に存在する人物は、果たして本当に自分が知るヒギーシャなのか、ガイには確証が持てなくなりつつあった。

 目の前にいるのはヒギーシャか?

 彼女は本当に死んでしまったのか?

 これは悪魔が見せる夢では――


「残念ながら悪魔にそのような力はございません。それに、契約者を害することは悪魔にとって禁忌ですから、絶対にそのようなことは致しませんよ」


 まるで思考を読み取ったような悪魔の言葉が、どこまでも落ちていくガイの思考を止めた。

 ゆるゆると顔を上げたガイは、十年ほど老けて見えた。まるで何かに飲まれたようなガイの顔を見て、悪魔は少々危険ですね、とこれ以上のガイとヒギーシャの魂との接触をやめさせることにした。

 地獄という地上とは異なる法則の働く世界にいたヒギーシャ。その魂を見ることで、ガイ自身も地獄に飲まれようとしていた。


 パチン、ともう一度悪魔が指を鳴らす。

 そうすれば、ヒギーシャを飲み込むように空間に開いた虚無の門が吸引力を発揮する。


 ヒギーシャの姿が消えていく。


「ヒギーシャーー」


 手を伸ばす。

 そのガイの手は、ヒギーシャには届かず、彼女の手をつかむことはなく。


 けれど地獄とつながる門の先に消えゆく最後、ヒギーシャは確かにガイへとほほ笑んだ。

 それだけで、ガイは救われた気がした。


「……ふむ、私は鬼ではないのでヒギーシャ嬢に無理やり口を利かせることはできませんし、仕方がありませんか」


 門が消える中、悪魔はわずかな溜息とともにそうつぶやいた。

 ヒギーシャから聞き出せたことはなく、けれど確かに収穫はあった。悪魔の目は、人間の魂を見通す。それは生きている者の魂を見ることができるというだけではなく、取り繕うことのできない魂そのものを見ることによってその者が何を考えているか把握できる観察眼があるということでもあった。


(ヒギーシャ嬢の魂に残る記憶が正しければ、殺人事件。犯人は、ヒガーシャ嬢……殺害理由は、おそらくは私怨。ふむ、このまま正攻法で行けば、ヒガーシャ嬢がつかまり、契約は果たせなくなるわけですか)


 悪魔ノーマンは、自分の観察眼に自信があった。

 だからこそ、彼はヒガーシャ嬢こそが、双子のヒギーシャ嬢を殺した犯人だという答えが真実であると確信していた。

 だが、契約内容はヒガーシャ嬢の無実の証明。


 わずかな逡巡の後、悪魔は悪魔らしく契約完遂に乗り出した。

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