悪魔の証明
「ではまずは被害者のお話から進めていきましょうか。被害者はあなたのご息女だということですが、お名前は?」
「……事前に俺のことを調べて来たんじゃなかったのか?」
「あの短時間で手に入る情報などたかが知れていますよ。それに、悪魔の情報には人間の趣味趣向こそ多くあるものの、人間の生活環境や対人関係などの情報は不足気味でしてね。要は、ほとんど需要がないのですよ」
「そういうもんか」
いやそうに顔をしかめるガイ。その顔には、一体どんな趣味趣向が書かれているんだと、そういう怯えと不快感がにじみ出ていた。
ガイの感情を理解する悪魔は、けれどそんなガイの様子を見て楽しそうに口元を吊り上げるだけだった。
「そういうものなのです。ですから、私の情報のことは脇に置いておきましょう」
「被害者は……死んじまったのは、俺の娘ヒギーシャだ」
「ふむ、ヒギーシャ嬢が亡くなったと。志望理由は何でしょう?」
「ナイフで腹をひとつきだ。具体的には、失血死って話だったな」
「ふむ、現場はどこだったのでしょう?そこに争ったような形跡はございましたか?」
「場所は俺の家だ。まだ14の娘なんだ。一人暮らしなんてさせられねぇよ。ああ、争った形跡だったか、それは……なかったな」
一瞬言葉をためらったガイは、わずかな逡巡の果てにそう否定した。
「おや、ずいぶん苦々しい様子ですね。何か、隠そうとなさいましたか」
悪魔の眼光が鋭く光る。その怪しい輝きにのまれたガイは、ためらいながらも口を割ってしまう。
「いや、そのだな……ヒギーシャの部屋が、荒されていたんだよ」
「ヒギーシャ殿の部屋が荒らされていたと……具体的にはどのような状況でしたか?」
「物を探して引っ掻き回した、って感じだな。クローゼットから衣服が引っ張り出されて、机の引き出しの中の物も床に散乱していた。化粧ポーチとか鞄の中身とか、全部ひっくり返して床に出されたって感じだったな」
「なるほど……聞く限りでは物取りの犯行にも見えるのですがね。窃盗犯に遭遇してしまったヒギーシャ嬢が犯人と遭遇、その際にナイフで殺されてしまった……強盗事件にならなかったのは、何か事情があるのでしょうか」
「その時、家にはもう一人の娘が、ヒガーシャがいたんだ」
「ふむ、確か双子の娘だという話でしたね……む?もう一度、その方の名前をおっしゃってください」
「あ?ヒガーシャだ」
被疑者ヒガーシャと、被害者ヒギーシャ。
悪魔は半目でガイのことを見つめて、小さく息を吐く。
「被害者に、被疑者、ですか」
「ヒガーシャにヒギーシャだ」
ガイがぴしゃりと言い返す。だが、悪魔はそのことに反応することはなく、ただじっと、馬鹿にするような視線をガイに送る。
ピクリと、ガイの眉尻が吊り上がる。
「どちらかというと、状況から察するに逆の名前のような気がするのですが……どちらにせよ、ひどいネーミングセンスですね。名付け親が見てみたいものですね」
「……目の前にいるだろうが」
「おや、これは失敬。なかなか良い名付けだと思いますよ。ガイ殿?」
「そこでわざわざ名前呼びしてくるあたり、本心じゃねぇだろ」
「おや、思ったよりあなたは頭の回転が速いようですね。……ただのお馬鹿さんでしたら御しやすかったのですが。まあこれも一興ですね」
「何が言いたい?」
怒り心頭といった様子だったガイは、唐突な悪魔のささやきを受けて我に返る。
この悪魔にいいように感情を揺さぶられてはろくなことにならないだろうと、ガイはそう考え――
「頭脳明晰な方が盛大な考え違いをして、その顔を羞恥と苦痛にゆがめるのもアリだな、と思いましてね」
「ッ、てめぇ適当な証明しやがったら許さねぇぞッ」
――やはり、悪魔は悪魔だった。
ガイは怒りをこぶしに込めて、腕を振り上げて。
「おや、沸点の方はかなり低いようですね。悪魔に肉弾戦を挑むなどまるでなっていませんよ」
殴り掛かったガイの拳は、悪魔の手の平にすっぽりと納まってしまう。その手の中から拳を抜こうともがくガイだが、まるで万力に捕らえられたように悪魔の腕はびくともしなかった。
「お前がッ、悪魔は肉体を持たないって言ったんだろうがッ」
「む?悪魔は肉体を持ちませんが、この世界に降りる際は受肉しますよ?あなたが悪魔召喚の儀式の際に生贄としてささげたウサギの肉はその受肉のためのものですよ。……というか、あなたは私が精神体だから攻撃を仕掛けて来たという話ですか。実体を持たぬ我々悪魔は、そもそも拳など効きませんよ?」
もがくガイから悪魔が手を放す。
すぐに飛びのいたガイは、これまでにない警戒心を持って悪魔をにらむ。
やれやれと肩を竦めた悪魔ノーマンは、一つ咳払いして話を続ける。
「一度、状況を整理しましょうか。現場はガイ殿の家。被害者ヒギーシャはナイフで腹部を刺されたことによる失血死。ヒギーシャ殿の部屋は荒されており、物取りの線が浮上。現場となった家にはその時ヒギーシャ殿の双子の片割れであるヒガーシャ殿がおり、彼女が現在捜査線上の最も有力な犯人候補である、と」
「あ、ああ。そうだ」
「ちなみに、ヒギーシャ殿が亡くなっていた場所は、彼女の部屋に近い場所だったのでしょうか?それと、他に荒らされた部屋はありませんでしたか?」
「あいつが死んでいたのはリビングだ。ヒギーシャの部屋から直接扉一つ隔てたところだ。それと、他の部屋が荒らされた様子はなかった」
「ヒガーシャ殿が事件当時居たと証言している場所はどこでしょう」
「自室だ。ヒギーシャの部屋から壁一枚隔てたすぐ隣にある。音楽を聴いていたために部屋を引っ掻き回す音は聞こえなかったと証言しているそうだ」
「音楽のかかっている家にわざわざ物取りが侵入する可能性は低い……ヒガーシャ殿が犯人と判断されるだけの理由はありますか」
「だがあいつが、ヒガーシャがそんなことをするはずがない!まるで一心同体のように二人は育ってきたんだよ。そんな、そんなはずが……」
「現場には最低二人、物取りの線はやや可能性が低い。ナイフで腹をひとつき……失血死にしてもそれなりに時間がかかりますよね。流石に悲鳴が聞こえないほど大音量で音楽を聴いていた可能性は低いでしょうし……」
埒が明かないですね、とそうつぶやく悪魔の口元は、けれど盛大ににやけていた。面白い事件に遭遇したと、そう言いたげな表情に、苦悩するガイは気づかない。
「それではガイ殿。私はあなたとの契約を受け入れたく存じます。契約の内容は、ガイ殿の娘、ヒギーシャ嬢が自殺であったことを証明すること、対価はガイ殿の苦悩の感情、それでよろしいですね?」
「苦悩の、感情……そんなんでいいのか?悪魔との契約って、もっと魂を売り渡すとかそういう物をイメージしていたんだが」
「魂を好む悪魔が多く存在するのは事実ですよ。ですが、魂ばかり食らっていては、飽きがくるというものです。魂が引き裂かれるような苦痛しか味わうことができないよりは、様々な苦悩の感情をいただいた方がよいというものです」
「そんなものでいいのなら……」
「本当に、ヒギーシャ嬢の自殺を証明すること、でよろしいのですね?」
悪魔の再度の確認、それにガイはゆるゆるとうなずこうとして――
「いや、そうだな……ヒギーシャがヒガーシャに殺されていないことを証明してほしい」
苦々しい表情で告げられたガイの言葉に、悪魔は気づかれないように舌なめずりした。
「それでは契約とまいりましょう。お手を」
ガイと悪魔は互いの手を重ねる。
悪魔の呪文に合わせて、上に重ねられたガイの手のひらに赤黒い魔方陣が出現し、くるくると回りだす。次第にその回転は落ち着いていき、最後に一瞬まばゆく光ったと思えば、すうっとガイの手の中に魔方陣は吸い込まれていった。
「なんつうか、あっけないな」
「ええ、悪魔にとって契約は専売特許ですから。相手に苦痛を味わわせる契約などナンセンスですよ」
こうして二人の契約が成立し、悪魔による事件の証明が始まった。