捨てられた
零時をまわってアルバイトを終え、休憩室でおなじく仕事を上がった仲間とまかないを食べていると、ふいに携帯電話が鳴った。悠は画面に彼女の名を認めると、どんぶりを置いてすぐにでた。
「悠くん、どこにいるの?」
ひどく泣いている。鼻をすする音がする。
「バイトだよ。知ってるでしょ」
悲しみにむせぶ女を下手に刺激しないよう、しかし事実はきっぱり伝える。まったく訳がわからない。だが自分に会えずに泣きじゃくる女を、悠は不埒にも可憐に思った。
てっきり二十二時にバイトを上がると思っていた彼女は、二十三時になるのを待たず、そろそろコートをまとってさえ寒さが染み入るなかを、外灯をせめてもの頼りに、彼が待っていると思えばこそ自転車にまたがっていそいそとアパートへ走った。
たどり着いて、一階の彼の部屋のベルを、浮き浮きと鳴らすと、出て来ない。もう一度おしてみる。それからもう一度だけ。
いくら待ってもしんとしているので、そのときにはもう悲嘆に暮れながら、彼女はふっと思いつくままに裏へとまわった。窓のシャッターはぴしゃりと降りている。
彼女は無我夢中で引きあげた。がらがらと響いた。真っ暗である。悠はいない。誰もいない。捨てられた!
「捨てられたと思ったの。悠くんに捨てられたって」
依然泣きつづけながらも、彼の声を聞いて、ほっとしたのか、呼吸がゆっくりになっている。
「そんなこと」
悠は可笑しくも不憫になりながら、返すべき言葉も定まらぬままにつぶやいて、すぐさま、
「そんなわけないだろ」優しくたしなめるように言う。
「うん」
「ていうか外寒いでしょ? 風邪ひいちゃう」
「大丈夫だよ」
「いや寒いって。それともどこかに入った?」
「うん」
「それはよかった、でも近くだったらコンビニかな」
「ううん、悠くんの部屋にはいったの。窓あいてたから」
ん? えっと。
悠は言うべき台詞を見つけかね、まかないを食べ終わりしだいすぐに帰る旨を伝えて、彼女を安心させると、隣にすわる男に事情を端折って説明したのち、どんぶりを掻っ込んで店をでた。
駅まで歩き電車にゆられるうち、先刻の不快は早くも薄れて、彼女の泣きくずれる姿が目に浮かぶ。
アパートの最寄り駅につくと、寂しくそびえる電柱の外灯が照らすものの影が、やわらかく見えた。
悠は歩けば十分の道を、誰のためともなく心急くままに早足になって、頬に冷たい風を受けながら、胸はあたたかくずんずん歩むうち、アパートのベルを鳴らし、開くのを待たずにこちらで鍵をまわして、ドアを引いた。
すると、ふんわりした部屋着姿の彼女がにこにこ駆けてきて、ぱっと腕をひろげた悠の胸に飛び込み、体をあずけるうち、静かに身をはなしたその泣き笑いの顔へ、
「合鍵つくろっか」
そう悠がつぶやくと、彼女はすぐにうなずいて頬ずりした。
読んでいただきありがとうございました。