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36話 それでもぼくはカプセル・ホテルに行きたい。

 大事なことって何だろう……。

 ポカポカの湯船の中、眼を(つぶ)り眉根を寄せて、あごの上まで湯に浸かる。

 かつて『今はぼくのもの』と呼んだ上半身のほとんどを占めるふたつの膨らみは、重力から解放され優雅に揺れている……はず……。

 うーん、うーんと唸りつつ……お……思い出した。


 大事なこと……そう、それはカプセル・ホテルだ。

 カプセル・ホテルは女性のニーズが非常に少ない……ゆえにほとんどのカプセル・ホテルは男性専用となっているのだ。


 今このレイカさん仕様でカプセル・ホテルに行ったら間違いなく断られるだろう。なぜなら、ぼくはどこからどう見ても立派な女性だからだ。


 こうなったら少し高くつくがホテルにするか……うーん……。


『幡中もしくは鈴原の家に一晩厄介になればいいのでは?』

「ぼくはウェルカムですが、彼女たちがイヤがる……と思う……」


『それとも仲良しの荒海氏に泊めてもらうか?貞操を守れるか(はなは)だ怪しいが』

「た、確かに……」


 だったら会社の椅子で一泊するか……そんなことしたら、翌日仕事にならないくらいダルくなるのは明白だ。かつて徹夜で仕事した時の不毛さを思い出し、お腹に両手を回し、肩を揺らしてしまった……お風呂のお湯が波で泡立つ……。


 湯船の中から左手を出し、こめかみに指をあてて悩んでみた……。


 こうなったら、ハルに前言撤回するか……。

 ってゆーか、久しぶりに……いや数十年振りにママと一緒にベッドで寝るというのはどうだろう……夫婦なんだからそれが普通だし……。

 と言える状況ではない……夫婦セックスレスになって何年経っていると思うのだ……やっぱり、無理か……。


 結局、意思決定できず、時間も時間であったためお風呂から上がる。

 風邪を引かないようにさっと体を拭いて、服を着た。


 まだ日にちはある……。

 最悪、リビングの床に寝ればいい……キャンプ用マットレスを敷いて……とりあえずこのことは先送りする。


 ……。

 この問題の他、別に思い出したことがある。

 久しくやっていない筋トレについてだ……そろそろ再開しようかな……。


『筋トレ、再開すればいいではないか……おもいっきり負荷をかけない限り早々筋肉は大きくならない』

「では……ちょっとやってみます……お風呂出た後なんで、汗かかない程度に……と」


 久々にブルワーカーで筋トレしてみる。

 ブルワーカーの端のグリップを左右それぞれの手で掴み、胸の前に水平に持ってくる。息を吐きながら、左右同時に内側に押し込む。胸の筋肉が悲鳴をあげるところまで押し込む……。

 信じられないほど、ブルワーカーに負荷をかけられない……。

 これが女性の筋力なのか……古武術の使い手のレイカさんなのに、この筋力……??


『古武術はいわば柔術だ……相手の力を利用したり、弱点を突くのだよ……力まかせで技をかけたりしない』

「……な、なるほど」


 おじさんの頃は胸板や背中を厚くするべく無理にやっていた筋トレだが、そんなに気合い入れてやらなくてもよさそうだ。だってレイカさんにマッチョは似合わないから……。


『似合うかもしれんぞ……私がマッチョになったらモテ期が来るとか』

「……モテ期って……レイカさん、モテ期以外ってあったんですか?」

『……言われてみれば……ないな』

「……ですよね……うらやましい」


 とにかく今のこの無双ボディでもう十分パーフェクトだ……と本気で思う。

 わざわざマッチョにすることはないだろう……だって美も兼ね備えているのだから。

 

 結局その日はカプセル・ホテルにしろ筋トレにしろ、何も決断せずに終わってしまった。

<登場人物>

岡本淳也オカモトアツヤ:主人公、男性、52歳、妻子あり、IT企業に勤めるサラリーマンかつ公認LGBT社員、人格は変わらないが、外観はレイカになっている

桐生麗華キリュウレイカ:女性、25歳、独身、ニューロ・コンピュータ・サイエンスなどなどの権威、故人、自律型AIに生前の人格をコピーし、DCのサーバに潜伏する。アツヤとは脳内チップを経由して会話する。古武術の使い手でもある

岡本幸菜オカモトユキナ:女性、58歳、アツヤの妻、主婦

岡本遙オカモトハルカ:女性、19歳、アツヤ/ユキナの娘、大学1年生

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