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35話 ハルのお願い

 ここは我が家。

 江戸川区の葛西駅から徒歩25分ほどにあるマンションだ。

 マンションは81世帯分あり、主にファミリー層が入居する。

 我が家は最上階で、2LDKと狭い間取りにほとんど大人サイズの人間が4人暮らしている……実質部屋が2つほど足りないが、ぼくが日々稼ぐ額ではこの価格帯が限界だった。

 もっと部屋が必要であるならば、広くて安い東京より外側の県に引っ越さないと無理だろう。

 そうなると通勤時間が長くなる……これは切実な問題である。


 ただし昨今はこの状況が変わりつつある。

 ウイズコロナという新しいライフスタイルだ。

 自宅にいながら仕事をするというオフィスレスかつ通勤レスなビジネススタイルがこれにあたる。

 この新たな生活スタイルを導入することで、コロナに感染せず、仕事も行い定期的な収入を得るという仕組みだ。

 もーこうなるとどこからどこまでがビジネスでプライベートなのかよくわからない生活に突入することになる。誰にも監視されていない環境で仕事するのだから、当然サボるヤツも出てくるだろう。ヒドいヤツはたばこや酒を片手に自宅で仕事している……らしい。これはもはや働いているとはいえないのではないか?


 話が脱線した……ここは我が家のリビング。

 普段滅多に話をしない娘のハルが声をかけてきたのだった。

 

 おとがいに軽く握った拳をあて、首を少しかしげてキラキラした眼を上目遣いにぼくの顔を覗き込む。

 彼女の表情を見た途端、過去何度も行われたであろう事の成り行きを思い出し、思わず口の端が歪んでしまう……。


「パパ……お願いがあるんだけど……来週の火曜日、友達が泊まりに来るんだ……で、パパのベッド貸して!」

「……うーん……ハルの友達とぼくで、一緒にベッドに寝ろと……?」

「なわけないでしょ!?……その日、帰ってこないで、ってお願いしてるの……」


 今度は眉間にしわを寄せ、ジっとこちらを()めつける……両の拳は腰のあたりに回されていた。

 ぼくは少し仰け反って、下目遣いで彼女をチラ見し様子をうかがった……そして思考を回転させる。


 これはどう見ても強制だ……選択肢はなさげで……ある。


 軽く握った右手の人差し指を額にあて、眼を閉じ、先ほどとは逆に首を前に少し倒した。

 

 しばし考える……この申し出は悪くはない……それは久しく泊まっていなかったカプセル・ホテルに泊まるチャンスだからだ。

 

 眼を開き、彼女の瞳を見つめ、一息を吸い込んでから彼女の両肩に軽く手のひらをのせ声を発した。


「来週の火曜日だね……その日はカプセル・ホテルに泊まることにするよ」

「ありがと……パパ」


 ぼくの快い返事を聞いた後、彼女の表情はまるで算数の問題が解けてスッキリした小学生のようだった。

 彼女は鼻歌を奏でながら、軽い足取りでいつもの椅子へ移動し、タブレットを操作し始める。

 ぼくは会社から帰宅した時のルーティンをこなすべく次なる行動に移した……明日の出勤に備える、である……要は眠りに着くための準備だ。

 うがいをして歯を磨きお風呂に入る……である。


 ゆっくり湯船に浸かりながら、カプセル・ホテルに思いを馳せた……。


 久しぶりだ……サウナには12分入ろう……そして、毛穴が完全に開き、ツルツルになった肌の状態で髭を剃るのだ……ぐふふふふ。


『アツヤ君、君はもう髭を剃る必要はないのだが……』

「……んっ!?……髭を剃る必要がない?……あれ……??」


何か……何か大事なことを忘れている……が、今は思いつかなかった。

<登場人物>

岡本淳也オカモトアツヤ:主人公、男性、52歳、妻子あり、IT企業に勤めるサラリーマンかつ公認LGBT社員、人格は変わらないが、外観はレイカになっている

桐生麗華キリュウレイカ:女性、25歳、独身、ニューロ・コンピュータ・サイエンスなどなどの権威、故人、自律型AIに生前の人格をコピーし、DCのサーバに潜伏する。アツヤとは脳内チップを経由して会話する。古武術の使い手でもある

岡本遙オカモトハルカ:女性、19歳、アツヤ/ユキナの娘、大学1年生

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