15話 背筋を伸ばして……
仕事が終わったので、まっすぐ自宅を目指す。
会社のビルを出て、東京メトロ駒込駅に向かう……人とぶつからないように慎重に歩いた。
現在時刻は17:10。
まだこの時間帯の帰宅者はまばらだった。
レイカさんの言葉がフラッシュ・バックする。
(アツヤ君、君が私のこの身体を得たのに、楽しもう・遊ぼうとしないのが極めて遺憾だよ)
この身体を楽しむ、遊ぶかぁー……。
ま、まさかっ!?……マ、マスターベーションっ!?
『それは違うな』
「ですよね……すみません」
自分の行動を顧みる。
ぼくはいつも……何事も無難に、事を運ぼうとした。
あらゆるリスクをヘッジした。
日々の勉強や筋トレ、散歩などを優先した。
いづれも社会で役立つことや、健康によいことばかりだ。
楽しまず、遊ばず……。
『冒険しないよな、君は』
「……そうですね」
何事も「先ず隗より始めよ」だ。
できることから少しずつ実行すればいい。
考えたことを実行し、失敗したら反省して、また、考えて実行する。
そう、楽しむ……そして、……遊ぶんだ!
とりあえず、だ!
せっかくレイカさんになったのだから、自信を持って行動する、から始めよう。
そう、まずは、ぼくが彼女であることを楽しむのだ。
そして、いづれ真剣に遊ぶこともしたい……、
顔を上げた。
やや猫背気味だった状態から、ピンと背筋を伸ばす。
さらに胸を張る……100Jレイカさんお胸は、隠す必要などないのだ……ってゆーか、いくら猫背でも隠せませんけど。
そして艶やかなロングヘアをなびかせ、颯爽と歩く。
暗かった表情が、自然と笑みになっていく感じがした。
萎縮する必要はない……堂々としよう。
だって、何も悪いことはしていないのだから。
さぁ、大いに楽しんで、遊ぼうではないか。
あはははは。
『アツヤ君、いいぞ。なんか私もワクワクしてきたぞ』
「そうですか……そう言ってくれるとうれしいですよ」
……。
帰りの電車。
東京メトロの南北線の駒込駅から飯田橋駅へ行く。
東西線に乗り換え、葛西駅まで行く……あとは自宅まで徒歩だ。
東西線では降車ホームの階段近くの車両に乗る。
ドアが開く側のはじっこ席を確保した……なかなか座れない貴重な位置である。
自宅最寄り駅である葛西駅まで、いつもどおり小説を読んで過ごす。
あれっ!?……なんか左のお胸が触られている。
でも、暴走したユウの時とはまるで違う!
さわり方がとても優しい……まるで赤ちゃんの手に触れられているようだ。
ほんとうに痴漢なのか、と錯覚してしまう……。
『こんなに優しく触れることができる痴漢も居るのだな。正直驚きだ』
「うーん、感心している場合じゃないんですけどね……」
となりに座っている人を見る。
男だ……ぼくより5cmほど背が高い。
肩幅があってガッチリしている……が、太っているわけではないようだ。
耳まで流れる爽やかなヘア。
知的な雰囲気を醸し出すリムレスのメガネ。
大学生かな……とてもイケメンなんですけど。
余裕を感じるクールな表情でスマホの画面を見ている。
彼が痴漢なのか??
でも、彼の右手にはスマホがあるし……。
わざわざ左手をお腹から回して、ぼくの左胸を触っているのか……マジか……。
もー、やられっぱなしのぼくじゃないのだよ。
ここは一発思い知らせてやる!
しかもこれは威厳を取り戻すチャンスでもあるし。
よ、よし、注意するぞ!……3、2、1……。
「い……」
「いい加減にしないか、君っ!」
はっ!?……なんで?……痴漢されているぼくが怒られたぁー……??
となりの彼の顔を見た。
彼の視線はぼくではなく、彼の左どなりの女の子のほうへ向いていた。
彼女は目と口をぽかんと開けたまま、グレーに染まり固まっている……。
次の停車駅が近づいてきたので、電車は減速し始めたようだった。
ぼくら3人はそこで降りた。
<登場人物>
・岡本淳也:主人公、男性、52歳、妻子あり、IT企業に勤めるサラリーマン、人格は変わらないが、外観はレイカになっている。会社でLGBT社員として公認された
・桐生麗華:女性、25歳、独身、ニューロ・コンピュータ・サイエンスなどなどの権威、故人、自律型AIに生前の人格をコピーし、DCのサーバに潜伏する。アツヤとは脳内チップを経由して会話する。古武術の使い手でもある
・岡本結太:男性、15歳、アツヤ/ユキナの息子、中学3年生
・電車男:男性、イケメン
・電車女:女性