12話 女子トイレ・クライシス
女子トイレの近くまで来ると、幡中さんは止まり、ぼくの手をゆっくり放した。
ぼくの顔を下からのぞきこむ。
ついついぼくも彼女の顔をのぞきこんでしまった。
彼女は目を反らし、少しほおを淡く染める。そのまま小さな声で話し始めた。
「これから女子トイレのレクチャですが、先立ってLINEアカウントの交換をお願いします」
「えっ……それ、必要なんですか」
「トイレ内で会話はできません。意思疎通にLINEを使うのです。それと私は岡本さんのフォロワーですので……」
「わ、分かりました」
とりあえずそれぞれのスマホを操作し、LINEのQRコードを表示して、アカウント交換を済ませた。
彼女はにっこり微笑む。その笑顔はまるで親に褒められた子供のようだった。
「では、始めますよ、岡本さん。ここからはLINEでお話しましょう」
←了解です
ぼくはスマホを操作し、さっそくメッセージを送った。
幡中さんはまたぼくの手を取って、トイレに入っていく。
周りを見て誰も居ないことを確認すると、近くの個室に入った……なんと、ぼくを連れたまま……。
カチャっと鍵を閉めて、ぼくの顔を下からのぞきこむ……本日2回目。
ぼくも目をあわせた。目を伏せ、ほおが少し赤みを帯び、小刻みに揺れる唇の幡中さんが目に入った。
次からはしばらくLINEによる会話だ。
→それでは、正しい放尿の仕方をレクチャさせていただきます
←えっ……それも必要ですか
→はい、岡本さんをフォローするのが私の役目ですから
幡中さんはいきなりロングスカートをスバっと脱いだ。そしてフックにかける。
続いてパンツの右足部分を引き抜き、そのまま左膝あたりに引っかけた。
足の付け根一杯に股間を広げ、便座に座り、そのまま前屈みになる。
ぼくは個室内の角に棒立ちになって、彼女のいつもの印象とは違うとても男らしい仕草を、ある意味羨望の眼差しで見つめ続けていた。
→相撲の立ち会いのイメージです。我々女性が唯一持つ、希望が通る道を尿で汚さないようにします。このようにすれば尿は垂直に落下するので、かの道は清潔に保たれるでしょう
←なるほど、了解です
とても論理的な放尿方法のレクチャを受け、今ここのシチュエーションがぶっ飛んだことであることを、すっかり忘れてしまっていた。
彼女は自分のミッションが完了すると、ペーパーで股間をていねいに拭き、パンツをはいた……そしてスカートも。
続いて水洗ボタンを押し込む。
→次は岡本さんの番です
←はい、師匠
ぼくもいきなり八分丈パンツをスバっと脱いだ。そしてフックにかける。
後は幡中さんと同じ動作を繰り返す。
相撲の立ち会いのイメージ……相撲の立ち会いのイメージ……っと。
続いて、垂直に、真下に尿を放出……尿を放出……っと。
かなりの勢いでそれはあふれ出てしまった……ちょっと我慢しすぎたようだ。
緊張が一気に解かれ、放尿中の幸福感に浸り、ちょっとしたエクスタシーな気分になる。
ぼくがボーっとしていると、幡中さんの小振りな胸が迫ってくる。
気がついたら、彼女の両腕はぼくの後頭部と背中に回され、優しくハグされていた。
少しびっくりしたが、すぐに暖かく包まれて心地よかったので、そのままぼくのほおを彼女の胸にしばらく預けてしまった。
……幡中さんは頃合いを見て離れる。
ぼくは自分のミッションが完了すると、ペーパーで股間をていねいに拭き、パンツをはいた……そしてズボンも。
忘れずに水洗ボタンを押し込む。
幡中さんからメッセージが届いた……。
→あなたは勇気をくれました……だから、私も……
今度はぼくの胸に、顔を横に向けて、ゆっくりと埋めてきた。
両手をぼくの背中に回し、そのままぴったりとくっつく……トイレの個室の中で。
ぼくはそのまま動かず、彼女の頭頂部と少し見えるうなじを眺めていた。
『アツヤ君、話してなかったが、私はなぜか女子に好かれるのだよ』
「……でしょうね……」
『彼女、LGBTだね』
「……ですね……」
……静かだった。
彼女の心臓の鼓動が聞こえてくる。
このシチュエーションをどう終わらせればいいのかと、これからどうなるのかという不安が入り乱れ、時は静かに流れていった。
<登場人物>
・岡本淳也:主人公、男性、52歳、妻子あり、IT企業に勤めるサラリーマン、人格は変わらないが、外観はレイカになっている。会社でLGBT社員として公認された
・桐生麗華:女性、25歳、独身、ニューロ・コンピュータ・サイエンスなどなどの権威、故人、自律型AIに生前の人格をコピーし、DCのサーバに潜伏する。アツヤとは脳内チップを経由して会話する。古武術の使い手でもある
・幡中茉莉菜:女性、24歳、独身、IT企業に勤めるサラリーマン、アツヤの同僚、隠れLGBT社員