11話 幡中さん、仕切る!
幡中さんに注意されたぼくと荒海さんは、椅子のキャスターの慣性を最大限利用し、すばやく自席に戻った。
そして何事もなかったかのようにマスクを付け、キーボードに手を添え、モニタを凝視する。
幡中さん、24歳、独身、一人暮らし、おそらく彼氏はいる。
背は155cmほどで小柄。
髪は肩までのセミロング、前髪はナチュラルに流している。淡いブラウンに染めた艶やかな髪は手触りよさげだ。
顔はレイカさんのような美貌とまではいかないが、かわいいほうだろう。肌は薄い小麦色、健康そうではある。
服はクリーム色の七分袖ブラウス、茶色のロングスカートだ。ぱっと見、JDと言ってもわからないだろう。
幡中さんは少しあきれ気味で、両手を握り、腕を曲げ、手の甲を腰の脇にあてながら前屈みになる。
そしてぼくらに静かに話しかけた。
「マスクはしてない。ソーシャル・ディスタンスは取っていない。手を繋いでいる……しかも男女で」
その言葉を聞いた瞬間、ぼくも荒海さんも背筋がビッと伸びる。
そして、こめかみから汗がツラー……と流れるのを感じた。
彼女は、何事かと近くまで様子を見にきた課長を見ると話を切り出した。
「コロナ禍で、これは問題ですね……川内課長、席替えを要求します」
((えええええーーーーー……かんべんしてくれ))
ぼくと荒海さんは同時に叫んだ……と思う、心の中で。
川内さんは前に腕を組み、首を少し捻った。
そして冷静に言葉を選んで、幡中さんに話を切り出す。
「岡本さんも久しぶりの勤務で緊張しているのだろう。幡中さん、君がフォローしてやってくれ。席替えについては別途検討する」
「承知しました」
((ふぅーーーーー……))
ぼくと荒海さんは同時に安堵した……と思う、心の中で。
にしても、幡中さんがぼくをフォローって一体何の?
ぼくはひとりで業務こなせますけど……。
考えごとをしながら、とりあえず仕事に精を出していた。
すると、全社員用端末のスカイプにメッセージが届く。
以下はメッセージのやり取りだ。
「Hatanaka> 岡本さん、少しお時間いただけますでしょうか」
「Okamoto> はい、大丈夫です。何でしょうか?」
「Hatanaka> トイレはどちらを使用されましたか?」
やば、返事どうしよう……。
実際、朝一では男子トイレを使っている……。
そういえば、あれ以来トイレに行ってない……そろそろしたい、マジで。
悩んだ挙げ句、ひとつの解を見つけた。
「Okamoto> 1Fにある多目的トイレです」
「Hatanaka> 承知しました。岡本さんが使用するトイレですが、課長と相談して女子トイレを使っていただくことになりました。」
「Okamoto> 承知しました。ありがとうございます」
「Hatanaka> 早速ですが、レクチャいたします。スマホを持って、廊下で待っていてください」
「Okamoto> トイレの使い方のレクチャですか?」
「Hatanaka> はい、さっさと終わらせますので、ご協力ください」
「Okamoto> 承知しました」
女子トイレって特別仕様なのかな……うーん。
一応指示どおりスマホを持って廊下で待つ。
幡中さんも登場、なぜかぼくの手を取り、移動を開始。
そして一言……。
「それでは、女子トイレに案内します」
ぼくの手を握ったまま、幡中さんが歩きだす。
女子トイレに案内って……いくらなんでも場所は分かりますよ。
それとレクチャって……あいかわらず謎だ。
ぼくも手を握られたままだったので、仕方なく彼女と一緒に移動し始めた。
<登場人物>
・岡本淳也:主人公、男性、52歳、妻子あり、IT企業に勤めるサラリーマン、人格は変わらないが、外観はレイカになっている。会社でLGBT社員として公認された
・川内祥二:男性、55歳、妻子あり、IT企業に勤めるサラリーマン、アツヤの上司で課長
・幡中茉莉菜:女性、24歳、独身、IT企業に勤めるサラリーマン、アツヤの同僚
・荒海千春:男性、53歳、独身、IT企業に勤めるサラリーマン、アツヤの同僚、アツヤの隣で仕事がしたい