猫の恩返し【1】
さて、まず今回の物語の主人公を紹介しようか。
佐藤武君、彼はとある町に在住する普通の会社員。
3年前奥さんと別れて今は一人暮らしをしている。
彼はね、ごくごく一般的な、これといって特別語ることのない普通の人生を送ってきたし、これからも代わり映えのしない毎日を送るんだ。
そんな彼が唯一体験した不思議なお話をしよう。
場面はとある雨の日。
彼はいつものように仕事を終えてこれから帰宅するところだ。
「すごい雨だな。」
こんな日はさすがに憂鬱になる。
どうせ家に帰っても誰もいないと思うとなおさらだ。
佐藤武は自宅から持ってきた傘を開く。
職場から自宅までは歩いて約15分程度。
彼は雨の中いつもの帰路につく。
バチバチと雨が傘に当たる音だけが聞こえる。
もう彼女と別れて3年が経つ
最初の1年くらいは寂しさと虚しさで胸がキリキリと痛むこともあった
しかし人間は一人に慣れるものだ
今では感傷に浸ることもほぼなくなった
ただ、時間ってやつは傷の痛みを忘れさせてくれるがなかったことにはしてくれないんだな
こんな雨の日はつい思い出してしまう
俺は本来忘れっぽい
よく雨の日は傘を忘れてあいつが職場まで届けてくれた
そのまま二人で一緒の傘に入って家まで帰ったけ
今では絶対に傘を忘れないようにする
届けてくれる人間は誰もいないからだ
一人で雨に濡れながら帰れば、身体の寒さと、心の冷たさで耐えきれなくなってしまうかもしれない
彼は物思いにふけりながら自宅までのいつもの道を歩く。
「ニャー…」
どこかからかぼそい声が聞こえる。
その声で我に返った彼は改めて耳を澄ませる。
雨の音だけが響いている。
「ニャー…」
どうやら声は近くのごみ置き場から聞こえるようだ。
彼はそちらに歩いていく。
そこにはミカンの段ボールに入れられた猫が一匹、震えていた。
こうやって捨てられてる猫初めてみたぞ。
「ニャー…」
猫は雨に濡れ寒さで震えている。
ウルっとした瞳で彼を見つめる。
そんな目で見るなよ
俺、動物は金魚しか飼ったことないんだ
しかもほとんど母さんが世話してたし
彼はスマートフォンで《猫 飼う》
と検索しようとする。
「ニャー」
また猫が今にも消え入りそうな声で鳴く
「ああっ!!もうっ、わかったよ」
彼はその猫を抱きかかえ自宅まで走る。
その後猫は彼の家で飼われることになった。
「おい、佐藤。久しぶりに今日飲みにいこうぜ」
「すまん、今日はちょっと...」
「なんだよお前。最近付き合い悪いじゃん。仕事終わるとすぐに帰っちまうし、彼女とより戻したの?」
こんな会話が彼の職場で何回かあった。
猫はみるみるうちに体力を回復し、すっかり佐藤になついてしまった。
そんなある日、彼は不思議な夢を見る。
彼は気づくと真っ白な空間に立っていた。
その空間には彼と一匹の猫。
その猫は、美しさ、冷静さ、超然とした態度、落ち着き、尊大さ、飼い慣らしえない支配者的風格、その全てを兼ね備えていた。
彼女は静かに佐藤の方に歩みよってくる
「我が眷属が世話になったな」
彼女は佐藤に話しかけてきた。
しかし、佐藤には不思議とそれが異常なことだとは感じられなかった。
それほどに目の前の彼女は、完全無欠、全てを超越した生物だったのだ。
「眷属って?」
「今、君の家に世話になっている者のことさ」
「ああ、タマのことですか」
「ふふ、あの子は素敵な名前までもらったようだね」
彼女は嬉しそうに笑っている。
「さて、そんな心優しい君を見込んで一つ頼みがある」
「頼み?」
「ふむ。最近この町で我が眷属が何者かにより命を奪われている。これは由々しき事態だ。私もどうにかしたいと考えているのだが、未だに犯人の足取りがつかめない。そこで君にこの事件の犯人を突き止め、我が眷属を救ってもらいたいのだ」
「はあ」
話が急展開過ぎてついていけないな
「もちろん報酬も用意しよう。どうかね?」
佐藤は少し考えこむ。
彼は頼まれごとを断れない性格だった。
さらにどうせこれは夢だから、という思いが彼の背中を後押しした。
「いいですよ。猫殺しの犯人を見つけて、懲らしめてやればいいんですよね」
「ありがとう。さすが私が見込んだ人間だ。」
佐藤の視界が霞み、意識が薄れていく。
「とりあえず我が眷属を君の補佐として使わせよう。よろしく頼んだよ」
そこで佐藤の意識は現実に引き戻される。
彼はいつもの自宅でいつものように目を覚ます。
ただし、いつもと違うことがあった。
キッチンからみそ汁のにおいがする。
さらには包丁の音まで聞こえる。
ゆっくりと目を開けると部屋が妙に片付いていた。
「どうなってんだ...」
恐る恐る、彼はキッチンを覗き込む。
そこには、見たこともない女性が立っていた。
彼女は彼に気付き、声をかける
「あ、ご主人様。おはようございます。」
女性は美しい容姿をいていたがどこか人間離れした印象も受けた。
佐藤は思考をまとめるのに時間がかかった。
しばらくしてやっと声を発することができた。
「え、えっと君は?」
「え?わたし?やだなぁご主人様、タマですよ。ご主人様に救ってもらった、猫のタマです」
タマと名乗った女性はニコニコと笑っている。
佐藤は未だに混乱している。
「我が主の命により、この姿でご主人様を補佐することになりました。よろしくお願いします」
タマは深々とお辞儀をする
「勝手ですが朝ごはんを用意していました」
「はぁ」
「だめですよ、ご主人様はいつも朝ごはんを食べないで出かけてしまいます。朝ごはんは一日の元気の源です」
「す、すいません」
佐藤はつい頭を下げる。
ようやく状況が整理出来てきた。
「ちょっと待て、えっと、タマ」
「はい?」
タマは佐藤を不思議そうな目で見つめてくる。
「うん、朝ごはんもいいんだがな、えっとな、その前にな...」
佐藤は顔を赤らめながら大きく息を吸い込む。
「まずは服を着ろォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!」