第八話 「魔界の森の住人」
初日は波乱の幕開けだったが、それ以降はなんの問題もなく、見渡す限り広がる緑の大地を進んだ。
七日目の昼頃、異変に気付いた。遠く離れた空が赤いことに。まだ夕刻までには時間がある。それなのに赤い空。全員が理解したであろう。「あれが魔界の空」と。
空の異変に気づいてから三時間ほど歩くと森が見えてきた。まずその森の木々に驚く。普通の色をしていないのだ。赤紫に近いか。とにかく不気味な色をしている。とうとう魔界の森に来てしまったと少し身震いした。
夜に魔界の森に入るのは危険と判断した俺は、魔界の森から少し離れた所で夜営するようにオルガ達に指示を出した。
慣れた手付きで夜営の準備を整えてくれているオルガ達。手持ち無沙汰になり俺は晩飯の支度をする。いまではすっかり飯の当番になってしまった。これくらいしかできないからいいんだけど。
夜営の準備に加えてもらえなかったようで、ピサがふて腐れていたので飯の準備を手伝ってもらうことにした。火を起こし、適当に刻んだ野菜と肉を鍋に入れ煮込む。おやっさんの包丁も使わせてもらっている。
鍋から良い匂いがしてきた頃、夕日が沈み辺りを暗闇が包んでいた。オルガ達も準備を終え、鍋の匂いに吸い寄せられるように集まってきた。
「少し早いが、飯にしよう」
俺の声に全員頷き、火の回りに円になって座り、食事をする。酒も用意してある。明日の英気を養うのに必要な事だからな。酒も入り、陽気になる俺達。ピサもリベンジと言わんばかりに酒に口をつけていたが、また吹き出している。今度はオルガの顔に。いいぞ、もっとやれっ!
仕舞にはオルガの野郎がケツだして踊ってやがる。お前、姫様の前でそんなことして、不敬罪極まりねぇ。でもまぁ、ピサも楽しそうにしてるし、いいよな。
どんちゃん騒ぎをしていたが、我ながらアホだなと思う。すぐ近くには魔界の森。本当なら警戒しなければいけないのだが、最後の夜になるかもしれないと思うと騒がずには居られなかった。
宴もたけなわ。一通り騒ぎ、落ち着いた頃、皆がそれぞれにくつろいでいる。すると静かに歌が聞こえてきた。綺麗でいてとても優しい歌声。歌っているのはピサ。宴と歌とは切り離せないものだ。なかなか乙である。
ピサが歌っているのは古い古い歌。それは人に信仰と愛をもたらした一人の賢者の物語。昔話の中でも結構有名なやつだったな。それにしても、ピサの歌声は美しい。俺も聞き惚れているが、あの戦闘にしか興味なさそうなアホルガでさえ目を細め静かに聞いている。
歌を歌い終えたピサは、少し照れたような表情で舌をチロっと出し「どうだった?」という風な視線を寄越したので、俺は小さく拍手をした。
鍋も空になり、酒も尽きた。小さな宴もこれにて終了だ。そろそろ寝る準備をしなくては。ピサは荷馬車で寝てもらって、男衆は地面に雑魚寝だ。オルガとシンとあともう一人には交代で哨戒に当たるように指示した。俺は大きくあくびをして、地面に寝転がった。明日の魔界の森への調査を思う。なにが待ち受けているのだろうか。ファフニールのような魔物はどのくらいいるのだろうか。そんなことを考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
目を覚ますと辺りはまだ暗かった。空が明るくなってきているが、夜明けはもう少し先か。まだピサやオルガ達は寝ているようなので、静かに移動し火を起こす。すると、哨戒にあたっていたシンが俺に気付き走って近づいてきた。
「少佐、お早いですね。朝の支度なら私がやります」
「いいって。お前も疲れたろ。哨戒のほうはもういいから、座れ。いま茶を淹れてやる」
シンは恐縮した様子で座った。俺は茶を淹れてシンに手渡す。
「いただきます」
自分の分も茶を淹れ、煙草に火をつける。シンにも吸うかと尋ねたが煙草は吸わないとのことだった。
茶を二人で啜りながら、ポツポツと話す。シンは、自分は戦争孤児だと話した。オルガに拾われたとも。シンという名前もオルガが付けたらしい。なんでも、月夜の晩に出会ったから、月の神から名前を頂戴したってことらしいが、オルガの野郎顔に似合わずロマンチストじゃねぇか。俺はゲラゲラ笑ってしまう。これにはシンも苦笑いしている。
「俺は強い男に憧れています。父も母も、妹が死んだときも俺はなにもできなかった。いまでも、あの日を思い出します……」
シンは俯き言葉が詰まる。しかし、すぐさま顔を上げる。その瞳には力強い意思を感じる。
「死んだも同然の俺をあの曹長が拾ってくれました。天は私に強くなれと言っているんだと思いました。拾ってくれた曹長に感謝してもしきれませんし、昨日見ての通り、曹長は戦神に愛されたような人です。俺もあの人のようになりたい。俺は強い男になりたいんです」
俺は静かに聞いた。シンは色々なものを抱えてるんだなと思う。オルガも普段はアホみたいに戦うことしか考えてないかと思えば、シンを救ったり、その目標になったりしている。シンに限らずなんだろうが、人とは心の奥に秘めたるモノがあるんだろうな。
「頑張れな、シン」
「ドラゴンベインの少佐にそう言っていただけると、心強いです。そうだ、よろしければドラゴンを屠った時のことを聞きたいですっ!」
興味津々の様子で聞いてくるが、さっきの真面目な話を聞いたあとだとなんか言い辛い。
が、これも俺と友の武名を轟かすためにも必要なことだ。
「しょうがねえな。まず、あのドラゴンは名前をファフニールと言うんだ。それからあいつは黄金の閃光を放ったり―――」
俺の話をシンが興奮した様子で聞き入っている。
しばらく話すと、日が昇り明るくなっていた。ピサやオルガ達も起きてくるようだ。茶を出してやろうとしたが、今度こそはとシンが用意してくれた。
全員で簡単な食事をとり、支度をする。俺は改めて空を見てみる。うむ、やはり昨日確認していた通り空がまったく動いていない。これでは方角を確認できない。星を見て確認しようとしていたが、無理そうだ。仕方ない、木に痕を付けていくしかないな。全員の支度ができたのを確認し出発する。といっても一キロほどしか離れてないが。
すぐに森の目の前に着いた。ここからは荷馬車を持っていけない。当然、人が入らない森だから、荷馬車が通れる綺麗な道もない。なるべく、持てるだけ水と食料を持ち、馬を放してやる。荷馬車は放置だ。
魔界の森を目前に、出発の準備は整った。俺の後ろに横一列で指示を待つ四人。
「さて、行くかい。魔界の森に進撃だ」
「「おぉー!!」
全員で気合いを入れ、森に入っていく。
索敵としてシンと部下Bを先に行かせる。先頭は俺で、その後ろにピサ、そして殿はオルガ。間にピサを挟むような形で進む。
しかしまぁ、歩いてみると普通の森だ。色だけは全然違うが。そうそう、木に痕をつけるのを忘れない。
森を進み出して、一時間ぐらい経っただろうか。何事もなく進軍は至って順調。ちょっと、肩透かし。ファフニールみたいな怪物がうじゃうじゃいるかと思ってたがそうでもないようだ。
なんかこれじゃあ、ただ散歩してるみたいに見えるがただ歩いているわけじゃない、ちゃんとアークガルドの痕跡を探しているのだ。
改めて思うが、アークガルドの連中はこんな森でなにを探しているんだろうか。気持ち悪い植物くらいしか見当たらない。あとは、魔物がいるくらいか。まだ遭遇したわけじゃないが。
その時、前方からふわりと風が吹いた。微か、ほんの微かだが、獣の臭いが混じっている。まさか、オルガの臭いではないよな。冗談は置いておき、近くに野生の獣がいるのは間違いない。剣をゆっくり抜く。
「オルガッ」
俺は振り返り小声で呼びかける。オルガがコクリと頷く。シンと部下Bを呼び戻しに行く。
ピサと俺は周囲を警戒する。気配は感じないのだが……。すぐにオルガ達が戻ってきた。五人で円を作り、それぞれ外を向き全方位に警戒を払う。魔界の森での初の敵。
カサッとピサの方角から音がした。全員がそちらに視線をやる。そして草むらの中に目を凝らす。緊張感が膨れていく。背中を流れる汗が気持ち悪い。
瞬間、ヒュッという音がした。
「曹長ッ! 前です、矢がッ!」
シンが叫ぶ。
「ふんッ」
オルガは易々と矢を剣で叩き落とす。
「おい、シン。ワシがこの程度の攻撃に遅れをとるわけねぇだろ! 姫様をお守りしてろ」
シンは頷き、集中した様子でまわりに気を放っている。
あの~、できれば僕の方も守って欲しいのですが……。いや、ふざけている場合じゃない。攻撃された。しかも、弓矢で。アークガルドの連中が近くにいるのか?
「マサヒロ、これ……」
警戒している俺に遠慮なく話しかけてくるピサ。ちょっと空気読んで欲しかったが、その手にあるモノを見て戸惑う。オルガが叩き落とした矢を持っているのだが、それは矢と呼ぶにはかなり小さい。おもちゃか? 俺はピサからそれを受け取り、触って確かめてみる。矢じりはどうやら本物だ。ただサイズが小さくなった矢のようだった。
「少佐ッ! どうしますかッ! 突っ込んでぶち殺してきましょうかっ」
すでにして、炎のようになって突っ込んで行きそうなオルガ。オルガならなんとかできそうな気もするが、ここは魔界の森。不測の事態が起きる可能性がある。ちとアホすぎるがオルガの戦闘力を失うのは痛い。ここは待機、そしてそのまま警戒だ。
「オルガ! 待機だっ。そのまま、警戒……にあた……れ……」
俺はオルガの方を向き、そう言ったのだが、見てしまった。オルガの足元になんかいるのを。
「オ、オルガくん。チ、チミの足元なにかいるんですが」
「うおっ! なんじゃこりゃあ! 毛玉の化物?!」
そこには五十センチくらいだろうか。そのくらいの毛の生えた二足歩行の生き物がいた。ていうか、猫がいた。
「にゃっ?! 見つかってしまったにゃっ!」
すぐさま逃げ出そうとするが、残念。ピサにひょいと持ち上げられる。
「なにこれ~! 可愛いっ。猫が喋ってる!」
「にゃにゃっ! 離せにゃっ!」
じたばた暴れていたが、ピサにもふもふされ徐々に大人しくなる。ピサは止めと言わんばかりにのどを指で掻いてやる。
「にゃ、にゃふぅん。そ、そこはダメにゃ。こ、降参にゃ、助けてくれにゃ~」
猫らしき奴の悲鳴が寂しくも響く。俺は一気に肩の力が抜けて笑ってしまう。それは全員同じようで、オルガ達も笑いだす。ピサは嬉しそうに猫の顔に頬擦りしてる。猫さんは……げっそりしてますな。笑える。しばらくピサがもふもふを楽しんだあと、俺は猫に問いかける。
「おい、猫。お前はなんだ? ネコ科?」
「ネコ科にゃ! 見ればわかるにゃろ! ボクはケットシーのミソっていうにゃ。おい、派手な鎧を着たお前! 助けろにゃ! この娘になんとか言ってくれにゃ」
ピサは相当気に入ったらしく膝の上に乗せてあの手この手で、まだもふもふしまくっている。
「質問に答えたらな。ぶふっ。それで、もふもふされているミソくん。ケットシーてそもそもなに?」
俺は軽く吹き出しながら質問する。
「貴様、なぁに笑ってるにゃ! 噛みついてやるにゃ!」
「……。ピサくん、やっておしまい」
「アイアイサー!」
キラリと目を光らせ、手をワキワキさせるピサ。その様子を見てミソは顔を引きつらせている。
「わ、わかったにゃ。質問に答えるから勘弁してほしいにゃ」
ピサにやめるように伝えるとがっかりした顔をしている。安心しろ。あとで好きなだけもふらせてやる。
早速、俺は質問に移った。
「よし、まずはさっきの質問だ。ケットシーてなんなんだ?」
「ケットシーは猫の精霊のことにゃ。そんなことも知らないのかにゃ」
こいつは余計な事言わないと気が済まんのか。生意気なクソ猫め。
「知らなくて悪かったな。じゃあ、次の質問だ。なんで俺達を攻撃した?」
「にゃ、にゃにを白々しいにゃ! お前ら人間が僕たちの住処を荒らしたのが先にゃ! その仕返しをしたまでにゃ!」
なんだと?! こいつサラッと重要なこと言いやがった。ピサやオルガ達も真剣な表情になる。
「お、おい、クソ猫。いま人間っていったか? 俺達以外にもいまこの森にいるのか?」
「ミソにゃ! クソ猫じゃないにゃ」
「はいはい、ミソね、ミソ。で、他にも人間はいるんだな?」
「わかればいいにゃ! 人間が住処を荒らしていったのは昨日のことにゃ。たくさんの人間がいて僕たちの住処をめちゃめちゃにしていったのにゃ。す、すごく怖かったにゃ。それで……みんなで逃げだしたんにゃけど、ボクだけはぐれちゃったのにゃ」
「なるほどな。はぐれて一人彷徨ってる所に俺達が現れて、昨日の奴らの仲間だと思ったわけだ」
「そ、そうにゃ。にゃにゃ? お前ら昨日の奴らの仲間じゃないのかにゃ?」
「ああ。むしろ俺達も探してるんだ。そいつらを追ってこの森に来た」
「そうだったのかにゃ! 知らにゃかったとはいえ、さっきはごめんなさいにゃ。そこのゴリラの精霊もごめんにゃ」
「だ、誰がゴリラだぁ! 食っちまうぞコラぁ! 少佐ぁ、こいつを食う許可をっ」
ミソにゴリラと言われキレるオルガ。そしてミソはピサの後ろに隠れて舌を出してオルガをおちょくっている。見かねたピサが仲裁に入り、宥められたオルガは悔しそうに引き下がる。引き下がるのだが、ミソは調子に乗って勝ち誇った顔をオルガに向ける。ピサという盾がいる限りオルガがミソに手を出せないことを早速理解したようで、オルガを更に煽る。オルガがぷるぷる震えているが、まぁあとで俺がおしおきしとくから、今は我慢してもらおう。それにしても困ったクソ猫だ。いたずら好きなんだな、きっと。
さっきの話だが、絶対アークガルドの連中だよな。魔界の森にいる人間なんて俺達以外じゃ、奴らしか考えられない。ひょんなことから情報は得られた。この手掛かりを逃すわけにはいかない。ミソの住処になにか痕跡が残っているかもしれない。
「ミソ、俺達をお前の住処に案内してくれないか? なにか助けてやれることがあるかもしれん」
「助けてくれるのにゃ? あいつら凄く強かったにゃ。反撃したんにゃけど、全然ダメだったにゃ。助けてくれるなら是非お願いしたいにゃ!」
「あぁ、助けてやるとも。早速案内してくれ」
「わかったにゃー! ……で、いつになったらこの娘は離してくれるにゃ?」
「え、離さないよ? あ、わたしピサータていうの。ピサでいいからね、ミィちゃん」
「ミ、ミィちゃんにゃ? 違うにゃ! ミソにゃ!」
「はいはい。じゃあ、早速しゅっぱーつ!」
「にゃー! ミソにゃー! 離せにゃー!」
ミソの悲痛な叫びも木々の間に消えていった。かわいそうに。
ピサに抱かれたままミソは半泣きで、住処への案内を始めたのであった。