第四十七話 「after rain...」
悲鳴が聞こえる。
助けて。息ができない。
そう叫ぶ悲鳴が聞こえてくる。
助けに行こうとするが、地面に足が張り付いて一歩も動けない。すぐ目の前の民家に助けを求める人がいるというのに。動いてくれない足。動け、動け。いくら願ってもなにもできない自分。悲鳴も段々と小さくなっていく。またこうやって、助けられないままなのだろうか。
不意に、腕を引かれた。そちらに目をやると、小さな女の子がいた。良く知る顔だった。懐かしくて、愛おしい、妹の顔……。
「また、死んじゃうね。守りたいもの」
「……ごめんな。ごめん。俺が弱いせいで」
「ううん。いいの。お兄ちゃんは頑張ってるよ」
「俺なんて全然だよ。何一つできない子供のままだ。なんだか疲れちゃったよ、お兄ちゃんは……」
「そんなこと言うお兄ちゃんは嫌い。わたしのお兄ちゃんならきっとできるよ」
「……そうかな。そうだといいんだけど」
「そうだよ。だから、いつまでも寝てちゃダメ。ほら、起きて。もう行かないと」
「でも、もう少しだけお前と話してたい……」
「ダメ。わたしも話したいけど、それじゃお兄ちゃんずっと起きないから。だから、今日はもうおしまい。またね、お兄ちゃん」
「ま、待って。いくな! いかないでくれ! ――ッ!!」
目を覚ますと、見慣れた天幕の天井が目に入った。
汗を拭い、辺りを確認する。暗い。そして、天幕にしとしとと打ち付ける雨音が聞こえる。今はどういう状況だ?
「よう、起きたか。世話のかかる野郎だぜ。まったくよう」
暗闇に火が灯り、浮かび上がったのは、レヴィだった。
「てめえはいつまで寝てやがる。さっさと起きろよな」
これだけ眠っていたのはお前が殴りまくったせいだろう、という悪態も今だけは鳴りを潜め、状況確認のためにレヴィに尋ねた。
「いまはどうなってる? ラングヴィ軍は? 町はどうなった?」
レヴィは苦々しい表情を浮かべ、それでも、包み隠さずに洗いざらい話し始める。
「シャノン様の火計により、一網打尽。ただ、ラングヴィの野郎だけは、外壁に昇ってきてシャノン様に一矢報いようとしたみてえだが、ハールダン将軍が守ってくれた。……相打ちだったがな。んで、全員脱出した後に雨が降り出しちまったから、休息を含めてオド・シルフの周りに天幕張って休んでるとこだ。雨は想像以上に体力奪っちまうからな」
“そのこと”について触れない辺りはレヴィの優しさかもしれない。でも、事実は曲げられない。
ラングヴィ軍の全滅。これはとてつもない快挙だ。シルフヘイム王都が落ちる以前、何度かシルフヘイム本軍とラングヴィ軍は衝突したことがあったが、ついぞ倒すことができなかった強敵。それをシャノンが討ち取ってみせた。四騎士の一人を討ち取る功績は、王から直接褒美を賜ることができる程の戦果だ。褒められ、称えられて然るべきはず。
でも……。それでも、手放しで喜べない犠牲が確かにあった。
オド・シルフに残されていた五万の老人や女子供達。レヴィははっきりと言わないが、その泣き腫らした目が何か辛いことがあった事の表れだ。
シンは両手で顔を覆い、静かに涙を流した。
同じだ。両親や妹を失った時と。なに一つ守れない弱い男のまま。
沈黙が天幕を覆う。
シンの正義とシャノンのやり方は決定的にかけ離れていた。
正義の在り処は、人それぞれなのかもしれない。正々堂々と戦ったり、策を弄したり、卑怯であったり、千差万別だろう。それでも、シャノンのやり方は認めらるものじゃない。断じてあの行いは正義ではない。絶対に。
「町の人々は助けを求めてたはずだ。俺達に、助けて、って。それを……俺達は焼き殺した。全部、全部だ。みんな、生きてた。辛いことがあっても今を懸命に生きていたんだ。シャノン様は人を人形か何かと勘違いしている。人はそれぞれ感情があって、喜んだり、悲しんだり、笑ったり泣いたりしてそうやって日々を過ごしてる。そんな当たり前のことがわからないんだ、あの人には……」
レヴィは最初こそ大人しく聞いていたが、つらつらと並べられるシンの言葉に舌打ちをして、睨みつける。
「……てめえは、本当に甘ちゃんのままだな、クソガキ。だったら言ってみろ! どうすりゃ全部上手くいった?! 町の奴ら全員救って、ラングヴィ軍ぶっ殺して、こっちは戦力五百を残して勝ってみせた。それ以上の事ができるってんなら言ってみろってんだよッ!!」
「ッ!! じゃあ、お前はこれで良かったとでも言うのかよレヴィ! これが正しいやり方だったって胸を張って言えるのか?! 俺はこんなやり方絶対納得できない!」
「そんなもん言えるわけねえだろうが! 俺だってな、最悪な気分なんだよっ! つかよ、納得できねえだ? てめえは本当にガキだなクソ野郎! 世の中納得できることだけで綺麗に成り立ってるとでも思ってんのか? 納得できることなんて、精々二割ありゃマシなほうさ! 他は全部納得できねえクソッタレの世界なんだよ! そういう世界に生きてんだ、俺達は! そりゃ、全部上手くいったら最高だ。結構なことだぜ。町の奴ら救って、ラングヴィ軍も全滅、こっちは被害がなくてハールダン将軍もちゃんと生きてるとくりゃあ最高にハッピーな世界だろうよ!! ……でもな、そんな最高の世界なんて、どこにもねえ……。どこにもねえんだよ、シン。お前も軍人だろ? これから先、同じ道で生きていくならいい加減割り切れ。そうしねえと、先におっ死ぬのはお前だぞ」
レヴィは口こそ悪いが、いつも助言してくれる。
シンはそんな言葉達にいつも救われてきた。でも、この時ばかりは飲み込むことはできなかった。
天幕に沈黙が下り、重い空気がのしかかる。心地よい雨音も今だけは不快に聞こえてしまう。正直もうなにも聞きたくない……。
そんな険悪な空気を破るように、天幕の入り口がめくられる。顔を出したのはスルプトとバッシュだった。
「おお、起きていたか。……なんだこの空気は。息が詰まるぞ」
レヴィもシンも口を開かず、押し黙ったままだ。
「察しろ、スルプト。おおかた、二人で言い争っていたのだろう。それで、シン伍長。調子はどうだ?」
シンは立ち上がり、一通り身体を動かす。問題なく動く。
「大丈夫そうだな。まあ、顔はひどい腫れ具合だが」
シンは気付いた。二人は場を和ませようとしてくれているのだ。
レヴィの言う通り。ガキのように不貞腐れて、世話を焼かれる子供のまま。シンは唇を噛みながら、スルプトとバッシュに真摯に言葉を伝える。
「ハールダン将軍の事、先程聞きました。心中お察し致します」
スルプトとバッシュは優し気に笑い、言葉を返す。
「十分に泣いた。十分に悼んだ。であれば、いつもでも立ち止まってはいられん。残された部下達もいるのでな。迷わぬように面倒を見てやらんと」
「ああ。将軍はいなくとも、将軍が残してくれたものがここに滾っている。立ち止まる道理がない」
バッシュは胸を叩き、シンを真っ直ぐと見つめた。
ああ……強い。この人達は本当に強い。しっかりと地に足がついている。大英雄ハールダンの副官と参謀に相応しい立ち姿だった。
――なれるかな。この人達のような強い男に。
呆けたようなシンの顔を覗き込みながら、バッシュは話しかける。
「おい、大丈夫か?」
「……はい。大丈夫です」
「そうか。所で、レヴィ伍長からある程度話は聞いているか?」
「何が起こったかは聞きました」
「……まあ、簡単に受け入れられることではないな。不平不満、疑心。軍師殿に嫌気がさしただろう」
「……」
シンは敢えて答えなかった。
「顔に出ているぞ馬鹿者。少しは隠せ。気持ちは良くわかる。しかしな、あの人ばかりを責めるのはよせ」
正直驚いた。こう言ってはなんだが、バッシュも自分と同じくらいシャノンに反発していた。なのに、いまはシャノンを庇うような物言いなのは解せなかった。
「……バッシュ殿もシャノン様に不満があるはずです。なのに、なぜそんなことを言えるんですか?」
「……お前が寝ている間に、俺も考える時間があったのでな。少し、考えたのだ。どうすれば良かったのか。……ダメだったよ。いくら考えても、蛮勇に散るか、無様な敗走しか結果が見えなかった」
「俺だったら、蛮勇だろうとなんだろうと、最後まで敵に立ち向かい民を守ってみせます」
「……死ぬまで戦って、残された民はどうなる? 結局辱められ、侵され、殺されるだけじゃないか? それは敗走の結果でも同じことが言える。どのみち、オド・シルフの民に残された道は、ゆっくり死ぬか、早く死ぬかの二択だったんだ」
「……やめてくださいっ。それ以上は……。自分を抑えきれなくなってしまいます」
拳を握りしめ今にもバッシュにつかみ掛かりそうなのに、誰もそれを止めようとする者はいない。涙が零れそうな程潤んだ瞳に、がたがたと震えるシンの姿があまりにも痛々しかったから。
悲し気な顔で、バッシュは続ける。
「理想だけでは正義は語れないんだよ、シン。今のお前にできることはなにもなかった。あまり一人で抱え込むんじゃない」
はじめから答えは出ていた。
進み続けるしかないのだ。立ち止まっていても、何も変えられないし、成し遂げることはできないだろう。様々な苦難が待ち構え、襲い掛かってくる険しい道になることも承知している。それを乗り越えてゆかねばならないのだ。
シンは涙を拭い、バッシュの目を見つめ返す。
「それでも俺は、理想を掲げ続けます。強い男になって、理想を押し通せるくらいに強くなってみせます」
バッシュもスルプトもその姿に一安心といった所だった。
シンは心に一本しっかりとした軸がある。それをなくさない限り、自分の在り方を見失うことはない。
今一番の問題があるとすれば、ハールダン軍の兵達だ。はじめ、ハールダンの凶報を聞いた時、自害しようとする者が続出した。主を失ったのだから後を追おうとするのも理解できるが、それをハールダンが望んでいるとも思えない。同じく、悲しみの中にいたスルプトとバッシュはなんとか兵達をなだめ、自害することだけは止められたが、シャノンへの反感は相当に膨れ上がっていた。それこそ、暴動が起きてしまう程に。
上官への不平不満は少なからずどの軍にも存在する。しかし、それが表面化し実際に行動に移すかと言うと、ほぼ皆無である。
このような事態は、スルプトとバッシュも初めて経験する稀な例だ。
挙げられる要因として、シャノンが少女だと言うことが暴動寸前になるまでの拍車をかけてしまっていた。いくら偉い役職だろうと、相手は子供。端的に言えば舐められているのだ。しかも、男でもない女。戦場に立つ資格すらないと思っている者も少なくないだろう。
ラングヴィ軍を打ち破ったハールダン軍は、主を失いバラバラになりかけていた。
当面は副官スルプトが先頭に立ち、バッシュがそれを補佐していく形になるだろうが、以前の半分も力を発揮できるかどうか。
頭を抱えたくなる程、問題は山積みになっていた。
レヴィとシンが醸していた張り詰めるような空気が落ち着き出した頃、外から兵が声をかけてくる。
「失礼致します。お食事の用意ができていますが、どうしますか?」
戦いに続き、戦闘後の後処理で飯にありつけていなかったのでバッシュが用意するように指示していた飯がようやくできたようだ。
スルプトが返事をする。
「入れ」
天幕をめくり上げ、入って来る兵。
「四人分もってきてくれ」
「はっ! すぐに持ってきます。所で、軍師様を見かけませんでしたでしょうか? 先程、軍師様の天幕にも行ったのですが見当たらなくて」
スルプトとバッシュはぴくりと反応する。
嫌な予感がした。暴動寸前の兵達。いなくなった軍師シャノン。ありえないことだし、自分達の兵がそういうことをするわけがないとは思う。だが、極限まで擦り減り疲弊した心身は正常な判断もままならず、人を獣へと変貌させる。
二人は立ち上がり、天幕の外に飛び出す。遅れて、レヴィとシンも飛び出してきた。
「探していては時間が掛かりすぎるな。どうするバッシュ?」
「とりあえず全兵達をいったん集合させる。見かけた者がいないか聞いてみるしかないだろう」
「うむ。そうだな。給仕の者よ。飯は後だ。すぐに全員をここに集めろ。五分以内だ!」
「は、はい! 直ちに!」
待っている間にレヴィとシンにも説明をすると、見る見るうちに深刻な顔になり、雨の中、兵が集まるのをじっと待った。
ほぼ五分ほどで五百余りの兵が集まり、綺麗に整列し待機している。ちらりと窺うと、まだ憔悴した顔付きの者も多い。無理をさせているのはわかっているが、心を鬼してスルプトは問いただす。
「貴様らに聞きたいことがある! 現在、軍師殿の行方がわからなくなっている。見かけた者いないか?!」
ざわつく兵達。軍師が行方不明。良心の呵責に耐え切れず逃げ出してしまったのか? 様々な憶測が飛び交った。そんな中、すっと一人の兵が手を挙げた。
「どうした! なにか知っているのか?!」
「は、はい。一時間ほど前に軍師様らしき人が町のほうに歩いていくのを見ました」
「町……だと?」
思わず顔をしかめるスルプト。それはスルプトだけではない。皆一様に辛そうな顔になった。
オド・シルフには辛く悲しい記憶が多すぎる。直視も憚られるし、町に踏み入るなどもっての他だった。
それでも、シャノンが町にいる可能性があるなら探しにいかなくてはならない。可能性は限りなく低いだろうが、シャノンも人の子。惨劇の町を目の当たりにして発狂してしまう可能性もなくはない。
すぐにでも連れ戻さなければ。
「軍師殿の捜索に向かう! すぐに出発するぞ!」
兵達はイラつきを隠しながら、スルプト達に続いて走り始める。
何故、悪魔のような小娘のために雨に打たれ捜索しなくてはならないのか。
苛立ちは積み重なり、いずれ悪意へと変わる。スルプトも承知の事だ。でも、いまは人手が足りていないのだから、こうするしかないのだ。スルプトにとっても辛い選択だろう。一刻も早くシャノンを探し出さなくては。
門をこじ開け、中に入ると灰燼の町の様相が目に飛び込んでくる。そのあまりにも無残な町並みは皆の胸を締め付け、抉られる程に悲惨だった。
道端には、黒焦げになった人だったものが無数に転がっている。もはや、オド・シルフの民のものかラングヴィの兵だったかさえわからない。
吐き気を催し、胃液が逆流しようとするのを必死にとどめ、捜索は始められた。
民家は焼け落ち、火が消えていても所々から煙が立ちのぼる。何よりも、そのにおいが皆の精神を蝕んだ。肉が焼けた臭い。もう、狂ってしまいそうだ。正気を保つことなんてできやしない。兵達の限界は近かった。
レヴィとシンも必死に駆け回り、シャノンを探す。探し回る最中目に入ってきた奇妙な光景がいやに印象に残った。壁際に積み重ねられている黒焦げの死体。ざっと見て百人程だろうか。それが外壁に昇れるくらいの高さまで積み重なっている。
あれもまた、必死に生き抜いた証に思えた。
死体の山を一瞥し、さらに町の中を探し回るが、見つからない。どこだ。どこにいる。
その時、ふと一つの事を思い出す。確か、この先に急造した医療所があったはずの場所がある。
「お前も気付いたか、シン」
「……ああ。いまさら思い出した。シャノン様が行く場所なんて、あそこ以外なかった。急ぐぞ!」
猛然と駆けだし、医療所跡に向かった。
もうすぐ医療所が見えるといった所で、人だかりが目に入る。あの様子だと、やはりシャノンは医療所跡にいたようだ。しかし、不思議な事に、兵達は呆然とその場に立ち尽くしているだけだった。
レヴィとシンは人だかりをかき分けながら、前に進む。最前列に出ようとした所でスルプトとバッシュの姿も発見できた。どうやら、だいたいの兵が先にシャノンを見つけていたらしい。
が、見つけたにも関わらず、声も発しない、身動きもしないのは何故だろう。二人の到着も気付かない程に、意識を奪われているのだ。
皆の視線の先を追う。そこにあったのは――。
目に入ったのは、お世辞にも達者な舞ではなかった。
しかし、不恰好な舞にも関わらず目を奪われたのは、その一つ一つの動作に込められた海のように深く果てしない慈愛故だろうか。
運動音痴とまではいかなくとも、身体を動かすことが得意ではないシャノンが舞っている。
振り続ける雨に彷徨う手は、雨を切り、悲しみを悼む。
然程美しもない舞なのに、何故だか目が離せない。
頬に暖かな雫が伝った。これは雨粒ではない。自然に涙が溢れている。
何故だろう……。溢れる涙を止めることができない。次から次へと溢れて、流れ続ける。
ふわり。
シャノンの手が宙に舞う。
その時、ようやく全員が思い当たった。これは、この舞は鎮魂なのだ。
深い悲しみ、自責の念、たくさんの言葉で語らずともシャノンの舞はその多くを語っている。彼女がどれ程、オド・シルフの人々を思っていたのか、痛いくらいに伝わってくる。
次第に嗚咽が零れ始め、振り続ける雨のように兵達は涙を流す。
愚かだった。一瞬でもシャノンを侮蔑の目で見てしまった。仕方のないことなのかもしれない。言いようのない感情は心の内で肥大し、混沌の沼のように暗く深い闇だ。それをため込めば自分が壊れてしまう。だがら、責める相手を求めた。
あの、まだ幼く儚い少女を責める事で心の均衡を保とうとした。
馬鹿げている。あの悲しみの舞を見て、その行為が間違いだった事にようやく気付かされた。
同郷の仲間を殺したい奴などどこにいる。苦渋の決断だったことなど、初めからわかっていたはずだろう。
それなのに、甘えて、責めて、自分達は楽な道を行こうとしてしまった。
自分達が弱く、脆弱だから、あの選択をするしかなかったのだ。
全員が声を上げ、子供のように泣いた。子供である少女の舞を見て、子供のように泣いたのだ。
ふわり。
シャノンの舞は佳境に入る。宙に舞う手は優しく何かを撫でたように見えた。
ふわり。
撫でる手の向こうに光の玉のようなものが見えた。目を擦りもう一度確かめる。けれど、それは幻覚などではない。横にいる者同士顔を見合わせ、確認した。集団で幻覚を見てしまっていると言えばそれまでだが、そこにあるものは確かに存在しているように見えた。
ふわり。
シャノンの舞に合わせ、光の玉が周りを漂う。シャノンを慰めるように寄り添う光。
雨が次第に弱まりだした。空を見上げると暗く分厚い曇天が明るみだしている。
シャノンに視線を戻すと、光の玉はいつの間にか消えていた。集団で見たあの光はなんだったのだろう。やはり幻覚だったのか。あるいは、赦しを与えに来た魂最後の輝きか。
鎮魂の舞を終えたシャノンはふらふらと歩き、折り重なる二つの黒い塊となった死体の前でストンと腰を落とした。二つの塊を抱きかかえ、肩を震わせる。
雨音も消え、風も凪、静寂の中、子供の泣きじゃくる声だけが辺りを覆った。
業火の惨劇から、ついぞ涙を流さなかったシャノンは、泣いた。
泣くことなど許される立場にないことはわかっている。あの惨劇を招いた張本人なのだから。それでも、我慢なんてできるわけがない。
大事な物を失ったのだから。
曇天の空に切れ間が差す。差し込む光が、シャノンに降り注いだ――。
夢、野望、義務。天の理に挑む者に、天は大いなる試練を与える。待つのは破滅か、あるいは希望か。
ただ、今この時だけは、シャノンに祝福の光が照らされ、もっと先に行けと、そう言っているような気がした。
止まない雨はないように、涙もいずれ枯れ、残るものとは一体なんなのか。
それを問い続け、進んでいくしかないのだ。
兵達は泣き崩れているシャノンに走り寄り、一斉に跪いた。
突然の気配に最初は驚いたが、すぐに平静を取り戻すシャノン。いまさら涙を隠すこともない。本当なら泣いてる所を見られたくはなかった。上に立つものは孤高であらなければならない。弱さを見せてはいけないのだ。
だから、強くあろうとした。強い人になって世界を平和にしたいから。
強く、気高く、精神的支柱なのが理想なのは確かだ。しかし、いまのシャノンと兵達の間には奇妙な絆が生まれようとしていた。
まだまだ幼い部分を残した鬼謀の軍師。若さ故の脆さ。大器を宿してはいるが、未完成な中身。守らねばならない。
圧倒的カリスマを有し、先頭に立って人を引っ張っていける者こそが正しく、激動の時代を戦い抜けるのかもしれない。
それでも、シャノン達から生まれた形もまた理想の一つであるように思う。
――寄り添い、共に行く。
シャノンは抱いていた二人を優しく横たえて、立ち上がった。泣き腫らした顔で、居並ぶ五百余りの兵達を見据え、宣言する。
「悲しみを背負い、戦争に勝つなんて偽善、わたしは絶対に言わない。わたしはみんなの屍山を踏み締め、血の雨を浴びてでも、世界を救う。どんなに誹謗中傷されたってわたしは進み続けます。それに着いていける者だけ残って下さい。いま、この場を離れても厳罰には問いません。軍を去りたい者は去って結構です」
明けない夜はなく、止まない雨もない。
雨が降った後に、地は固まるのだ。
誰一人として、その場を離れる者はいなかった。
シャノンは最後、兵達の代表四人に当たる者達に問いかけた。
「スルプト殿、バッシュ殿。ハールダン将軍はわたしを護り命を落としました。ハールダン将軍亡き今、あなた方がわたしに付き従う義務はありませんが、それでも着いて来ますか?」
スルプトとバッシュは跪き、拱手しながら宣言する。
「無論です。ハールダン将軍の意志を継げるのは、部下である我々だけ。最後までお供致します」
「同じく、最後までお供致します。その神算鬼謀の戦略・戦術の一端のお力になれるよう尽力させてください」
シャノンは頷き、レヴィとシンに視線を投げかける。
「俺はシルフヘイムに忠誠を誓ってるんで、安心してくださいよシャノン様! どこまでもお供するっすよ!」
レヴィも跪き、忠誠を示す。
しかし、シンは跪かずにシャノンを真っ直ぐに見つめたまま動かない。
「俺は、弱い。俺が弱いからたくさん死んだ。でも、あなたのやり方も認めたくない」
シャノンも真っ直ぐ見つめ返し、真正面からシンの宣言を受け止める。
「だから、強くなります。あなたの知識を吸収し、スルプト殿やバッシュ殿の経験を盗み、今よりももっともっと強くなる。オルガ曹長や少佐をも超えるほど強くなってみせます! そして、たくさんの人を救う!」
シンの身分を顧みない誓いは、シャノンを含め皆の願いでもあった。
たくさんの人を救う。世間知らずの子供の発想だと笑われたって構わない。諦め、理想を追い求めなくなることこそが真の敗北だ。
だからシンは、途中で道を踏み外すことはない。
シャノンは手を差し出し、シンもその手を握りしめ、ここに新たな軍が産声を上げた。
跪く兵達に手をかざし、シャノンは宣言する。
「この儀をもって、我らシルフヘイム軍は新生するっ!」
差し込む陽光が、新たな絆を生み出したシャノン達を照らし出していた――
ラングヴィ軍の全滅。その情報は風に乗り瞬く間に大陸全土に伝えられた。
四騎士の一人ラングヴィがシルフヘイム敗残の兵たったの千人により討ち取られるという大金星。まさに奇跡の勝利と言えるだろう。
まず、大陸中の者が抱いた感情は恐怖だった。味方すらも焼き殺す鬼のように冷酷な軍師シャノン。しかし、その恐怖もすぐに霧散することになる。
強く、鋭く、絶対の勝利を掴み取ろうという覚悟。シャノンの計略は各地で燻る獅子王騎士団や、他国の者に衝撃を与えていた。これはシャノンからのメッセージ。
『シルフヘイムはまだ死んでいない』
事実、オド・シルフの惨劇後、各地で一斉に挙兵が始まった。
その数、十数万。いずれ合流し、大軍団となっていくのはもう少し先の話である。
軍人ではない民も、まだ戦う者がいることを知り、明日を望めるようになった。
ここから、シルフヘイムの快進撃は始まる。




