第四十六話 「平和への供物」
「将軍! ラングヴィ将軍!」
ラングヴィは眉間に皺を寄せ報告に来た部下を睨み付ける。
「やかましい。もう少し静かに報告できんのか」
「こ、これは大変失礼しました」
「で、なんじゃい?」
「は、はい。実は、オド・シルフからこちらに向かってきている者がいまして」
「……ほう。降伏のための使者か、あるいは開戦前の挨拶か。後者だとしたら流石に呆れて笑うしかないが」
優雅に酒を飲むラングヴィは隣に侍らす女に、空になった大盃を差し出し酒を注ぐように促す。
すぐにでも戦いが始まりそうなこの時に、酒を飲んでいるのは、今回の遠征がつまらない任務だからだ。
オド・シルフとは大陸のほぼ中心にある町の一つである。よって、これから先、大陸全てを掌握していくにはうってつけの場所に位置していた。
先遣部隊により、すでに占拠が完了しているためやることなど残っていないはずだったのだが、あと五日でオド・シルフに到着するという所でラングヴィ軍に急報が届いた。オド・シルフが奪い返された、と。
ラングヴィはそれを聞き、少しは楽しみができそうだと期待したが、敵戦力を知ると肩を落とし酒をかっ喰らった。
たったの千人、である。つまらない。つまらな過ぎる相手。
こちらは一万。更に後ろからも一万の軍が後に続いている。お話にならない戦力差だ。戦うのが馬鹿らしくすら思える。ならば、戦わずして勝つ。圧倒的物量差を見せつけ降伏させるのがベストだと結論付けた。
それからは、馬脚を緩め後ろの一万を吸収しつつ、のんびりと酒を飲み、女を抱きながらその道程を進んで来た。
そして、到着した今、見せびらかすように左右に大きく広げた横陣で更に距離を詰めている。単なる威圧だ。適当に外交がうまい人物を差し向け、話をつけさせようかと考えていたラングヴィだったが、報告の兵の言葉を聞いてガラリと顔色を変えた。
「向かってきているのは二騎なので、降伏の意を申し出に来ることは間違いないかと思うのですが、二騎の片方がどう見ても子供なのです。しかも、女で身なりの良いやつで」
「おい、貴様。いま女の子供と言ったか?」
「は、はい」
ラングヴィは大盃を放り投げ、思考が深くなる。
いまや、戦争の形が大きく変わろうとしている。黄昏の魔物の運用により、軍の存在価値が揺らいでいるのだ。活躍の機会がこの先もうないかもしれないというのは、軍人にとっては死活問題だった。
今回の任務も本来なら、すでに制圧した町の地盤固めというなんとも下っ端がやりそうな仕事で、ラングヴィの中に不満が募っていた。
しかし、どうだ。いまの報告を聞いてラングヴィの頭になにかが舞い降りた。
子供、しかも女の。極めつけは身なりの良いときた。たったの千だろうと、軍は軍。それを代表して出てくる程の小娘など限られてくるだろう。
ラングヴィは最後に残った功が自らに転がり込んできたと予感した。
「俺が行こう。その小娘とやらと、俺が話を付けてくる」
「しょ、将軍自らですか? そんな雑務は我々が……」
「聞こえなかったのか? 俺が行くと言っている。馬を用意せい!」
「は、ははぁ! 直ちに用意致します!」
ラングヴィは外交能力が優れた部下一人を伴い、シルフヘイムの使者が待つ、互いの陣と陣の間。広い平原に足を延ばした。
すでに到着し、待っていたシルフヘイムの二騎を眺め、ラングヴィの予感は真実味を帯びていく。
こみ上げそうになる笑みを抑え込み、二人に礼を尽くしながら挨拶をした。
「到着が遅くなってしまい申し訳ない。俺はアークガルド帝国中佐、フロージ・ラングヴィというものだ。今回はどういったご用向きでしたかな」
純白の少女、優雅な所作で兜を脱ぎ、会釈しながら返答する。
「お初にお目にかかります。正直戸惑っています。お話に来るのが、あのラングヴィ将軍だとは思わず、少し緊張してしまって」
ラングヴィはじろじろと嘗め回すように純白の少女を観察した。
洗練された一つ一つの所作、小鳥の囀りのような優雅でおっとりとした口調。どれも教養の高さと、育ちの良さを現している。さらに、腰にぶら下げられている剣を見て口角が上がる。あの剣に刻まれているのはシルフヘイム王国、王族が掲げる紋章に間違いない。ラングヴィの予感は、確信へと変わった。
ラングヴィは顔を崩し、優し気な声音で声をかけた。
「おっと、忘れていました。貴女のお名前を伺ってもいいだろうか。こんなに美しい女性の名を聞かないのは男として名折れですからね」
慌てた様子で純白の少女は頭を下げ、返す。
「た、大変失礼を。申し遅れましたが、わたくし、シルフヘイム王国王女ピサータ・ピータ・シルフリオンと申します」
ラングヴィの頭の中に勝利のファンファーレが鳴り響いた。
この小娘、やはり最後の王族! シルフヘイムの女宰相が気まぐれを起こしたのか、黄昏の魔物襲撃の前に国外に出国させていたために取り逃がしていたシルフヘイム最後の希望。
最後の王族が生きているというのは、極秘扱いされていた。下手にその情報が出回り、残存する獅子王騎士団が活気づくと少々めんどうになってしまう為だ。しかし、どこから漏れたのか最近になって、王族の生き残りがいるというのがシルフヘイム国内で噂になっていると情報を耳にした。嫌な流れになりつつあり、アークガルド本国でも早急に片付けるべき案件だと議題に上がっていたが、幸運なことに、その元凶が我が手中に自ら転がり込んできた。
ラングヴィは喜ばずにはいられない。最後の王族を生け捕りにすれば、それはこの戦争の第二功となるのはほぼ間違いない。第一功はどう転ぼうと角笛を所持するアイツなので、それは仕方ない。
それにしても、シルフヘイムを落とす第二功とはどれ程の名誉か。アークガルド二大英雄でも成しえなかった戦果の第二功ともなれば、大英雄の一人と数えられてもおかしくない功績であろう。
ラングヴィは笑いを堪えきれず、半笑いで王女を名乗る少女に問いかけた。
「それで、王女殿下様が何用でここにいらしたのでしょうか?」
敵国の王女といえど、この態度は非常に失礼に値する。
後ろに控える騎士の顔が紅潮し、鬼の形相で睨みつけてくるがラングヴィは涼し気にその視線を受け流し、さっさと降伏の口上でも述べやがれと心の中で悪態をついた。
「あ、はい。あなた方を皆殺しにします。心苦しいので、挨拶だけでもと思いまして」
「はいはい、そうするしかないでしょうな。皆殺しに…………はっ?」
ラングヴィは自分の耳を疑った。いま、この小娘はなんと……?
「ですから、ラングヴィ軍二万を皆殺しにします。一人たりとも逃さず、全てを、です」
ラングヴィは顔を見る見るうちに赤に染め、剣に手を掛けた。
「おっと、待ちねぃ。大国アークガルドの四騎士様ともあろう方が、敵国の使者を問答無用で斬り捨てるつもりですかい? おたく、戦争初めてじゃありませんよね? 最低限の暗黙の了解くらい守りましょうぜ」
王女の後ろにいた騎士がギラリと殺気を発しながら凄んで見せる。
その徽章を見てラングヴィは更に怒りがこみ上げてきた。たかが伍長のぺーぺーに諭されてしまった。すぐにでも二人を斬り捨て、すべてなかったことにしたいが、伍長の騎士が言うこともまた事実。
戦闘前の挨拶の場で敵を斬り捨てるのは、未熟な者のやる事だ。口で負け、子供のように癇癪を起し斬り捨てる。騎士にあるまじき愚行である。部下達も遠くからこの様子を見ている。もし、この場で斬り捨ててしまったら、ラングヴィ自らの顔に泥を塗ることに等しい。
握りしめていた柄からゆっくりと手を放し、小娘と伍長を睨みつける。
「たかが千で俺の軍を皆殺しにするだと? 貴様らこそ、戦争初心者ではないか」
「ふふっ。弱者程、よく吠えるというのは本当のようですね。そうでしょう? レヴィ伍長」
「まったくですな! ギャハハ!」
とことん侮辱してくれる。
ラングヴィは怒りを露わに、殺気を込め言葉を吐く。
「小娘。貴様、自分はこの場では殺されないとか思ってるんじゃないか? 実を言うと、確かにそうだ。お前は生け捕りにする。だがな、生きていればそれでいいんだよ。想像してみろ。唯一生き残った王族がどういう扱いを受けるか。良くて慰み者、悪ければ拷問され、行き着く先は確実な死だ。決して真っ当な死に方ができるわけがない。貴様の未来には絶望しかないのだ。どうだ? 自分の行く末の悲惨さを受け止めて何を思う?」
下卑た笑みを浮かべ、少女を見下す。
そうだ、何を憤ることがある。どう足掻こうが、この小娘に待ち受けているのは地獄のような未来だけ。それを思えばこちらの留飲も下がるというもの。
だというのに……。
「まだ自分が勝てるとお思いですか? 愚かな人。絶対の勝ちを確信している貴方に、わたしが負けることはない。もう、話すことなんてありませんね。いざ、尋常に勝負といきましょう。それでは、御機嫌よう」
それでも強がる小娘にラングヴィは歯を軋ませ、遠ざかる少女の背に罵詈雑言を浴びせる。
「小娘がッ! その傲慢な鼻っ柱をへし折ってやる! せいぜい楽しみにしていろ! 千の兵だけではない! 町の住民もすべて蹂躙し尽くす!」
鼻息荒く、本陣に戻ったラングヴィはすぐさま指揮官達を招集した。
「貴様ら、今回は俺が先陣を担う。出し惜しみせず、全兵力をもって、敵兵も住民も、悉くを蹂躙してやるのだ!」
怒りに震えるラングヴィに部下達はなにも言い返すことはできなかった。
準備を整え、布陣する。相対して、シルフヘイムの軍も準備が整ったようだった。
ラングヴィは大きく深呼吸する。
研ぎ澄まされていく感覚。舌戦では屈辱を味合わされたが、ラングヴィの本分は戦いにこそある。
目先の手柄に目がくらみ、浮足立ってしまった自分に渇を入れ、律する儀式。もう一度大きく深呼吸をする。
鼓動がいつもと同じ速度で刻まれ、五感も寸分違わぬ感覚に戻った。
それらを確認できると、剣を抜き放ち刀身に自分の姿を写す。我は四騎士。最強アークガルドの主攻也。 冷静さを取り戻したラングヴィは四騎士として威厳を遺憾無く発揮し、雷鳴のようにデカい声で号令を発した。
「我が精強なる兵達よ! 眼前の敵を見よ! たったの千である! 我々に比べれば小さく、貧弱で、取るに足らぬ敵かもしれぬ! しかし! 俺は如何なる雑魚に対しても全力を持って叩き潰す男だ! ならば、我が軍も同様である! 全軍、全力を持って蹂躙し尽くせい! 突撃じゃァー!!」
ラングヴィが猛烈な勢いで馬を駆り突っ込んでいく。兵も追随し、奔り出す。
四騎士ラングヴィの背は、雄弁に部下達を鼓舞した。通常、大将のラングヴィが先陣を切ることなどは滅多にないことだった。
久々にラングヴィの本気が見られる。部下達の士気も最高潮に達し、ラングヴィ軍本領発揮と相成る。
そして、先頭を駆けるラングヴィがいよいよシルフヘイムの先陣と衝突した。
シルフの兵は一斉にラングヴィに襲い掛かる。が、ラングヴィが剣を横薙ぎにすると、軽々と五人の敵を弾き飛ばす。
……敵軍の兵。たったの千と甘く見ていたが、なかなかに侮れない。普段のラングヴィなら、一撃で十人の敵を弾き飛ばすことも可能だ。だが、それが五人まで抑えられているということは、敵兵の練度が高い事を意味している。
瞬時に的確な指示を部下に飛ばす。
「敵は手練れだ! 横陣を崩し、蠍状花序を組め! 四人一殺! 確実に息の根を止めてやれッ!」
『蠍状花序』。これは、ラングヴィ特有の戦術編成。四人を一組とし、敵一人を確実に殺す戦術である。まず一人が蠍の甲殻のように一撃を防ぐ。続いて攻撃を防いだ隙を突き左右から二人が鋏のように追い詰める。敵が弱ければこの時点で勝つこともしばしば。だが、それでも仕留めきれない場合、最後の四人目が尾の毒針の如く敵の息の根を確実に止める。
ラングヴィの戦い方に派手さは無い。部下に豪傑もいない。しかし、基礎を充実させ無難を極めた、その傲岸不遜の性格とは裏腹な戦術。堅実に堅実を重ね確実な勝利をもぎ取り、今の地位を築いた男だ。
故に、この戦闘の行く末は始まりから決まっていたのである。
その後は見るも無残な蹂躙の限りを尽くした。シルフヘイム兵も必死に奮戦したが、圧倒的物量差を前に陣は決壊寸前。ラングヴィの全身はシルフヘイム兵の血に濡れ、その佇まいは鬼神の如し。
王女は、ラングヴィを怒らせてしまった。それがこの虐殺へと繋がってしまったのだ。
唐突に敵軍から撤退の鐘が鳴り響く。最初こそ統率が取れ、手強い敵だったが、いまとなっては憐れみする感じる無様な敗走劇。統率もなく、散り散りになって撤退する姿は見るに耐えない。町に逃げ込む兵や、ガルディナビア山脈に逃げ込む兵など、もはや完全に軍の形態をなしていない烏合の衆。
いや……しかし。少し待て。
誘引の計に乗せられている可能性はないか?
勝利を目前にした人程、罠に嵌めやすい。兵法の基本中の基本である。
四騎士のラングヴィは圧倒的有利でも慢心はしない。改めて頭の中で状況を振り返ってみる。
シルフヘイム兵にその兆候はあったか?
否。無謀ながらも足掻き、必死に戦っていた。
それなら、町の中に罠を張っている可能性は?
否。そんな大規模な罠を仕掛けられるわけがない。何故なら、オド・シルフの住民がまだ中に残っているからだ。
二万を嵌める罠となれば、それこそ町に被害が及ぶ可能性が高い。だとすれば、外に逃がして然るべき所を、していない。
つまり、いまの状況はシルフヘイムにとって想定外の出来事……。
ラングヴィは、ここが勝敗を決定付ける要所と確信する。
「ガルディナビアに向かう駄兵は捨て置けぃ! 門を閉じられる前に、攻め切るぞッ!」
的確な指示が飛び、速度を上げ城門まで駆け抜ける。
混乱の極み故か、城門はなかなか閉じることはなく、敵の背を打ちながら門を潜り続けるラングヴィ軍。
神速の攻め上がりだった。見る見るうちに町の中にラングヴィの兵が雪崩れ込んでくる。民家に押し入り、女がいれば陵辱し、歯向かう者がいれば斬って捨てる。そうして、ラングヴィ軍全騎二万が町の中を占拠していったのだった。
この時に、勝敗は完全に決した。
ラングヴィは顔に付着した敵兵の血を拭いながら、奇妙な違和感を覚える。
町に突入してから、一人もシルフヘイムの兵に出会っていない。どこかに隠れ、こちらの隙を窺っている?
とはいっても、敵兵を削り半分の五百は殺したはず。今更、あの生意気な王女にできることはない。
そう思っていた。
油断。
決して油断などはしていないつもりだった。しかし、鼻に届いた微かな臭い。
これは……なんの臭いだ? 鼻に纏わりつくのは血が放つ強烈な鉄の臭いのみ。それでも僅かに鼻先に燻る危険を孕む謎の臭い。
これは……。
「――ッッ!! ……まさか。冗談だろ? あのクソ王女……ッッ」
ラングヴィが臭いの正体に気付いたと同時に、城門が閉じて行く音が町中に響いた。
それはまるで、処刑台に上がっていくような死への旋律。
ラングヴィの兵が門を閉ざしたのではない。
門を閉ざしていたのは、ガルディナビア山脈に逃げていた無様なシルフヘイム兵。
あれは逃げていたのではなかったのだ。別働隊として、動いていたに過ぎない。
もし、もし仮にここまで全て、なにもかも仕組まれていたことだとするなら? 町に逃げ込んでいた残りの兵はどこに消えた?
ラングヴィは冷や汗を流しながら、徐々に視線を上げていく。地面、民家、外壁、そして外壁上。
そこには、ラングヴィを見下すような形で睥睨する少女の姿があった。
ラングヴィは全身を粟立たせ、絶叫する。
「全軍退避ーッ! 門をすぐにでも抉じ開けろ! この町から出るんじゃあ!」
だが、時すでに遅い。
外壁上で続々と立ち上がるはシルフヘイム兵。その手には弓。
矢の先には油が塗られ、てらてらと妖しく光る。それに火が灯った。
放たれるは、赤き死の流星。火矢は放物線を描きながら、民家に着弾。
瞬間、町は燃え上がった。
シャノンの計算により、少量の火薬で効率良く町を燃やすために適した民家を見定めて、設置されていた火薬。それに引火し、町は瞬く間に炎に覆われていく。
民家から火だるまになって飛び出してくる住民。火を貰い、ラングヴィの兵も炎に包まれる。まさにそれは地上の地獄だった。
ラングヴィはその様子に、奥歯を噛み締め震える声で叫び散らした。
「なにを! なにをしてやがんだクソ野朗がァァ!! シルフヘイムの王女!! 貴様は! 俺達だけにとどまらず、自分の愛民すらも焼き滅ぼすというのかァァ!!」
数十分前のオド・シルフ――。
敗北の屈辱を味わいながら無様な敗走を遂げたシャノン達は町の中を駆け抜け、恐慌一歩手前の兵達をすぐに外壁上に昇らせた。
もはや、これまで……。皆の胸中に去来するのは今まで生きてきた自らの軌跡。軍に身を投じ、国のため、民のため、家族のためにここまで戦ってきたが、どうやら天命はここで尽きるのだ。皆がそう諦めかけていた。
殿を務めていたレヴィ隊も外壁上に昇り終え、シャノンに報告に来る。
「シャノン様、一時撤退完了っす。階段の破壊も完璧っす」
意味深な発言だったが、死地に立たされている状況にその意味をちゃんと把握しようとした者はいなかった。
傷だらけになった兵達がシャノンのもとに集まり指示を待つ。しかし、指示を請うた所で選択肢など今更あろうはずもない。ただ正面からねじ伏せられた。圧倒的戦力差は結局埋まらず、シャノンの策とやらも露と消えたと思い込む。ならば、残るのはちっぽけな男としての矜持。背を討たれるより、正々堂々、正面から立ち向かい雄々しく死にたい。万歳突撃である。武人として、戦場に命の花を散らすことばかりが頭に浮かんでいた。
シャノンは、冷めた表情でぽつりと呟く。
「大丈夫です。全て思惑通りに進んでいます」
もはや呆れる気力もないし、この事態にシャノンを責める気にもならない。
迫る死が、彼らを寛大にさせていた。
「バッシュ殿。あなたにとってこの戦いの勝利とはどこにありますか?」
死ぬ間際に問答とは、生まれついての軍師体質だとバッシュは肩をすくめながらも答えてみせる。
「ラングヴィ軍の殲滅。それ以外にないでしょう」
シャノンは即座に否定した。
「違います。それは過程です。バッシュ殿、戦争を多面的かつ広く見渡しなさい。空の流れ、大地の鼓動、風の囁き、水の音に耳を傾け、万象の動静を見、真の勝利とはなにか見極めるのです。この戦いを分水嶺とした時、我々の為すべきこととはなにか。それを考えれば答えは自ずと見てくるはずです」
逡巡し、バッシュは顔を青ざめさせる。ハールダンとスルプトもある程度は察しがついたようだ。今にも泣きだしそうな顔がそう物語っている。
レヴィはシャノンと行動していたため、町での仕掛けをするために最初から計画の全てを事前に聞いていたのでいまさら動揺することもない。が、その目から涙がぽろぽろと零れていた。
ただ一人、シンだけは混乱の中にいた。
「あの、一体なにを話しているんですか? 俺はまだ諦めたわけじゃない。最後まで戦って、ラングヴィに一矢報いるためにも早く戦う準備を……」
シャノンは寂しそうな、憐憫のような瞳をシンに向け、優しく語りかける。
「シン殿。あなたは非常に優秀な方です。強く、賢く、広い視野を持っている。でも、あなたは優しすぎます」
一呼吸起き、今度は厳しい口調に切り替わる。
「しかし、その優しさが、あなたの甘さを招いている。賢いあなたは、もう気付いているはずです。わたしがこれからなにを為すか」
シンは後退りながら、イヤイヤをする子供のように狼狽えた。
「……嘘だ。嘘だと言ってくださいシャノン様! だって貴女、泣いてたじゃないですか! あの少女をあんなに優しく抱き締めて、あの子の為に涙を流してたっ! それは、それが、全部嘘だったって言うんですか?! 答えてください! シャノン様!」
「……時間がありません。そんなこと説明している暇はないです……」
シンは耐え切れずに感情を爆発させた。
「ふざけるなッ! あんたには説明する義務がある! どんな非道を働こうと、我に正義あり! 掲げる信念あり、と! それを説明する義務があんたにはあるはずだろう!」
まるでラングヴィ軍に向けるような殺意を向けながらシャノンに迫るシン。周りの兵はシンの殺気に身動き一つできない。そのままシャノンの胸倉を掴みあげようとした、その時。
横合いから突風のように現れ、シンの顔面に思い切り拳を叩きつけたのはレヴィだった。
「ぐっ……! なにしやがる! クソレヴィ……! ――がっ!」
起き上がろうとするシンに馬乗りになり、殴り続けるレヴィ。シンの意識がなくなるまで殴り、レヴィはやっと腰を上げた。
「シャノン様。申し訳ありませんでした」
レヴィの顔はすでに、涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。
シャノンは一瞥もくれず、兵達に向き直る。
兵達は身体を震わせ、言い渡されるであろう命令に恐怖した。指揮官達の尋常ならざる雰囲気。シンに至っては殴られ、気絶し縛り上げられている。
静まり返る外壁の上。遠くからはラングヴィ軍が勝鬨を上げながら迫っている。
シャノンは、最後の命令を言い放った。
「ラングヴィ軍をオド・シルフ内に閉じ込めたのち、火を放ちます」
静寂が辺りを支配した。
いま、軍師はなんと言ったのだろうか?
脳はその言葉の意味を理解している。でも、その言葉が意味することを拒絶しているのだ。火を放つ。つまり、なにもかもが消えてなくなる。
兵の一人が震える声でシャノンに尋ねた。
「いまだに住民は町の中にいます。火を放つと言うことは、住民すらも……」
「当たり前の事を聞かないで下さい。ラングヴィ軍も、住民も、家屋も、営みすらも、町にある全てを焼き尽くせと言っています」
あまりにも酷いと泣き出す者、同じ国の仲間を焼き殺す重圧に耐えられず嘔吐する者。反応は様々だが、誰もがシャノンを心底恐れた。
兵達の目にはシャノンが悪魔か魔王に見えているだろう。それでもシャノンは、悪評も軽蔑も何もかも受け入れ命令を行使させる。常人にはできないその覚悟をしてきた。
嗚咽を漏らしながら、兵の一人が進言する。
「パルクール様! どうかお願いです! 全部とは言いません。一人でも多く、町の住民を逃がすことはできませんか? 例えば、外壁上に避難させ湖に飛び込ませるとか……」
「仮にいま住民を救った後、どうするのですか? 軍で保護しますか? たった千人で五万をどう守るんですか? 兵糧は? どうやって五万もの人を養うのですか? あなたはこの先の展望をちゃんと見据えて――」
「パルクール殿」
見兼ねたハールダンがそっとシャノンに歯止めをかける。
「……申し訳ありません。わたしも少々気持ちが昂ぶっております。……改めて、命令します。配置につき指定した民家に火矢を撃ち込みなさい」
震えて足が竦む兵達。
行動の遅い兵達にイラつき、涙を流したままのレヴィが怒鳴り散らす。
「ちんたらすんなバカ共がぁ! さっさと配置につけぇ! 燃やすんだよッ! なにもかも、全てを焼き尽くせぇ!!」
兵は泣きながら指示に従い、外壁上の配置についた。
空には分厚い雲がのしかかり、今にも泣き出しそうな曇天だった。
それが、ラングヴィ軍が火の海に呑まれた顛末である。
業火の中、ラングヴィは足掻かなかった。
策に敗れ去った。小娘と侮り、兵達を死なせてしまった。ラングヴィは足掻くことはしなかったが、自分を責めた。
もっとも、ラングヴィが侮らなかった所で、守るべき住民ごと焼き滅ぼす鬼謀など誰も予想出来るわけがない。
シャノンは幾重にも重なる策謀を巡らせていた。敵を欺くには味方からという言葉がある様に、直前まで火計の罠に嵌めることを味方にも話さず、平原での白兵戦に注力するよう指示していた。下手な芝居でラングヴィを怒らせ、心をかき乱す小細工も用いた。それらの様々な罠を張り巡らせ、ラングヴィすらも欺いたのだ。欺けられるのも無理はない。シルフヘイム兵は本気で戦っていたのだから。十分に引きつけ、町の中に入った時点でシャノンは勝利を確信したのだ。もちろん、町の中も用意は万端だった。火薬は巧みに隠され、唯一の安全地帯、外壁上に上るための階段も破壊するか、封鎖済み。積み上げられるようなものも全て撤去していた。始めから終わりまで、なにもかもが仕組まれていたのだった。
ラングヴィに落ち度があったわけではない。それでも兵を預かる身として、後悔と無念ばかりが残る。
「将軍」
炎に遮られながらも隙間から見える曇天の空を見上げていたラングヴィは声を掛けられ、振り向く。
そこには全身煤だらけで真っ黒に染まった部下百名程が命からがらラングヴィの下に集る姿があった。
「すまんな貴様ら。俺のミスだ。許せ」
部下達は目を見開き驚いた。ラングヴィが謝った。傲岸不遜の男ラングヴィが謝ったのだ。
名家の騎士家系に生まれ、常に人の上に立ち生きてきた人間が傲岸不遜になってしまうのは必然の事ではある。しかし、それは些末な事。
彼の武勇を目の当たりにし、数々の死地を跳ね除けてきた彼に部下の誰もが魅せられていた。だからこそ今まで着いてきた。だからこそ命を彼に預けていた。
「だから俺はまだ届かんのだな。オージンやトールギルのような英雄達に……」
らしくない。こんな弱気なラングヴィはラングヴィではない。
部下の一人が一歩前に出ながら歌うように、声高らかに宣誓する。
「我々にとっての英雄とは誰か! その名はオージンか!」
周りの兵は淀みなくそれに答える。
「「否! 否! 否!」」
「では、トールギルか!」
「「否! 否! 否!」」
「では、その名をなんと言う!」
「「ラングヴィ! ラングヴィ! ラングヴィ!」」
兵は一斉に跪き、ラングヴィへの忠誠を示した。
「ラングヴィ将軍。我々にとっての英雄は唯一、貴方のみであります。オージン大佐でもトールギル大佐でもない。貴方だからこそ我々はここにいる。貴方の背に憧れ、貴方の雄姿に夢を見た。貴方と駆け抜けた戦いの日々はとても幸福な記憶であり、誇りなのです」
ラングヴィは天を見上げ、必死に堪えた。
部下に恥ずかしい姿は見られたくない。その一心だった。
気持ちは同じだ。言葉にこそ出さないが、ラングヴィも自分の部下達全員を誇りに思う。だからこそ、悔しさが募るのだ。ラングヴィ軍の武とはこんなものではない。まだまだやれるはずだった。惜しいという言葉で片付けるのは憚られる程に。
それでも、やはり迫る炎の前ではどうしようもなかった。
頭を振るい、跪く部下達の顔を一人一人眺める。そして、ふと違和感を覚えた。死地の只中にいて、その目に光がある。
こいつら、まだ何かを企んでいるのか……?
「ふっ。揃いも揃って、爛々と目を輝かせているな。雄飛の機会もなかろうに貴様らは何を望む?」
「一つだけ心残りが。ラングヴィ麾下の武がたったのこれ程かと、そう思われたままなのは我慢なりません」
「しかし、どうする。我らの天命は尽き、後は炎に焼かれるのみだ」
「人事を尽くし天命を待つと言う言葉があります。どうにも私は、この言葉が好きになれません」
ラングヴィは込み上げてくる笑いを我慢することができない。
「くははっ! よもや、貴様ら! 天に戦いを挑むつもりか!」
「「然りッ!!」」
「よかろうッ! 策を示せッッ! 貴様らの英雄ラングヴィがその望み叶えてやるッッ!!」
「「御意!!」」
すぐさま一人の兵が立ち上がり、拱手抱拳しながら策を示す。
「人事を尽くし天命を待つというのなら、こちらは人の力を超越した英雄の力を持って天の理に背いてみせましょう。人事を凌駕し、天命を突き破る策を……!」
ラングヴィはその策を聞き、一瞬だけ眉根を寄せた。
普段聞いたこともないような優しい声音で部下達に一度だけ確認する。
「この策は、貴様らの総意で間違いないのだな?」
全員の目がラングヴィに注がれ、その視線に一切の迷いもない。
作戦を立案した部下が試すようにラングヴィに問いかける。
「ご不満ですか? 我が英雄よ」
「……生意気な。不満などあろうはずがない。貴様らと俺は一蓮托生! 全てを背負い、その思いを解き放てるからこそ俺が英雄である所以なのだ! 任せておけい!」
「ラングヴィ将軍。我らの天命を貴方に託します。我らの真の力、シルフヘイムに思う存分味合わせてやってください!」
それからの行動は迅速。
目的を果たすため、ラングヴィ以下百名の騎士は燃え盛る業火の中に消えていった。
見下ろす町並みは、すでに記憶とは掛け離れ、灰燼の町へと変貌を遂げている。
生きとし生ける者は焼かれ、生活の跡、酒場の喧噪、煉瓦造りの道を走る子供達の笑い声も何もかもを業火に焚べてしまった。聞こえてくるのは、悲鳴と絶叫。この世全てのが悪夢が詰まった狂騒の宴だった。
シャノンの周りにいる兵は泣きながらその光景を見ている。ハールダンも目を腫らし、充血した瞳でその灰燼を見つめ続けた。各指定の火矢狙撃地点に散っていった指揮官も兵達も同様であるのは想像に難くない。
やるべきことは済んだ。火の手も強まり、もうじき外壁上も火に呑まれる。火矢を打ち込んだ後の事はすでに指示してあった。即時退却。
シャノンが位置しているのは門と正反対の一番遠い場所。撤退も最後になる。レヴィもスルプトもバッシュも任務を済ませ、門から縄を下ろし脱出できている頃だろう。
早く自分たちも退却しようと号令を下そうとした、その時。
何かが聞こえる。悲鳴? とも違う。この声は決して負の感情ではない。希望? それとも少し違う。これは、記憶に新しい感情の波動。これは、なんだっただろう。
……そうだ。この光と、抗おうとする精神。それは魔神バルログとの戦いの時に感じた……勇気だ。
シャノンが思い出した、その瞬間――。
突如として燃え盛る業火を突き破り、外壁上に降り立ったのは全身を炎に焼かれた騎士の姿だった。
理解が追い付かず、唖然とする兵達を尻目に、炎の騎士の動きは神速を凌駕する。瞬く間に討たれてゆく兵達。護衛として残っていた三十名余りの兵達が一瞬で半分にまで減らされた。
炎の騎士は獲物を探し視線を彷徨わせると、すぐに見つけた。その視線の先には目的の人物。ニヤリと焼け爛れた顔で騎士は笑い、シャノンに襲い掛かる。
しかし、こちらとていつまでも棒立ちでいるわけがない。護衛の兵たちがが一斉に炎の騎士に襲い掛かった。ハールダンはシャノンを後ろに追いやり、背中に隠そうとする。すると、シャノンが僅かに震えていることに気付く。愛民すら焼き尽くす鬼謀を行使する軍師とて震えることもある。そう思ったハールダンだが、シャノンの表情を見て、顔を凍り付かせた。
シャノンは、笑っているのだ。この状況で、笑う。狂ってしまったのか? いや、違う。シャノンの目は狂人のそれではない。護衛を相手に大立ち回りをする炎の騎士の一挙手一投足を一瞬たりとも逃さないようにひたすらに観察し、それに打ち震えている。
シャノンの胸中は真実、歓喜だった。
この戦いは自分の掌の上で常に予想通りに動いていた。理詰めで戦争を描き、自らの脳一つで大局を支配する。まさに軍師の醍醐味と言えよう。
しかし、それに割って入る力があるとしたらどうだ。それは軍師にとって否定すべきものか、それとも歓迎すべきものか。普通なら前者だ。だが、シャノンは違っていた。
軍師は通常、机上で戦争を思い描く。今が特殊な状況というだけで、軍師とは戦場の外に在っても中に在ることは稀である。戦争に理で挑み、理で制するものには想像できない、理の外にある力。それを人は、奇跡と呼ぶ。
机上の軍師では体験できない、生の戦場で、本物の強敵に対峙した者のみに許された奇跡との邂逅。シャノンはその力を肌で、臭いで、空気で感じている。
シャノンは生粋の軍師であった。
どうしようもなく戦略を練るのが好きで、常に強敵と戦うことを想像している。が、頭の中でいくら戦争を思い描こうと自分の認識できる事象しか観測はできない。
しかし、どうだ。今この瞬間。炎の騎士は自分の想像を超え、必殺の一撃を喉元に突き立てようとしている。これ程に、生を実感したことはない。自分を更に高みへと押し上げてくれるであろう存在を歓迎せずにはいられないのだ。
とうとう兵を全て殺し、シャノンとハールダンの前に炎の騎士は立ちはだかる。
ハールダンは剣を構え、名乗りをあげた。
「見事なり、アークガルドの騎士よ! 我が名はロヴァール・ハールダン。まだ答えられるだけの気力があるなら、名乗りを上げよ!」
「……ほう。最後に出て来たるは王の牙。これもまた天命か。よかろう。俺の名を解くと聞け! 我が名は、アークガルドの英雄フロージ・ラングヴィ! 同胞の天命を背負い、貴様らの天命に挑む者の名だ!」
やはり、四騎士のラングヴィ。
相手取るには危険すぎる強敵。全身に重度の火傷を覆い、余命幾ばくも無いだろう。しかし、その眼光は鋭く、二人の命を葬る程度なら力を残している。
ハールダンの掌に汗が滲む。果たして、シャノンを守り切ることができるか。いや、それ以前にこの尋常ではない気を放つ男を相手に渡り合えるのか。
頭の中は焦りや不安が渦巻く。
「感服致します。ラングヴィ将軍。もちろん、貴方に向けた言葉でもありますが、ここに来るまでの道を作り上げた騎士達に最大の賛辞を贈らせてください」
ふいにシャノンがラングヴィに話しかけた。
それに笑いながら、返事をする。
「流石だな。そこに気付くとは、やはり鬼の子だ」
ハールダンは二人のやり取りに、一つの可能性に思い当たった。
「おぬし、まさか……」
「おうともさ。俺の部下が、兄弟達が作ってくれた道だ。命を賭して、屍の橋を架けたのだ! その屍を越えて、俺はここに立っている!」
並々ならぬ執念。いよいよ、ハールダンも覚悟を決める。全身の火傷などなんの影響もない。目の前にいるのは史上最強の敵。刺し違えてでも、止めねばならん。
背に守るのはシルフヘイム至宝の軍師。平時なら罪に問われるやもしれぬ残虐な戦術。しかし、この時代に於いてこれ程心強い軍師はいない。卑怯であろうと、残虐だろうと、どんな手段を用いようとも貪欲に勝利を掴む神算鬼謀の軍師が必要なのだ。老いた首とは雲泥よりも遥かな差がある。
互いに、心は定まった。
両者地面を蹴り、生者必滅の刃が交錯する。
ハールダンの刃は確実にラングヴィの首を落とす、はずだった……。
「秋風落莫とは、よく言ったものだな……。本来なら、あんたの勝ちだったよ。シルフの大英雄」
双肩に部下達の魂を宿したラングヴィの剣は、全てを破断した。迫る剣を砕き、鎧もバターのように切り裂き、そしてハールダンの天命をも悉く破断したのだ。
大英雄を屠った感慨に更けるでもなく、ラングヴィは真っ直ぐにシャノンの前に立ちはだかり、その矮躯を見下ろす。この小さな少女に無敵のラングヴィ軍は滅ぼされた。つくづく、戦場では何が起こるかわからない。
……だが、どの戦場に於いても唯一無二の必定の理がある。
最後に立っている者こそが勝者だ。
ラングヴィは剣を構える。
「なにか言い残すことはあるかい? 王女」
シャノンは朗らかな口調で答える。
「一つだけ謝らなければなりません。わたしは本物の姫様ではないんです。嘘をついていました。ごめんなさい」
「そうかい。もはや、そんなことはどうだっていいさ。我が軍を壊滅させ、敗北の味を与えたお前に我々の武が届くのなら、どうだっていい」
「見事なるラングヴィとその兄弟達が魅せた奇跡。篤と堪能致しました」
「……気に食わんな。死ぬのが怖くないのか?」
慈愛、感謝、惜別。複雑に絡み合った感情を眼差しに乗せ、ラングヴィを見つめながら別れの挨拶のようにシャノンは返事をした。
「怖くないです。だって、はっきりとわかる。わたしの天命は、ここで尽きない」
シャノンの表情はおよそ戦場に似つかわしくない屈託のない無邪気な笑顔だった。普段笑顔を見せることは少ないのに、戦場でシャノンは良く笑うのだ。
そんな姿が、一瞬だけラングヴィの意識を奪う。その一瞬。それがシャノンとラングヴィの天命を分かつ一瞬の出来事。気付いた時には、剣の切っ先が胸を突き破っていた。胸から顔を覗かせる切っ先を掴みながら、後ろを振り向く。
「ったく……。水を差すなよ、王の牙。今は若いもんの時間だろうが。さっさと……」
その言葉は届いていなかった。ラングヴィの背中に剣を投げつけ、そのまま事切れていたのだ。最後の最後、シャノンに言葉を掛けてやることはできなかったが、ハールダンはその人生の終わりに役目を全うしていた。栄枯盛衰の波に呑まれ、朽ちていくしかない余生に意味を持つことができた。きっと、彼の眠る顔は安らかなものだったと、そう思う。
背中を探り剣を引き抜くと、噴水のように血が溢れた。呼吸をするたびに血がせり上がってくる。だが、そんなことはどうだっていい。あと、ひと呼吸。それさえあれば……。
「くくく……っ。俺という阿呆は、最後の最後で踏ん張りが効かんようだ」
ラングヴィは糸が切れた人形の様に膝から崩れ落ちた。
もう、指一つ動かない。こんな体たらくでは、あの世で待っている部下達に申し訳が立たぬではないか。歯を食いしばり全身に力を入れるが、なんの反応もない。……悔しい。あと少しだった。あと少しでラングヴィ軍の武を証明できたのに。悔し涙が零れそうになる。
部下達が、俺を英雄だと言ってくれた。俺だけが自分達の英雄なのだと。俺は二度までも、その期待を裏切るのか? それは、それだけは絶対に譲ってはいけないことだろう、英雄ラングヴィ。
俺を信じ、託してくれた愛すべき兄弟達に胸を張って誇れる英雄に。
俺は、それを証明するのだッ!
ラングヴィの身体をほんの刹那動かしたのは、漢としての意地という他ない。崩れそうな程ボロボロの身体に鞭打ち、剣をのそりと振るう。その先にはシャノン身体。シャノンは避けるでもなく、その英雄の一撃を受けた。腕から流れる一筋の紅血。切れたのはたったの薄皮一枚。傷と呼ぶにはあまりにもささやかだ。それでも、届いた。ラングヴィ達の武が、確かに届いたのだ……。
「見事でした。ラングヴィとその兄弟達の武を称え、あなた方を後世の史書に記すと誓います」
もうやり残したことはない。ラングヴィの表情は実に晴れやかだった。
だというのに、少しばかりお迎えが遅れている。死ぬまでに数分の余裕があるようだ。眠くて、改まってなにを話せばいいかわからない。だったら、紡ぐままに声を出せばいい。詰まる所、その問答ラングヴィの純粋な興味だった。
「……まだ名前を聞いていなかったな」
「シャノン。シャノン・パルクールです。ラングヴィ将軍」
「シャノン、か。良い名だ。なあ、シャノンよ。お前に聞きたいことがあるんだ」
「なんなりと」
「お前の望みとはなんだ? 敵兵だけならまだしも、住民を焼き滅ぼし、仲間から嫌悪され、悪評を一身に受けてまで……何故そうしてまで戦うのだ?」
シャノンは笑みと真剣の中間のような曖昧な表情で、だがはっきりと言い切った。
「世界平和のために」
「……はっ?」
まさかの答えだった。
あれだけの惨劇を生み出し、たくさんの命を奪った張本人が、平和を謳う。
何を馬鹿なと笑い飛ばしてやりたい、が。シャノンの目は真剣そのものだ。
助言、というのもおかしい。シャノンは敵なのだから。それでも、世界平和を願う愚かな子供に現実に残る問題だけは提示してやらねば。
「シャノン。お前の夢は、幾人もの王や英雄が挑み、悉くが破れ去った難攻不落の大砦だ。誰もが一度は夢見る理想の世界。簡単な事ではないぞ」
ラングヴィの視線はあらぬ方向を向いている。すでに、目は見えていないのだろう。
声も、段々と枯れ細ってゆく。
「……世界平和。甘美な響きだ。さぞ、素晴らしく、美しい世の中なのだろう。……しかしな、その道は歴史上もっとも偉大でもっとも血が流れる革命の道だ。誰よりも讃えられ、誰よりも憎悪される」
ラングヴィの身体が震え始めた。
命の灯が、もう……。
「……シャノン。忘れるな。偉大な夢の先ばかり見て、気付かないのかもしれぬが、今を必死に生きていた者達がいたことを忘れてはならんぞ。それを忘れては、世界……平和、など…………ごぶっ」
大量の血を吐き散らしながら、ラングヴィは前のめりになって倒れた。
あぁ、クソ。全部話す前に時間がきてしまった。まだまだ話したいことはあったのに。
シャノンが作り上げようとする世界を少しだけ見たい気もするが、まぁ、今の世の中だって悪くはない。
何故なら、最高の部下達が戦い抜いた、かけがえのない世界だから……。
ラングヴィの死体を見下ろしながら、シャノンはぼーっと立ち尽くしていると、後方から走り寄る音が複数聞こえてくる。
「シャノン様ーッ! なにやってんすかッ! 早く脱出をッ!」
脱出の遅いシャノン達を探しにきたのはレヴィ、スルプト、バッシュの三人だった。
レヴィ達はシャノンの下に辿り着くと、その凄惨な光景に息をのんだ。護衛の兵が血の海に沈み、その中にハールダンを発見したスルプトとバッシュはその亡骸にしがみつき泣き叫んでいた。
シャノンはその様子を呆然と見ていたが、ふと視界が暗くなりバランスを崩す。
「ッ?! シャノン様!」
シャノンは頭を押さえた。頭が、痛い。ズキンズキンと頭が痛む。
頭を振るい、痛みを無理矢理追い払い、命令を下す。
「今から脱出します。急ぎましょう」
――そこからのシャノンの記憶は少しだけ飛んでいる。どうやって脱出したのかは覚えていない。気が付くと湖畔に佇んでいた。目の前には広がるのは、灰燼の町から立ち上る炎が湖面に映し出した赤色に染まった湖。まるで住民やラングヴィ達の血が滲みだし、湖の水と入れ替わってしまったような……。シャノンの目には血溜まりの湖のように見えた。
周りには涙を流しながらそれでも目を逸らさずに灰燼の町を見つめ続ける兵達。スルプトもバッシュも、レヴィまでもが大粒の涙を流し、立ち尽くしていた。
兵達の涙に釣られたのか、あるいは誰かの心象風景か。曇天の空から雨粒が一つ。ぽつぽつと降り始めた雨に打たれながら、誰もその場を動こうとはしなかった。
ただ一人、シャノンだけは一切涙を流さず灰燼と化したオド・シルフの町を、いつまでもじっと見つめ続けていた。




