婚約者に会う私
その日、孤児院のただのアンファー改め、アンファー・グレムリンは朝から教師とマナーハウスのメイドたちの着せ替え人形となっていた。
その原因は、夏の長期休暇に王都のアランバード公爵邸に戻るエルレウスが郊外にあるグレムリン伯爵家のマナーハウスを訪ねて来るからだ。
ああでもない、こうでもない、と次々に私がこれまで触れたこともなかった高価なドレスを着せられる。
着ては脱がされを繰り返し、漸くドレスが決まった頃には正午を過ぎていた。
エルレウスの訪問は午後のお茶の時間に合わせると言われていたので、後数時間しかない。
ドレスが決まった次は化粧、髪のセットとその数時間すら、心の準備をする間もなく私はメイドたちの玩具にされるのだった。
メイドたちから解放されたのは約束の時間の直前で、私は既に疲労困憊した状態で婚約者を出迎えることになった。
「ようこそいらっしゃいました」
授業で習った通りに、私はエントランスで来客を出迎えた。
義兄改め婚約者となるエルレウス・アランバードは、とても美しい青年だった。
その容貌の美しさから王に見初められたというアウローラ・オーランドットに似ているのだろう。
アランバード公爵の妻だったリリアーナ・トラットゥリアとアウローラ・オーランドットは姉妹のように仲が良く、そして双子のように瓜二つだったという。
私が見たことのない本当の義兄・エルレウスと今目の前にいるエルレウスもよく似ていたのだろうか。
もしかしたら、今目の前にいるエルレウスは、本当の義兄と間違えられて、助かったのかもしれない。
人形のような人だと、私はエルレウス・アランバードを見て感じた。
昔、遠目に見ただけの朧気な記憶の中の少年の面影はなかった。
「君がアンファー?」
私の頭の天辺から足のつま先までを確かめるように眺めて、エルレウスは言った。
その品定めするかのような視線に、私は強い嫌悪感と反発心を抱いた。
「なんです? 私に不満があるのはわかりますが、私にはどうすることも出来ないんです、どうぞご自身で望むようになさって下さい」
その結果、およそ婚約者に向けるものでない棘のある言葉が口から飛び出した。
しまったとも思ったが、一度出した言葉を元通り喉に押し返すことも出来ず、私は静かに相手の出方を待った。
「いや、不満はないな」
エルレウスはもう一度視線を上から下まで動かして、独り言のように呟いた。
それからアンファーの目を見て、はっきりと言葉にしてみせた。
「君が言う不満がアランバード公爵の遺言についてなら、私に不満は一切ない」
その言葉に私は驚いた。
エルレウスも、自分と同じように突然の遺言に振り回されているのだと思っていたからだ。
でも彼は違うらしい。
「公爵は私の命の恩人であるし、良い父でもあった」
思い出を懐かしむように、愛おしげに細められた赤銅色の瞳と、それに影を落とす長い睫毛。
整えられた眉にすっと通った鼻筋、ゆるく弧を描く薄い唇。
エルレウスは、見れば見るほど、人形のように美しい男だった。
「君にとってはそうでなかったのか?」
その問いかけに、私はなんと答えればよかったのだろう。
私にとって父は、余りに遠い存在だった。
酷い人ではなかった。
母のことを大切にしてくれていたようだし、私にも教育を与えてくれていた。
ただ、母が亡くなってすぐに、家を出されただけで。
孤児院での暮らしがどうというのではない。
辛いこともあったが、それと同じかそれ以上に楽しいことも嬉しいこともあった。
ただ私の中に、父に愛されていなかったのではという疑念を植え付け、待つ時間が永くなる程にそれは大きく育ち実をつけていた。
「父のことは……余り覚えていません」
私はなんとか、当たり障りない言葉を吐き出した。
私の記憶の中にある父の姿は、いつも私を見ていない。
そんな父を、私は今もまだどういった人物であったか決め兼ねている。
「そうか」
エルレウスはそれだけ言って、私の不自然な沈黙を追求することはなかった。