預けられた私
私はアランバード公爵の庶子だった。
庶子故に、寵愛を受けた母が亡くなれば、すぐに私はアランバード公爵邸を出された。
それは追い出したようでいて、その実そうでもなかった。
代々アランバード公爵家に仕えるアッカーソン家出身の執事は、私を公爵領のある孤児院に預けた。
そう、預けたのだ。
執事はその時こう言った。
「然るべき時に、お迎えにあがります。 それまでどうか、お元気で」
なんの保証もない口約束のようなものだったが、私は不思議とそれを疑うことはなかった。
私はいつかアランバード公爵家に自分が必要になる時まで、この孤児院を我が家にすると決めた。
アンファー、8歳の誕生日の事だった。
それから私は、孤児院を我が家、孤児院を経営する教会の修道女を母として慕い、小さな血の繋がらない弟妹たちと仲良く慎ましく暮らしていた。
孤児院に自分より小さな女の子が迎えられる度に、2つ下の義妹を思い出して可愛がった。
迎えられたのが自分より小さな男の子であれば、私は8つ下の双子の義弟を思い出して可愛がった。
私は体の成長が早く、頭もそれなりに良かったので、幼い頃習った読み書きや計算を自分より年下の子ども達に教えた。
私が12歳になると、孤児院の近くの書店で店番の仕事を始めた。
私は計算も読み書きも出来たので重宝された。
店番の間に、店で取り扱っている本を読むことも出来た。
私は専ら絵本を熱心に読んでは、その内容を覚えて帰り、孤児院の子ども達に身振り手振りを加えて語った。
私は初めて貰った店番のお給料で、これまで覚えた中で一番子ども達が気に入った絵本を買った。
絵本を自分で読むことで、文字を覚えてもらおうと考えたからだ。
それから私は、お給料を貰う度に、子ども達への絵本を買った。
絵本を買った残りは全て孤児院の為に使ってもらえるよう、修道女のサリーに渡した。
サリーは教会の神父様に孤児院を任された修道女で、子ども達の母親のような存在だった。
私は、自分はこれからもサリーを支えてこの孤児院で暮らすのだと思うようになっていた。
見目麗しい子は、貴族や豪商の家に貰われていった。
働きに出られる年になった子は、奉公に出たり、職を見つけて孤児院を巣立っていった。
私だけは、働ける年になっても孤児院で暮らした。
それは昔の約束があったからだ。
それは本当に口約束程の拘束力も保証もないものだったが、私も、神父様もサリーもそれを信じていたので、私は孤児院を出ることはなかった。
それでも私は、15歳の誕生日を迎えた日に淡い思いだったものが確信に変わった気がしていた。
迎えなんて来ない。
私が孤児院に預けられて7年がたっていた。
その7年の内に、私の父であるアランバード公爵が病に倒れたことを、私は書店の新聞で知った。
家からは何の連絡もなかった。
その後、アランバード公爵は亡くなり、葬儀は王都で行われ、国王の参列もあったという。
それもまた、私は書店の新聞で知った。
アランバード公爵は私の実の父であるはずで、その公爵の庶子とはいえ公爵が認めた子である。
その私には何の連絡もなく、父の死に目にも会えず、葬儀に参列する事もできなかった。
私は心のどこかで感じていた、敢えて形にすることを避けてきた不安が、急速に実体を持つことに為す術もなかった。
きっと、自分はもうとっくに過去のもので、誰も自分を覚えていないに違いない。
不安はやがて諦めに形を変えた。
そして私は、やっぱり自分はこの孤児院で一生暮らすのだと思うようになった。
7年で慣れ親しんだ第二の我が家は居心地が良く、それも悪くないことに思えた。
いつかはサリーの仕事を継ぐことも考え始めた私は、そのうちに約束そのものも忘れてしまうのだった。