chapter2 未来予想図
痴漢に遭った日から2日後。
YUIちゃんから電話が来たのは被害メールを送信してすぐだった。
「大丈夫か!?何された?」
「声変じゃない?」
「篤のバカに風邪うつされてよ」
土曜日のライブ後、打上げ中から体調が悪くなり
ずっと寝込んでいてたのが返信が来なかった理由。
「何処触られた!?」
「熱は?」
「39度超えてる」
「本当?」
「嘘じゃねえよ」
「じゃあ病院行った?」
「行ってねえけど、じゃあって何だよ」
「薬は?」
「そんな事より俺の質問に答えろ!」
風邪と言われても、チョットやそっとじゃ信用できない。
返信が来ない間に出来上がったYUIちゃん浮気疑惑の被害妄想は、
酷く咽こんだ咳と共に私の中から吹き飛んでいった。
「かけられた〜!?」
「制服の上に」
「で、どうした」
「クリーニングに出した」
「何処で」
「電車の中」
「何で助けてもらわなかったんだよ」
「気が付かなくって」
「はあ!?」
考え事をしていたからじゃなく本当に気が付かなかった。
名乗り出てくれた目撃者の証言によると
ただ犯人は私の背後で1人黙々と工作をしていたらしく
「そいつも言えって言うの」
「判らなかったみたい」
新聞を持った息使いの荒い気持ちの悪い男。
電車を降りる時に制服の汚物に何をしていたのか気付いたらしい。
「本当に触られてないだろうな」
「触られたら判るよ」
「ボケーとしてるからな」
「してても判ります!」
「で、その変態は?」
犯人は捕まっていない。
警察に被害届を出して今後の対応など色々と話しを聞いたのは先生。
本来ならお母さんが聞くのだろうけれど
怒り狂った状態でそれどころじゃなく
「お前の母ちゃんスゴイな」
警察官の胸座を叩きまくるわ駅員には足まで出た。
「先生も災難だな」
授業があると言う理由よりは
駅員室で暴れまくるお母さんの為に何故か学校に移動したけれど
担任と言うだけで全く関係のない先生と校長まで怒鳴り散らされ
「過呼吸ってやつか」
救急車まで駆けつける始末。
【被害者は私】
なのに
【私のせい】
私が確りしてないから痴漢に遭い私が馬鹿だからお母さんが苦労する。
「どうしてアンタは迷惑ばかりかけるのよ!」
言いがかりもいい所。
本当にウンザリする最悪な1日だった。
「親も娘の事だと心配なんだろ」
「度が過ぎるよ」
「初めての事で」
「初めてじゃないよ」
「はあ!?」
初めて痴漢に遭ったのは幼稚園の時。
高校生ぐらいの男の子に
デパートのトイレに連れ込まれてスカートの中を脱がされ舐め回された。
何をされているか判らなかったけれど
【汚い事】
意を決した告白にお母さんは発狂しタワシで全身を擦りまくった。
すごく痛くて、お母さんの顔と怒鳴り散らす声が怖くて。
【言わなきゃ良かった】
幼心に、またこういう事があったら次は絶対に言わない。
そう誓ったけれど、小学校に入学してすぐから下校の途中。
公園で遊んでいる時と幾度となくイタズラされかけた。
友達が近所の家に助けを求めに行ったおかげで
少し触られる程度で大きな被害はなかったけれど
「優奈ちゃんがね」
その度にお母さんに話が伝わり
「アンタって子は!」
どうしてなのか私がイケナイ事をしたかのように怒鳴りつけ叩いた。
【いつだってそう】
痴漢に遭った時だけじゃない。
熱を出し風邪を引いて咳が止まらないだけでも
「心配ばっかりかけて!」
小言が止まらなくなる。
怪我をした時も門限を過ぎた時も、どんな感情さえも怒りに変わり手を挙げる。
「確かに面倒な親だな」
「ウンザリだよ」
「まあ気持ちは判らんでもないがな」
「何で?」
「それだけ大切って事じゃねえの」
「どこが?」
「愛するが故にって所か」
「迷惑過ぎます」
「親の心子知らずってな」
「子の心親知らずだよ」
「まあ無事だった訳だし」
【良くない】
私の中では痴漢の被害にあった事なんて過ぎた事。
許せないのは
【お母さん】
日常生活は不満だらけ。
高校2年生で門限6時。
バイトのある日は9時30分まで。
1分でも過ぎれば仁王立ち。
「物騒な世の中だから心配なんだろ」
「確かに近所であったけど」
「何が」
「車で連れ去られて」
「マジで?」
「中学の同級生も2人レイプされたし」
「簡単に言う事じゃねえだろ」
自分はきっと遭わない。
そうとしか思えない運の悪い人達の話はどうでもイイ。
お母さんの醜態を知って欲しい。
さらに不満が口から出そうになった時
生返事しかしなかったYUIちゃんが待ったをかけた。
「前から思ってたんだけどさ」
「何?」
「お前って結構」
「???」
「強情だよな」
「私が!?」
「本当は気が強いって言うか」
お母さんが私の事を言う時に必ず出る言葉
【この子は気が強い】
確かにお母さんの前では思いっきり出る。
図星だから言われると余計にムカついて止まらない。
でもYUIちゃんの前では出してない。
「何となくな」
「どの辺が!?」
「ちょっと思っただけだ」
「いつ!?」
「会った時からかな」
【気の強い女】
「で、泣き虫」
「気は強くないです」
「かなりヌケテテ」
「気は違います」
「感じやすい」
「感じやすい?」
「首元舐められただけでビックッとかしてさ」
「話が逸れてる!」
「本当に感度が良いよな」
もう2ヶ月も前の事なのに
駅員室で思い出したからか一気にYUIちゃんの感触が体に蘇える。
「優しく舐められる方が好きだろ」
「もうイイです!」
「触り方は擦り系がお好みで」
匂いも体温も私は覚えてた。
YUIちゃんも覚えていてくれてる。
恥ずかしいけれど嬉しい。
言われ続けながら私が照れてる事さえ伝わってる。
「恥ずかしい?」
「気は強くありません」
「あれ?思い出せない?」
「感じやすいです!」
「だから心配」
「心配?」
「感じやすいから。触られてさ」
YUIちゃんが心配している事と私の体を憶えてるのに愛情を感じて。
「電車の故障だから?」
「今日だけ偶然だよ」
「そうか」
安心させなきゃいけないと思う気持ちと
「もし俺がいたら?」
「目の前で私が痴漢に遭ってたら」
「半殺し?いや殺すかも」
もっと愛情の深さを確認したくて
「その前に近寄らせないけどな」
【俺が守ってやる】
わざとした架空の話の結論に1人酔いしれた。
私の中では愛情を図る為の
【連想ゲームでも】
YUIちゃんには
【罰ゲーム】
「マジで笑えない」
受話器から深い溜め息が聞こえた。
タバコに火をつける音に目を閉じた時
受話器から、うつりそうなほど熱っぽさを感じた。
「余計に具合が悪くなる」
「座ってるの?」
「今?座ってる」
目を閉じたまま感じるのは
きっとYUIちゃんがベッドにもたれながらテーブルの前に座ってる。
そこには灰皿があってコーヒーか何かの缶がある。
「何それ」
「当ってる?」
「当ってるけど」
受話器を通して部屋の空気まで感じる。
不思議な感覚。
見た事がないのに、まるで幽体離脱した自分がYUIちゃんの部屋を見ているような気分。
【他にも見えるかも】
目を瞑っていれば感じる気がしたけれど
YUIちゃんの咽こむ咳で目を開けた時、全部のイメージが吹っ飛んだ。
「今から?」
「寝た方が」
「寝れねえよ」
「どうして?」
「心配過ぎて眠れません」
自分の欲だけを考えて心配かけすぎた事を少し後悔した。
【数秒の沈黙なのに】
時計の秒針が遅く感じる。
最初に話し出したのはYUIちゃんの方。
「お前2年だっけ」
「うん」
「今度3年生か」
「そうだよ」
「そっか」
思いついたようなYUIちゃんの言葉に私達の住んでる距離を感じた。
近くにいると感じるのは
【勘違い】
すぐには会えない。
容易く会えない場所に2人が住んでいる。
「そっちも風強い?」
「風?」
「こっちは窓枠が飛びそうだ」
同じ地球上でも別々の国でもない。
同じ日本なのにYUIちゃんの住む空の下は強風警報が発令され
私が住む田舎の町は穏やかな夜。
「離れてるから当たり前か」
「そうだね」
「マジで遠いな」
距離を感じて急に淋しくなり返事も出来ない。
何か言葉にしようとした時
「お前さ」
本当は最初から、この言葉を言いたかったのかもしれない。
「コッチ来いよ」
「??」
「卒業したらコッチに来ないか」
「それってまさか」
「何?」
先走り過ぎた私の勘違い。
言葉に出した自分が恥ずかしい。
「プロポーズじゃねえよ」
「だって来いって言うから!」
「結婚って1回しか会ってないのにか?」
【笑い飛ばして欲しい】
YUIちゃんの沈黙が余計に羞恥心を倍増させ、あまりにも恥ずかし過ぎる勘違い。
【冗談です】
自分から笑って誤魔化せばと浮かんだ案は実行される事なく
YUIちゃんが語りだした未来予想図。
「そういう風になれたら良いけどな」
「そういう風?」
「何年か付き合って結婚してさ」
子供は男の子と女の子最低1人ずつ。
「貧乏でもお互いを支えあってさ」
「貧乏?」
「超貧乏でよ」
私が子供を背中に背負いながら昼はパートに、夜は家で内職。
「傘張りとかして」
「そんなの絶対にイヤ!」
「借金まみれでさ」
具のない汁だけのご飯に、かけた茶碗。
6畳一間のおんぼろアパート。
裸電球の下で暮して
「小さな石鹸カタカタ鳴らしてよ」
古い名曲らしい歌まで歌いだし、何処までも果てしなく
絶対になりたくはない私を茶化す為だけの未来予想図は、息を吸い違えて酷く咳き込んだ事と
「YUI大丈夫か?」
浅見君の帰宅で終了した。
「浅見帰ってきたから」
「うん。じゃあ」
「どうするんだ?」
「何を?」
「もうイイ。また今度」
明日明後日と用があるらしく、次回の電話の約束は日曜日。
「気をつけろよ?判ったか?」
「何を?」
「マジで言ってるのか!?」
「痴漢?」
「そう!じゃーな」
急いで切られた電話。
【コッチ来いよ】
きっとYUIちゃんは、私が真剣に受け止めていないと思ってる。
本当は違う。
嬉し過ぎて電話を切って3時間も経つのに眠れない。
【最高に幸せ】
涙は勝手に出たり止まったり、喜びのあまり心臓まで変な振動を起し出す。
【都心に就職する】
という予想もしていなかった未知との遭遇に生まれて初めて
【自分の人生】
というのに希望と言う物までもが生まれた。
卒業して家を出て就職をする。
そして年月を重ねて2人はゴールイン。
ウェディングドレスと和装はどっちが良いか。
そんな妄想に
結局一睡も眠る事が出来ずに向かえた朝。
「おはよう」
いつもと変わらない食卓。
今頃になって睡魔が襲ってきたけれど
「今朝の東京は雨が降ってるんですよ」
テレビ番組のアナウンサーの
【東京】という言葉に
体が反応して得体の知れない力が漲り
それは自転車を漕ぐほどに増して電車に揺られても消えず
「じゃあ川嶋」
難しい数学の問題まで簡単に解けて英語のヒアリングも誉められ
「やれば出来るじゃないか!」
今まで飛ぶ事が出来なかった8段の跳び箱も軽々とクリアー出来た。
何もかもが上手く行き過ぎて、まるで生まれ変わった気分。
でも、きっとこれが
【本当の私】
最高に良い日でもラッキーな日でもない。
運命の赤い糸で結ばれた2人が出会って
その日まで眠ってた本来の自分が目覚めて表に出ただけ。
アノ女の嘘も
リザードマンとの事も
智子達の嫌がらせも
辛い別れも何もかも
2人は運命で結ばれてる事を気付かせる為に神様が降した試練。
それを乗り越えてYUIちゃんと私は、今また1本のレールの上を歩いてる。
例えYUIちゃんが歌った曲のような単なる茶化し予想図が現実になっても
YUIちゃんさえいればそれだけで私は幸せ。
何が遭っても絶対に乗り越えてみせる!
【これが純愛】
行き着いた言葉に広いこの世界の中、巡り合えた運命に幸せを感じてた。