chapter1 揺れる思い
昨日と同じライブハウスとは思えないほどの動員。
ライブハウスの中は物凄い人と熱気で溢れかえっていた。
「空気が薄いよね〜。そろそろ掻き分けて前に行く?」
「前に行くってこの状態じゃ・・・」
「無理やり行くんだって!始るよ!」
すし詰め状態で身動きすら不可能な混雑に限界を感じた時
「無理!外で待ってる!」
「この状態じゃ出れないって!優奈危ないって!」
電気が暗くなると同時に地鳴りのような歓声が上がりまくった。
物凄い奇声が入り乱れる中
「トキ〜!!!!」
と叫ぶ声にハッとした。
トキ君の事?
物凄い数の声が聞こえる。
頭しか見えないけど誰かがステージに上がってきたのが見える。
「トキトキトキトキ〜〜!!」
イたる所から怒鳴り声にも似た歓声は
名前を連呼する回数の多さを競い合ってるかのように聞こえる。
何かすごくドキドキしてくる。
何だろうこの感覚・・・
この胸苦しさ・・・
「リュウセイ〜!!!」
夏美が叫んで人の波の中に飛び込んでいった。
そこに出来た ほんの僅かな隙間をめがけて
後ろから我先にと次々に割り込んでいく。
「優奈ちゃん!危ないって!」
「ちょっと押さないで!痛い!」
「押すなって言ってんだろ!優奈ちゃん!!」
智子の怒鳴り声は歓声にかき消され
私は狂乱した人の海に引き釣り込まれた。
リザードマンのライブが始まった。
乱舞した人の波は激しく揺れ動き
挟まれてるだけの私の体さえ揺れ動かす。
痛い・・・!
苦しくって息が出来ない!
けど・・・
すごく。
何だろう・・・スゴク何かを感じる。
一瞬だけ人の頭の波間から
ステージ衣装を身にまとい化粧をしたトキ君が美しく妖艶に輝いて見える。
さっきまで一緒にいた時に何度か感じた
トキ君の【静】をさらに強烈に感じる。
こんなに激しい音も狂喜する客席も
何もかもを無視するようにステージに立つトキ君に何かを感じた。
1人。2人と押しのけて前に出たけど
ボーカルのリュウセイさんは見えるのに
トキ君は背がそんなに高くないせいか見えない。
【見たい・・・】
トキ君が見たい!
前も横の人の事も考えず
ただ少しでもトキ君に近づきたい気持ちだけで
無理やり人の隙間に入り込んで進んだ。
「今日はイベントだからよ!コレで最後だ!気合入れてかかって来いや!」
その声に反応して私は何かを叫んでいた。
行きたい・・・
でも、もうこれ以上前に進めない・・・
そう思ったら自然に右手をステージの方へ差し出してた。
指先だけでもいい・・・
少しでも少しでもトキ君の近くに行きたい!!
激しくなって行くステージに何もかも忘れて、ただトキ君の事だけを追い求めた。
リザードマンのライブが終った。
「大丈夫!?優奈!こんな所まで流されてきたの?」
「汗びっしょりじゃない!っていう私もだけどさ」
「たった3曲だったけどやっぱり凄いよ!」
リザードマンのライブに興奮冷め止まない夏美達が笑う。
夏美は付け睫が落ちそうなのに
3人とも首元にもスゴイ汗をかいて髪の毛も乱れまくってるのに
何故だかすごくキレイに見えた。
「ねえ優奈。あれ見える?」
「天井の水滴みたいなの?」
「そう!あれはね、すごいバンドの証なんだよ!」
天井からポタと雫が落ちてきた。
あそこからも。
ここからも。
ポタポタとこぼれ落ちる雫。
スゴイ人数が集まって熱気が起こらないとならない
雫が次の照明のテストに赤や青に輝くのを見つめながら
4人で、リザードマンのライブの余韻に浸ってた。
あれから10分以上経っても興奮が収まる事を知らない体。
智子に誘われて、次のバンドを見るのをパスして外に出た。
「寒くない?大丈夫?」
「大丈夫」
「リザードマンのライブってすごいでしょ」
リザードマンは全国的にスゴイ人気で、
最近はワンマンでしか回ってないらしい。
箱もこんな狭い所じゃなく
もう少し大きな所でも完売するほどで
トキ君の加入で、さらに音楽性が広がってファンが増えた事を知った。
「トキ君カッコ良かった?」
「ホテルに戻ったら抱きついちゃうかも!」
「ねえ優奈ちゃんさ」
「智子ちゃんもトキ君だっけ?」
興奮は口調まで高ぶらせ、理性までも失くす。
その事に気が付いたのは智子の言葉。
「今、トキ君とYUIちゃんどっちが好き?」
夢から覚めたようにYUIちゃんの事が一気に頭を駆け巡り
問いかけた智子の視線に思わず目を反らした。
忘れてた。
トキ君のライブを見て、YUIちゃんの事を本気で忘れてた。
昨日の夜に一目惚れして今日の朝あんな事をしたのに。
「ねえ。どっち?」
「どっちって」
「ね!バンドマンって不思議でしょ。
理性を失わさせるって言うかさ」
「・・・」
「NFは元のバンドもココまでは人気ないしさ。
昨日リザードマンのライブ見せてたら今頃、私達ある意味姉妹だったかもよ?」
覗き込んできた智子の視線が痛かった。
もし、YUIちゃんと会う前に
昨日リザードマンのライブを見てたら智子の言うとおり
きっと今頃トキ君とSEXしてたかもしれない。
YUIちゃんに会って本気で好きになったからトキ君とは、しなかっただけで
本当は、物腰も優しいトキ君に何度もドキドキしてた。
「もし、トキ君の方が好きになったんだったらそれで良いと思うよ」
「え?」
「だって選ぶのは優奈ちゃん自身なんじゃない?」
「・・・・・」
「私はYUIちゃんの方が良いと思うけど」
YUIちゃんの事が好きって
あんなに。ついさっきまで思ってたのに即答できない。
ステージの上に立つYUIちゃんに感じた物より
トキ君に感じた物が大き過ぎる。
ベースを弾くトキ君を思い出すと鼓動が早くなって行く。
「バンドのメンバーとしてそこの音楽に惚れるのとさ。
今の優奈ちゃんは間違っちゃうかな・・・と思って」
メンバーとしてじゃなく、その人自身に惚れる。
私はYUIちゃんに一目惚れをした。
ライブを見てもバンドマンとしてではなく
YUIちゃんを1人の男としてしか見えなかった。
トキ君に会って何でも気軽に話せる友達だったらッて思ったけど
ライブを見たらトキ君に恋をした。
「私は間違えた人だからさ。
1回でも間違えると、もう戻れないって言うか」
トキ君に感じる恋は、彼のステージであって音楽であり
バンドのメンバーとして恋してる。
「トキ君ってつかみ所もないし、変に優しくって気が利くからさ」
遠巻きに智子が言いたい事は何となく判ってた。
「まあ、本当にトキ自身を好きになっちゃう可能性はないとは言えないけど」
でも、ホテルで感じたトキ君の優しさが。
会話の節々に感じた礼儀正しさ。
どんな時も冷静で揺らがない目と唇。
全てが蘇ってきて揺らいだ。
「SEXして後悔してからじゃ遅いからさ。判った?」
まだトキ君のライブにドキドキが止まらない。
智子の言葉に頷いたけど、コレは恋だと間違えてしまっても構わない。
トキ君に近づきたい自分が残ってた。
「お疲れ様でした〜。カッコ良かったです〜。
また来ます〜だって!智子の言い方に超ウケたんだけど!!」
「うるさいなあ!そう言っておけば来ないかもしれないでしょ!?」
リザードマンとその友達のバンドの合同打ち上げに入く予定が
「絶対あの年増女だよ!
アイツがバラしたんだって!じゃなきゃさ、おかしいよ!」
YUIちゃんの彼女だと勘違いしてたあの女の人が
リザードマンのファンの子に一緒に泊まってる事を話したらしく
打ち上げには参加せずに先にホテルに戻る事になった。
「イイジャン。どうせ後でこっちはヤリまくれるんだしさ」
「ロビーで勝手に嫉妬に狂ってれば良いんだよ!」
私達の会話に乗り合わせた人達はどう思ってたのかな・・・。
向かいに座ってたお父さんと同じぐらいの年のサラリーマンが隣の車両に移動して行った。
ライブハウスから機材車に乗り込む
トキ君を見送った。
メイクも衣装もそのままだったけど
ライブの時に感じたような熱情は起こらず。
コレが智子が言ってた感情の勘違いだったのか
一瞬でも気持ちが揺らいだ自分に恥を感じたけど
そんな事より何よりも、ライブっていう物にすごい力を感じて。
「トキ君ってどんなSEXするんだろう〜。考えただけで、あ〜!!」
電車の中で自分の胸を揉みだす麻紀の言葉に
勘違いで終ったトキ君への恋の悩みは
アノ空間で私は一体どんな顔して
何をしていれば良いのかと言う切実な悩みへと変わった。