何にでも、性格というものはあるらしく。
一日目、続きです。
「で、どうすんの? 使う? 使わない?」
「いや、使うとか使わないとか……そういうことを平気で口にしないでくださいよ」
「うわ何ソレ。キモ。変な気遣いは余計キモいってこと覚えた方がいいよ」
ざくりと、錆びたスコップで抉られたように、僕の砂山のような心は大ダメージを浴びた。正論気味なのが余計に刺さる。
というか、なぜ僕はたった今出会ったばかりの女の子(?)にこんなことまで言われなくてはならないのだろうか。
フィクションの世界では良く見かける、『所持品だった物が突然人間になって現れる』系の話では、大抵その人間になった『所持品』は『所持者』に対して忠実だったり、『ご主人様!』と呼んでくれたり、というのが一般的だと思う。
なのに、この『元オナホ』を名乗った彼女にそういった傾向は一切見られない。寧ろ外見からして、僕が苦手とするタイプのギャル系だし、押し入れの中で騒いでいたときから偉そうだし、持ち主の僕を床に座らせ自分は椅子でふんぞり返っている。
女性に対して僕がやたら下手に出てしまう(女性じゃなくても基本的には遜っている)のは日常なので、この関係性は確かに普通といえば普通なのだが、いやしかしそれでも一言物申したくはなる。尤も、それを現実にすることは僕には不可能なのだが。
「あ、何? パンツ見えそうとかドキドキしてんの? あのねぇ、知らないでしょうけど、女の子って結構そういうの気づくんだよ。それに、見えそうで見えない方法も良く知ってるし」
「い、いえそういうのではなくてですね!」
ばっと音が鳴る程のスピードで何故か眼前に迫っていた太ももから目を逸らす僕。目を逸らしたのに、肉付きのいい脚や、魔法をかけたように一定のラインより奥を隠し続けるスカートの縁は鮮明に瞼に焼き付けられている。
「っていうか、別にえっちな気分になってもいいんじゃない? どうせ、今から抜く予定だったんでしょ」
「え? そ、それは」
きぃと音が鳴って、彼女は椅子をパソコンの方に回転させ、ニヤけながらマウスを手に取って……
「待って! ダメ! それはダメ!」
「きゃあっ」
自らの栄誉とちっぽけなプライドを守るべく、僕が半ば反射的に彼女に飛びかかると。背もたれに体重を預けきっていた彼女は、簡単に体勢を崩してしまう。そして、彼女と椅子は、僕ごと床に叩きつけられた。
ゴゴッ、という鈍い音がして、視界が一瞬黒くなる。驚きはしたが、あまり痛くはない。彼女の方も頭を強打した訳ではなさそうで、少し安心する。
「いたた……ご、ごめん」
「ごめんじゃないわよバカ!」
数十センチの距離で、彼女は叫んだ。当然だ。いくら先に仕掛けてきたのが彼女の方とはいえ、非常に申し訳ない。
「早く離れなさいよ!」
「あ、そうだよね! ごめん!」
ぐっと、僕は床についた手に思いっきり力を込めて立ち上がろうとした。が、それ以上に強い力によって僕の身体は重力方向に引き戻される。背中に食い込む痛みの形状から察するに、彼女の腕が僕の身体をがっちりとホールドしているようだ。
「早く立てって言ってるでしょ! 変態! 痴漢! オナニー中毒!」
僕を抱き締めながら僕を罵倒する彼女。余りの理不尽さに、僕はむしろ冷静になってきた。というか、罵声とは全く裏腹に、彼女の表情はお化け屋敷にでも居るかのようだった。離せ離せと連呼する度に、彼女の腕の力は強くなっていく。
「あの、離してくれないと立てないんですけど」
「うるさい! そんなの解ってる!」
彼女の瞳に、涙が浮かんでいるのが見えた。
確かに僕が突然飛びかかり、それによって押し倒してしまったのは事実だけれど、しかしここまで恐怖させることになるのは本当に予想外だった。
恐れる物など何もないと言いたげな挑発的な恰好をした彼女は、案外怖がりというか、予想外のことに弱すぎるのだろうか。
やがて彼女は僕の拘束を解き、そしてゆっくりと立ち上がった。それをボーっと見上げていた僕からプイと顔を逸らし、目の辺りをごしごしと擦る。子供っぽい仕草だな、と僕は思った。
「はぁ……全く。別にそこまで必死になって隠さなくてもいいでしょ? 私はオナホを買ったことまで知ってるんだからさ」
「そりゃそうだけど、でもなんていうか、隠したいんだよ……じゃなくて」
「は? 何よ、まさかこの期に及んで『実は僕が欲しかったのではなく、プレゼント用で……』なんて言わないでしょうね?」
「それは……違うけど」
間違いなく、僕は僕自身の意思によって僕の物としてオナホを注文し、今日それが届いた。そしてそれを、使おうとしていた筈だ。けれど、いやだからこそ、そこに、そして現状に齟齬疑問が発生する。
「ねぇ、君、本当に僕が買ったオナホなの……?」
そう。僕が思い出すべきなのは、彼女が押入から出て来たときの、第一声……いや、第二声。
『アタシ、アンタの買ったオナホ。なんか、人間の姿になれちゃったみたいだから、よろしくね』
この、言葉だ。
そもそも押入に人が居たという事実からパニックに陥っていた先程の僕にとって、それは驚きを覚えても疑念を抱くほどの言葉ではなかった。
しかし、少し冷静になった今、改めて思い出すと、やはり、おかしい。
「何? 疑ってるの? 大体、オナホじゃなかったら私は一体何なのよ」
「それは……確かにそうだけど。でもだからって信じられるわけじゃない」
「面倒臭いわねー。少なくとも、私はそう思ってるの。私は間違いなくアンタが買ったオナホ、商品名は『16』」
長い金髪をばさりとたなびかせて、彼女は堂々たる態度でそう言った。その様は、とても嘘を吐いているようには見えない。
「一発私で抜いてみれば解るんじゃない? ほんっと、そんじょそこらの女よりもずっと気持ちいいはずよ。何せ、医療用素材を惜しみなく使った、最先端のオナホだからね」
自慢げに彼女は言う。医療用素材を惜しみなく使った、という文句は聞いたことがある、というか、件のオナホの宣伝文句そのものだ。彼女にとって、それは単なる宣伝文句ではなく、自分自身のスペック、キャッチコピー……だから、胸を張って言える。そういうことなのだろうか。
そして僕は、今一つ彼女に対する返答に悩んでいた。何せ、『そんじょそこらの女よりも』と言われたって……。
「あ、もしかしてその顔は……比べるモノを知らない、って感じの顔かな? そっかー、そうだよねー、ごめんごめん。オナホなんて買っちゃうような人は大体そんなもんだろうし、気にしなくていいんだよ?」
彼女の言うことは、悲しいことに全く以ての事実だった。そして最後の言葉は、慰めよりも寧ろ追撃だとしか思えない。
「確かに僕は童貞だけど……何て言うべきか、そもそも僕は――君がもし本当にオナホだったらだけど――君を使う気なんて微塵もないんです」
「は? 何それ、どういうこと?」
若干、真剣にキレ気味の彼女。その迫力に、一瞬僕も本気で怯んだ。
「い、いやだって……君は本当の女の子の姿してる訳だし……」
「そりゃあそうでしょ、男の姿してたら抜く気にならないじゃん」
「うん、そうなんだけど……」
こういうとき、自分の口が上手くないのをたまらなく呪いたくなる。僕のこういう発言によって、何度も人を苛立たせてきたことを思い出して、少し嫌な気分になった。
「なんなのよ! 言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」
ほら、この通り。
「だからさぁ……君を使うって、それつまり、セ、セセッ……」
「……キモ」
勇気を振り絞って、『言いたいことをはっきり』言おうとした瞬間。ばっさり、一刀両断。その眼は、女子が教室で僕を見るときと大体同じくらい、冷たかった。
「使わないなら寝る。じゃあね」
「え、えぇ!?」
彼女は、言葉通り、本当に押入の中に潜り込み始めた。
「あ、私明日、甘い物食べたい。じゃあね」
戸を閉じる直前に、彼女は仏頂面でそう言った。
「……明日も、来るんだ」
今までまともに女性と話したことのない僕は、今日というこの日において、あまり初めてには適さないタイプの女性と、これからも付き合うことになったらしい。
日常を壊すような新たな展開が訪れたというのに、僕の胸にあるのは、ただただ、虚無感だけだった。
次回から、少しずつストーリーが進んでいく予定です。