ばっちこい
ある日、カリストは珍しく野球部の練習に出ていた。例によって例の如くではあるが、ソフトボール部の「いそうろう」である野球部はマトモにグラウンドを使わせてもらえるわけもなく、カリストとイオはグラウンドの隅に造った自作のブルペンで投球練習である。もっとも、ピッチャープレート前縁からホームベース先端まで18.44メートル、そして土を盛ったマウンドがあるぶん、ソフトボール場で投球するよりは遙かに実戦的ではあった。
「ねぇカリスト! ウデ振れてて結構イイ感じかも!」
「ホント~? えへへ~♪」
変則的なアンダースローで投げ出されるカリストの球は、「年頃の娘が投げるボール」としては異次元の速度と球威とコントロールだ。もちろん現時点ではプロにはとても通用しないが、並の高校球児が相手なら充分に抑えられる可能性がある。ましてや女子野球に限って考えれば、これはもう相当な逸材であること間違いなしだ。
「変化球投げるよ~♪」
フニャフニャしたモーションから放たれたボールは、イオが構えるミットの手前で揺れながら落ちる。いわゆるナックルなのだが、カリスト曰く普通のナックルとは微妙に違うらしい。イオも慣れたもので、捕球が難しいと言われるナックルを難なくミットに収める。
「あんたのナックルだけは、世界で一番上手く捕る自信があるわ」
「わたし、イオがキャッチャーじゃないとピッチャーやんないよっ?」
「そういうふうに言ってもらえるのは……その、すっ、すごく嬉しけど……私がいてもいなくても、あんたには野球を続けてほしいのよね……」
「んう~? イオといっしょじゃないなら、野球やってもあんまし面白くないんだけどなぁ……えへへ~♪」
「う、うーん……」
こういうことを言われてしまったらイオとしてはグウの音も出ない。
「とっ、とりあえず! バッターボックスに立つから、投げてみてよっ! そういえばあんたの球、しばらく打ってないしっ!」
イオは真っ赤になった顔を隠すように深々とメットを被ると、右のバッターボックスに入りカリストに向かってバットを立てる。イオが記憶している限り、本気で放ったカリストのボールをヒット級の当たりにできた試しはなかった。
「本気で投げてよねっ!」
「んう~? イイけど、イオはだいじょぶかなっ?」
カリストは少し困ったような笑顔を浮かべながらマウンドを蹴って馴らしている。
「あんたねぇ、絶対に打たれないと思ってるでしょっ!?」
「だって、打たれて向こうまでボール拾いに行くのイヤだも~♪ そいじゃ投げるよ~♪」
セットポジションに着くと、クイックモーションで何のこともなげにカリストは初球を放った。左腕のアンダースローが放つ浮き上がるような球筋の直球がイオの胸元目がけて飛んでくる。
「ふっ!?」
思わずイオは上体を反らしそうになったが、カリストがボール球を投げてくるわけがない。咄嗟にウデをたたみながらコンパクトにバットを振る……も、完全に振り遅れだ。辛くもバットはボールに掠りはしたが、ボテボテのファウルだった。
「んんー! ストライクワン! まだまだっ!」
「つぎ変化球投げるよ~♪」
カリストは振りかぶって第2球を放る。捕球することはできて、それと判っていても打てないカリストの変化球。イオはタイミングだけ合わせて闇雲にバットをフルスイングする。
「はぁんっ!?」
バットは勢いよく空を切り、イオはバッターボックスで尻餅をついた。
「えへへ~♪ だいじょぶ~?」
「なっ、なによっ! タイミングは完璧だったしっ!」
ニヤニヤしているカリストとは対照的に、イオは鬼気迫る表情で立ち上がり、再びバットを構える。
「ストライクツー! まだまだっ!」
「ねぇねぇ♪ イ~オ~♪」
「なによっ!?」
「つぎは魔球を投げるよ~♪」
魔球? そんなのイオは初耳だった。いったいどのような球なのか……当のカリストは普段通りテレテレと笑いながら振りかぶり、ボールを放つ瞬間に大声で叫んだ。
「イオだあいすき~♪」
ボールは緩い棒球だったが、イオは思わずバットを放り投げてボールを素手で捕球してしまった。
「バ、バカぁ! な、なに言ってんのよっ!? 捕っちゃったじゃないのよっ!?」
「えへへ~♪ イオ、それアウト~♪」
カリストはとても満足そうだった。