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(仮)やまと  作者: 田中 彰
人を想う
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混乱のさなか

 小太りの官吏に連れ添いの女も参列させるよう言われたこともあって、大碓(おおうす)は一度客間に戻って(なお)にこれまでの経緯を掻い摘んで伝えた。



ところが、情勢に疎い直はいまいち状況を飲み込めていないようで、不思議そうな面持ちを浮かべたまま「どういうこと?」と首を傾げてみせた。


それもそうか、と大碓は苦笑して、彼女にも分かるよう丁寧に状況を説明してやる。





 まずは、山間の古屋に現れた見目麗しい青年。彼の正体は八瀬(やつせ)が放った密使だったのである。



着飾った身なりと気品漂う立ち振る舞いを鑑みれば、名家のご令息が功を立てる為に使者として遣わされたのかもしれない。


その道半ばで、まさか村人に殺されるようなことになるとは夢にも思っていなかったであろうが。



そして、その彼が携えていた三本の木片こそ、駿河(するが)の領主、埴夜藝(はにやぎ)に宛てられた密書だったのだ。



文面から察するに、送り主の八瀬は実に周到な策を練っていた。大碓も兵法を諳んじているだけあって、その手の内が薄々ではあるが読み取れた。




 東征軍と『斉』軍は前回と同様、国を別つ荒玉河(あらたまがわ)辺りで事を構えることになるはずである。


そうなれば、戦場に出向いて大軍が不在となった東国を、どちらにも加勢しなかった埴夜藝が一気に平定するという算段であろう。



正面に東征軍、背後から埴夜藝の軍と、行き場を失った『斉』の軍勢に逃げ道はない。後は両軍で挟み撃ちにして一網打尽にするまでだ。



戦意を失った大軍は酷く脆いもの。先の戦でのヤマト軍がそうであったように、統制が執れなくなった兵ほど厄介なものはない。敵の用いた策で敵を討つ。謀に長けた八瀬らしい戦略ともいえよう。



これでヤマト王権の念願であった東征が成り、大王の下で大倭は遂に安寧の時代を迎える。後は、国政の乱れなどを理由に危険分子の埴夜藝を追い落とせば済むだけの話だ。





 直は口を開けたまま、呆然と話に耳を傾けていた。それに端と気が付いた大碓は「難しかったか?」と苦笑しながら訊ねる。すると、直は慌てたように身を跳ねらせて左右に首を振った。




「そんなことはない。すごく分かり易かったよ。だけど……」



語尾の歯切れが悪い直に「だけど?」と大碓は眉をひそめて首を傾げた。




「本当に賢いな。何時ものことながら驚かされるよ」



「そうかな」と頬を赤らめる大碓を余所に、直の表情は微かにどんよりと曇っていた。



「お前のような人間が何もせずに埋もれていて良いのか」



何処か悲哀の籠った独り言は、照れ笑いを浮かべている大碓の耳には届かない。二人で居ることへの不安が微かに脳裏を過ぎった瞬間だった。



そして、それは次第に大きさを増して直の胸を強く締め付けた。このままでは終わらない。そんなどうしようもできない懸念が、陰のように彼の笑顔に付き纏う。




「これでいいんだ」



直は自分自身に言い聞かせるかのように呟く。そして「そろそろ行こう」と大碓の手を取って微笑んだ。



二人は手を取り合って外に出る。実に微笑ましい光景だった。客間の側に控えていた官吏や女官がそれを快く思うはずもなく、眉をひそめて怪訝な面持ちを覗かせる。それでも直は手を離そうとは思わなかった。



ぎゅっと握り合った手は強固に結ばれている。それが永遠に続いていくものだと、どうしても思い込みたかったのかもしれない。直は大碓の名前を呼んで、穏やかで愛らしい笑顔を浮かべてみせた。






 華やかで芳しい美女たちが妖艶に舞う。笛や鐘、琴の音が旋律を奏でる。文武百官が席を並べて酒を楽しみ、玉座では派手な装飾品を身につけた埴夜藝が贅沢な食事に舌鼓を打っている。


彼の周りには二十を越える妾が侍っており、人目など一切気にする素振りもなく、男女の触れ合いに感けていた。




 末席でその情事を見た大碓は嫌悪感を堪えることができない。眉をしかめて憤りを露にする。領民は重い税で飢えや略奪に苦しんでいるというのに、国を治めるはずの領主がそれを顧みることなく贅の限りを尽くしている。



佞臣は昇進や蓄財にしか興味を示さず、他者を追い落とすことばかりを虎視眈々と狙う輩ばかり。烈火のような義憤が込み上げると共に、酷い眩暈と吐き気が襲ってきた。



隣に座っていた直はそんな大碓とは対照的だった。冷やかな面持ちで動じることなく酒肴を口に運んでいた。大碓は彼女の様子を訝しがって眉をひそめる。





「何も思わないのか?」



「何処の領主だって似たようなものよ。善人面は仮面でしかないの。結局は税を貪り、女を囲い、民を虐げる。ウチは何度もそんな光景を目にしてきたわ」



直は溜息を交えて答えた。その表情には諦めの色が窺える。




大碓も深い溜息を漏らして目を閉じることにした。見ることさえ止めてしまえば、気にするようなこともなくなるだろう。そう信じて瞑ってみたものの、脳裏では山間に住んでいた中年夫婦の顔がふと浮かんでくる。



仮に、善政によって領民が飢えなければ、あの夫婦も人殺しまでして身包みを剥ぐような悪事を働くこともなかっただろう。二人の優しい笑みを思い起こしてみれば、そう思えて仕方がなかった。





「使者殿、まずは一献」



そう呼びかけられて目を開けば、ぶくぶくとよく肥えた官吏が銚子を手に微笑んでいる。激しい怒りが込み上げて衝動的に剣を取るが、どうにか思い止まるように気を落ち着かせて歪んだ笑みで酌を受けた。



苛立ちに任せて並々と注がれた酒を一気に飲み干す。すると、周囲の官吏たちが囃し立てて喝采を浴びる。臓腑が捻じり切れんばかりの嫌悪感が、いよいよ抑え切れないところにまで込み上げてくる。





「儂からも一献じゃ」



それも束の間、甲高い声の聞こえた方に視線を向ければ、妾を引き連れた埴夜藝が側まで来ていた。


その醜悪な顔を目にしたことで、大碓は済んでのところで冷静さを取り戻すことができた。此処に来た目的を彼の顔が思い出させてくれたからである。



領民を悪政から解放するような大それたことではない。志那戸辺(しなとべ)との約束を果たして、恩人である水鶏一人の命を救う為に此処まで来た。


そして彼の首は、こんな薄汚い世界から直と二人で抜け出す未来へと繋がる鍵なのだ。





 大碓は完璧な笑顔を装う。それでも胸のうちは殺意で一杯だった。埴夜藝から酌を受けて杯を空にすると、返杯して隙を窺う。


しかしながら、今すぐ埴夜藝を斬ったところで、厳重な警備が布かれている城から逃げ(おお)せる可能性は限りなく零に等しい。



時間にもまだ少しの猶予がある。大碓はそう考え直して、その場で行動を起こすことを控えた。直にも目配せをして、互いに意志の疎通を図る。



埴夜藝はそんなことなど露知らず、目端に留まった直が気になったようで「隣の美しき娘はお主の妻か?」と何食わぬ顔で訊ねる。


それから彼女を上から下まで物色するように眺めて、にたりといやらしく表情を緩めた。



大碓が「そうです」と答えたところ、不機嫌そうにも眉間に皺を寄せ、貧相な口先を尖らせた。





「儂の傍に置きたいものじゃのう」と子供のような駄々を捏ねたかと思えば、急に愁眉を開いて「どうだ、その娘を儂に譲らぬか?」と強請ったりもした。



やんわりと断ったものの、今度は大碓ではなく直に向かって「儂のところに来れば食うに困らず、奇麗な服や宝玉も授けるぞ」と得意満面で勧誘する。



それに対して、直は柔らかな笑みを湛えて「本当にありがたい申し出でございます」と、慇懃に首を垂れる。



隣で聞いていた大碓は彼女のことを信じているものの、取られるのではないかという懸念が渦巻いてとても気が気ではない。僅かな間さえ恐ろしかった。





「ですが、終生夫だけに付き従う所存。衣食の贅沢など、夫と比すれば塵のようなもの。申し訳ございません」



直はゆったりとした口調でそう言った。大碓は密かに安堵の表情を浮かべ、埴夜藝は僅かに口端を歪ませる。その二人に挟まれた直は、全くもって穏やかな微笑みを絶やさなかった。





「い、いや、実に見事な覚悟。何とも仲の睦まじい夫婦じゃ!」



埴夜藝は高らかに言って拍手を送り、正殿に空笑いを響かせた。口惜しさを紛らわせる為と知りながら、百官もそれに倣って拍手喝采を送る。




「おお、それならば」



そんな中、玉座へ戻ろうとしていた埴夜藝を呼び止めたのは小太りの宰相だった。突然手のひらを打って、満面の笑みを綻ばせている。





「狩りで勝負しては如何でしょうか」



続けて言うには、



「使者殿が勝てば彼の望みを叶え、埴夜藝さまが勝てばその娘を妃として貰う。お二人方にとっては悪くない賭けではありませぬか?」とおどけるように言ってのけた。



埴夜藝も手のひらを打って「それは良い考えじゃ」と言い、大碓も漫然と笑みを浮かべて、打てば鳴る早さで「宜しいでしょう」と答えた。



すると、百官のどよめく声が巻き起こる。ある官吏はしたり顔で「それ見たことか。所詮は妻よりも地位や金を望んでいるのだ」と罵って嘲り笑う。


また別の武官は眉をひそめて「性根の腐った男だ」と憤慨を露にした。


各々受け取り方は違っていたしても、軽蔑するような眼差しが大碓へと痛烈に向けられる。






「何でも叶えて頂けるというお約束は確かですな?」



それに気圧されることなく、大碓は片頬を歪ませた笑みで念を押す。



埴夜藝も欣喜雀躍の態で「儂に二言などない」と満足したように呵呵大笑した。


欲望に溺れる者を扱うほど容易なことはない。漫然とほくそ笑む顔を見れば、そう言いたいことが手に取るように分かりそうなものだ。






 大碓も彼の提案を受け入れない手はなかった。城を出て狩りを行うともなれば、お気に入りの家臣だけを引き連れてするものだ。口煩い重臣たちを連れて行ったところで、埴夜藝が楽しめるはずもない。



しかも、自ずから城の厳重な警備から外へ出るということは、埴夜藝の命を狙う大碓にとってまさに千載一遇の好機となる。





「明日の評定が終わり次第、共に狩りへと参ろう」



埴夜藝はか細い口髭を扱きながら、上機嫌に甲高い声で笑った。そして、傍らに控えている直を舐め回すように横目で窺う。それには場慣れした直でさえ背筋に寒気を覚えてしまうほど見苦しい視線だった。




「明日が楽しみじゃ」と大笑した埴夜藝は、大手を振って玉座へと戻って行った。



二人はそれを低頭して見送った後、お互いの顔をすぐに見合わせた。直は桃色の頬を膨らませ、すっと伸びた奇麗な眉を僅かに吊り上げている。


怒りを滲ませる顔立ちが何とも愛らしく、大碓はその玉容を前に見惚れずにはいられなかった。



僅かな沈黙の後、苦笑しながら「すまない」と大碓が謝ったものの、居心地の悪い宴がお開きになるまで斜めになってしまった彼女の機嫌が戻るようなことはなかった。ただ、彼女も大碓の本心は理解している。全ては埴夜藝を討つ為なのだと。






 明朝、まだ夜も明けぬうちに評定が開かれた。大碓も前以って参席するよう通達を受けていたので、眠い目を擦りながら末席に着いていた。



中央の高御座(たかござ)に埴夜藝が、上座に大臣や将軍が鎮座する。そして評定を取り仕切っているのは、昨日宰相に任じられたばかりの小太り官吏だ。



彼は異例の昇進を果たしたせいか、昨日よりも更に衣服の派手さが際立っていた。容貌に似合わない紅梅色の衣を纏い、装飾の豪華な金冠を被っては威厳高く振舞っている。


それに薄ら笑いを浮かべて媚びへつらう者もいれば、心のうちで激しい嫉妬心に駆られる者もいた。欲望に彩られた政争ほど、人の醜さや邪さを表すものはない。





 大碓は端目で彼らの様子を窺いながら、馬鹿馬鹿しく思って密かに鼻で笑う。


今日のうちに領主の埴夜藝が死ぬことにでもなれば、此処に居る誰もが居場所を失って途方に暮れることになる。まさかそんな危機が間近に迫っていようとは考えてもいないだろう。



そうなれば駿河の国は大いに乱れて収拾もつかなくなる。欲に塗れた重臣たちは互いに敵意を剥き出しにして殺し合いを演じ、在りもしない権威に縋って右往左往する様が目に見えて浮かぶ。それも因果応報。贅を貪った報いを受ければ良い。





しかしながら、そんな下らない紛争に巻き込まれなければならない領民たちは不憫だ。


彼らはこれまでも埴夜藝の統治下で辛苦に喘いできたというのに、今度は騒乱によって更なる苦汁を舐めなくてはならないのだ。そうなることは必然ともいえる。



仕方のないことだ。自分の力だけではどうすることも適わない。大碓はそう思い至ると、咄嗟に同情してしまい顔を伏せずにはいられなかった。


確実に起こり得る未来を突きつけられて、見たくもない現実が瞼の裏で鮮明に映り込む。



水鶏(くいな)だけは救わなければならない。そんな強固な願望だけが雷鳴のように閃き、どうにか良心の呵責に押し潰されることなく平常心を保つことができた。



そもそも、駿河の領民とは何の関りもないのだ。伊勢に居たときの自分なら間違いなくそういった結論を下している。けれど、どういう訳か今の自分は易々と割り切ることが出来なくなっていた。





 思い悩む彼を余所に、評定は着々と進んでいた。俎上(そじょう)に乗っている話題は、八瀬と宰相に昇進した官吏が取り計らった戦略のことである。





「駿河を通って西に向かう軍勢と領国をまずは分断させる。その後、空っぽとなった東国を蹂躙して、何も知らない『斉』軍を背後から急襲すれば勝利は我らのものだ」



得意満面で軍略を語ったのは、宰相の下についた将軍である。それに対して、誰も反論する者は現れなかった。重臣たちの思惑は様々だが、考え方は一つに纏まっていた。



埴夜藝のお気に入りである宰相に目をつけられてしまっては、この先の未来が閉ざされてしまうという危惧だ。故に、道理はさて置き、従うより他に道などなかったのである。





「ヤマトとの密約によって、勝利した暁には我らが主公は東国の王となられる」



宰相が声高らかに言うと、会場となった拝殿は重臣たちの喝采に寄って喜びに沸き上がる。



大碓にとっては茶番以外のなにものでもない。誰にも気付かれぬよう、またも鼻で笑ってしまう。


すると、埴夜藝がおもむろに立ち上がったかと思えば、背後に立てかけてあった抜き身の刀剣を取って天に突き上げた。刀身はほのかに赤く染まり、夕陽の茜を連想させた。






「そうなれば次の目標はヤマト王権だ。東国の豪族どもを引き連れて、大軍をもって西を制す!」



それに続いて「おおっ!」という喊声が響き渡った。


皆が喊声に沸く中、大碓の視線は埴夜藝の突き上げた右腕に向いていた。その手首には紅の紐。志那戸辺の呪術を施した相愛の証である。







 それは突然のことだった。背後から大きな物音が正殿に響き渡る。すると事態は著しく一変した。


正殿の門が力任せに押し開けられて、殿中に桂甲を纏った将兵が十数人ほど乱入してきたのだ。彼らの目からは殺気が迸り、手には様々な武器が握られている。





「不埒者じゃ!」



宰相は動揺を隠せずに、顔を青ざめさせて鶏の断末魔のような金切り声を響かせる。他の重臣たちは恐れ戦いて一目散に四隅へと身を隠すばかり。大碓も慌てて壁際に飛び退き、柱の陰に隠れると事の成り行きを窺うことにした。





 静まり返った正殿に、杖をつく音がこつん、こつんと鳴り響く。ゆったりとした足取りで、長い白髭を蓄えた高齢の老人が姿を現した。


質素な白衣に身を包んで、袴や靴も飾り気のないものを履いている。漫然と微笑む顔は何処か慈愛に満ちているようにも思えた。





「ご無沙汰しておりました」



老人はゆっくりと口を開き、高御座に向かって会釈を交わした。




「爺か。これはどういうつもりだ」



埴夜藝は表情を変えず、淡々とした口調で訊ねる。





「国を滅ぼす佞臣を討とうと思いましてな」



そう言った老人の目は身を仰け反らしていた宰相へと向けられる。その眼光は瞬く間に鋭いものに変貌を遂げていた。





「某が愚かでした。そのような俗物を宮廷に召し抱えてしまった挙句、国事を誤らせるようなことになろうとは」



こつん、こつんと杖の音が響き、老人は感嘆の溜息をつきながら高御座に向かってゆっくりと歩を進める。





「誰か、この痴れ者を殺せ!」



宰相が発した悲鳴のような絶叫に、息のかかった武官たちが剣を抜いて老人の前に立ち塞がった。





「主公、目を覚まされよ。領民は飢え苦しみ、怨嗟の声が巻き起こっております。以前から口を酸っぱくして申し上げておりますが、民なくして国は成立ちません。どうか、尊大なる(まつりごと)を心掛けて頂けますよう、伏してお願い申し上げまする」



老人は杖を離して膝を折った。そして、涙ながらに叩頭して埴夜藝を仰ぎ見る。それに対して、当の埴夜藝は片頬を僅かに歪ませるだけである。





「宰相の位を奪ったことに恨みを抱くか。儂は最早誰のことも信じぬ。絶大なる力に縋る者であれば、誰であろうと受け入れてやるつもりだ」



「なんと……。未だにお后を恨んでおいでか」



埴夜藝が吐き捨てるように言い放ったことに、老人は肩をがっくりと落として咽び泣く。




「爺よ、退かねば斬り捨てるまで」



「如何様にでも為さりませ。国が滅ぶ様を見ようとも思いませぬ。ですが、その俗物だけは捨て置けませぬ」



老人はそう言いながら浮かび上がるかのように身体を起こし上げる。そして杖に忍ばせていた剣を抜き、宰相目掛けて差し向けた。





「殺せ!」



顔を紅潮させた宰相が声を張る。乱入してきた将兵と武官たちは、一斉に喊声を上げて官吏たちに斬り掛かった。



剣戟は激しく鳴り響く。重臣たちは我が身を守ることで精一杯で、逃げ惑う様子に普段の傲慢さは全く見受けられない。斬り合いの中で鮮血が舞い散り、正殿の床に紅の華が咲き乱れる。





大碓は自分に斬りかかってきた将兵と剣で打ち合った。相手は随分と歳の若い青年だ。水鶏の技と鍛錬で身につけた独自の太刀筋で必死に対抗する。



白刃は昇天する朝陽の光を反射して美しく舞った。


恐ろしい剣幕で迫った青年将兵だったが、実力はそれほどでもないようで大碓は幾分余裕を持って対処することができた。二十合に至るまでには相手の剣を薙ぎ払うことに成功する。



甲高い音が鳴り響いて青年の剣は円を描いて床を転がっていく。徒手空拳となった青年は覚悟を決めたのか身を屈めて目を閉じた。


大碓はこれまでに一度も人を殺めたことがない。当然、躊躇いが生じて斬ることに迷いが生じていた。



すでに勝敗は決して命を取ることもないだろう。安易にそう考えたことが災いする。大碓が振り向いたのを見計らって、青年将兵は懐に忍ばせていた小刀を抜いて飛び掛ってきたのだ。



一瞬の出来事だった。覆い被さってきた青年の胸を、慌てて振り向いた大碓の剣が貫いた。



青年は呻き声を上げて臓腑から鮮血を吐き出す。大碓は返り血を浴びながらも唐突のことで困惑した。


収拾がつかなくなったのか敵に対して「おい!」と何度も呼びかける。


暫くすると、青年は大量の血を吐き出して息絶えた。必死にしがみ付いていた彼の腕は力なく横たわる。その目には薄っすらと涙が浮かんでいる。






「なんでこんなことに……」



鮮血に染まった手のひら。白刃は光を放って大碓に呼びかける。これが戦いというものなのだと。弱きは死に、強きが生き残る。まさに修羅の道だ。






 反乱は次第に収まりをみせていた。たった一人の武力に寄るところが大きく、闖入者たちは抵抗も虚しく次々と(ほふ)られていく。



埴夜藝は向かってくる将兵を手当たり次第に斬り伏せる。剣を振れば炎が沸き立ち、炎は渦を巻いて敵を押し退けた。誰一人として熱気と火焔を前に贖うことはできない。



焔の刀身と重なった白刃は音もなく両断されて、その使い手も次の瞬間には豆腐のように易々と裂かれてしまう。


そうすると決まって焼け焦げたような異臭が周囲にたち込めた。剣の発する高熱によって血肉は焼かれ、切り刻まれた身体は肉片となって四散する。





 その間、白髭の老人は逃げ惑う宰相をすんでのところまで追い詰めていた。高御座の裏で蹲る宰相。それを目掛けて力の限りに剣を振り下ろす。老人は本懐を遂げるつもりであった。



しかし、あともう少しのところで微かに剣戟が響き、刀身は脆くも真っ二つに両断されてしまっていた。老人の剣は宰相まで届くことなく、利き腕は宙を舞って力なく転がった。





火之迦具土(ひのかぐつち)ですな」



「儂に斬れぬものなどない」



埴夜藝はそう言ってゆっくりと剣を振り上げる。






「言い残すことはないか」



「口惜しいばかりにございます。某がこの者の甘言などに惑わされなければ」



そこまで言ったところで、老人の胸に白刃が容赦なく突き刺さる。それは埴夜藝に寄るものではなく、這い蹲っていた宰相が折れた剣先を取って胸に突き立てたのだ。


滴り落ちる鮮血を目の当たりにして、宰相は奇声を上げながら後ずさりして飛び退く。






「あの者には忠誠心の欠片もございません。よくよく御心に留めおいてくだされ」



老人は血を吐きながらも気丈に最期の進言する。





「先ほども申したであろう。儂は誰のことも信じてはおらぬ」



埴夜藝は尚も続けて「苦しまずに常世へ旅立て」と、優しく告げる。



老人も笑みを浮かべて「忝い」と答えた。そして、振り上げられた剣は老人の細首を薙ぎ払う。鞠をついたような音が微かに響いて、明朝の騒乱は程なく終焉を迎えた。








 首謀者たちの首は昼を待たずに門前で晒された。更には一件に加担したと考えられる者たちの粛清が始まった。その数は一族郎党を合わせて百五十にも上る。



それを主導した宰相は、この先に政敵と成り得るであろう将官まで纏めて処罰した。自らの権力を確固とする絶好の機会となったようだ。


命を狙われて危うき目に遭遇しても尚、只では起きない狡猾さが彼をこの地位まで押し上げた所以なのかもしれない。



その日は検証と大捕物で城内が騒然する中、さすがの埴夜藝も狩猟に行くどころではなかった。宰相の奏上を承認したり、反逆者を捕縛する任を軍に遣わしたりなど業務は多岐に渡った。





 それはさて置き、大碓も心情的にそれどころではなかった。客間の簀子(すのこ)に一人で腰掛けたまま漠然と空を仰ぎ見ていた。



これまで騒々しかった周辺も、時間が過ぎるにつれて心なしか平穏さを取り戻しつつある。太陽は西に傾き、そろそろ太陽も暮れようとしていた。





 眩しい陽射しを遮ろうと、大碓はおもむろに手のひらを上に翳してみる。明々とした日光によって透けて見える血脈。身体の中を血が滔々と流れていることを実感できる。



身を守る為とはいえ、この手で関わりのない人を殺めてしまった。時間が経つごとにどうしようもない罪悪感に駆られてくる。



付着していた鮮血は念入りに洗い流したが、それでも未だに鉄を噛んだような異臭が鼻をつく。感覚として残った粘着き、手の皺に滲み込んだ緋色。


それは鮮明に瞼の中で焼きついた。ふと気が付けば、暖かな陽射しの中に居るというのに全身の震えがどうにも止まらない。






「人を傷つけて、どうして平気でいられるんだ」



大碓の居た堪れない独白を、直は傍らで眉をひそめながら聞いていた。彼女も今日の顛末を聞いて、それだけに何と声を掛けるべきか逡巡していたのである。



僅かな沈黙の後、遂に意を決してゆっくりと歩み寄る。それから大碓の肩に手を置いた。





「お前は優し過ぎる」



直が気遣って穏やかに声をかけてみても、目を閉じたままの大碓は何も答えようとはしなかった。




「でもいいの。その痛さに慣れてしまっては駄目」



そう言って大碓の背中にそっと寄り添う。彼女の温かさが次第に伝わってくる。それはとても優しく、ぼんやりとした包容力を感じさせた。




「お前の感じる痛みや苦しみを分かち合いたい」



穏やかで弛まない嬌声が耳に届く。



「どんな試練も二人だったら越えていけるから」



直はそれから何も言わなかった。両腕で大碓の体を包み込むように抱き止める。まるで「大丈夫だよ」と無償の愛で宥めてくれる母親のように。




そうしてどれくらいの時が経っただろうか。芒を揺らした冷たい秋風が吹き抜けて、鴉の陰は夕陽の中へと溶け込んでいく。大碓は少しだけ頬を緩ませながら独り言のように呟いた。





「どんなことがあろうと、死が二人を別つまで共に生きていこう」



直は朗らかに笑って首を頷かせる。それが背中を通して伝わり、大碓も微笑んで首を頷かせた。






 前日の天気とはうって変わって、翌日は冷たい時雨が降り注いでいた。風も強く、狩猟に出かけるには生憎の空模様だ。



まるで何事もなかったかのように、定例の評定はつつがなく進行していく。昨日と同様に大碓も参席していたのだが、また討ち入りがあるのではないかと多少の不安を抱えながら話に耳を傾ける。





「狩りは明日出かけることにしよう」



不機嫌さを表すかのように、埴夜藝の声は怒気を孕んでいる。お粗末な眉を吊り上げて困った顔を覗かせていた。




「どうすることも出来ぬものが儂にも二つある。一つは天候、二つ目は女の我が儘じゃ」



そう言った後で一人で大いに笑った埴夜藝は、宰相や重臣を引き連れて奥へと引き下がっていった。





 大碓も天を憎まざるを得ない。正殿を出てどんよりと立ち込めた暗雲を仰ぎ見た。明日は約束の七日目。どうにかして厳重な宮廷から連れ出さなくては、とてもではないが埴夜藝を殺すことなど出来るはずもない。



明日には雨も上がって晴れてくれるだろうか。そう願いつつ、大碓は目を閉じた。


晴れてもらわなくては水鶏の命を救えない。運は天に任すより他にないのである。大碓は全ては儘よ、と明日に向けて決死の覚悟を固めた。









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