プレリュード
古事記、日本書紀は奈良時代に編纂された書物であり、日本の神話や古代の歴史を、今に伝える重要な史料となっている。
古事記は壬申の乱の後、天武天皇の勅命により天皇家の正統性を示す為、国内向けに編纂された趣があり、帝紀・旧辞とともに伝承や伝説を盛り込んだ書物である。
稗田阿礼の暗誦を、太安万侶が聞き記し纏めた。712年、元明天皇の御世に献上された、日本最古の歴史書と云われている。
これはこの国の、遥か遠い昔の話。
世の中に溢れ返っている文明の利器も存在しなければ、今では当然のようにあるはずの、電気やガスもない時代。
いや、そもそも国という形態ですら、まともに為していない頃。そのように説明したほうが分かりやすくていいだろう。
お粗末と言っても足りないぐらいの、余りに簡素な服装。砂ぼこりで薄汚れた顔や手足に、シラミまみれの頭髪。まん延する流行り病、行き倒れの遺骸は弔われることなく、至るところでひっそりと転がっている日常。
それがこの国のあるべき姿だった。
とても貧しく、恐ろしく脆弱で、ふっと息を吹きかけるだけで消えてしまいそうな、弱々しい灯火みたいなものでしかなかった。
それでも、過去を生きた人々はそれぞれの思いを抱きながら、懸命に踏ん張って生命を繋いできた。だからこそ、今の僕たちがここにいる。
人々の営みがどんなに移り変わろうと、変わることのない生命の糸は、これから先の未来へと受け継がれていく。
そういった点では、過去を生きた彼らと今を生きる僕たちに、違いなんてものはそれほどないのかもしれない。
ひとつ呼吸をすれば、時間という概念は手のすき間からこぼれ落ちる。
時間は一つひとつ移ろい、誰もが過去の自分となり変わり、枯葉が土に帰すように、それが積もり積もれば僕たちの身体だって遂には朽ちてしまう。
そこにいたはずの君の記憶は、そのうちに人々から忘れ去られ、そこにいたという事実すら、この世界から薄らいでいくもの。
そうしていつかは、君たちも過去の人間となり果てて、その御魂とやらも朝露のように消え入る運命にある。
それから逃れられる術は、今のところ見つかってなどいない。だから、僕たちは為す術もなく、その現実をそれとなく受け容れなくてはならない。貧富に関わらず、誰もがそうなのだ。
青々とした山稜から流るる、きらきらと光に満ちた水面。そんな美しい河川をたどっていけば、果てしない大海原を臨むことができる。
この国に広がる山河は、僕たちが生まれる前から、その素晴らしさを湛えていた。
大地は四季折々にさまざまな色彩を匂わせ、ひとつに留まることなく四季をめぐらせる。ときには恵みの豊穣を、またときには辛い苦難を与え、人々の暮らしに大きな意味を為してきた。
しかしながら、岩礁に打ち寄せる荒波も、気侭に漂っている浮雲も、吹き抜ける爽やかな風だってそう。
僕が死ぬまでの短い間に、それらは何ら変わることはない。まるで何事もなかったかのように、ずっとそこにあり続けていく。
それなのに、大地が少しでも臍を曲げてしまえば、僕たちの存在など蒲公英の綿毛のように、あっという間に散り散りとなる。
延々と繰り返される四季を、目の前に広がる大自然を前にすれば、ちっぽけな僕が懸命に生きていることに、ほんの僅かな意味さえ見出せなくなってしまう。
生命をすり減らしてまで、何の為に抗い続けているのか。そして、何を追い求めているのか。
当たり前が当たり前でない現実。
いづれは自分というものがなくなることも、不変だと思っていたものが変わってしまうことも。僕らはただ目を瞑ったまま、目の前の日常をただやり過ごしているだけなのかもしれない。
だからこそ、僕たちは寄る辺を求めてさまよう。それを望むことに、本当は意味なんてないのだろう。だけど、僕たちは空っぽのままでは生きられないから、自ずと理由というものを渇望してしまう。
どうして僕はここにいて、どのように死を迎えたいのかと。
どうして君はここにいて、何故もがいているんだ?
その答えは僕には僕にしか、君には君にしか見つけることは適わない。他人に分かるくらいなら、こんなにも苦労なんてしないだろうから。
冷淡な世界だって与えてくれやしない。ただ、押し黙ったまま面白がっているだけだ。
ちっぽけな君に何ができるのか。そう、嘲笑いながら見つめている。それくらいに思っていたほうが気も楽になるはずだ。
ふと、足を止めて考えたことはないだろうか。今までに一体どれだけの人が、この道を同じように通ってきたのだろうかと。
春の麗らかさや、夏の眩しい日差し。秋の紅葉に、星のまたたく冬の夜空。晴れの夕暮れもあれば、雨の降りしきる朝だってある。
いつもは何気なく歩んできた道なのに、そんなふうに思えた瞬間だけは、とても新鮮な景色として瞳の中に映り込んだりしないものだろうか。
友達と笑いながら登校する学生。思いっきり遅刻しているのか、慌てて横をすり抜けていく会社員。仲睦まじそうに手を取り合う恋人たち。
両親と手をつないで、満足そうな笑顔を浮かべている子供。お互いを支え合うように連れ添う、穏やかな老夫婦。
そして、無邪気な笑顔で通り過ぎる、幼い頃の小さな背中。目にしてきた風景だけでも、とても数えきれそうにない。
今では車の往来が盛んな大通りといっても、少しばかり遡ってみれば、砂塵が巻き起こるような砂利道だった。
黒煙を吐く車が走行する前は、隊列を為した軍兵が行進し、それ以前には髷を結わえた人々が忙しなく往来したはずで、それより昔にも数えきれないぐらいの人たちが行き交っていた。
僕たちのいる場所には他の誰かの痕跡があって、それがどんなに小さなものであっても、誰かの物語が眠っている。
静けさの中に佇む古ぼけた鳥居。朽ち果てたような家屋の跡。広大な敷地に設けられていたであろう城址。記録に残っていない陵墓。道脇で崩れかけた地蔵など。その気にさえなれば、そういったものは幾らでも見つけることができるだろう。
ただ、日常に追われる僕たちが、その声に気づこうとしないだけなのか、あえて目を向けようとしていないのか。どちらにしても、つまりは取るに足らないことだと、大半の人がそう決めつけて気にも留めない。
「俺は、私はここにいる!」
言葉にならない思いを叫ぶように、彼らの声はひっそりと佇んでいる。微かな道しるべだけを残して。
本当に大切なものとは何か。人間がどれほど美しくて、どんなに穢れているのかを、歴史はいつでも語りかけてくれている。
僕たちが両親に育まれたように、その両親も祖父母に育てられ、その祖父母もまた同様に生命を受け継いできた。でも、それだけではなかったはずだ。
君たちがここにいるまでの間には、数え切れないほどの人たちが関わり、お互いに助けたり助けられたりして、頑丈な生命の糸を紡いできた。
たとえば、僕がわずかなりでも知人を支え、君もまた他の誰かの支えとなれば、周りまわって僕の支えとなるように、見ず知らずの君と僕は、どこかできっと繋がっていたりするもの。
それは喜びや親愛だけに関らず、憎しみや悲しみだって僕たちの糧となる。人生の中に数ある彩りとなって、最期のときを迎えるときには、美しい宝玉のように映ることだろう。
その事実に触れた瞬間、僕たちは同じ時間を生きている。
それに気づいたとき、すでにあとの祭りだったりするのかもしれない。それでも、たった独りで生きてきたのではないことを悟り、僕たちは誰かに認められることによって、この世界に生かされていたのだと理解するのである。
そして、おそらくは少しばかり途惑いながら、苦笑するように微笑むはずだ。それを知る為に生きてきた。そんな分かりきったことをどうして失念していたのかと。
そんなありきたりなことが繰り返されて、今の君たちがいる。
人間なんて、まだまだ道半ばだ。ここから先には無限の道があって、後ろを振り返ってみると、幾多の糸を紡いできた歴史という織布が拡がっている。
たった一糸でしかない彼らが、今では全く見向きもされないのと同じように、僕らだっていつかは忘れ去られる存在なのかもしれない。それでも、足もとまで続く布地は、目が眩むほどに美しかったりするものだ。
柔らかい日差しの中、通い慣れた道を通り抜けて、木々のささやきに耳をすませながら椅子に腰かける。そこでなんとなく拾い上げた小石にだって、もしかしたら誰かの夢が宿っているかもしれない。
どんな人で、どんな人生を送ったのか。頭で想像だけを膨らませてみれば、見ず知らずの誰かとすれ違ったような気がして、不意に周囲を見回してみる。そこに誰が居るというわけでもないのに。
小石に刻まれた微かな傷。刻み込んだ人は幸せだったのか、または不幸だったのか。小さな声に耳を傾けようとも、それを知ることはできない。
だけど、心のどこかで祈っている。
その願いが報われることを。過去に一瞬だけ灯った生命。僕らだってそうなんだ。一つひとつの胸には、それぞれに異なった願望が秘められているはずだから。
一匹の胡蝶が、目の前をひらひらと舞う。
それは今を生きる君たちに問いかける。
あなたは何の為に生きるのか。何を追い求めて死んでいくのか。
そして、昨日の君があどけない笑顔で問いかける。
「僕たちはどこまでたどり着けるの?」
そう訊かれたところで先のことなんて分からないから、僕らはきっと口ごもらずにはいられないだろう。
それでも、やり遂げるべきことは眼前に転がっていて、望むにしろ望まないにしろ、それから逃れることはできないと、そう伝えることはできる。
そういう運命だと思い込んでしまえば、気だって随分と楽になるはずだ。
彼もまた、そんな思いを胸に秘めつつ、灯火の下で筆をとっていたのかもしれない。
幾歳も語り継がれるお伽噺。
およそ千三百年ほど前の晩秋の寒空、今と変わらずどこまでも澄んで、天高くと広がっていた。
この頃の京は、未だに喧騒の中にあった。のちの南都、平城京である。
すでに遷都されたとはいえ、大通りや官舎、さらには街並みの整備など、完成をみるにはまだまだほど遠いように思われた。
また見渡すところ、租税として駆り出された労働者で溢れ、京はまるで、身を寄せ合うねずみの巣くつのようだった。
さきの藤原の京から、そのまま移築された荘厳な大極殿。それだけが京の格式を保っている。
この国は飛鳥の御世より、大きな転換期を迎えていた。
古代国家『倭国』からの脱却。そして、より近代的国家に近づく為、対外に向けて権威を示す国づくりを必要とした。
云うところの『日本』としての黎明である。のちの世に、奈良時代と呼ばれることになるが、それはずっと先の話だ。
そして、その大極殿に或る官吏が召喚された。
凛然と鎮座する壮麗な女帝と、文武百官の列する朝廷。帝の御前で跪いた官吏の持つ笏は、ひどい緊張からか細やかに震えていた。
官吏は年の頃四十前後。蓄えられた立派な口髭に、整然とした佇まい。恰幅の良い体格からは、長らく宮仕えをしてきたという威厳が備わっている。
それほどの男であっても、帝を前にすれば平常を保つことは難しいらしく、涼しげな表情とは裏腹に、襟首は滲み出る冷や汗でしっとりと湿っていた。
緊張と密かな期待によって、彼は年甲斐もなく何とも言えない高揚感で胸を躍らせていた。名を太安万侶と云う。