涼しくなってきた
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九月も半ばを過ぎて下旬に差し掛かると、気温がだいぶ下がる。二ヶ月前や一ヶ月前の暑さはもうない。夏も終わり、これから秋が深まっていく。あたしも普通の会社員だったが、普段から長袖のシャツや女性用のスラックスに抵抗はない。毎朝午前七時過ぎには目が覚めて、朝食用にトーストを一枚焼いて齧り、野菜サラダを一皿食べ終わった後、コーヒーをカップ一杯ブラックで飲む。そして着替えを済ませ、八時前には家を出て、出勤する。さすがに季節が変わると疲れが出やすい。夏場溜まっていた疲労がドッと出てくるのだ。だけど夜は案外早く眠る。残業までこなしてから外食し、自宅に帰り着くのが午後九時過ぎだ。それから入浴して肌に浮いていた汗や脂を洗い落とし、眠る前にアルコールフリーのビールを飲みながら、リビングの地デジのテレビを付けて見る。午後十時に始まる一時間ぐらいの報道番組を見るのだった。午後十一時にはベッドに潜り込み、眠る。毎日フルタイムで仕事をしているのだった。特にこの季節、朝晩が涼しい。昼間食事の際に外出するときも暑さが我慢できる。普段ずっとオフィスでパソコンに向かいキーを叩き続けていた。ランチ店に行く際は必ずスマホを持っていく。現役の会社員で管理職にいる以上、流れてくる情報はいろいろとあった。常に業界の最前線にいる。スマホも確かに使い慣れれば便利だ。持ち運べるコンピューターだからである。つい最近、従来型の携帯から乗り換えたのだが、外に行くときは欠かさず持っていく。どこででも仕事が出来るように、だ。それにタブレット式のパソコンも一台持っていた。これは社員全員に一台ずつ支給され、外出先や遠方へ出張などする際、持参するのだ。これだと通常のノートパソコンを持ち歩かなくてもいいのだし、専用のフラッシュメモリにデータを落としておけば、後でパソコンにデータを移すことも出来る。あたしもいろんなIT機器を使っているのだが、要はどこででも仕事が出来るようにすればいい。慣れているのだった。新しい機器の使い方を覚えるのに。頭が柔軟だからだ。それに買った際、必ず添付された説明書を読むのだし……。
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その日もランチ店に行き、ウエイターに食事を頼んだ後、スマホの画面に見入る。ネットではいろんなニュースや情報等が配信されてきていた。あたしも一つ一つ拾って読みながら、食事が届くのを待つ。頼んでいたのは海鮮ピラフを一皿と、ホットコーヒー一杯だ。年中ホットで飲んでいる。あたしも体を温める方が返ってリラックスできるので、そうしていた。カップ一杯コーヒーを飲めば眠気が取れる。仕事の合間にゆっくりと出来る時間が食事時だった。ものの十五分ほどで食事が届いたので、ピラフにスプーンを入れて掬い取りながら食べる。寛げる時間があって心身ともに休まった。食事中でもスマホの電源は付けっぱなしにしておく。いつ誰がどこから電話やメールなどをしてくるか分からないからだ。あたしもそういったことは一番気にしているのだった。ビジネスに必要なのはタイムリーさである。こうやって何気に時間が過ぎ去っていくときも、常に仕事の準備をしておいた。食事を取り終わってコーヒーを飲みながら寛ぐ。この店にはもちろんバリスタがいて、エスプレッソのコーヒーを頼めば淹れてくれる。あたしも稀にそういった職人に濃いコーヒーを淹れてくれるよう頼むことがあった。別にアメリカンでも構わないのだが、エスプレッソを一杯飲めば気付けになる。午後からの仕事がはかどるのだ。その日も若干お金に余裕があったので、エスプレッソのコーヒーを一杯注文した。バリスタは専用の香りのいい豆を挽き、淹れる準備が出来た後、沸いていたお湯を上から注ぎ込む。そして一杯淹れてくれた。テーブルに届けられたカップに口を付けると、普段会社のコーヒーメーカーで淹れるコーヒーとは若干味が違う。あたしもそういったことは認識できていた。カップに口を付け、コーヒーの味を楽しむ。疲れていたのだが、それでも大丈夫だった。別に気にしなくていいと思う。一過性のものであることに変わりはなかったので……。コーヒーを飲みながら、またスマホに見入る。キーを叩き、検索エンジンなどを活用しながら随時調べたいことなどを調べていた。カップ一杯飲み終わって席を立ち、歩き出す。店には多数の人が来ていて、皆が食事を取っているのだった。いつものランチ店の光景だ。変わりはない。ずっと仕事しながら、合間に街の様子などを見ていると、変化はないなと思う。目立って代わり映えしない。いつもオフィスに詰めて、ずっとパソコンのキーを叩きながら、いろいろと考え続けているのだった。社員が集まる職場は確かに狭いのだが、そういったことはちゃんと頭に入っていて仕事を続けている。ゆっくりする時間もそうたくさんはない。そう思い、職場に戻れば、また仕事を再開する。管理職としてワンフロアを任されているのだから責任があった。店出入り口で食事代を支払い、会社へと戻る。外はある程度冷えているのだった。やや肌寒さを感じ取りながら、社へと舞い戻る。眠気は取れてしまっているのだった。そして午後からの仕事もちゃんと頭に入っている。何をすればいいのか、きちんと分かっていた。長年会社員だ。仕事の手順には狂いがない。ずっとマシーンに向かいながら、キーを叩くのが業務なのである。変化がないのが会社勤めの人間の実態だ。ただ、週末やまとまった期間の休みが楽しみなだけで……。
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社に戻ると、デスクに並んでいた部下たちのパソコンはどれも起動していて、皆が午後からの仕事を始めている。あたしも何気なしにフロアをすり抜け、管理職の人間が座る課長席へと向かった。さすがに仕事はきつかったのだが、別に構わない。あたしも業務をこなしながら、フロアを管理するのである。それに専念していた。仕事と言っても管理職ぐらいになれば、普通に部下たちを見張るだけである。あたしも常々そう思っているのだった。その日も午後五時に会社の業務が終わり、その後、残業があったのである。会社に残り、夕方以降の仕事の続きをこなしていた。その日、下の人間たちが作ったデータを全てチェックし、必要な分は手持ちのフラッシュメモリに保存する。簡単なことだし、そう時間も掛からなかった。あたしも居残りはきつかったのだが、別にいいと思っている。普通にそういったことは念頭に入れて仕事に来ているのだ。午後八時を回り、上司たちはすでに帰っている。いつの間にか、誰かが出前に親子丼を取ってくれていたので食べた。帰宅したら、やや熱めのシャワーで入浴し、リビングでゆっくりするつもりでいる。疲れていたのだが、これが現実だった。ずっと仕事が続くのだが、別に抵抗はない。単に疲労するというだけで一日が終われば寛ぐのが一番だと思っていた。自宅にもパソコンはあるのだが、データの詰まったフラッシュメモリは持って帰っているので、また明日もちゃんと持っていく。社まで毎日バスと電車を乗り継ぎ、通勤していた。だけど慣れればそうきつくもない。単に体が疲れてしまうというだけで。特に気にする必要はないのだった。夜もゆっくりと眠りさえすれば、涼しくなったこの季節も快適に過ごせる。気にしていないのだった。また仕事が続くのは紛れもない事実なので……。朝起き出せば、新たな一日が始まる。単調な毎日に慣れつつあった。まあ、確かに裏を返せば、生じる慣れというものが実に恐ろしいことは分かっていたのだが……。
(了)