第35話 絶対忘れたくない!本当の私
ひとまず、翔と出会う前にできるだけこの世界のことを調べておきたい。そしてどんどん「佐伯みのり」に侵食されていく自分の心を何とかつなぎとめておかなくてはいけない。
家に戻り、制服から私服に着替える。鏡に映る自分を見ると、やはり美しい女子高生がそこにいた。しかし、その瞳の奥にはまだ男としての意識が残っている。この意識を、絶対に失うわけにはいかない。
この世界で活動していくためにも、活動できる範囲の状況を把握しておく必要がある。
私はひとまず街に繰り出すことにした。ゲームのイベントでもショッピングデートがあったから、お店での買い物はできるはずだ。
駅前の商店街を歩いていると、道行く人々の視線が私に向けられるのを感じる。特に男性の視線が気になった。彼らは美しい女子高生に興味を示しているのだろうが、私にとってはその視線が居心地悪い。
最初に向かったのは、ゲームショップだった。店内に入ると、懐かしいゲームソフトが並んでいる。私が翔と一緒に夢中になってプレイしていた格闘ゲームやRPG、シューティングゲームなど懐かしいタイトルが目に入った。
「あ、お客さん、何かお探しですか?」
店員の男性が話しかけてくる。女の子がゲームショップに一人で来ることは珍しいのかもしれない。
「あの、格闘ゲームを探しているんです」
私が答えると、店員は少し驚いた表情を見せた。
「珍しいですね。女の子で格闘ゲームが好きな方は」
そう言われて、私は改めて自分の置かれた状況を実感した。外見は完全に女の子なのだ。
しかし、ゲームを手に取ると、男としての記憶がよみがえってくる。翔と一緒に徹夜でプレイしたあの日々。負けて悔しがったり、勝って喜んだり。そんな記憶が私の心を支えてくれる。
次に向かったのは、模型店だった。プラモデルやフィギュアが所狭しと並んでいる。ガンダムのプラモデルを手に取ると、細部まで精巧に作られているのがわかる。
「これ、ください」
私は迷わず購入した。店員は女の子がガンダムのプラモデルを買うことに驚いているようだったが、何も言わなかった。
一日ですべてのお店を回ることはできない。少しずつでも着実に、佐伯みのりの部屋に、『五十嵐隼人』の世界を作り上げていく。
買い物を続けていると、時々異変を感じることがあった。可愛いアクセサリーや服を見て、「これ、可愛い」と思ってしまう瞬間がある。手に取りそうになって、慌てて手を引っ込める。
これが侵食なのか。私の心が、だんだんと佐伯みのりになっていく。
発作的にファンシーなものに引かれ、男っぽいものに嫌悪感を感じる時もあるが、必死に抵抗した。自分に言い聞かせる。
『俺は五十嵐隼人だ。男だ。絶対に忘れない』
心の中で何度も繰り返しながら、男性向けの商品を買い続けた。
何日もかけて買い物を続け、部屋の中はごちゃごちゃした男の部屋に姿を変えていった。壁にはゲームのポスターが貼られ、棚にはプラモデルとフィギュアが並ぶ。デスクの上には男性向けの雑誌が積み上げられている。
最初にあった可愛らしいファンシーグッズは、すべて押入れの奥に隠した。見えないところに追いやることで、佐伯みのりの影響を遠ざけようとした。
この部屋の中にいると、まだ自分の心は男でいられていると安心できた。
それでもしだいに過去の記憶が自分にとって違和感に思えてきた。女の体で男の記憶。記憶そのものが現在の状態に合わせようと改変されていく。思い出が消えていく……
私はとくに思い入れのある、翔との思い出のゲーム、一緒に攻略した時よく読んでいた攻略本。それらを小さな箱に入れる。絶対に忘れないように、私が五十嵐隼人だったことを情報として残すためにタイムカプセルのように記憶の中の翔との思い出を詰め込んだ。
最後に箱の中に今の思いを込めたメモを残す。
『自分のことを絶対に忘れるな ゲームに負けるな』
* * *
私の佐伯みのりとしての生活は、すごく計画的だった。プログラム通りと言ってもいい。
決められた時間に起床し、ほとんど無意識に手間のかかる女子の身支度が進む。そこに私の意識は介在しない。NPCのモブとしてゲームが定められた行動を行う。
意識して自分の体の優先権を取り戻さない限り、他のキャラと同じように、無意味なただのコマとしての存在に成り下がってしまう。
その時間が日に日に増えていく。だんだん佐伯みのりに染まる自分を感じていた。
学校での生活では、すぐ後ろの席であるというのに、神代創太にはいまだに話しかけることができないでいた。
教室では、システムの制約がより強く働いているように感じる。創太に話しかけようとしても、なかなか言葉が出てこない。そして、いつもヨシオの視線を感じる。あの男の正体がわからない以上、うかつに行動することはできなかった。
*
いつもはヨシオと出会わないように授業が終わると同時に教室を出ていたため、帰宅する他の生徒と一緒になることは少なかった。しかし、今日はキャラ設定で与えられた図書委員の仕事のため、帰宅時間が他の生徒が多い時間になってしまった。
図書委員の仕事は、本の整理と貸出業務だった。静かな図書室で本を整理していると、少し心が落ち着く。しかし、時々借りに来る生徒たちを見ていると、彼らもまた操り人形のように見えてしまう。
決められた台詞を話し、決められた行動を取る。まるで精巧に作られたロボットのように。
仕事を終えて靴を履き替え、校舎を出ようとした時だった。そこで見た光景に、私は言葉を失った。
校舎の出入り口付近で下校する生徒たちを観察すると、多くの生徒が下校しているところだった。一見すると普通の光景に見える。しかし、よく見ると何かがおかしい。
「ああ、なんで忘れていたんだろう、違う、これは私じゃない!」
「いやだ、いやだ、校門を出たら、また……」
「助けて、誰か助けて!」
女子生徒たちが泣き叫んでいる。しかし、その足は止まることなく、規則正しく校門に向かって歩いている。
みんな定められた道に沿って進んでいるが、その歩みとは裏腹に上半身は半狂乱になっている。必死の形相で助けを求める者、泣きじゃくって叫ぶ者。顔を両手で覆って絶望に暮れる者。
まるで阿鼻叫喚の地獄行列だった。
「な、なんなのこれ……」
何とかその言葉を絞り出す。狂乱しているのはすべてキャラ立ちした女子高生ばかりだ。男子生徒やモブキャラっぽい女子生徒は、普通に歩いている。
私は泣き叫ぶ一人に駆け寄り話しかけた。綺麗な栗色の髪をしたお嬢様タイプの女子生徒だった。
「ねえ、いったいどうしたの!?」
彼女は必死に私に助けを求めてきた。涙で化粧が崩れ、美しい顔が歪んでいる。
「あなたは大丈夫なの?私は、私じゃないの。本当よ、ただゲームをしただけなの、この世界に来てきちんとハッピーエンドまでプレイしたのに」
「どういうこと?」
「私は女の子じゃない。三十歳の大人の男だったの。それがゲームを始めるとこの世界に閉じ込められて男子高校生になってしまった。まるでゲームのような生活が続いて、無事クリアしたはずだったのに殺された」
それは『トキメキめめんともり♡』のことだろう。
「そして蘇った時、私は私の理想の女の子の姿でこの世界のモブキャラに加えられていたわ」
「え?あなたも男だったの?」
「ここにいる女子生徒はみんな同じ。ハッピーエンドに到達した主人公役の男は殺され、自分の理想の姿でこの世界に再生される。ゲームがクリアされるたび女子生徒が一人ずつ増えていく。そして蘇った私たちに自由意思はない。ゲームの中で決められた動きを強制される操り人形になるの」
私は震え上がった。顔をあげて周囲を見渡す。多種多様な美少女が泣き叫びながら行進している。
ここにいる美しい女子生徒たちが、全て元男性プレイヤーなのか?
「で、でも今は話ができているじゃない」
「今だけ、この校舎と校門の間だけ、男の時代の意識が戻るの。でも体のいうことは聞かない。止まることなく、また意識が制限される校門の外に連れ出されるの。その繰り返し」
彼女は確かに歩行を止めることなく、規則正しく校門に向かって歩いている。話している最中も、足だけは自動的に動き続けている。
「ねえ!何であなたは自由なの?私のことも助けてよ!ああ、また私の意識が制限される……いやだ……」
私と彼女は校門を超えた。そのとたん彼女は泣き止み、無表情に変わる。
「ねえ、一体どういうことなの?」
「こんにちは、今日もいい天気ね」
さっきまでの絶叫が嘘のように淡々とした返答。声のトーンも、表情も、全くの別人になっている。
「ちょっとしっかりして」
肩をつかんでゆすりながら訴えるが、彼女からの反応は変わらなかった。
「こんにちは、今日もいい天気ね」
「こんにちは、今日もいい天気ね」
「こんにちは、今日もいい天気ね」
もう彼女はそれしかしゃべってくれなくなった。まるで壊れたレコードのように、同じ台詞を繰り返すだけ。
*
翌日、私は別の女子生徒に話しかけてみた。今度は活発そうなスポーツタイプの女子生徒だった。
「私は元々、四十二歳のサラリーマンだったの。家族もいたのに、このゲームをプレイしてしまったばかりに……」
内容はほぼ同じだった。年齢や職業は違うが、皆同じような経験をしていた。
そして、話を聞いた全員が元の世界では男だった。
きっと、この世界のキャラのしっかりとした女子生徒は、すべてこのゲームをクリアして取り込まれた男たちなのだ。
なぜこの場所だけ意識が戻るのか?
ただのバグ?いや、きっと違う。これほど精巧なゲームを完成させた人物が、こんなバグを放置するわけがない。
これは意図的に残されているのだ。毎日毎日、このわずかな時間だけ永遠に繰り返される恐怖を与え続けるために。
そして、私たちに絶望を与えるために。
毎日この光景を見ていると、私の心にも恐怖が蓄積されていく。いつか私も、翔と一緒にこの阿鼻叫喚の集団の一人に加わることになるのだろうか。
翔をハッピーエンドに導いてしまったら、私たちも彼らと同じ運命を辿ることになる。
絶対に阻止しなければならない。
部屋に戻り、男の思い出の品々に囲まれて、私は決意を新たにした。
翔を救う。そして、この地獄のような世界から二人で脱出する。
それが、五十嵐隼人としての使命だった。




