チミの名は
「誰だ、これは」
オレは鏡に映る自分の姿に唖然としていた。
頭はつるんと禿げていて、口の周りが大きく円を描くようにヒゲを生やしている。
眉は太く、耳は大きい。
明らかに見知らぬおっさんだった。
恐る恐るその顔を手で触る。
頬の辺りにあるホクロからピョコンと生えた一本の長い毛が手に当たり、確かにこれはオレの顔だとわかった。
場所は公衆トイレだろうか。
いくつかの便器が並んだ薄暗い便所だった。
何がなんだかわからなかったが、とにかくここを出ようと自分の身体を見ると白いランニングシャツに腹巻き、そして股引といった昭和のおじさんのような格好をしていた。
「……誰だ、これは」
マジでわからん。
昨夜は深夜残業でクタクタになって帰宅したのは覚えている。
そしてそのまま着替えもせずにその場で横になって寝てしまった気がする。
で、気づいたらこの姿というわけだ。
なんなんだこれは。
とりあえず公衆トイレから出たオレは、すぐにこの場所を確認。
どうやら小さな公園のようだ。
キャッキャと遊ぶ子どもの声が聞こえる。
すると「あー! 変なおじさんだー!」という声が聞こえてきた。
「へ?」
顔を向けると、数人の子どもたちが一斉にオレに向かって駆けてきた。
「変なおじさんだー!」
「変なおじさんだー!」
「変なおじさんだー!」
子どもたちはそう言ってオレを取り囲んだ。
ち、ちょっと待て。
理解が追いつかない。
確かに見た目はアレな変なおっさんだが、どんな状況なんだ、これ。
「ねえねえ、変なおじさん。アレやって、アレ!」
「アレ?」
子どもたちがワクワクした目でオレを見る。
アレってなんだ?
アレってなんだ?
でもなんとなく予想はつく。
変なおじさんっていったら、偉大なコメディアンのアレなネタだよな?
「ねえ、早く早くぅ!」
子どもたちの純粋な目がちょっと怖い。
変なおじさんのアレといったら……。
「そ、そうだす。わだすが変なおじさんだす。だっふんぼ!」
そう言って変顔を決めるオレ。
社内ではクールで優秀な仕事人間と言われてるオレが、なぜこんなことをしなければならないんだ。
しかし子どもたちはオレの渾身の「だっふんぼ」をポカンと見つめるだけ。
あ、あれ?
違った?
やがて「きゃははは」と笑い出した。
「なにそれー」
「変なのー」
どうやらアレはこれじゃなかったらしい。
まあ多少ウケたからよかったけど。
……ウケたんだよな?
「アレだよ、アレ! 鉄棒使った三回転半宙返りひねり」
いや、できるか!
なんだそれ、どこの体操選手だよ。
いや、体操選手でも公園の鉄棒で三回転半宙返りひねりなんて出来ないわ!
「ねえねえ、やってやって!」
「見たい見たい!」
「早くぅ!」
なんなんだ、この変なおじさんは。
「あ、あー、すまん。今ちょっと腰をやってな。鉄棒は出来ないんだ」
「え? そうなの?」
「大丈夫?」
子どもたちが本気で心配してくれている姿を見て、少し心が痛む。
「だから鉄棒はまた今度な」
そう言ってその場を急いで離れたオレは、とりあえず現状を把握するために駆け足で辺りを探った。
見覚えのない景色に見覚えのない商店街。
いったいここはどこなんだ?
しばらく歩いてると肉屋の女店主が「あらまあ!」と声をかけてきた。
「変なおじさんじゃない。こんにちは」
女店主はニコヤカに挨拶をしてきた。
自分の格好は明らかに変質者のそれだったが、気にもとめてないようだ。
「あ、こ、こんにちは」
ひとまず挨拶を返して様子を見る。
「出来たてのおいしい唐揚げよ。どう?」
そう言って爪楊枝に刺した唐揚げを差し出してきた。
「あ、どうも……」
女店主から唐揚げを受け取り、一口食べる。
カラッと揚がった鶏肉の旨みが口いっぱいに広がった。
「うまい」
「でしょ? 買ってってよ」
正直ちょっと欲しかったが、体中どこを探しても財布はおろか身分を証明するものがなかったため、丁重にお断りした。
「また寄ってってねー!」
女店主は機嫌が悪くなるでもなく、笑顔で手を振った。
それからしばらく歩いていると、今度は魚屋の店主が声をかけてきた。
「おう! 変なおじさんじゃねーか!」
ねじり鉢巻きをした絵に描いたような中年男性だ。
店主はオレを見るなり「今日は休みかい?」と聞いてきた。
「や、休み?」
「ほら、いつもの」
なんだ?
この変なおじさんは働いてるのか?
「すまん。オレ、どこで働いてたっけ?」
尋ねると店主は「あっはっはっは」と笑った。
「なんでぃ、なんでぃ。急にかっこつけて自分のことオレ呼びなんかしちゃって。“わだす”だろ? “わだす”」
「わ、わだす?」
「いっつも自分のこと“わだす”って言ってるじゃねーか。なんか心境の変化でもあったのか?」
ああ、そういえばそうだった。
コメディアンが扮した例のアレも自分のこと「わだす」って言ってたな。
「すまん、間違えた。そうだす、わだすが変なおじさんだす」
「それそれ!」
どうやらフレーズは合ってたらしい。
オレはホッと胸をなで下ろした。
「……で、わだすってなんの仕事してたっけ?」
「なんのって、三丁目公園で大道芸やってんじゃねえか。本職は知らんけど」
「だ、大道芸?」
「ブランコを使った空中マンボーダンスとか、鉄棒使った三回転半宙返りひねりとか」
いや、出来るか!
子どもたちにも言われたけど、鉄棒使った三回転半宙返りひねりなんて出来ないわ!
空中マンボーダンスも意味不明だし。
とは思ったものの、魚屋の店主の言葉でピンときた。
三丁目公園で大道芸……。
つまりさっきオレがいた場所でこの変なおじさんは大道芸をやっていたってことか?
だとしたら子どもたちの「アレやって」発言も理解できる。出来るわけがないが。
「まあ人間あれだな。たまに自分が何やってるんだかわからなくなる時あるよな?」
店主は何か勘違いしたようで穏やかな口調になった。
「変なおじさんも、息抜きくらいしたいよな」
「ははは……」
「ほら、これ持ってけ」
「なにこれ?」
「刺身のツマだ。これでも食って元気出せ」
微妙なの渡された……。
刺身のツマって……。
「刺身が欲しかったら言ってくれよ? 正規の値段で販売してやるから」
「金取るのかよ!」
ツマを渡して刺身が欲しければ買えってことか。さすがは商人。商魂たくましいというかなんというか。
「まあでもありがとう。刺身はまた今度買わせてもらうよ」
「おう! 待ってるぜ!」
オレは渡されたツマを丁重にお返ししてさっきまでいた公園に戻った。
この変なおじさんが大道芸をやっていたというのなら、きっとこの身体の持ち主がやって来るだろうと思ったのだ。
公園に戻るとすでに子どもたちはいなくなっていた。
代わりに、ブランコに腰をおろして頭をうな垂れている一人の男が目に入った。
あれは──!!
「お、おい! お前! っていうか、オレ!」
ブランコに腰をおろしてるのは間違いなくオレの身体だった。オレの身体はオレに気づくと「ああーーー!」と叫んで立ち上がった。
「わだすの身体ーーーー!」
ホッとしたというかなんというか。
途方に暮れてたところに自分の身体がやってきたのはまさに僥倖といっていいだろう。
「何でわだすの身体がそこにあって、わだすがこの男の身体になってんすか!?」
「なってんすかって言われても、オレにも何がなんだか……」
「あ、さてはおめ、魔法使いだな? わだすの身体を使って悪さでも企んでるんだろ? そうはさせねえぞ! ちょりゃ、ちょりゃ」
そう言ってオレの身体をした変なおじさんは脇腹を手刀で突いてきた。
な、なんだろう……。名前の通り変なおじさんだ。
「ちょ、ちょっと待て。オレは魔法使いでもなんでもない普通のサラリーマンだ」
「普通のサラリーマン?」
「と言っても超大手の企画営業部の部長様だがな!」
ドヤ顔で言ってやる。
そう、オレは日本でも有数の大企業の部長なのだ。なかなかのエリートなのである。
「ほええ、きかくえいぎょうぶのぶちょうさま」
「そうだ。今日も有名企業のCM案件で……」
そこでオレは背筋が凍った。
そういえば今日は有名企業のCM案件会議が入っていたはずだ。なのにオレの身体がここにあるってことは……。
「お、おい! 会議はどうなった!? 会議には出たんだろうな!?」
「何を言ってるのか全然わかんねえけど、なんか狭い室内に人がいっぱいいたッスよ?」
「それでそれで?」
「何言ってんのかさっぱりだったから『だっふんぼ!』って言って逃げてきたッス」
「ガッデエェェェーーーム!!!!」
ちょっと待て。
逃げてきた?
会議は?
「お、おい! 逃げてきたってなんだそれ。会議をぶっちしたってことか!?」
「だってよぉ、ジュテームだかディスコだかなんだかわかんね単語がいっぱい飛び出してたからよぉ、なんか頭痛くなって」
「さ、最悪だ……」
今期の最重要案件のひとつだったのに……。
ジュテームとかディスコがよくわからんが……。
「まあまあ、そう落ち込みなさんな」
自分の顔で励まされるとなんかムカつく。
「たまにはこういうこともあるわな」
「他人事だと思いやがって……」
「なあ、ところでチミはなんて名前なんスか?」
「……オレ?」
「そうそう。チミの名は?」
なんかどうでもよくなったオレはガックリ肩を落として素直に答えた。
「……竜崎滋」
「へえ、良い名前だすな」
「変なおじさんは?」
「わだす? わだすはへんなおじさん」
「いや、だから名前」
「へんなおじさん」
それ、名前じゃないだろ。
「ああ、みんな変なおじさんって呼ぶからわかんなかったスか。わだすの名前、辺直次。だからへんなおじさん」
「辺直次さん……」
なんだそれぇぇぇ!
わかりづれえぇぇぇぇ!
「じ、じゃあみんな」
「そうそう、フルネームで呼んでるんですわ。いい名前でしょ?」
まぎらわしいわ!
っていうか、見た目がもう変なおじさんだから名前として呼んでるのか疑問だわ!
「佐久間っちは佐久間だからサクちゃんか」
「竜崎な? 佐久間なんて一言も言ってないぞ?」
「ああ、そうそう。竜崎。竜崎なんとか。いい名前」
「適当に言ってるだろ、お前」
「だっふんぼ!」
「…………」
悲観に暮れてたオレだったが、変なおじさん……じゃなくて辺直次さんの変なしゃべりを聞いてたらだんだんと可笑しくなってきた。
「ぶっふふふふ」
「あ、笑った」
「あーはははは!」
伝説のコメディアンの例のアレも動きやしゃべりで笑ってしまうが、目の前にいる辺直次さんのしゃべり方も絶妙にツボだった。
「自分の笑い顔を客観的に見ると気持ちわりぃスな」
「気持ち悪いとか言うな。自分の顔だろ?」
「だから余計気持ちわりぃス」
「はははははは!」
「おいおい、笑いすぎっスよ」
と言いつつ辺直次さんもまんざらではない顔だ。
それがまた面白くてオレは長い時間笑っていた。こんなに笑ったのなんていつぶりだろう。
「はあ、笑った笑った」
一通り笑い終わったあと、オレは言った。
「なあ、辺直次さん。ひとつ提案があるんだが」
「なんだス?」
「しばらく二人で行動しないか? なんで入れ替わったのか謎だし、元に戻れる方法があったとしたらお互い近くにいたほうがいいだろうし」
「二人でスか?」
「嫌か?」
「いんや、嫌じゃないスけど。そうスな、一緒にいたほうが便利だスな」
「じゃあ今日からうちで暮らすか?」
「うちって、わだすの方? それともチミのほう?」
「オレの方」
「わだす?」
「オレ」
「わだす?」
ああ、もうまぎらわしい。
「竜崎のほう! マンションで一人暮らしだし」
「うほう、竜崎さんのほうスか。わだす、アパート暮らしだから助かりますわ!」
「ただし、あまり暴れないでくれよ? 隣や下の階から苦情が来たら嫌だしな」
「それは保証できねえスな」
「いやいや、そこは“はい”って言うとこだろ!」
「ふぇ〜いや~」
「どっちだよ!」
こうしてオレは謎のおじさん・辺直次さんと一緒に行動することになるのだった。
身体は竜崎滋のままなので彼とともに会社に行き、ハチャメチャな言動を取る辺直次さんをコントロールしつつ仕事をこなしていった。
辺直次さん演じる竜崎滋はどうやら部下たちから好評のようで、次第に慕われるようになっていった。オレが頑張ってコミュニケーションを取ろうとしても上手くいかなかったのに。
「そうだす、わだすが竜崎滋だす」
これが決まり文句になっており、部下たちのほうから親しげに話しかけてくれる存在になっていた。
ちなみにオレ演じる辺直次さんはというと。
見た目と違ってめちゃめちゃ仕事が出来ると別の意味で評判になった。
見た目とのギャップがこんなにも相乗効果を生むとは予想外だ。
今では互いに欠かせない存在になりつつある。
「なあなあ、竜崎さん」
「なんだ、辺直次さん」
「ちょっと会社の受付ロビーでヒゲダンスしてもいいスか?」
「なんでだよ!」
会社の受付ロビーで腰をくねくねさせながら踊る姿に、オレは「はあ」とため息をついて笑ったのだった。
お読みいただきましてありがとうございました。
そこまで書けなかったんですが、二人が入れ替わった理由は神様の力によるものという設定です。
仕事は出来るけど人間味のないエリートサラリーマンと、仕事は得意じゃないけどコミュニケーション能力抜群の大道芸人の魂を入れ替えたら面白いかもという極めて適当な理由です(笑)
ある程度時間が経ったら元に戻りますが、二人は生涯大親友になります。




