7.王女殿下、襲来
「ザシュリア。顔色が良くなったわね」
最近は執務室で商会の業務と、侍女長に頼んで新人侍女向けのマナー研修に参加させてもらっている。今日は執務室で商会の引き継ぎをしていた。
「お、王女殿下!?」
執務室に顔を出すことがあると聞いてはいたが、実際に王女殿下のお姿を見ると、動揺して覚えたはずのマナーが頭から飛んでいく。貴族令嬢として接する場合はカーテシー、侍女として接する場合は礼を取る。慌てて礼をとると、他の従者たちはなれたように軽く挨拶をして業務に戻っていた。まさか間違えた!? そう思ってわたわたしながら侍女長かエリシアン様を探そうと周りを見渡していると、小さく笑った王女殿下がこちらに歩いてきた。
「入ったばかりだから、まだ知らなくても仕方ないのよ。ザシュリアの礼を取るというのは、王宮での正解だわ。ただ、こちらにわたくしがくるのはわたくしの我が儘。だから、他の職員たちに接するように挨拶を交わすだけと指示しているの」
そこまで言って、王女殿下がわたくしの頬に手をお伸ばしになった。
「あぁ。顔色が良くなったわ。睡眠はしっかり取れているのかしら? まだ成長する時期なのにあんなにも忙しくさせてしまって……睡眠時間が三時間じゃ足りないと思っていたの」
「お、恐れ入ります。こちらに通い始めてから、六時間は眠れるようになり、身体が大変良くなりました」
お礼を述べたわたくしの言葉に、王女殿下が顔を歪める……ってあれ? わたくし、王女殿下に睡眠時間の話なんてしていないし、忙しくなったのは魔術具が開発されたからだから別に王女殿下のせいじゃないし……。睡眠時間のこと、わたくし侍女長か誰かに話してたかな? そう言われると、話したかもしれない。あのとき疲れていたし、うんうん。納得しているわたくしと違ってわたくしの頬に手を置いたままの王女殿下が顔を伏せて悲しそうに言った。
「本当にごめんなさいね。救い出すのが遅くなってしまって。まだ六時間しか眠れていないということは、業務負担が多すぎるのかしら……。エミリアッテ、資料を」
侍女長に声をかけた王女殿下に、侍女長がなにか書類を手渡す。商会の引き継ぎと侍女になるためのマナーの勉強くらいしかしていない。っていうか、資料って何?
「うーん……確かに多いわね。引き継ぎはザシュリアしかできないから仕方ないのだけれども。……ここはもう他の者でもできるでしょう? 確かジョセフが得意だったはずよ。ジョセフ、業務の余裕はどうかしら? 一つ増えても大丈夫? 今回の引き継ぎのためにかなり人員補充してすでに全員が戦力となっているから、今のジョセフの業務量なら大丈夫だと思うのだけれど……。あぁ、ジョセフには高齢のご両親がいらしたわね。ご両親はお元気かしら? もしも、通院が必要だったらきちんと断ってちょうだい」
「王女殿下。両親はピンピンしていて、今日も早朝ランニングとか言って走りに行ったので大丈夫です」
「……御年八十を超えていらっしゃらなかった? まぁいいわ。ご健康ならなにより。念のためにエリオットも一緒にやってもらえるかしら? 仕事探してわたくしのところまでいらしたでしょう?」
「やった! 新しい仕事だ!」
「エリオット、ずるいぞ」
「そうだ。王女殿下に直談判なんてしていたのかよ!」
エリオットと呼ばれた少年にブーイングが飛ぶ。彼はわたくしからの引き継ぎに一番熱心に取り組んでいた記憶がある。もちろん皆様、熱心だけど。
「そうね……。あとここは、外部に依頼して結構よ。予算は準備するわ。こちらは、」
次々と指示を飛ばして仕事を削っていく王女殿下。商会の仕事を外部に依頼するなんて思いつかなかったし、あんなにも使用人たちの体調や家庭の事情に気を回せていなかった……。商会の運営者としても自分の不出来をあらためて実感する。
「……ザシュリア。どうなさったの? 体調が悪い?」
心配そうにわたくしを見る王女殿下。御年十四歳とは、本当だろうか? 自分の不出来さと王女殿下への嫉妬に飲まれそうになっていると、王女殿下の肩を侍女長が叩いて優しく笑った。
「ザシュリアのことはわたくしが話を聞いておきますので、王女殿下はお気になさらず。侍女の管理はわたくしの業務範囲のはずでございます」
侍女長ってあんな笑顔ができるんだと驚きながら、主人たる王女殿下に心配させてしまった自分の不手際にわたくしの顔色が悪くなる。
「……ザシュリア。後ほど、わたくしの部屋に。大丈夫です。悪いようにはしません」
いつもの無表情の死刑宣告にわたくしが震えていると、笑った王女殿下が侍女長に言う。
「エミリアッテ。いつも言っているけれど、お顔が怖いわ。大丈夫よ」
笑って王女殿下は退出なさった。閉まる扉のガラス部分に映った自分の顔をふと見る。商会の引き継ぎを開始してから、侍女になってから、わたくしは良く眠れるようになった。顔色も良くなったし、髪のパサつきもマシになった気がする。……それは侍女長があれこれ差し入れてくれているものの効果もあると思うが。歩いていると突然手にクリームを塗りにきたり、顔に何か塗っていったり……。あの無表情でいきなりそんなことをされると正直最初は怖かったが、おそらく侍女長はかなり面倒見がいいタイプなのだろう……無表情だけれども。
わたくしだけでなく、王女殿下にもせっせと世話を焼いているのを見たことがある。侍女となってから今まで、王女殿下の私室を訪れた計三回ですでに数えきれないほど目撃した。欲しがり王女の侍女と言われて心配していたが、あの侍女長がいれば、問題ないだろう。……商会だって、王女殿下の欲しがりによってわたくしもお父様も商会も商会の従業員たちもかなり健康を取り戻した気がする。




