32.控室にて
控え室に戻る。そして、王女殿下が羽織っていたショールを受け取り、濡らしたハンカチを差し出す。
「今日感染を確認できたのは幸運だったわ」
紅をしっかりと拭いながら、王女殿下が鏡台の前に腰掛ける。わたくしが椅子を引き、侍女長が新しい紅を用意する。紅を塗るのはわたくしの仕事だ。しっかりと拭いて紅が落ちているはずなのに、血色のいい王女殿下のピンクの唇に、すこし濃いめのピンクの紅を重ねる。
「よっぽど運がなかったのでしょうね」
わたくしの相槌に、王女殿下は可愛らしく微笑んだ。
「そうね。逆に言うと、わたくしたちが神々に愛されているのよ。きっと」
事実、神の愛子を何回りも強力にしたような能力をお持ちの王女殿下にそう言われると、そんな気がする。侍女長がなぜかため息を吐いたが、わたくしは王女殿下に紅の確認をしてもらい、合格を得ると、ユリンスの症状のチェックリストの書類を取り出した。
「ユリンスの症状を確認しました。以前の様子と比べて、このような感じでしょうか?」
書類に目を落とすと、王女殿下が眉を寄せた。
「想定よりも進行が早いわね。ザシュリアがこのチェックリストで余命三ヶ月と判断したということは、数日中の可能性がありうるわ」
王女殿下によると、この病は進行がとても早い代わりに症状は緩やかで死の前日まで急変しないものらしい。わたくしがわかるレベルに症状が出ていると言うことは、もって数日の可能性もあると……。
「……国内で死なれたら、女王に難癖つけられかねないわ。仕方ないわ。耐性菌ができないことを祈って、治療薬を薄めたものをユリンスに投与しましょう。影に早急に指示を出しておいてちょうだい」
天井裏で返答が聞こえた気がした。数分後、天井裏から返答が来た。
「任務完了しました」
驚きのあまり手に持っていた白粉を落としそうになった。王女殿下のお化粧をついでに直していたのだ。
「よくやったわ」
王女殿下が返答し、影は小さく了承の意を示した。
「今のって……?」
わたくしが問うと、王女殿下が答えた。
「ユリンスに薬を投与しただけよ。大丈夫。これでザシュリアの予想通りの余命になったわ」
ひどく整った表情が恐ろしい。思わず息を呑むと、王女殿下が困ったように笑った。
「あら? 少し怖かったかしら? 気をつけるわ。でも安心してザシュリア。このおかげでエスラニアの国民の多くの命が救われるのよ」
わたくしが頷くと、いい子ねと頭を撫でてくださった。年下のはずなのに、年上のような王女殿下。王女殿下が正しいはずなのに、ぬかるみにハマるように抜け出せなくなっているのを自覚する。王女殿下は侍女長に振り返り、デスラント向けの仕事をいくつか教えるようにエリシアンに伝えてと指示を出した。そして、わたくしを振り返った。
「ザシュリア。あなたの能力も見込んでお願いがあるの。デスラントにいくつか仕事を教えてあげてちょうだい? そして、彼に問題がないか、今この場で一番彼を疑っているあなたが見抜いてちょうだい。あなたのその用心深さ、人間観察の力を信用しているわ」
笑った王女殿下に、思わず私は素直に頷いた。
そして、重要な任務を与えられているのを横で見ていたユーリンに呼び出しを喰らうこととなったのだった。解せない。ただの業務を受けただけなのに。わたくしの休憩時間を返してぇぇぇ!
「ずるいわ。ずるいわよ! ザシュリアばっかり王女殿下に仕事を任されて! しかも直接!!!」
「仕方ないじゃないですか。わたくしの業務内容と相性がいいんですから」
「きぃぃぃ! あ、でも、ザシュリアの侍女業務の面倒をわたくしがみているから、間接的にわたくしが教えていると言っても過言ではない!?」
「あぁ、もう。はいはい。それで結構ですから、ユーリン先輩はお部屋に帰りましょうね」
「じゃあ、最後に! わたくしと協力して、王女殿下のあの素晴らしさの秘訣探ってみたいと思わない? 前も誘ったけど、新しく考えた作戦があるのよ」
ユーリンの言葉に、部屋から追い出そうとユーリンの背中を押すわたくしの力が少し弱まった。
「興味あるでしょ? ま、考えておいてちょうだい!」
意気揚々と出ていったユーリンの背を見守り、わたくしは悩んだ。王女殿下のあの素晴らしい能力の秘密……か。興味がないと言ったら嘘になるけど、あのユーリンと手を組むのは面倒なんだよなぁ……。




