05_B__08_09 第5話 Bパート 分割 8 / 9
第5話 Bパート 分割 8 / 9
【注意事項:楽典以外の余談に、児童には不適切な生々しい描写や、心的負担の箇所があります】
【 第5話 概要 】
サブタイトル:ゲオルギア。
OP曲前:ステラが引っ越して来た日。平日で、母親と買い物、学校の近くを通る。メルヘンの服装のステラに、グランドにいたショージが一目惚れ。
Aパート:楽語はイタリア語が多い、ローマ字読み、イタリアの首都がローマ。ローマ数字は音階、和音、大文字小文字は長短。メトロノームとベートーベン。速い6/8拍子。モーツァルトの『鏡』。俳句は4拍子。
CM明け:音楽の先生が自動車免許の更新。今朝の星占いは最悪。ここにいるのは、ほとんどが同じ星座。この場所は、最悪の星座の人の集まりで、びくびく。
Bパート:トロンボーンの楽譜が2声、音符の下に休符。「♯」「#」の違い、紛らわしいカタカナ。ドイツ語の音名「H」の由来。音楽理論を用いた非難は、いじめの構図と似ている。デタラメの効用。新手法の否定。憲法の自由。
Cパート:クラシックギターでは、3声を1段に書いている。
予告:ヤッ子の姉には夢があり、ステラは海老逃げし、ハルはみんなから「好きー!」って抱き着かれる。宇宙人には、どう説明すればいいんだ?
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▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。既存知識との乖離。ゼロか百か。
目が見えるか、見えないか。ここには、極度の近視に類似する弱視も知られているので、ゼロか百かではない。
色覚異常がある。昭和の頃は「色がわからず、白黒で見える色盲」と、「赤と青が逆に見える赤緑色盲」が知られていた。「盲導犬は、信号の色ではなく、点灯している場所で判断」と認識されていた。
この、「逆に見える」は誤解だが、いくつかの資料に掲載されていたことから、正確な確認をしないまま、または、正確な確認ができないまま、誤った情報が広まったと推測できる。
既存知識として、色の区別ができるかできないかのゼロか百かであれば、「色がわかるんだろ、だったら、さっさと赤いボタンを押せ」と指示したり、「あいつは、自分では色がわからないというが、色がわかっている行動をしていた」の嘘つきと判断される。
既存知識に誤りがあるかもとは思い付かず、既存知識で納得できれば、「あいつは嘘つき」で、考えをやめる。
これと似た状態では「味音痴」がある。これは、感性が原因。味を感じる能力に、肉体的な原因ではなく、「美味しい」と感じる能力が劣っている。食べることと嬉しいことを、セットで経験することが少ない。美味しさに気を向ける経験が乏しい。
甘さなどを感じることはできても、「美味しい」「不味い」との繋がりが稀薄。感想を尋ねられて「普通に美味しい」と答えることもできない。
味音痴には、「味蕾」という肉体的なこともあれば、ミネラル不足、ストレスが原因の場合もある。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。片方だけはマナー違反だとされる。または、技術の一つが高くても足りない。
ストリートピアノでは、ピアノは弾けないが聞くのが好きな人がいる。逆に、自分は弾くけれど、他者の演奏を聞かない人もいる。このような人は、マナー違反か。
自分が演奏した後、他者の演奏を聞かずに、さっさと退出する人を「マナー違反」「身勝手」という意見がある。なぜ、さっさと退出するのか、その理由を推測してみよう。
自分が演奏した後、他者の演奏中に、演奏を聞かずに、会話を楽しむ人もいる。さっさと退出する人と比較し、どっちが良いのか、比較してみよう。なぜ、演奏を聞かずに会話するのか、会話しながら演奏を聞けるのか、推測してみよう。
ストリートピアノに対する期待や目的は、どんなものがあるか。自分の持っている期待や目的とは別な期待や目的を持つ人がいるのだろう。それらは、否定や非難の対象なのか、考えてみよう。
単に、自分とは違うなと思っていても、第12話の「他人の編曲の感想として、ご自身の考えを話すだけで、他人の編曲の非難に聞こえますから、お気を付けください」が当てはまるのかも。
ストリートピアノに限らず、一般人が自作の発表ができる投稿サイトでは、持ちつ持たれつをしないのは、マナー違反として、冷遇されるという話がある。褒められたら褒め返すなど。
投稿しただけで良いのではなく、ネットではネットでの人付き合いが必要。誰かを攻撃したら攻撃が帰って来るので、うっかり「攻撃だと誤解される」を怖れて、何もしないと、「褒め返さない人」として、無視されるらしい。
ただし、人付き合いを好まないことを察して、程好く無視し、困りごとには対処するという、高級ホテル並みの気遣いでもあるので、冷遇ではない。普通に対応しているだけ。
メロンパンの皮だけ食べたい、床体操のバク転(バック転、後ろ宙返り)だけしたい、ドラミちゃんに興味は無いがドラえもんだけが大好き。そういった、「一部だけを楽しみたい」は、叶いにくい。
楽譜は書けるが、楽器を弾けない、人付き合いができない、パソコンを使えないのであれば、曲は妄想の中。
料理人として能力は高いが、それだけでは足りない。接客、食材調達、会計事務など、あらゆることがでいないと、飲食店の経営はできない。「あれができないから駄目、それができても足りない」のなら、じゃあ、何もしない。
コンビニで、接客やレジ打ちなど、高校生でもできる。飲食店で、料理ができるのに、なぜ接客やレジ打ちができないんだ。
物作り職人として、工場で地道な作業をしていた人が、いきなり営業職は難しい。ストリートピアノに限らず、「それだけができても駄目。それだけをやっていても駄目」がある。
どんなに頑張っても「どうせ、そこまでやるのなら、もっとできないと駄目」と言われ、「スーパーマンではない」を批難される。
できることの全てはできない。時間的な限界。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。それでは足りない。
料理ができるだけでは、飲食店の経営はできない。料理人ならなれても、経営は別な能力。
飲食店の経営は、誰かが行い、本人は料理の専門。何ら、迷惑を作ってはいない。
しかし、料理だけでは足りない、食器洗いや掃除もできなければ。それだけでは足りない、接客もできなければ。それだけでは足りない、レジ打ちもできなければ。
それだけでは足りない、経理もできなければ。食材調達もできなければ。何々もできなければ。
昔ながらの、街角の煙草屋のおばあちゃん。昔ながらの、近所の駄菓子屋のおばあちゃん。何ら、迷惑を作ってはいない。
しかし、こんな小さな商店で満足していてはいけない。商売を拡張すべき。支店を作らなければ。店舗を全国展開しなければ。世界中に店舗を広げなければ。
何ら、迷惑を作ってはいない人に、それだけではいけないと求める。何ら、迷惑を作ってはいないのに、その人の能力を超越するようにルールを変えて、その人が迷惑者になる。
あれこれ、できる人はいる。しなくても、何ら、迷惑を作ってはいないが、なぜか「できなければ悪い」になる。あれこれ、できる人は、スーパーマン。スーパーマンでなければ、悪い。
「Aさんはaができる、Bさんはbができる。Cさんはcができる。お前は、aもbもcも、何一つできない」しかし、dもeもfもできているのに、それを評価しない。「それだけできるなら、なぜ、aとbとcをしないのか」
「健康のために、食事に気を付けているか?」「飲むヨーグルトを毎日飲んでいる」「馬鹿だな。ヨーグルトの効果は、毎日何リットルも飲まないと」
「健康のために、食事に気を付けているか?」「野菜を毎日食べている」「馬鹿だな。野菜の効果は、毎日何キログラム以上、食べないと」
「健康のために、食事に気を付けているか?」「何々をしている」「馬鹿だな。それだけで健康になるなんて、大間違いだ」
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。的外れ。
ギターを、すごく練習した。上手だが、低評価。
ギターの調律(チューニング)ができていない。
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これ以外の説明例。必要悪。
悪いことを悪いまま受け取るのではなく、悪いことがあったからこそ、得られたものが、あったのではないか。
日本は唯一の被爆国。少なくとも、戦争で被爆したのは日本だけ。
だから、日本人だけが、心の底から平和を願えることができる。
では、世界中の人が、心の底から平和を願えるために、世界中に原子爆弾を落とすのが正しいか?
日常生活の中で、感染症を予防するための、予防接種がある。凶暴なウイルスや黴菌を、過剰に与えられていたら、予防ではなく、重篤な病気となる。
過剰に凶暴なウイルスや黴菌を与えることも、世界中に原子爆弾を落とすことも、「必要悪」ではない。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。勝手な人物像。
想像を絶する人物像を描かれる。こんな悪いことを、考えているんだろう。
否定すると、これもまた、想像を絶する押し付け。「君自身は、自分で気付いていないだろうが、心のどこか、奥底深くで、そう考えている」
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。スモーキングガン。
手に持っている拳銃から、煙が出ていたら、誰が撃ったのか、見ていなくても、「たった今の銃声は、お前が撃った」で、「殺人犯はお前だ」の証明。これがスモーキングガン。
実際の狙撃者から、銃を手渡されることもあるが、それ以上に、憶測からの冤罪もある。
「その場面を見たのか」の問いにも、「見なくてもわかる」と、冤罪になる。見る以外にも、確認方法はあるが、ここでの「見なくてもわかる」は、偏見や先入観による、憶測や推理といったもの。
この話は、第8話の、太陽の向こうには、「第二の地球があるか」「見えなくても、無いことは証明されている」に繋がる。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。万人が納得するか。
小説『ジョニーは戦場へ行った』(ドルトン・トランボ)には、「なぜならクリスマスであったからだ」の心の声がある。
小説の読者でいるうちは、自身はどうであれ、小説の登場人物の間の常識、登場人物は、「なぜならクリスマス」で通じ合える間柄の人なのだと理解して読む。
相手を責める、相手に余計な説教する時は、相手も通じ合える間柄という前提。通じ合えないから、責めるような状態になったが、通じ合えないのを「お前、おかしい」とする。自分が正しいという前提。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。「あり得ない」ではなかった。
コンピュータのプログラムを作る場合、「これは、近い将来、変わることがあるか」への気配りがある。
なぜなら、変更対応が容易いようなプログラムが必要なため。
近い将来は無視、現在だけ稼働すればいいというプログラムでは、変更対応が難しい。プログラムの1箇所を変更すると、関連した部分に影響があり、大きな障害に発展することがある。完全なデータ復旧が不可能な場合もある。
変更対応するにも、プログラム作成者は、もうその職場にはいない。後任プログラマ向けの資料(ドキュメント)は不完全で、プログラムの1箇所だけで良いのか不明なので、怖ろしい。
近い将来も、あり得ないと思われていたが、その「あり得ない」が現実となった例は、既に2つもある。
1つは「交通運賃が、2種類(特急券は、交通運賃とは別会計なので、ここでの話とは異なる)」。もう1つは「消費税の軽減税率」。
交通運賃は、まさか、現金払いと、IC乗車券払いの、2種類になるとは、思わなかった。
消費税は、時期によって税率が変わることはあっても、まさか、同じ商品なのに、店舗内で食べるか、持ち帰るかで、税率が2種類になるとは、思わなかった。
今となっては、それを見越したプログラミングをするが、あらゆる「あり得ない」を見越したプログラミングは、されていないのが現状。
コンピュータを使う側が思い付く不具合と、プログラムを作る側が思い付く不具合。そして、不具合の原因や、推測。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。部外者からの罵倒。
ボクシングの試合で、観客からの罵声「右だ! 右だ! 馬鹿野郎、右だって、言ってるだろう!」は、普通にある。ボクシングというスポーツは、この罵声も含まれている。
客は、自分ではできないのを自覚し、選手を上から目線で言っている。ボクサーにとっては、不可能なことも知らずに罵倒。ボクサーよりも少ない情報で罵倒。ボクシングというスポーツであるため。
客は、客という立場を自覚して罵倒するだけであり、その立場から逸脱した言動はしない。客の立場から逸脱する「不適切な罵声」はしない。だからこそ、罵声も含めて、スポーツとして成立されている。
これが、虐めの被害者に向けられると、虐めの被害者は、反論するのも馬鹿らしくなる。虐めの被害者は、ボクサーではないから。ボクシングの試合中の基準を、虐めの被害者がいる日常に用いてはいけない。
当事者でもないのに、わざわざ「指導の衣を被った悪口」を言いに来る。すると、近くにいた別な部外者も、別な悪口の理由をもって指導する。やがて、悪口の理由を探すのが流行する。
逆に、ボクシングの罵声でもないのに、評価することを否定する話もある。「自分で、できもしないのに、他人のことを言うな」がある。
それならば、「あの店のパスタ」「この歌手の歌」といった話題も否定対象になる。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。現代も、ただの嫌がらせで笑うことが放送されている。
このような放送も、保護者からの適切な助言が望まれる。
以下の例があるが、これは公表には適さないので、アニメ制作者向けの資料として記す。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。ストレス発散。
人によっては、ストレス発散の趣味を持つ。しかし、虐められ続けた当人にとっては、ストレス発散など、できない。
多くの事柄が、厭な思い出に繋がる。花粉症のように、精神的アレルギーのために、過敏になっているため。
一人で新しい趣味を始めても、厭なことが思い出される。趣味のサークルでも、個人教室でも、他人がいると、虐められ癖が他者に伝わる。
完全を求めているのではなくても、少しの不運に過敏になり、ストレス発散のはずが、ストレスが増える。
人によっては、酒でストレス解消もある。しかし、「酒を飲んでも、問題は解決しない」と否定。どんなストレス解消でも同じだが、ストレス解消そのものが否定される。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。自分で決めたのだから。
判断に影響する情報は、告知義務がある。
告知義務のある情報を知らされず、「お前が決めたのだから」と、責任を負わされる。
京都駅周辺のバス停は、同じ名のバス停が、交差点の近くに複数ある。行き先別に、バス停を分けている。バス停の案内(パンフレットなど)は、告知義務。
電車では、同じ路線、同じ行き先でも、ホームによって、各駅停車だけのホームと、急行だけのホームが分かれている駅もある。
不慣れな者に、「ちゃんと、ここに書いてある。気付かないのは、不注意だ」は慣れた者から言ってはいけない。
夥しい案内情報だけでなく、案内とは無関係な情報(広告など)もあり、「どれが必要な情報か」は、読まなければわからない、つまり、夥しい情報の中から、必要な情報が見付かるまで、宝探しをする(不慣れな情報の理解を続ける)。
精神的虐待の後遺症で苦しむ人は、「情報不足」に気付かないこともあり、気付いたとしても、そもそも「告知義務」も知らなかったりする。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。STAP細胞。
2014年に発表された、既に分化した後の細胞を、再度分化可能な状態にされた細胞が、STAP細胞。論文の疑惑などから、再検証でSTAP細胞の作成ができず、STAP細胞は、ほぼ否定されている。
STAP細胞の疑わしさで、騒がれていた頃、テレビの報道番組や情報番組では、「STAP細胞は、あるのか、無いのか」が検証中の期間に、発表者の一人の小保方晴子のデタラメさばかりが、繰り返された。
「検証中なので、STAP細胞の真偽ははわからない」から進展していないのに、なぜか「真偽ははわからないが、小保方晴子が疑わしいと思われる」「真偽ははわからないが、小保方晴子の悪口の理由を探そう」が、流行になった。
STAP細胞の、新たな情報を期待していたが、新たな悪口ばかりであった。
書籍『あの日』(小保方晴子、講談社、2016/01/28、2016/02/10、3)を参照。
この話題は、第11話で「悪い方向への印象操作」として用いても良い。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。的外れな基準を用いて否定。
お菓子の評価に、食事の基準を用いる。「栄養が少ない」「味が濃い」「食物繊維が無い」「苺の鮮やかな赤は、食欲を失わせる」「カルシウム不足は、一日の目標値を大きく下回り、致命的」と指摘する。
これを理由として「食べれば食べるだけ、健康にとっては毒になる」とする。
服飾の評価に、モデルの基準を用いる。服飾を人形に着せると「動きが無い」と否定。人間が着ると「体形が悪い」と否定。服飾が主題であるのに、「プレゼンテーションするなら、服飾だけではなく、モデルも必要」の基準を用いる。
オーケストラ曲を、ピアノソロに編曲したものは多い。それらは「ピアノで弾きたい」という需要に応えているから商品化されている。
しかし、虐められ癖がある者には「完全再現ではない」「鳴っている音のクレシェンドができていない(ピアノでは不可能)」として否定する。ピアノソロの基準ではなく、オーケストラを基準としている。
場面による基準の違いもある。第6話で、ヤッ子の姉の鍵宮美音(かぎみや・みね)が、コンサートのリハーサルで、うまくいかない。メンバーが代替案を出す。
コンサートを成功させるのが目的であるので、美音の技術向上は、別な場面で行うのが適しているが、「代替案を出すのは、美音にとっての、根本解決にはならない」と否定される。
その他、遊びの場なのに「プロなら、これができる」と責める、「できる人がいるんだから、不可能ではない」など。プロの、職業として毎日の練習をした成果と比較し、遊びなのに「お前は能力が低い」「遊びにしても、能力が低い」とする。
このような否定を受けると、正しい評価を蔑ろにしてでも、否定が優先されていると感じる。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。被害妄想に仕立てる(1)。
小さな嫌がらせを繰り返す。どれも、攻撃なのか、たまたまなのか、判別できないグレーゾーン。
「嫌がらせを受けている」と申告しても、嫌がらせの加害者は「攻撃ではない」「たまたまだ」「本人の運が悪い」「そんな小さなことは、いつでも誰にでもある」と言う。
「攻撃だ」と言うのは、「意地悪な人達の集団に逆らう」ことであり、怖ろしくてできない。
テレビの実験では、占いを使った先入観の実験があった。実験として良い占い結果を与えられた人も、悪い占い結果を与えられた人も、占いが当たったという事象を挙げた。どれも小さなことで、いつでも誰にでもある。
しかし、度重なる嫌がらせは、テレビの実験で「先入観の被害妄想」を超越する頻度で、単に「運が悪く、信号待ちが多かった」以上の嫌がらせを受ける。人為的な嫌がらせなので、「いつでも誰にでもある」を、遥かに超越する頻度の嫌がらせ。
「嫌がらせを受けている」の申告を受けた者も、余計なトラブルは隠蔽したいのか、「気にするな」で、解決済みにする。相談者にとっては解決していないのに、「解決済み」に分類済みの事柄を騒ぐのは望まない。
小さなことの積み重ねは、精神攻撃であるが、肉体的な被害が無いことを根拠に、「穏便に」トラブルを隠蔽(無かったことに)する。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。被害妄想に仕立てる(2)。
嘘も含めて、口汚く罵る。
罵られた被害を進言し、表沙汰になると、「被害妄想で、勝手に誤解した」という話にする。
立派な人から、蹴り倒される。泥まみれになり、不機嫌な表情で立ち上がると、「見ろ、あいつは泥まみれで汚い。凶暴な表情だ。大声を出している。野蛮人だ。誰も、あいつのことを信じるな」
口汚い罵りに関しては「それは、言い方の問題だろう、真意を受け取れ」となる。
嘘を含めて罵倒したことに関しては「そんなことは、言っていない」の水掛け論にする。
要するに、被害妄想で、勝手に怒っているだけだ、勝手に苦情を言っているだけだ、こっちが言っていることの方が正しい。あいつの言い分は、被害妄想から生まれた嘘だ。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。生きるだけで、精一杯。
攻撃され、舟は穴だらけ。「穴を塞げばいい」でも、修繕で塞ぎながらも、新しい穴が開けられる。
石を投げられる。水位は喫水線を越えている。
「穴を塞げばいい」
「たった1つ、石を投げただけ。たったそれだけ。それくらいは、誰にでもある。それで沈むのは、お前が下手に動くからだ。ほら、水位が船べりを越えるぞ」
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。「できない」と言わせない。
ビジネスの管理職の研修では、「部下に、「できない」と言わせない」がある。
部下は、「できない」と言った場合、できる状況であると判明した後も、自分の言った「できない」の結果になるように努める。
これを使用する場面を誤ることがある。部下が、危険であることを説明し、上司も危険であることを承知しているのに、「気を付ければできるだろう」と、実行を強要する。その結果、事故になる。
危険を承知で実行を強要するのが常態化し、事故になった例は多い。
車椅子でエスカレーターを利用するのは禁止されている。本人の判断でエスカレーターを利用し、事故になる例もある。
会社で、「お前のために、エスカレーターを用意した。エレベーターは、このビルでは無理だから、要求するな。気を付ければ、エスカレーターを使えるだろう」は、「部下に、「できない」と言わせない」の誤った使い方。
ビジネスではない場面で、虐めの被害者はそもそも嫌だと言っているが、加害者は無理強いする。無理強いする目的は、加害者の利己のためであり、被害者が協力しなくても、何らの害は生じない。
被害者は、やる気が無いのが表出するが、それを責める。危険なことでも「気を付ければ」であり、事故になれば「気を付けないお前が悪い」とする。
ラジオで、バイクレーサーにインタビューする場面があった。危険な職業なので、「なぜ、自分の命を粗末にする仕事を選んだのか」の問いがあった。
インタビューされたレーサーは、「命を粗末にしていない。バイクレースは危険だと認識しているので、一般の人と比較し、より安全を心掛けている」と回答した。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。頑張ったよ。
「頑張ったよ」を聞く者は、自分だけ。
「何度も何度も、頑張ったよ」「何年も、頑張ったよ」「ほぼ全部が徒労なんだろうな」
文化は無く、『祈る手』として描かれることもなく、ただ老いた。
「終わりだ」を聞く者は、自分だけ。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。どっちであっても、駄目。
魔女狩りの頃は、嫌疑を掛けられた者の裁判は、水に沈める方法だったらしい。浮かんで来たら魔女だから有罪。浮かばなければ人間だから無罪だが、死ぬ。
虐めの被害者も、どんなことであっても、「正当な理由で、お前が悪い」となる。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。許可していない工場見学。
工場見学は、見学のために用意されたことに従って行われる。見学用の通路を通り、見学可能の場所だけ見学する。
見学を用意していない工場もある。じっと見られるのは迷惑。外から窓の中を、じっと見るのは迷惑。「見ているだけで、何も攻撃していない」「作業だけだから、情報漏洩はしない」の言い訳は通用しない。
道路から、一般家庭の開いている窓から、家の中をじっと見るように、虐めの被害者を見る。撮影する。聞こえるように悪口を言う。悪口も、直接の言い方ではなく、名前のイニシャルを使うなど。
虐めの被害者には、「見ているだけで、何も攻撃していない」「作業だけだから、情報漏洩はしない」といったことが通用する。
▽ 場面変更 ● ── ●
これ以外の説明例。事故を装った攻撃。
混雑を利用し、足を踏む。
虐めの被害者は、何人もの人から、何度も踏まれる。苦情を言うと「混雑しているから、仕方ない」と返答し、謝りもしない。
「混雑しているから、みんな、足を踏まれている」「ああ、自分も踏まれた」「さっき、別な人の足を踏んだ」「さっきから、何回も踏まれた」として、苦情を言うことが「おかしいこと」にする。
本当に、みんなが何度も足を踏まれたのかは、確認不能なので、「自分だけ踏まれているというのは、被害妄想」とされる。
しかし、都会の通勤電車の中や、乗降で歩いている時などに、足を踏まれることは、極めて珍しい。
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