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ガクテン  作者: 不定音高ふたつ


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05_B__07_09  第5話 Bパート 分割 7 / 9

第5話 Bパート 分割 7 / 9


【注意事項:楽典以外の余談に、児童には不適切な生々しい描写や、心的負担の箇所があります】


【 第5話 概要 】

サブタイトル:ゲオルギア。

OP曲前:ステラが引っ越して来た日。平日で、母親と買い物、学校の近くを通る。メルヘンの服装のステラに、グランドにいたショージが一目惚れ。

Aパート:楽語はイタリア語が多い、ローマ字読み、イタリアの首都がローマ。ローマ数字は音階、和音、大文字小文字は長短。メトロノームとベートーベン。速い6/8拍子。モーツァルトの『鏡』。俳句は4拍子。

CM明け:音楽の先生が自動車免許の更新。今朝の星占いは最悪。ここにいるのは、ほとんどが同じ星座。この場所は、最悪の星座の人の集まりで、びくびく。

Bパート:トロンボーンの楽譜が2声、音符の下に休符。「♯」「#」の違い、紛らわしいカタカナ。ドイツ語の音名「H」の由来。音楽理論を用いた非難は、いじめの構図と似ている。デタラメの効用。新手法の否定。憲法の自由。

Cパート:クラシックギターでは、3声を1段に書いている。

予告:ヤッ子の姉には夢があり、ステラは海老逃げし、ハルはみんなから「好きー!」って抱き着かれる。宇宙人には、どう説明すればいいんだ?


 ○ --- ○ --- ○


ここから本文です。

ご感想を頂けると嬉しい。ログイン不要ですので、お気楽に一言をお願いします。

ヤッ子「音楽や食べ物の感想を含め、相手がおかしな言動をしても、それが害になるか、攻撃なのか、そうでなければ、言動が下手なのか、そう推測するだけだ」


ハル「非難されることは普通にあることだし、非難されたからって、いちいち気にしていたら、生きて行けない」


ヤッ子「これまで、虐めの被害者側の立場として、他者から「こいつ、おかしい」と思われる言動の理由を話していた。これは、虐めの加害者に流用することも可能だ」


ハル「表裏一体……ですか?」


ヤッ子「なぜ、子供のうちから、虐めを誘うような言動をするのか。同様に、なぜ、子供のうちから、虐めをしてしまうのか、それを正しいと思うのか。それが正しいと教わっていたのではないか」


ヤッ子「ということは、虐めの被害者に対しても、虐めの加害者に対しても、それぞれの考えを持つに至った理由は、生い立ちにあるのだろう、そう推測するだけだ」


ヤッ子「子育てには、様々な考えがある。人付き合いは、親がいちいち教えるのではなく、自然のうちに学ぶものだという考えがある」


ヤッ子「芸術では、余計な手本を示すと、奔放な発想を妨げる懸念がある。しかし、芸術であっても、手本を示す必要がある。それは、「危険回避」だ」


ミッツ「そういえば、遊園地の猿山で、子猿が崖から落ちないように、子猿の脚を、親猿が掴んでいました」


猿山の一場面を表示する。子猿が崖の近くでピョンピョンしているが、親猿に脚を掴まれているので、崖から落ちない。


ヤッ子「そうだ。芸術でも、猿でも、危険回避は教える。それ以外の、何を教えるか、何を教えないか、何を強要するか、様々だ」


ヤッ子「教育評論家や、カウンセラーによっても、少し異なる。「危険回避は教える」は、全員に共通しているが、それ以外の何を教えるのか、専門家でも意見の違いがあるのは当然だ」


ヤッ子「各々の家庭において、「他人を虐めてはいけない」を、親が教えるのか、人付き合いの中で自然と教わるべきだとするか、異なる。「虐めの加害者」は、見方を変えれば「教育不足の被害者」とも言える」


ヤッ子「人付き合いの中で、うまくいったり、いかなかったりする。その中で、子供は自然と「うまくいったら、何度も繰り返す」「うまくいかなければ、もうやめる」を学ぶ。偶然にも、虐めの加害者になって、うまくいったら気持ちいい」


ヤッ子「私は、虐めを完全解決する万能薬を持っていない。私にできることは、虐めの被害者に対しても、虐めの加害者に対しても、それぞれの考えを持つに至った理由は、生い立ちにあるのだろうという推測だ」


ハル「慣れないうちは、失敗は付き物。失敗をしながら、慣れて行く。パソコンとか、携帯電話、スマートフォンなんて、そういうもので同じでしょ。とにかく、やってみる」


ヤッ子「昭和の中期頃までは、仕事で失敗したり、騙されて損害があったら、「これも社会勉強」という言い方もあった。しかし、幼少の頃から虐待を受けていたら、とにかくやってみることが恐怖だな」


ヤッ子「本人が、助けを求めても無視される。しかし、周囲はその人を、便利でタダでこき使う。「面倒だから、あいつにやらせよう」を、「頼んでいるんだから、言うことを聞け」とし、見返りは無いのに、断ると仕返しされる」


ミッツ「ハルは花粉症じゃないよね」


ハル「ああ、全く感じない」


ヤッ子「私は花粉症だ。長い年月、花粉に晒されていたから、アレルギーが過剰になっている。しかし、花粉症になる前の私は、太古からの、普通の自然の空気に苦しむなんて、不思議に思っていた」


ヤッ子「だから、生来の体質なら仕方ないが、友人が高校生になってから花粉症になるなんて、冗談だと思っていた。肌寒い季節なのに薄着しているせいだろうと、的外れな推測をしていた」


ミッツ「虐めは精神的アレルギーでもあるから、ハルには気にならない非難でも、非難され続けて来た人には苦しいんじゃないかな」


ハル「花粉症の人に、「みんな同じ空気を吸っているから、お前も我慢しろ」とは言えないように、虐めを受け続けていた人に、非難されても我慢しろとは言えないんだな」


ヤッ子「虐めの被害者は、自分と他人を比較し、2つのことを考える。1つは「みんなは、自分より幸せだ、不幸が少ない」、もう1つは「みんなは自分より、不幸に耐えられる」だ」


ヤッ子「これに対して、周囲の非難は、「誰だって、不幸なことはある。自分だけが不幸だと思うのは、誤りだ」と、「不幸に耐えられない自分を責めるべきで、他者を妬むのは無意味だ」ということだ」


ヤッ子「花粉に敏感ならば、慣れれば鈍感になるだろうとは、誤った治療だ。「慣れてないから気になる」ではなく、「蓄積しているから拒否反応」なんだ」


ミッツ「ステラちゃんがいたら、花粉症の話で、「慣れてないから驚きの過敏」と「蓄積しているから拒絶の過敏」の違いも、聞けるのに」


ヤッ子「人によっては、造花を見るのも辛いらしい。喘息の人は、花を「怖い」と言う人もいる」


ミッツ「さっきハルが言った、何も教えないという虐待を受けたのに、周囲からは「ちやほやされた」と誤解されるのと似ているよね」


ミッツ「周囲からの攻撃に弱いのは、攻撃され続けたアレルギーなのに、周囲からは「ちやほやされたから、逆境に弱い。もっと鍛えるべきだ」と誤解され、逆境を作られる」


ヤッ子「予防接種の誤った使い方のようだな」


▽ 場面変更 ● ── ●


校内のどこかで、偶然にも、関連する話をしている。


生徒A「先週、親戚が来て、ウチで宴会をしたんだ」


生徒B「へえー」


生徒A「終わり頃に、母さんが焼きおにぎりを出したんだ」


ここの「母さん」は、「ばあちゃん」が良いか? 「母さん」の場合、2人の伯父のきょうだいとなる。


生徒B「うん」


生徒A「そうしたら、伯父が2人で、焼きおにぎりは、うんざりだってのと、焼きおにぎりは大好きだと、意見が分かれて」


生徒B「ん? どういうこと?」


生徒A「伯父さんが2人いて、1人は「子供の頃に、ほとんど毎週、焼きおにぎりでうんざりだ」って言うんだ。もう1人は「毎週、休みの日には焼きおにぎりを、家族みんなで食べて、楽しかった」って」


生徒B「ははーん、食べ物は、思い出と共にってことか」


ここで焼きおにぎりを用いたが、他の食べ物を用いても良い。


生徒A「そうなんだよ。そうなんだけど、それをウチで持ち出されて、喧嘩を始めても困るんだよ」


生徒B「つまり、焼きおにぎりが美味しいか、美味しくないかは、焼きおにぎり、そのものの味だけではなく、個人の思い出も、評価に大きく影響するってことか」


生徒A「個人の思い出で、評価が大きく変わるんだから、悪い思い出と連携される人には、評価をお願いすると、低評価になるんだろうな。料理に限らずさ」


生徒B「それもあるけど、伯父さんのうちの1人は、経験の多くを、悪い思い出とセットにされたんなら、幸せを感じるのが難しくなるな」


生徒A「同じことでも、人によって感じ方が違うってものだよね」


生徒B「そうそう。例えば、ただ待つだけの時間も、人によっては「その時間も楽しい」にできる人と、「無駄な時間が苦しい」という人もいる」


生徒A「他人から見たら、「ちょっと待つのが、そんなに嫌なのか!」って怒ったり呆れたりするけど、無駄に待って、結局は無駄だった経験が多ければ、待つのが苦痛になるよね」


▽ 場面変更 ● ── ●


音楽室。さっきの続き。


音楽理論を用いた強要は、虐めの構図と似ているの話。


ミッツ「そういうこと」


ハル「小さな傷痕|( )《 》きずあと)があって、触ると少し痛い。でも、人によっては、小さな傷痕の中に、長年、治療できなかった大きな膿があれば、触るだけで飛び上がるほど痛い」


ヤッ子「自分の傷痕は、触ると少しチクチクするだけでも、他人の傷痕も触って大丈夫とは限らない。小さな傷跡を見ただけでは、その奥がどうなっているのか、わからない」


ミッツ「蚊に刺される、……蚊に、咬まれる? 食われる?」第1話での方言の話を思い出し、そっと、ヤッ子を見る。


ミッツ「普通に蚊にやられただけなら、傷跡は残らないけど、傷跡では済まない惨事もあるよね」


ハル「自分の傷なら痛くないから、それを基準として「まあ、いいじゃないか。そんなに怒るなよ」って思うから、相手が「本当に痛いから、やめて」と言っても、大袈裟だと一蹴されてしまうんだろうな」


ミッツ。ニヤニヤしながら。「ハルも、わかってきたじゃないのー。言わなきゃ伝わらないけど、言ったら余計に悪い状況になるってさー」


ハル。少し安堵して、心の声。「|( )《 》ヤッ子先生とミッツの、2人から責められているようで、驚いたな。しかし、人の苦しみは、千差万別だな)」


ハル「傷痕は見えるけど、心は見えないから、気を付けないと」


ヤッ子「傷痕としては見えなくても、人によっては、特定の言葉に反応することもある」


ハル「「腰抜け」と言われると、どうしても反発してしまうとか」ハルは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』を思い出す。


ミッツ「高所恐怖症の人に、「気分の問題だろ」って強要することもできないね。みんなが普通に頑張ってできることが、その人には不可能なこともある」


ヤッ子「気にしなければいいという話に戻るが、恐怖体験があれば、その体験に似たことがあれば、それは音であったり、形であったり、においであったりするが、連想のきっかけがあるだけで、恐怖がよみがえる」


ヤッ子「連想は「フラッシュバック」という言い方もある。人によっては、特定の音や、特定の言葉など、連想のきっかけは様々だ」


ヤッ子「長年にわたる虐めを経験した者は、連想のきっかけは、日常の中に普通に存在する。普通に存在するから気にするなとは無理難題だ。本人は、日常生活そのものが恐怖なのだから」


ヤッ子「特定の音だけが連想のきっかけであっても、それを理由に嫌がらせを受けると、嫌がらせに関する事柄も、連想のきっかけになる。連想のきっかけが、増えて行く」


ヤッ子「厭なことを見付けるのが上手だと言われるのは不本意だ。それだけ心に定着している、沁み込んでいるのだ」


ヤッ子「少し痒いなら、掻かずにいられても、とても痒ければ、無意識のうちに掻いてしまうだろう。掻いたら悪化するのはわかっていても、掻かずにいられる人はすごい人であり、そんなすごい人になれと求めるのは、そのものが虐めだろう」


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。ストリートピアノと、基本的人権。


ストリートピアノは、明確な共通ルールは無い。「誰でも弾いて良い」ではあっても、場所柄を含め、様々。申し込みが必要、弾く人に条件がある、上手な人の専用など。「それはストリートピアノではない」とは、呼称の定義の話。


「誰も弾いてなければ、弾いて良い」「長時間の占有は避ける」が、一応の共通ではある。


ストリートピアノを妨害する行為や、乱暴な使い方のせいで、ストリートピアノが終了する|( )《 》撤去される)事例もあるが、下手な人が延々と弾くことで、商店街の近隣の店員から終了要請があった例もある。


表向きは「下手でも弾いて良い」だが、弾くことは望まれないこともある。人前で弾かずに、自宅で自分だけで弾くのが望まれることがある。


基本的人権も、生きることは自由だが、人前で生きることは望まれない。精神的虐待の後遺症で、人から嫌われるということは、周囲の人にとっては迷惑、下手な人がストリートピアノを弾くのと似ている。隠棲が望まれる。


ストリートピアノは、1人が独占するものだから、「譲り合って」のもの。順番待ちの人がいなくても、離席し、誰かが弾くのを待つ。


誰も弾く人がいなくても、下手な人は、何度も弾いてはいけない。「誰でも自由に」というのは表向きの綺麗事。下手な人が弾くのを断れないが、一度でも弾いたら、もうストリートピアノの義務は終わり。何度も弾くのは迷惑。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。依存症。


ギャンブル依存症は、非難されることもあるが、治療対象でもある。


インターネットが普及する前は、「自宅で手軽に」のギャンブルが無かった。パチンコ店や競馬場に、自ら出向くことが主流だった。競馬で電話をするのは、ノミ行為。


自宅から、ギャンブルの場に出向く途中には、何度も「今日はやめておこう」と思える場面があるはずだ。それなのに、ギャンブルの場に到着してしまう。だからこそ、治療対象。


虐められ続けている人は、「性格が悪い」と非難される言動を、やめようと思っても、やってしまう。ギャンブル依存症と似ているのだが、治療対象ではなく、非難されるばかり。だから、ダイバーシティの対象外。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。教えていない。


壊れやすいものを、外出時に携帯するが、壊れやすいことや、何に気を付けるのかを教わっていない。


壊れやすいと知らずに携帯し、いつもと同じように過ごして、壊れてしまう。後になってから「壊れやすいのは当たり前」「どうするんだ、壊れたものは、もう戻らない。新しく買わないとならない。金がかかる」と責められる。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。普通を知らない。


やり直しができないことを、自由にさせて、失敗。


その失敗を責める。「普通はこうしないだろう」「誰が、こうしろと指示した? 誰もこうしろとは言っていない」


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。相貌認証。


育児放棄|( )《 》ネグレクト)により、他者との関りが、極めて少ない。人の顔を識別する能力が低い。


少人数の来客も、人数の多い集会も、「お前は邪魔だから」と、疎外され、別室で孤独。声だけは聞こえるが、言葉は聞き取れない。


幼少の頃に慣れ親しんでいなければ、大人になってからも識別が難しい。人の顔に限らず、言語や、音感も、取得には年齢制限がある。絶対的な限界ではないが、大人になってから取得するのは困難。


地平線が見える地域で生まれ育った者は、大人になってから大都会に移り住むと、高層ビルがどれも同じに見えるらしい。並べて見ると違いを見付けられるが、単体で見ると、よくわからない。


来客も集会も縁が無ければ、人付き合いを学べない。母語の取得が稀薄。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。どうせ、わからない。


小学校で、友達と遊ぼうにも、遊びのルールを知らない。多くの遊びに共通の事柄も知らない。


細かなことを教えるのが面倒になる。「丁寧に教える」が大切だとは、大人から指示されてはいるが、同年齢でも格下なので、面倒な奴。


みんなで楽しむ場に呼ぶと、興覚めする。だから疎外する。友達同士の楽しみの場では、どうすべきかを学べない。


格下なので、遊びのルールを教える時に、からかいの嘘のルールを教える。「ねえ、ここで、どうするの?」の問いに、嘘を教え、「お前、それをやったから、負け」とからかう。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。明るさも品切れ。


不遇な人生であっても、持ち前の明るさで、逆境を跳ね返し、人生を切り拓く物語は多い。しかし、それは、感動物語というフィクション。そのような人になるように求めるのは、フィクションを現実に持ち込むということ。


精神的虐待で、辛い人生であれば、持ち前の明るさも品切れになる。それは、周囲の人の不評を買う。


周囲の人は、フィクションを現実に持ち込むような、「明るく生きろ、考え方を変えろ」という、無理な要求をする。それは、体内に埋め込まれた重荷のせいで、走るのが遅れた者に、「追い付くためには、他人より頑張れ」の要求。


アドバイスは身勝手なもの。他人より劣っていることで苦しいから「追い付くためには、他人より頑張れ」があれば、数少ない長所が無視されているのに「他人と比較せずに、自分らしく」もある。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。ちょっとの努力で。


交通量の多い車道を横断するのは危険。


歩道橋があるのだから、ちょっとの努力で快適が得られるのに、なぜ怠けるのか。


歩道橋にはエレベーターが無い。車椅子では、歩道橋の利用は「ちょっとの努力を怠る」ではなく、利用不可能。


信号のある横断歩道は、とんでもなく遠い。信号は、車椅子で渡り切れない短時間。


車道の向こう側に行けば、良いことがある。


車道の向こう側に行かないのは、怠けではなく、とんでもない遠い場所だから。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。比喩を使った言い回しを知らない。


コント、物語で、比喩を使った言い回しを知らないので、会話が通じない。


例:「手を貸してくれ」「冗談を言うべき時。今は何時か時計を見る」「甘いものには目が無い」「これで食べている」


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。パワハラ。


上司が部下を叱責。「つわりは、大なり小なり、みんな苦しいんだ。私はつわりで苦しくても仕事を休まなかった。だから、あなたも、出勤しろ」


上司は、自身のつわりの「小なり」を基準とし、部下の「大なり」の苦しみを叱責した。


風邪の症状でも、人によって異なる。月経痛の種類も、人によって異なる。しかし、「出勤が正しい」を最優先にしているせいか、「人によって異なる」が無視される。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。「みんなで」が正しい。


職場に新参者が入ると、歓迎会として、飲み会が開かれる。「飲みニケーション」などと名が付けられ、強制参加だった。


歓迎会以外にも、忘年会など、年間に何度も飲み会が開かれる。


飲み会が嫌いなのに、自費での出席を強要されるのが解せず、欠席すると非難される。


全員参加を義務とする理由は「親睦」「仕事の効率化」など。立場が上の人は、立場が下の人に同意を求め、逆らえないから同意すると、「我が意を得たり」「あの人も参加が正しいと言っていた」とされる。


やがて、「○○ハラスメント」の広がりと共に強制は軽減され、2020年の新型コロナウイルスによる飲み会の激減により、飲み会の企画そのものが激減した。


飲みニケーションが当然だった頃は、飲みたい人が多いから、これが正しい、人間として当然とされていた。飲みたい人のうち、無理に誘う人は、勢いがあり、強引さがある人。


リア充も、飲みニケーションと類似し、こじつけを含めた、あらゆる理由を持ち出し、リア充が人間としての正しいとする。


みんなと一緒に楽しむことを、魅力と感じない人はいないなど。帰宅して自分で電灯を点けるのは寂しいだろう、一人で食事するより、家族と食事するのが楽しいだろう、みんなで笑い合うのが楽しいだろう。


楽しいと感じる人が多くても、正しさとは異なる。多数決は正しさではない。


飲み会にしつこく誘われ、何が目的か不明だが「出席するだけでいい」は、出席だけでは済まない。末席で静かにしていると、目障り。自費で出席し、目障りとされるのなら、欠席したかった。


▽ 場面変更 ● ── ●


これ以外の説明例。毒と薬。体の状態。


精神的アレルギーの説明を受けて、「いつでも必ず」と勘違いし、説明と違う反応があれば「アレルギーは嘘だ、こいつは嘘つきだ」と判断するのは、否定を目的としているからかも。


毒や薬は、体に影響があるもの。その違いは、分量によるが、分量以外にも、体の状態でも変化する。


薬の注意書きには、「用法、用量を正しく」と明記されている。


分量を過剰にしたオーバードーズや、処方された薬を転売することは、社会問題。


薬を摂取する時間帯により、効果の違いがあり、その研究がされている。食事を目安に服用することは、単に飲み忘れを防ぐ目的もあれば、服用の時間帯による効果の違いを目的とすることもある。


本人も、アレルギーがあると知っていたが、体質が変わり、アレルギーではなくなったと思っていた。しかし、フルマラソンの後にアレルギー物質を摂取し、発症。体の状態で、アレルギー反応の具合が異なる。


薬と一緒に、何を摂取するかで、薬の効果が変わる。冷たい牛乳と、温かい牛乳で、体への影響が違う。


アレルギーは、アレルギー物質の単体で症状が出るとは限らず、体の状態を含めた複合条件。だから、「アレルギーは嘘だ、こいつは嘘つきだ」ではなく、本人がよく気を付けているのかも。


毒キノコの中には、他の動物が食べても毒ではないものがある。逆に、人間の食べ物でも、犬や猫にとっては毒の野菜もある。


酒も、海苔も、苦手な人がいるとは、知られている。知られているから、気遣いの対象となる。しかし、ゼロか百かとして知られている。複合条件の説明を聞く耳は持たない。



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